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米海軍第7艦隊司令官、海自幹部候補生学校卒業式に祝辞

2013年03月30日 07時01分50秒 | 時事放談: 国内編

ありがたい限り。尊敬に値する米海軍第7艦隊司令官の態度です。記録しておきましょう。

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昨日の敵は今日の友…米司令官の祝辞、日本ののしる中国とは対照的(産経新聞) - goo ニュース

2013年3月27日(水)12:59

 その日、広島県・江田島にある旧海軍兵学校の中庭に立つ桜の古木がみごとに開花した。明治期の赤レンガ校舎は現在、海上自衛隊幹部候補生学校として使われている。

 3月20日午後、卒業式を終えた幹部候補生178人と飛行幹部候補生42人が、江田島の埠頭(ふとう)から7カ月の練習航海に旅立った。彼らは防衛大学校と一般大学を卒業したあと、海自の幹部候補として1年間の実践的な教育を受けてきた。

 埠頭で見送りする河野克俊海上幕僚長のそばに米海軍第7艦隊司令官、スコット・スウィフト中将の姿があった。沖に停泊する練習艦や護衛艦から出港の合図がくると、2人は号令官の連絡を受けて答礼を返した。

 第7艦隊司令官が江田島の卒業式に出席したことはいまだ例がない。日本を取り巻く国際環境が厳しいからだろう。北朝鮮は核開発を進め、中国は日本の領海、領空の侵犯を繰り返す。いまほど日米同盟が試されることはない。

 スウィフト司令官は数日前に、旗艦ブルーリッジを駆って呉港に入り、対岸の江田島に駆けつけた。卒業証書の授与後に述べた祝辞は、過去に戦った日米両海軍がいまは同じ海洋国家としての強い紐帯(ちゅうたい)があることを強調した。

 司令官は河野海幕長を引き合いに、「70年前に海幕長と私の父親が、敵対する海軍として対峙(たいじ)していたことが思い出される。彼らは後に、 誇りと尊敬をもって互いがよく戦ったことを回顧した。戦闘を通し、互いを尊敬しあうようになったのだ」と述べた。昨日の敵は今日の友である。

 司令官の父は、他人が日本海軍の将兵を悪くいうと、ただちに彼らを称賛し、自分がいかに尊敬していたかを語っていたという。そのうえで司令官は、 「第二次大戦は国力が勝敗を分けたものの、太平洋では日米両海軍の戦力は競合していた」と日本海軍の実力を評価した。そして、日露戦争後に東郷平八郎提督 が連合艦隊解散式で行った訓示を引用する。

 「武士の一生は切れ目のない戦いであり、時代が変わってもそれが変わることはない。ことがあれば彼はその力をふるい、平和なときには戦力を蓄えることで、その職責を果たす」

 このとき、セオドア・ルーズベルト大統領は東郷の訓示に感激して麾下(きか)の将軍たちに読むよう送付した。スウィフト司令官はこの挿話を受け て、「私たち米海軍は、地域の安定、国家の平和と繁栄を維持し、皆さまとともに海原を航海できることを楽しみにしている」と激励した。

 司令官の祝辞は、歴史カードで日本をののしる中国とは対照的である。習近平国家主席は昨年9月に中央軍事委員会副主席として、訪中したパネッタ国 防長官(当時)に「日本の軍国主義は中華民族に深刻な害を与えただけでなく、米国を含むアジア太平洋諸国も傷つけた」(昨年9月19日の新華網)と述べ、 尖閣諸島に結びつけて日本を非難した。中国が米中関係を深めようとする際に、日本が「戦犯国家」だったことを思い出させるいつもの手口である。

 2期目のオバマ政権が、習近平政権の誘いに乗って対話優先で近づくか否かは微妙なところだ。とくに、北朝鮮の核開発を抑えるため、突然に米中が手 を結ぶこともあり得る。だが江田島の司令官祝辞は、気まぐれな政治の世界と違い、日米両海軍には同盟の力強い絆があることを示していた。(東京特派員 湯 浅博)

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大東亜戦争時の米軍の無差別攻撃には山ほど文句を申し上げたいですが、「昨日の敵は、今日の友」という態度を取ってくれることには大いに感謝します。これを機会に、さらに日米の両軍の「絆」が深まって、きな臭い日本海・東シナ海の平和が維持されることを強く望みます。


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