防空識別圏の問題を丁寧かつわかりやすくまとめた軍事ジャーナリストの田岡俊次氏の論文を見つけましたので、記録しておきます。
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中国にとって「藪蛇」となったお粗末な「防空識別圏」の設定(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
【第16回】 2013年12月5日 田岡俊次 [軍事ジャーナリスト]
中国は11月23日、突如尖閣諸島を含む東シナ海上空に「防空識別圏」(Air Defense Identification Zone“ADIZ”と略称される)を設定した。米国や近隣諸国がそれを設定しているのに中国は設定していなかったため、中国の“愛国者”のネット世論は数年前から「政府の弱腰」を批判していた。軍はそれに押され、あるいは便乗して、設定した様子だ。ADIZは防空部隊の見張りのための「目安」にすぎず領有権とは無関係で国際法上の根拠もない。中国がそれを設定するのも自由だが布告の内容が粗雑で、まるで公海上空の広大な空域を領空同然に扱うような文面だから、他国からの非難が集中、中国空軍は大ドジを演じた結果になりそうだ。
防空識別圏は領有権と無関係
日本でも、多分中国でも誤解している人が多いようだがADIZは本来領有権とは無関係だ。防空部隊がレーダーで空を見張る際に「この線からこちらに向かってくる航空機は注意して見ろ」という「目安」にすぎない。陸続きの国では国境線上空を見張っていては迎撃が間に合わない。戦闘機の一部は発進命令「スクランブル」が出てから5分以内で離陸することになっており、その後目標に会うまで近ければ3分としても計8分。その間敵機が低空を音速以下の時速1000kmで侵入しても130kmは入り込まれる。
だから他国、他地域の上にADIZの線を引くこともあり、韓国のADIZは平壌付近を通る北緯39度線を北限とし、1991年に南北が国連に同時加盟して事実上別の国となってもADIZは変えていない。西ドイツのADIZは東ドイツの上空だったが、冷戦終了で1989年に廃止した。陸続きの国が隣国上空にADIZを設定しても、平時に戦闘機が相手機の身元確認に行けるのは国境線までだからあまり意味がなく、今日ではもっぱら公海に面した国、アメリカ、カナダ、イギリス、ノルウェー、日本、韓国、台湾などがADIZを設けている。アメリカは2001年の旅客機乗っ取り、突入の大テロ事件後、首都周辺に特別なADIZを設けた。
航空自衛隊は1959年に米空軍から防空任務を委譲された際、占領中に米空軍が設定したADIZを引き継いで、ほぼそのまま見張ってきた。唯一変えたのは2010年5月に沖縄の西端、与那国島を通る東経123度線の西側が台湾ADIZに入っていたのを、沖縄県の仲井真弘多知事の要請を受けた鳩山政権が線を半円状に引き直し、台湾の承認は得ないまま、島全体を日本ADIZに入れたことだ。これもADIZが領有権と関係があるように誤解して騒いだ右派の論に迎合したきらいがある。米軍が設定した日本ADIZは当然1950年代の軍事環境を反映したもので、旧ソ連に面した日本海側では佐渡、輪島(能登半島)などのレーダーに高高度の航空機が映る限界、約550km付近に外縁を設け、ソ連爆撃機の接近を少しでも早く探知しようとした。一方、敵機が現れる公算が無きに等しい小笠原諸島は1968年に日本に返還された後もADIZの圏外、日本が実効支配していない北方領土も入っておらず、竹島は韓国のADIZに入っている。
防空識別圏はあくまでも「目安」
ADIZはあくまでも防空部隊の「目安」で、国際法上の根拠は全くないし、日本では国内法上の根拠もない。「1969年に防衛庁の内規である『訓令』で定めた」と言われるが、実はこれは自衛隊機のADIZ内での飛行要領を決めただけで、民間機、外国機に対するものではない。自衛隊が防空任務を引き継いだ1959年から、訓令が出た1969年までの10年間はどうしていたのか、今回初めて疑問を感じ問い合わせたところ米空軍から渡されたマニュアルを訳したものしかなかった、と言う。法的根拠がないのに、公海上空の「公空」を飛ぶ外国機や、日本の民間機に事前に飛行計画を提出させ、それが出ていない、あるいは計画と異なる飛行をする場合、戦闘機を発進させスクランブルをかけるのは越権行為では、との疑問もありうる。日本の主権が及ぶ領空は、領土と領海(海岸から12海里、約22km)の上空だけで、その外の公空を飛ぶ外国機に自衛隊が指示をする権限はもちろん無いから、識別のために協力をお願いするしかない。
