14万9千人の人を殺した原爆が、長崎に投下されて今日で68年目となります。
**********
平和の灯、長崎にともる 9日、68年目の原爆忌(朝日新聞) - goo ニュース
2013年8月8日(木)21:25
原爆投下から68年。長崎は9日、犠牲者の慰霊の日を迎える。長崎市の平和公園では8日夜、市内の小中学生らが平和を願う言葉を書き込んだ約5千本のキャンドル「平和の灯(ともしび)」に火がともされた。
9日は午前10時35分から平和公園で市主催の平和祈念式典が開かれ、安倍晋三首相や衆参両院議長、米国のルース駐日大使ら44カ国の代表が参列。原爆が投下された午前11時2分に黙祷(もくとう)を捧げ、田上富久市長が平和宣言を読み上げる。
平和宣言には、4月の核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本政府が賛同しなかったことを批判する内容が盛り込まれる。
**********
これだけの無差別大量殺人を行ったアメリカは、明らかに国際法を違反です。しかし、謝罪することはありません。口惜しくてなりませんが、これが現実です。
それでも、このような非道なことを二度と起こしてはなりません。そのためにも、いつまでも原爆の悲惨さを覚えておくべきです。
ありがたいことに、長崎への原爆投下では素晴らしい歌が2曲作られています。
ひとつは、故永井隆博士をしのんで昭和24年に作られた作詞サトウ・ハチロー、作曲古関裕而の『長崎の鐘』です。大ヒットしましたので、ご存知の方も多いことでしょう。オリジナルの藤山一郎が唄う曲を聴くとジーンとします。
本人が1990年に唄ったテレビ番組の映像をYouTubeで見ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=3ZqJL9TtSF4
なお、いろいろな人がカバーしていますが、個人的にいちばん好きなのは由紀さおりと安田祥子が唄うバージョンです。次のCDに入っています。
歌・うた・唄(3)~サトウハチローを歌う | |
EMIミュージック・ジャパン |
もうひとつは、あまり知られていないかもしれませんが、三輪明宏が丸山明宏として昭和40(1965)年に発表した『ふるさとの空の下で』です。被爆者の三輪が、自分体験をもとに作詞・作曲した歌です。
この季節になると、iPodに入れて、ほぼ毎日聴いています。ただし、いま発売されているCDには入ってないんです。どうしてなのでしょう。そんなに人気がないのでしょうか。仕方ないので、YouTubeで紹介しましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=c8wuVMgvcZo
とにかく、歌詞がいいんです。しみじみと心に響きます。書き写しましょう。
ふるさとのふるさとの
駅に降りたちただひとり
迎える人もないままに
静かな街をコツコツと
歩けば涙あふれでる
幾年前か忘れたが
あの原爆の火の中を
逃げて走った思い出が
今さらながらによみがえる
平和なころには家中で
遊んだ丘もここあたり
みんなの名前呼んでみよう
オーイ オーイ
傷ついて傷ついて
別れ別れた親や子が
眠ってるのか安らかに
空を指さす慰霊塔
拝めば胸もこみあげる
とうさんかあさんにいさんも
きっとここだろ一緒だろ
皆さん僕は来ましたよ
こんなに大きくなりました
からだにゃ傷もあるけれど
心には傷はないはずだ
空を見上げて胸を張ろう
オーイ オーイ
泣きながら泣きながら
飢えてた幼い僕たちの
あの焼け跡ももう今は
きれいな店が並んでる
かわいい子供が遊んでる
悪い生活もしてきたが
今では立派に東京の
小さながらも工場で
明るく働くからだです
この長崎の青い海
この長崎の青い空が
いつも励ましてくれたんだ
このふるさとのこの大地
僕はしっかりと踏みしめて
強くこの世を生きるんだ
オーイ オーイ
原爆で亡くなられた人ばかりでなく、原爆で亡くなられた人のご家族も犠牲者そのものなのだと痛感し、悲しみと怒りが新たになります。
原爆許すまじ。国際外交の苛烈さを胸に秘め、平和を乱す他国の侵略に絶対に屈指ないようにしないと、この悲劇が繰り返されるかもしれません。こうした歌を口ずさみながら、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます