246~247社寺目です。
前述している寺院もありますので、さくさくっと記していきます。
〇 第三十番「長谷寺」・・・平成12年11月7日御朱印いただいております。
天台宗なのですが、「弘法大師」が、お祀りされていて印象に残りました。
たまに、天台宗寺院に、真言宗の開祖「弘法大師」がお祀りされている御寺があります。
ウィキより、伽藍の画像もウィキより、
「長谷寺(ちょうこくじ)は鳥取県倉吉市にある天台宗の寺。寺号は「はせでら」とも読む。中国三十三観音霊場第三十番札所。
『伯耆民談記』等に伝える寺伝によれば、奈良時代の養老5年(721年)、法道を開山として創建されたという。当初は長谷(ながたに)村(現・倉吉市長谷、長谷寺の西方)にあり、後に現在地に移されたという。草創の詳しい事情や中世までの沿革は判然としないが、中世には禅宗寺院であった。鳥取市河原町片山の国英神社(くにふさじんじゃ)蔵の正安3年(1301年)銘の梵鐘には「伯州久米郷長谷寺鐘」とあり、この時点での寺の存在が確認できる。
豊臣秀吉の時代に寺領を失い衰退するが、米子城主中村一忠によって再興。この頃天台宗に転じた。
境内は打吹山山中、打吹城越中丸跡近くの斜面地にあり、室町時代再築の本堂は急斜面に対応した懸造の建築である。
本堂には重要文化財に指定の厨子内に秘仏の本尊木造十一面観音菩薩坐像を安置する。 また本堂内壁面に室町時代から江戸時代に奉納された秀逸な絵馬が多数掛けられていたことから(現在は庫裏に展示)、「絵馬の寺」として広く知られる。」
・・・本堂内には、ふだんは、入れるのかどうかはわかりませんが、
私は御縁あって中に入らせていただいたことがあります。
堂内は・・・「歴史」と言う空気感でした。
当時のご住職から、「マリア観音像」も拝させていただいた記憶があります。
マリア観音とは、キリシタン弾圧の時代、隠れキリシタンの人たちが、「聖母マリア像」を、「観音像」(たいてい、白衣観音=びゃくえかんのん) に擬態させて祀っていた歴史があり、のちに、長谷寺に縁あってたどり着いたのだと伺った記憶があります。
〇 第三十一番「三佛寺」・・・前述しています。
ウィキより、
「開山は慶雲3年(706年)に役行者が修験道の行場として開いたとされ、その後、慈覚大師円仁により嘉祥2年(849年)に本尊釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来の三仏が安置されたとされる[1]。
鳥取県のほぼ中央に位置する三徳山(標高900m)に境内を持ち、古くは山全体を境内としていた山岳寺院である。中腹の標高470mにある投入堂(なげいれどう)の通称で広く知られる奥院の建物は、垂直に切り立った絶壁の窪みに建てられた他に類を見ない建築物で、国宝に指定されている。また、三徳山は昭和9年(1934年)7月7日に国の史跡及び名勝に指定された。
2015年4月24日には日本遺産の最初の18件の一つとして「六根清浄と六感治癒の地〜日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉〜 」のタイトルで認定された。」
蔵王権現さまが有名です。
・・・今日は、トンビの姫が久しぶりにやってきました。相方の金若とよく似ていて、日に当たると金色になるトンビです。金若は今、尾羽が1本抜けていて、今日現れた金色のトンビは尾羽がそろっていたので、姫だとわかりました。あと、西の高空を金色のトンビが舞っていました。こちらは遠かったので、金若か姫か、ニューかは確認できませんでした。ツバメたちが合流して一緒に舞いました。
ハシボソガラスのあー太郎 (メス) 、テツかコテツ、ハシブトガラスのリキたち、ヒヨドリヒヨ、キジ坊、スズメ軍団、ほか小鳥たち、ミニサイズのガガンボが現れました。
玄関ドアに、巻貝のような生物、ゾウムシ、羽虫のコッチ群、小さなクモ、ヤママユガを小さくしたような蛾が「機嫌良さそうに」佇んでいました。
蛾は、ドアの下部分の端に佇んでいたので、そのままでは傷つくかもと思い、逃がそうとしたのですが、動かなかったため、勝手口から入りました。
白黒ミニー (ハクセキレイ) が、久しぶりに姿を見せ、電線に留まって尾羽を「くるくる」させていました。



ではまた。
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