日本が出しているAIP(Aeronautical Information Publication「航空路誌」)では日本語と英語で「国外から日本の領域に至る飛行を行う場合」(つまり日本に着陸しようとするか、日本領空を通って他国に向かう場合)にのみ飛行計画の事前通知を求め、それと異なる飛行をする場合には自衛隊のレーダーサイトに通報するよう求め、通信の方法を示している。英語では「リクエスト」(要望)という単語、日本語では「されたい」とお願いする姿勢で、飛行計画と照合しての身元確認ができない航空機に対しては『要撃機による目視確認を行うことがある』としている。レーダーに映る多数の飛行機のうち、飛行計画と合致するものは監視対象から外し、出ていない少数の物だけを見張り、怪しければ戦闘機を出せばよいから、協力してもらうと防空部隊は大助かりだ。
中国の非常識な布告
だが、中国が今回出したADIZ設定に伴う「航空情報」(NOTAM,Notice to Airmen)は日本のものとは大違いだ。中国領空に向かう航空機だけでなく、中国ADIZを通る全ての航空機に対し、飛行計画を通知し、ADIZ内では常に双方向の無線交信を保ち、トランスポンダー(レーダーに識別信号を送る装置)を働かせ、国籍・所属を明瞭に示す標識を付け、ADIZを管轄する機関(中国空軍)の指示に従うことを義務付け、「中国軍は識別に協力せず、あるいは指示に従わない航空機に対し、防衛的緊急措置を取る」としている。用語も日本はRequest(要請する)だが、中国はmust、should(しなければならない)と命令口調だ。
日本、アメリカなどがやがて自国に着陸しようとするか、あるいは領空を通ろうとする航空機にだけ飛行計画を示すように求めるのは妥当だが、中国は自国領空に入ろうとせず、単にADIZ内の公空を通って他の国に向かう外国機にも飛行計画の通知を義務付け、指示に従わないと軍が緊急措置を取る、というのは中国海岸から最大約600kmも離れた広大な空域を領空扱いするに等しい。
航空自衛隊も他の国々の空軍と同様、身元不明機がADIZ内を自国に向かって飛来すれば、戦闘機を出して確認し、無線で「あなたは我が国の領空に接近中です」と呼びかけ、それでもコースを変えず、領空侵犯寸前になれば機関砲で曳光弾を相手の前方に発射する「信号射撃」をし、ついに領空侵犯すれば威嚇射撃で強制着陸させたり、相手の攻撃意図がほぼ確実なら撃墜することもありうる。ただ相手の旅客機がハイジャックされていたり、故障で無線交信も不能だったり、軍用機も亡命希望の場合があるから、冷戦終了後は領空侵犯機を平時に撃墜することは稀だ。中国は主権の及ばない公空を飛行中の外国機に指示を出し、従わねば緊急措置を取る、と言うがこれは日本、アメリカなどのADIZに関する規則、慣行とは根本的に異なる乱暴な話で、そんなことを実際にやれば大問題になるから、現実には実行不可能に近い布告をしたと言えよう。
中国が防空の目安としてADIZを設定すること自体は御自由で、中国のネット右翼、いや「左翼」と言うべきかもしれない(余談ながら習近平主席は、かつての貧しかったが平等な毛沢東時代を懐かしむ弱者に同情を示しつつ、現実の政策は資本主義的、として「左のウィンカーを出し右に曲がる」との評が中国内であると聞く。この冗談自体、今年2000万台もの車が売れる中国で車が普及したことの反映だろう)、右か左かはとにかく、「愛国者」達は「20ヵ国以上がADIZを設定し、日本は中国海岸から130kmのところまでを圏内とし、中国機の行動を監視、威嚇する。我が国が設定しないのは弱腰だ」と騒ぐ。それにも一理はあるか、と苦笑するが、布告の内容、文面がよろしくないし、やり方が唐突だ。各国にも事前に打診し、日本と同様に自国領空に向かう航空機に対してだけ「識別への協力を要望する」としておけば、日本だけでなく、米国、韓国、オーストラリア、はてはEUなどからも非難を招くことは避けられただろう。自分もやっていることを批判はしにくいからだ。
