*安部公房作 山崎洋平(江古田のガールズ)演出 公式サイトはこちら(1)あうるすぽっと 17日で終了 当ブログの安部公房作品の過去記事はこちら→1,2,3,4 安部公房の評伝劇的な舞台の観劇記事はこちら。
立ち上げから5周年を迎えた笛井事務所が選んだ作品は、1974年西武劇場、現在は渋谷パルコ建て替えに伴い休館中のパルコ劇場で上演された初の演劇作品であり、安部公房スタジオの旗揚げ公演の演目でもある『愛の眼鏡は色ガラス』。昨年の三好十郎作『冒した者』(望月順吉/文学座 演出)といい、今回の作品といい、重厚で手ごわい戯曲に挑戦する同事務所の果敢な姿勢には頭が下がる。
ある精神病院の大広間が舞台である。戯曲には「大広間」と書かれており、現在の病院のような玄関やロビーなどとは趣が異なるらしい。正面に5つ、左右に2つずつの合計9つのドアがあり、9つの椅子がてんでに置かれている。舞台ぜんたいの色も質感も無機的で、安易な予測を拒絶するかのようだ(乗峯雅寛・舞台美術)。ゴム人形を自分の妻に見立てて世話をする男がおり、彼の主治医なのだろうか、赤い白衣(変な言い方だが)の赤医者とのやりとりが始まる。この第1場における男の最後の台詞が、退場した赤医者のことを「やれやれ、気違いのお相手も楽じゃないよ」であり、すでに冒頭で、表面的な患者と医者、正常と異常の区別がずれているらしきことがわかる。
ほかにも自分をオフェリヤ(オフィーリア)と見立てて、ほかの患者たちをハムレットに例えてみたり、卵を温めてみたりする女性患者たち、ヘルメットをかぶった学生たちなどが入り乱れ、状況は混乱してゆく。
難解な単語や言い回しがあるわけでもないのに、読み進めるのも、実際の舞台を思い浮かべるのも難しい戯曲である。そして実際の舞台はどうであったかというと、舞台上の俳優はみな熱演であり、強いエネルギーを発している。しかしそれらが客席に届いてこないのである。戯曲以上に実際の舞台の印象をつかめず、いわばほうほうの体で劇場をあとにしたのだった。
われながら何と情けない観劇かと、もう一度戯曲を手に取ってみた。すると今度は台詞の一つひとつが、観劇前とは比べものにならないほど粒だち、人物の造形も次第にその輪郭をくっきりと見せはじめたのである。これは多少なりとも舞台の様相が頭に入っていたために戯曲読みの一助になったというものとも異なる感覚であった。
しかしそれでも首吊り男が登場するあたりで息切れがし、やはり最後までしっかりと読み切ることはできなかった。戯曲に挫折し、舞台からは引き、まことに残念な体験であったが、無理やりな解釈はせず、いまの自分の感覚を正直に記しておく。
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