年金だけの生活が30年続くと2000万円が不足する。金融庁は別に1500万〜3000万円という試算もしていたが、年金に頼らない老後を送る人がいる。現役の正社員だから老後という表現は間違いだが、どんな生活ぶりだろうか。
工場内に木槌の音がトントンと響く。91歳で今なお、現役の職人として働く平久守さん(1928年1月生まれ)の熟練の技は、若い職人では束になってもかなわない。黙々と同じ動作を繰り返す平久さんを見ていると、思わずピノキオのゼペットじいさんが頭に浮かんできそうだ。
「国民学校を出て14歳から機械工として働きました。その後に独立して溶接の町工場を自営しておったんですが、65歳の時に後継者がいなくて工場をたたんだのです」
息子はいるが、家業は継がせなかったという。
「日本の製造業は厳しいですから。仕事の受注先はみな中国ですし……」
65歳から3歳下の奥さんと年金生活を送っていたが、78歳の時に友人から「横引シャッター」の先代社長・市川文胤氏(故人)を紹介された。「働く気があれば何歳でも構わない」と入社を受け入れてくれたという。
なぜ10年以上のブランクがありながら現役復帰する気になったのか?
「一日一日が長かったから。サスペンスドラマで時間をつぶしても、時間が経つのが遅い。東京都のシルバーパスを使って赤羽とか池袋までバスで出ても、牛丼屋でご飯を食べて帰ってくるだけ。でも、今はあっという間ですよ。ほらっ」
平久さんが指さしたのは作業台の脇に置かれた卓上時計だ。針は午後の3時5分を指している。
では、平久さんの勤務時間はいつまでか。
「朝10時から夕方5時までで、片道30分かけて自転車で通っています。前はもう少し早かったが、赤信号でお巡りさんに注意されて、それからはゆっくり自転車をこいで来ています」
会社は雨が降ったら休んでいいと配慮し、また暗くなるのが早い冬場は4時で終業させる。だが、根っからの職人気質である平久さんは、仕事を残してなかなか帰らないという。昼食は、以前は愛妻弁当を持参していたが、奥さんが足を悪くしてからはコンビニ弁当などで済ます。
気になるのは、年金を含めた月額の収入だ。
「うんともらっています。国民年金と合わせて20万円を超えるぐらいかな」
昨年、90歳で月額1万円の昇給を果たしたばかりだ。
「生活費はこれで十分。前は孫にゲーム機を買ってやったりしていたが、今は一番下でも21歳だからそれも必要なくなりました」
そんな平久さんだが、何歳まで働くつもりなのか。耳こそ遠くなっているが、他はどこも悪くない。横引シャッターは定年制を廃止しており、本人が辞めると言い出さない限り、ずっと働いてもらうつもりだという。
「死ぬまで働きます。なぜかって? 仕事が楽しいですから」
長生きすればするほど今の日本は息苦しい生活になる。平久さんのケースは特殊な一例だが、こんな生き方もある。
「合コン休暇」を作った横引シャッター社長の思い
91歳の平久守さんが勤務する横引シャッターは従業員三十数人の足立区の町工場。創業は1970年で、社長の市川慎次郎氏(43)は、中国の北京語言大学漢語学部経済貿易科卒という異色の経歴の持ち主だ。7年前に父親の急逝を受け2代目社長に就任してから、企業改革・風土改革に取り組んできた。
「中小企業の悪いところは、“ちゃんとできない”こと。大企業のように立派な就業規則もなく、玉虫色というアバウトな面があります。でも、私はそれこそが中小企業の良いところだと思っている。『お互いさま』で、誰かが休めば仲間がフォローする。ある若い社員から『合コンがあるから早く帰りたい』と申し出があったので、合コン休暇を作った。彼女とスノボに行きたいというので、連休にしたこともある。事前に言ってくれさえすれば、仕事の配分はいくらだってやりくりできるのです。逆に子供の運動会やお遊戯会の日は必ず休んでもらうようにしています。入学式で6人の休みが重なってしまったのですが、これも何とかなりました。仮に社員が休んで仕事が回らないのであれば、これは完全に会社が悪い」
子育て中の総務の女性は午後4時までの時短勤務。子供が熱を出せば、LINEで欠勤を連絡。市川さんは「いいよ」とスタンプを押すだけ。がん闘病中の社員には固定給で給与を払い続けている。すべて“お互いさま”だ。ところが、社員の士気は思う以上に高い。トラブルがあっても、社長抜きに解決を図ることもある。
「社長が知らない方がよいことはいっぱいあります。営業は営業、経理は経理の社員が一番仕事を分かっている。自発的に動いてくれれば、社長はいりません。理想は社長のいない会社です」
工場の壁には「社長戦力外通告」という標語も掲げられている。
「社員には高齢者、障害者、外国人技能実習生、ワーキングマザーもいます。能力に応じて昇給があるので、日本人の1・5倍の給与をもらっている外国人もいる。社員にはネガティブな言葉や考え方はして欲しくないと言ってあり、もし『オレは外国人だから』みたいな発言をしたら、『その瞬間から外国人扱いする』と言ってあります」
市川社長の人柄がにじみ出ている。
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貧乏英語塾長も、死ぬまで働きたいと考えている人間です。そのためには、平さんのような技術と市川社長のような理解者が必要となります。日本社会に、横引シャッターのような会社が増えるとよいのですが。
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