因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

柿葺落四月大歌舞伎・第三部

2013-04-16 | 舞台

 公式サイトはこちら 東銀座・歌舞伎座 29日まで 
 2010年4月の閉場からあっというまに3年の月日が過ぎた。いつもと勝手の違うチケット予約の流れ、いや単に前売り開始日が早いだけなのだが、なかなかスイッチが入らない。歌舞伎座再開場の報道が連日過熱するのをみるにつけ、いよいよ怖気づいた。しかし日を追うごとに「こうしてはいられない」気が高まってきて、観劇することに。

 すでに詳しく報道されていることだが、地下鉄東銀座駅構内に「木挽町広場」ができ、お弁当やおやつ、歌舞伎関連のお土産もの、コーヒーやお蕎麦も楽しめる。劇場へもエスカレーター直結、正面玄関の階段もなくなったので、これなら足元の不安な方もだいじょうぶだ。客席の椅子や前後の空間も数センチずつひろい作りになった由。ほんとうだ、ずいぶんゆったりして楽にみられるようになった。

 しかし何より「新しき歌舞伎座が完成した!」という喜びが劇場中に満ち満ちている。あるトーク番組に出演した坂田藤十郎が、「お客さまの熱が舞台に伝わってまいります」と感激の面持ちで語っていたように、役者の「帰ってまいりました」に、客席は「待ってました」と応える。どちらも嬉しい再開場なのだ。ほんとうに嬉しい、幸せだ。

 さて今月の第三部は『盛綱陣屋』と『勧進帳』である。                        

 今夜の大収穫は、『盛綱陣屋』で盛綱の弟である高綱の息子小四郎を演じた8歳の松本金太郎であった。市川染五郎の長男で、幸四郎の孫にあたる。2009年の6月、歌舞伎座の『門出祝寿連獅子』で父、祖父とともに松本金太郎として初舞台を踏んだ(因幡屋はこれを見に行ったがブログには記事がありません)。
 片岡仁左衛門、中村吉右衛門はじめ、錚々たる役者陣のなかで、子役としては荷が重すぎるのではないかと思われるほど重要で複雑な役柄をつとめる。それが具体的にどのようなものであるかを書き記す力が自分にはないが、父や伯父、おばや祖母という大人たちの事情、身内が敵味方に分かれて戦をしている現実、自分たちは武士であるという誇りをおさな心に理解し、自分の命を投げ出すのである。
 主君への忠義を重んじ、はらわたがちぎれるほどに苦しみながらわが子を身代わりにする、みずからが腹を切るなどの物語は枚挙にいとまがない。本作もそのひとつと言えるだろうが、それにしてもあまりに痛ましい。近代的精神からいえばとんでもない話である。

 歌舞伎における子役は感情をあらわにする芝居をほとんどしないように思う。役者自身が幼いこともあるが、台詞の言い方や所作ごと、顔やからだの向きひとつひとつを父や祖父、共演するお兄さんやおじさんたちから教わったままに演じているように見える。ある意味で表面的、型どおりであり、テレビや映画で活躍する子役たちのほうがよほど「芸達者」にみえるが、伝統芸能の子役と近代劇、映像の子役を同列に比較することはできない。
 先輩たちの芸をまね、かたちを徹底して覚え込む伝統芸は、わかりやすい演技表現とはべつの次元にあるのだ。

 8歳の金太郎くんが物語の背景や人物の心象をどのように理解して演じているかはわからないが、客席の心をわしづかみにしたのはたしかである。終演後の客席から「こういうことをあんなに小さいときからやってるんだなぁ」と感嘆する声を聞いた。そこには悲しみに似た感情もこもっており、その方は「それ考えると香川はなぁ」と言いにくそうに言葉を濁した。「役者に囲まれて育ち、幼いうちから演じつづけるのが歌舞伎役者だ。だから40歳を過ぎて歌舞伎役者になろうとしている香川照之は・・・」ということだろうか。

 先日放送された十八代目中村勘三郎追悼の番組を思い出す。孫の七緒八が祖父の四十九日の席だったか、『鏡獅子』のビデオの前で踊りをしてみせたり、父の勘九郎に抱かれて祖父の写真集をみながら、開いたページの芝居の所作を真似していたり、たった2歳でまだ誰からも教わっていないのに、こういうことができてしまうことに、可愛らしいとか微笑ましいというより、空恐ろしいものを感じて背筋が寒くなった。名優の血がからだじゅうに流れている幼子なのだ。しかし血筋だけではない、彼を守り育てようとする、豊かな芸心と愛情にあふれる周囲の環境が、一般家庭とは絶対的にちがう点なのだ。

 香川照之自身にまったく責任はない。彼にも立派な血筋はある。しかしそれを盛りたてる環境と言うものが欠落していたのである。血筋血縁というものを否定し、超越した歌舞伎を作ろうと粉骨砕身していた父・猿翁が、数十年の恩讐を超えて直系の息子と孫を迎え入れたことの功罪はさまざまであり、この場で論じることではないのだが。

 閉場していた3年のあいだに逝ってしまった役者もあり、しかし新たに生まれ、着実に育っている小さな役者たちもいる。古くからあって変わりつつ変わらない、歌舞伎という宝を人生に与えられたことは幸せだ。健康で長生きがしたい。歌舞伎をみていると心底そう思うのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« こまつ座&ホリプロ公演『木... | トップ | 演劇集団円『あわれ彼女は娼婦』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台」カテゴリの最新記事