軍の一存で決めた公算大
中国は「排他的経済水域」 (EEZ)も半ば、領海視するきらいがある。EEZは沿岸国に海岸から200海里(370km)までの漁業権と海底資源の探査・採掘権を認めただけで、それ以外は依然公海だが、中国はEEZ内での米海軍の海洋調査船や、哨戒機の行動を妨げたり、米空母が韓国との共同演習で黄海に入ることに難色を示した。米軍が中国領海外とはいえ沿岸近くでの情報収集活動をすることに中国が「非友好的」と不快感を表明するなら分かるが、「EEZ内だから」と言うのは理屈が合わない。
日本でもEEZと領海を混同して「北朝鮮工作船がEEZに侵入」と新聞が書いたり、ADIZ内での自衛隊のスクランブル回数を領空侵犯の件数と思う政治家もいたから他国のことばかりは言えないが、これまでの中国のEEZに関する言動や、今回のADIZの布告を見ると、中国の軍人、官僚は国際法の教養が乏しいのでは、と思えてくる。外交官達はもちろんそれを学んでいても、軍は全て外交部と相談してから行動するわけではないだろうし、国内の力関係では外交部は軍などにくらべ、力が弱いとも聞く。ADIZは法律でも条約でもないし、予算も直接に必要としないから、日本でも防衛庁の一存で訓令を出したと同様、中国でも軍の専決事項として、民間航空局とだけ相談して決めたこともありうる。
他国に事前に話がなく、突如発表、即日施行という性急なやり方や、布告の末尾に「これらのルールの説明には国防部が責任を有する」としていることは、軍がほぼ一存で決めたことを示唆するように思える。「公空を飛行する外国機に対し中国空軍が指示を出す権限はないはず」という国際法の常識を欠き、どうやらADIZと領空を混同しているような空軍将校が、他国のADIZ関連の規則の運用実態もよく調べず、防空の都合を主に考えて起案し、国防部の幹部は「すでに20ヵ国以上に同じものがあります。党と政府も空域管理の必要性を了解しています」との説明を聞いて承認したのではないか、と想像される。
首尾一貫しない米国の対応
米国ではJ・ケリー国務長官、C・ヘーゲル国防長官らが中国のADIZ設置を非難する声明を出し、26日にはグアムから出た2機のB52爆撃機が約2時間も新設のADIZ内を飛行した。だがこの飛行は11月16日から28日にかけ、沖縄近海で行われていた日米共同演習の一環で、ADIZ設定以前から計画されていたものだった。メディアや政治家はえてして直近の事象と軍の行動を結び付けがちだが、平時の演習、訓練は何ヵ月も前に計画、調整して行うのが普通だ。とはいえ、アメリカにとっても中国のADIZの中に、沖縄本島の北西約200kmの海上に設定されている訓練空域ROW―179(沖縄北部演習空域)の西端部分と射爆撃場(標的)として提供されている尖閣諸島の赤尾嶼、黄尾嶼(大正島、久場島と改称したが地位協定上は中国風の旧名のまま)が含まれるため「他国の領土問題には関与しない」と澄ましていることはできなくなった。中国にとっては「藪を突いて蛇を出す」結果となった。
だが米国国務省は一方で中国ADIZを非難しつつ、他方で米国の3大航空会社が中国の要求に応じ、ADIZ通過の際に飛行計画をネットで提出することを了承した。日本政府は航空会社が飛行計画を中国に出すことにしたのを批判してやめさせたが、米国の動きは逆で、日本政府は2階に上ってハシゴを外された格好だ。米国の対中姿勢はブレが激しく、二枚舌に類するような言動もある。同盟国や国内タカ派向けには中国に対して強腰なアメリカを演出し、中国に対してはできるだけ取り入って輸出の拡大、米国への投資・融資の継続を目指すから、ちぐはぐになりがちだ。特に航空機は米国の最有力の輸出品目の一つで、中国は今年1月~9月で大小の航空機543機を米、欧などから輸入、実に前年比で49.6%増だ。米国は中国の旅客機需要は2030年までに3800機、4000億ドル(約40兆円)と見ており、ボーイング社はフランスのエアバス社とのシェア争いに必死だ。それだけに中国の航空界とは官民を問わず対立を避けたいだろう。また民間航空は安全第一だから、外国政府の出すNOTAM(航空情報)には、その当否は問わず一応従って置くのが原則で、米国務省もそれを認めざるをえなかっただろう。また中国に向かうか、領空を通ろうとする航空機が飛行計画を通知するのは当然で、それを止めることはできない。
