タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

総本山・信貴山 朝護孫子寺「成福院」・・・

2022-04-06 17:32:37 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

204社寺目です。

奈良県の、総本山・朝護孫子寺 大本山「成福院」。

平成8年6月8日御朱印いただいております。

「毘沙門天王」信仰の、一大霊地「信貴山 (しぎさん) 」。

総本山・朝護孫子寺 (ちょうごそんしじ) の、三大本山の一つ「成福院 (じょうふくいん) 」。

ウィキより、画像もウィキより、

朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗総本山寺院山号は信貴山。本尊毘沙門天。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。初詣や「寅まつり」(2月下旬)は多くの参拝客でにぎわう。神仏習合の名残から、境内には鳥居も並んでいる

朝護孫子寺は、大和国(現・奈良県)と河内国(現・大阪府南東部)の境にそびえる生駒山地の南端に近い、奈良県側の信貴山の山腹に位置する。

当寺の創建について伝承では、敏達天皇11年(582年)にの年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天聖徳太子が感得し、後にその加護によって物部守屋に勝利したことから、用明天皇2年(587年)7月3日に聖徳太子は自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建し、「ずべきぶべき信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に張り子のが置かれているのは、その逸話に由来している。

延喜10年(910年)には中興である命蓮(みょうれん)上人によって伽藍が整備される。また、病であった醍醐天皇を命蓮が治癒したことから天皇によって「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺とされ、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。」

・・・明るいお寺です。

信貴山では、総本山の本堂での、「大般若経転読」祈祷が有名です。

分厚い、「大般若経」を、「パラパラパラ~」とやる御祈祷です。

三つの大本山または、総本山・本堂の受付で申し込めるはずです。

ではまた。

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東大寺・・・

2022-04-06 17:18:32 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

203社寺目です。

東大寺。

平成8年6月8日御朱印いただいております。

何度も記述したと思います。バラバラで書いてますので、そこは、拾い読みしてください。重要なメッセージもあったような気がします。(感覚派の私は、あまり自分の記述を覚えていません)

ウィキより、画像もウィキより、

東大寺 大仏殿

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山寺院山号はなし。本尊奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である[1]

正式には金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら[2])ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。現別当(住職・222世)は狹川普文。

奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。

東大寺は1998年平成10年)12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。」

ではまた。

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仏と神・・・

2022-04-06 06:41:11 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

明治政府の愚かな目的で、「神仏分離」されて久しい。

日本古代の神々は、今でも神仏習合されているが、

「神職」と「僧職」が、一つの目的でまとまることは・・もう無いと思う。

(神仏合同法要などは、神仏霊場会や個別の寺院で行われるだろうが・・・)

・・仏と神・・・どちらが偉いか尊いか・・・

「仏」である。

正しく仏教を理解している人なら、わかると思うが、仏である。

「仏」も「神」も、元は「人間」である。もちろん、人間以外の「神霊」もおられるが、主だった「神々」は、人間である。

日本は大乗仏教国なので、そういう視点から見ると、仏教はわかりにくい。

大乗仏教は、あくまで「方便の仏教」であり、「在家仏教」である。

「仏や諸天善神を供養礼拝する」のなら、上座部仏教より「上である」。

ただ、仏教としては、「上座部仏教の方が、圧倒的に正しい」。

経典を見比べたら一目瞭然である。

原始仏典は、お釈迦様の生の説法集みたいなので、完璧であり、水のように流麗で、読みやすい。対して、大乗経典は、後の時代の仏弟子が考えて創作した経典なので、文体もカクカクして読みにくい。

ただ、大乗経典の良い点は、「仏や諸天善神を供養礼拝する」ために読誦するのには最適である。

原始経典は、お釈迦様の真理の言葉なので、自分自身の勉強のためにするのに向いている。

・・脱線したが、江戸後期、平田篤胤らのグループおよび、「水戸学かぶれの連中」が「廃仏」及び「神道」を国教化しようと言う動きになり今日に至っているが、

これらが、日本の悲劇の始まりである。

もう、治らない。

・・仏とは、「真理そのもの」の存在である。

仏と言う「神」ではない。「神」として祀られることもあるが、「契約の神でもないし」、「守護神的存在でも無い」。「拝む対象としては、神としても問題はない」が、あくまで、「人と」「神々の」「円満に完成した」存在が、「仏陀」であるのだ。

「天上の神々」には、「寿命がある」ので、「天上の寿命を終えたら」、この地上に、再び「人として」生まれてくる。仏は涅槃なので、寿命も転生も無い。だから常楽と言う。

神とは、絶対の存在ではないのだ。無色界のひじょうに高い天の神々は、そのまま涅槃に入るとあるが、そんな高い天上界の神々は、この地上とは「接点がそもそも無い」。

重ねて言う。

仏と神々と、どちらが上か尊いか・・・「仏」である。

ただ、ブッダは、真理そのものの存在なので、自分自身を神と比較したりはしない。

しかし・・・「廃仏」だけは、絶対にしてはならない。

明治に廃仏毀釈の蛮行をした日本、その後の歴史は、

「災害」「戦争につぐ戦争」「無信仰と言う悪業」「無智」につながり、「真逆」に至る。(ウソをつく者を信じ、真を言う者を排斥する・・・これが真逆道 すなわち、地獄道である)

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日月神示について・・・

2022-04-06 05:29:18 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

戦時中に、神道家に降りたとされる、「日月神示」。

私は、「ざっ」としか読んでいない。

何かを調べていた数年前、偶然、ネットで知ってアマゾンで買ってみた。

読んでいて、怖くなったため、読むのを中断した。

「ざっ」としか読んでいないのだが、全巻、「ざくっ」とは、読んでみた。

「2、3割本物、残りは創作」

20、30%は、本物の神示「のような」気がする。

後は、創作されたものと言う印象。

私は宗教団体には無関係であるし、

宗教団体自体信じない。

ただ、この神示は・・・20~30%は、本物の神示「のような」気がする。

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