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健さん、石井輝男監督の墓石に碑文を

2006年08月07日 07時05分55秒 | 高倉健
昨日の裏ブログにも高倉健さんの映画(『昭和残侠伝 死んで貰います』)を紹介しました。健さんなくして生きていけないゴウ先生、関連ニュースは必ずチェックしています。そうすると、次のようなホロリとくるような記事に出くわすのです。

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石井監督:網走に納骨、健さんが碑文

 昨年8月12日に81歳で亡くなった石井輝男監督の遺骨が5日、代表作「網走番外地」の舞台となった北海道網走市の市営潮見墓地に納骨された。真新しい墓石に刻まれた「安らかに」の碑文は、主演した高倉健(75)がしたためたもので、スターへの道を開いてくれた石井監督への感謝の気持ちがにじみ出ていた。

 駅から車で15分ほどの高台にある墓地。「安らかに 石井輝男」と墓石に刻まれた達筆な文字がひときわ目に付く。高倉が恩人にささげたオマージュだ。

 看板スターに導いてくれたのが1965年に公開された「網走番外地」。石井監督の手で計10本(他の監督作も含めると18本)のシリーズに成長するとともに、高倉、そして網走の名前も全国区にした。

 晩年身寄りがなかった石井監督の遺骨は都内の自宅に安置されていたが、今月12日の一周忌を前に仕事仲間たちが墓所探しに奔走。協力を申し出たのが網走の監獄保存財団だった。街の名を有名にしてくれた恩返しの意味も込めて市に働きかけ、墓所の提供を約束。碑文を依頼された高倉も快諾して墓作りがスタートし、3日に完成したばかりだ。

 この日午後2時から営まれた納骨式には、高倉は欠席したものの、脚本家の宮川一郎氏(78)や助監督を務めた山際永三監督(74)ら関係者約30人が参列。山際監督は「“安らかに”の4文字に健さんの万感が込められている」と感激。宮川氏も「立派な墓。監督、ちゃんと眠るところができてよかったな」と遺影に語りかけた。今後、監獄博物館にも碑ができる予定で、網走市の新観光スポットにもなりそうだ。

スポーツニッポン 2006年8月6日

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石井監督と作った『網走番外地』シリーズ。 全部で8本、健さんは監督と組んでいます。

一作目の時は、高倉健ではヒットしないと言われて、すでにカラー映画が当たり前の1965年に、予算を減らすため白黒で映画を撮らされたりもしました。ロケ先の旅館も木賃宿。寝ている石井監督の顔に雪が降り積もるほどであった、と健さんは後に書き記しています。

それから、40年以上。いまや健さんは押しも押されぬ国際的大スター。石井監督との出会いがなければ、ここまでの人になれたかどうか。恩義を忘れぬ健さん、碑文程度はいつでも書きます。さすがです。

今夜あたり、『網走番外地』を久しぶりに見たくなりました。面白い映画です。石井監督、ありがとうございます。どうぞ安らかにお眠りください。

網走番外地

東映

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