高倉健さんの歌声が、聴けるかもしれません。レコード会社の一日も早い発売を願います。
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健さん、未発表“遺曲”あった!十数年前にレコーディングした演歌(サンケイスポーツ) - goo ニュース
2014年11月19日(水)05:13
俳優だけでなく歌手としても活躍した高倉健さんに未発表の“遺曲”があることが18日、分かった。タイトルは「対馬酒唄」で、十数年前にレコー ディングしていた演歌。健さんは生前、親しい音楽関係者に「オレが死んでから出してくれ」と同曲を託していた。健さんの渋い歌声は“遺言”通り、今後お披 露目されそうだ。
遺曲となったのは「対馬酒唄(つしまさけうた)」。作詞家の荒木とよひさ氏(71)、作曲家の徳久広司氏(66)が手掛け、十数年前にレコーディングしていた“幻の演歌”だ。
♪俺が死んだらよ 桜の下によ 骨は 埋めて 花見してよ-
荒木氏が福岡県出身の健さんをイメージして作詞した「九州の男の歌」で、約5分間、九州弁を交えながら、一節一節ドスを利かせた低い声で歌い上げているのが印象的。カップリングに、故フランク永井さん(享年76)が歌った「流れの雲に」のカバー曲が収録されていた。
生前、発表されなかったのには理由があった。健さんはレコーディング後、親しい音楽関係者に「オレが死んでから出してくれ」と“遺言”のように託していた。そのため十数年もの間、ごくわずかの人間しか同曲の存在を知らなかった。
荒木氏はこの日、サンケイスポーツの取材に「この悲しみをどこにしまえばいいのでしょうか…」と吐露。健さんと八代亜紀(64)とのデュエット曲「挽歌」(1990年)などでもタッグを組んだが、「対馬-」について「健さんも気に入ってくれていた」と明かす。
「歌がお好きで、2人で温泉旅行に行ったときはカラオケにも行きました。堀内孝雄さんの『ガキの頃のように』をよく歌っていましたね」とも述懐。 「レコーディングのときは、たくさん用意されたあめの中から『バターボール』だけを取って、『僕が好きなあめなんです』と言ってなめていたのを覚えていま す」と振り返った。
最後に会ったのは約5年前。東京都内のホテルで握手したといい、「男としての手本のような方。もう一度お話ししたかった」と声を振り絞った。
「対馬-」は今後、故人をしのぶ場面で披露されることになりそう。荒木氏は「もちろん皆さんに聴いていただきたい。でも世に出なくても僕にとっては宝物です」と大事そうに語った。
健さん10年前に“遺言曲”残していた(日刊スポーツ) - goo ニュース
2014年11月19日(水)08:00
10日に悪性リンパ腫で亡くなった俳優高倉健さ ん(享年83)が、“遺言曲”を残していたことが18日、分かった。歌手としては22枚のシングル作品を持っていたが、約10年前に「僕が死んだら出して くれていいよ」と関係者に託していた、秘蔵の楽曲が存在した。故郷の九州北部と自らの死について歌った、文字通りに人生最後のメッセージが含まれた歌だっ た。
口数が少なく、自分の思いを語ることも極端に少なかった健さんが、最期のメッセージを込めた未公開曲が存在した。音楽関係者によ る と、レコーディング時期こそ約10年前だが、70歳をすぎ、人生の終着点を意識していた健さんが、「これが最後」と決めて録音した2曲だった。A面は、徳 久広司氏作曲、荒木とよひさ氏作詞のオリジナル曲「対馬酒唄」で、B面はフランク永井らが歌っていたカバー曲「流れの雲に」。ともに、自らの最期を歌った内容だった。
「対馬酒唄」は、健さんの故郷、九州北部が舞台で「それでよか それでよか」と博多弁で歌われている。スローテンポの演歌を、じっくりとかみしめるように骨太な低音で歌っている。曲の締めでは、こう歌われていた。
俺が死んだらよ 桜の下によ 骨ば 埋めて 花見してよ
