因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

三月大歌舞伎『菅原伝授手習鑑』(昼の部)

2015-03-07 | 舞台

*公演情報はこちら 27日まで
 『菅原伝授手習鑑』が昼夜にわたって通し上演されるのは、新しい歌舞伎座になってからはじめてとのこと。これまで何度もみたことのある演目は、後半の「寺子屋」だ。あるじへの忠義を貫くためにわが子を犠牲にする。歌舞伎をみはじめたころ、十五代目片岡仁左衛門の襲名披露公演のテレビ中継を録画し(チケットが取れなかったのだ)、くりかえしみた。内容が内容だけに、わくわくと楽しみに身を乗り出すタイプの作品ではない。どうしてこんなことをするのか、できるのか。平気でしているのではない。親たちははらわたがちぎれるような思いでわが子の首を差し出す。寺子屋の先生は人さまの子を手にかける。ひどい話だ、ありえない。しかしどうしても惹かれる何かがある。

 昼の部は「加茂堤」と「筆法伝授」 、そして「道明寺」である。菅原道真の大宰府流罪を題材にした重厚かつ硬質な物語ではあるが、ことの起こりが若い男女の恋愛であることに改めて驚く。同じく、あるじの奥方の腰元と深い仲になったために勘当された武部源蔵と妻戸浪が、前後半とも物語の重要な部分を担う。片岡仁左衛門の菅丞相があまりに神々しく、この世の人であって、もはや神の領域にあるかのようにすらみえるが、ひと肌のぬくもりというのか、温かな血の通った物語でもあるのだ。

 仁左衛門の菅丞相は、まさに余人をもって代えがたい。当代きっての当たり役、仁左衛門にとっては天啓ではなかろうか。この役者の菅丞相をみられることの幸福を、自分はもっと感謝しなければならない。さらに今回心を惹かれたのは、市川染五郎の武部源蔵である。前述のように恋愛沙汰のためにあるじから勘当され、浪人となった身である。妻戸浪を伴って丞相のもとを訪れ、文字通り地にひれ伏して許しを乞う。あるじ(師匠でもある)のまえで書をしたため、それが認められて筆法を伝授されるも、勘当は解いてもらえない。このときの源蔵の悲しみ、絶望。筆法を伝授されたということは、仕事が認められたことだ。大変な名誉であり、誉れである。だが彼は勘当を解かれたかった。主従のつながりを取り戻したかったのである。

 なぜここまであるじを慕うのか。ここで「この菅丞相なら」と観客に思わせる風格と威厳を仁左衛門は備えている。そして勘当が解かれなかった源蔵と戸浪の悲嘆あってこそ、後半の「寺子屋」で、火花を散らすごとく松王丸と対峙する激しさにつながっていくのである。

 三月歌舞伎が開幕する直前、十代目坂東三津五郎が旅立った。若すぎる、早すぎる旅立ちである。三津五郎と中村勘三郎、そして市川團十郎の死去によって、歌舞伎の舞台も世代交代を余儀なくされた。三津五郎の不在はさびしく、勘三郎の死去はいまだに納得がゆかない。とくに三津五郎は自分自身が江戸歌舞伎の香りを身につけており、さらにそれを後進に伝えていく指導者としても優れていただけに、損失は計り知れない。お兄さんにもっと教わりたかったなあという生易しいものではなく、若手俳優たちは「自分たちはこれからいったいどうしたらいいのか?!」と、足元が揺らぐような不安を覚えるのではないか。

 しかし耐えるしかない。何とかがんばるしかないのである。昨年十月の歌舞伎座公演「寺子屋」では、中村勘九郎の源蔵と、弟七之助の戸浪がみごとであった。今回も夜の「寺子屋」では染五郎が今度は松王丸を、源蔵を尾上松緑が演じる。心して見ようと思う。懸命につとめる役者のすがたは、たとえ過渡期のものであっても、みるものの心をとらえるだろう。そして「こんな松王丸がみたい」、「寺子屋のオールキャストはこれだ」と、観客は新たな夢を抱き、目標をもって劇場に行けるのである。

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