231~233社寺目です。
前述している寺院もありますので、さくさくっと記していきます。
〇 第十五番「漢陽寺」・・・平成12年11月24日御朱印いただいております。
落ち着いた佇まいの、臨済宗の古刹です。
温厚なご住職と、副住職でした。潮音洞が印象的でした。
ウィキより、伽藍の画像は霊場会より、
「漢陽寺(かんようじ)は、山口県周南市鹿野上にある臨済宗南禅寺派の寺院。大本山南禅寺派別格地鹿苑山漢陽寺が、正式名称である[1]。
1374年(応安7年)、用堂明機禅が開山したと伝わる。禅師は、唐にわたり杭州で竺源遠禅師に師事して11年間に渡り修行と研鑽を積んだ名僧といわれた。
本尊は聖観世音菩薩である。中国三十三観音霊場第十五番札所、山陽花の寺二十四か寺第四番札所にあたる。」
〇 第十六番「洞春寺」・・・平成12年11月24日御朱印いただいております。
中国観音霊場より、
「山口は14世紀中頃から約200年間、戦国大名の雄として中国地方に割拠した大内氏の本拠地で、西の京と謳われるほど栄え、今尚大内文化の面影を色濃く残す街である。その中でも特に多くの文化遺産が見事に集積されたゾーンの中心をなす臨済宗の巨刹が洞春寺である。
洞春寺は大内氏滅亡後、それに代って君臨した毛利氏の初代藩公・三矢の訓で有名な毛利元就の菩提寺として、元亀3年(1572年)元就の孫・輝元が、安芸の国吉田の城内に開基したのが始まりで、開山は傑僧として知られる嘯岳鼎虎(しょうがくていこ)禅師。」
第十七番「龍蔵寺」・・・平成12年11月24日御朱印いただいております。
ウィキより、伽藍画像もウィキより、
「龍蔵寺(りゅうぞうじ)は、山口県山口市吉敷の滝山の中腹にある真言宗御室派の寺院。中国三十三観音の第十七番札所など巡礼の札所であり、国の天然記念物に指定されたイチョウの巨木がある。紅葉の名所でもある[1]。
1778年(安永7年)に龍蔵寺から長州藩に提出された由緒書によれば、文武天皇2年(698年)に豊後国の英彦山で修行していた役小角が、北方に見た瑞雲と光明から吉敷の滝を発見し、奥の院の岩窟を「龍の蔵」と名付け、熊野権現を勧請して護摩供を修したとされる。下って天平13年(741年)、行基がこの地で千手観音像を彫り、七堂伽藍を建てて「龍蔵寺」と名付けたと言われる[2]。
江戸時代には、現在の本堂や観音堂の他に薬師堂や開山堂などがあったが、廃仏毀釈や廃藩置県など明治初期の混乱により多くのものが破却され寺は荒廃した。その後、明治29年に住職に就任した宮原泰歓の尽力により信仰の場として復活した。」
ではまた。
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