2曲目「流れの雲に」も、長い人生の末にたどり着いた健さんの哲学と合致したからこそ、歌われた。
どこで死のうと 生きようと 泣いてくれてが あるじゃなし 天上天下 ただひとり 頼れるやつは 俺ひとり
孤高の人生を全うした、健さんそのものの作品だった。
「対馬酒唄」の作詞家荒木氏は「制作前に健さんと2人で(静岡の)修善寺温泉を 旅して、いろいろ話をしたことで曲のイメージができたのです」と振り返っ た。当時、10年も新曲はなく、歌手はリタイア状態だった健さんは、自分の思いが反映された同曲に感動し、レコーディングを決意した。当初は即発売の予定 で、遺作と決めて録音したわけではなかったが、「全てを歌いきった」と納得したのだろう。レコーディングに立ち会った関係者たちに「僕が死んだら出してく れていいよ」と冗談交じりに話したことで、そのままお蔵入りにされていた。
突然の訃報に、今後のCD化も歌声公開も、未定のままだ。 た だ、遺言も残さず旅立ってしまっただけに、当然ファンは同曲が聴きたくなる。どのような形で発表されるのか。そこには、健さんからのどんなラストメッセー ジが込められているのか。サヨナラが言えなかった国民にとっては、本当に貴重な遺産となる。【瀬津真也】
「死んだら出してもいいよ」十数年前レコーディングの遺曲あった…高倉健さん死去(スポーツ報知) - goo ニュース
2014年11月19日(水)08:10
自分が死んだら出してもいいよ―。高倉健さんがそう言い添えて、“お蔵入り”していた幻の新曲があった。十数年前にレコーディングしていたもの で、「対馬酒唄」「流れの雲に」という2曲が残されていた。健さんらしい骨太な歌声が印象的な演歌で、「俺が死んだらよ―」と死生観をうかがわせる歌詞に なっている。
「対馬酒唄」は、代表曲である「網走番外地」をほうふつとさせる本格派の演歌。低くうなるような“高倉健節”で、男の孤独を歌いあげる。
俺が死んだらよ
桜の下によ
骨ば埋めてよ
花見してよ
高倉さんの自作詞ではないが、歌詞の中には人生の幕引きにおける高倉さんの美学が反映されている。
B面曲候補だった「流れの雲に」は故・フランク永井さんが歌った曲のカバー。
どこで死のうと生きようと
泣いてくれてがあるじゃなし
天上天下ただひとり
頼れる奴はおれひとり
高倉さんらしい孤高の美学が歌われている。
この2曲は十数年前、音楽関係者が高倉さんの新曲としてレコーディングしたもの。さまざまな事情から発売されることなく、関係者の元で保管されていたが、高倉さんは「自分が死んだら出してもいい」と話していたという。
任侠路線に進む前の1958年に「その灯を消すな」で歌手デビュー。65年には「網走番外地」「唐獅子牡丹」が主演映画とともに大ヒット。「網走番外地」 は「刑務所を美化している」として、民間放送連盟が放送禁止指定、レコード会社も自主規制したことで知られる。90年には八代亜紀とのデュエット曲「挽 歌」を発売。96年の「旅人」が生前発売した最後の曲となっていた。
幻の新曲は今後どのような形で発表されるか未定だが、高倉さんの歌声が聞ける最後の作品として注目を集めそうだ。
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昨日は、ずっとキングレコードが2002年に出したCDで健さんの「網走番外地」や「唐獅子牡丹」を聴いていました。決してうまくはありませんが、味があるんです。あのバリトンですから。詳しくは、裏ブログ「映画と本と音楽にあふれた英語塾」の2007年4月22日の記事「高倉健 唐獅子牡丹」をご覧ください。
権利問題がからむかもしれませんし、遺言があるのかもしれませんが、高倉プロモーションは一日も早く発売許可をレコード会社に与え、レコード会社も速やかに発売してください。ファンは、健さんの肉声を心待ちしているのですから。
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