一方、中国もADIZ設定の布告を最大限に実施して世界の指弾を受けることはやりたくない様子だ。B52が約2時間ADIZ内を飛行しても、中国戦闘機のスクランブルはなく、中国外交部報道官は「何もしなかったのか」と記者会見で問われ「その動きは全て把握していた」旨を答えた。レーダーで見ているだけなら以前と全く変わらない。その後1週間近く、日本のP3C洋上哨戒機、F15戦闘機、E2C、E767早期警戒機などが以前と同様の哨戒飛行を東シナ海で続けたが、それに対しても反応はなかった。29日になり、中国空軍報道官は「Su30戦闘機と殲11戦闘機が、日本のE767、P3C、F15計10機、米海軍のP3CとEP3電子偵察機計2機に対し、7回の緊急発進を行った」旨の発表をしたが、防衛省は 「特異な状況はなかった」と発表した。
中国空軍は“愛国者”からの「ADIZを設定しても何もしない」との批判にこたえて、こういう発表をしたと考えられる。もし緊急発進をしたのは事実としても、はるか遠くで警戒飛行をするにとどめ、対決を避けたのかもしれない。中国メディアはADIZ設定を歓迎するムードで、テレビ局は特別番組も企画したが、共産党宣伝部は「特番はやめてほしい。報道は新華社が配信した記事を使ってくれ」と要請した、とも言う。「まずいことになった。そっとしておきたい」との気分なのだろう。国内での面子上、ADIZの撤廃や布告の訂正はしなくても、実際には他国と同様の運用をすることで非難を避けることになる公算が高いだろう。
習近平氏の軍に対する統御力に疑問
将来、尖閣諸島付近での緊張が激化すれば中国の戦闘機と早期警戒機(大型レーダーを搭載し、広い範囲での航空機探知や航空戦の指揮に当たる)が尖閣付近に出てくることはありうる。東シナ海正面の南京軍区にいる中国の新鋭戦闘機約180機の戦闘行動半径は1000kmを超え、尖閣は中国海岸から350km、内陸の空軍基地から500ないし600km程だから十分出て来られる距離だ。パイロットの年間飛行訓練も150ないし180時間で日本と同等と見られる。日本は那覇にF15戦闘機が約20機だ。海上での日本の巡視船と中国海警局の船の並航、警告の応酬とは異なり、空では警察的部隊が無いから空軍が出る。航空自衛隊と中国空軍、あるいは海軍航空隊、の戦闘機同士が、たがいに「領空に入るな」と警告し、飛行を妨害することになれば空中衝突や戦闘が起きる公算も無くはない。ただしこれはADIZがなくても同じだ。中国が尖閣諸島を自国領と主張し、その上空を中国領空とみなす以上、こうした不測の事態が起こる可能性は理論上はこれまでもありえたのだが、日中双方の政府は戦争を望まず、米国は巻き込まれるのを警戒し双方に自重を求めているから、現実には武力紛争にいたる公算は低いだろう。
習近平主席は11月21日からJ・ケリー国務長官らが出席してワシントンで行われた米中人文交流のハイレベル協議に祝賀書簡を送り「中国は不衝突、不対抗の新型大国関係の構築を米国と共に目指す」と述べた。中国の利害からして、これが望ましいことは明らかで米国との「不衝突、不対抗」の方針は11月9日から12日に開かれた中国共産党の「第18期第3次中央委員会全体会議」でも決まったとされる。ところがその2日後に中国空軍と国防部はそれとは逆方向になるようなADIZ設定を布告する愚行をしでかした。日本と同様、ADIZは中国でも多分空軍と国防部の一存で決められる事項で、国家主席が知らなくても不思議ではないが、それが国際的な騒ぎになると、習近平氏の軍に対する統御力が疑われる結果になる。空軍や国防部の関係幹部は「なぜ外交部などと協議しなかったのか」と叱られているかもしれない。
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田岡氏が述べているようであれば問題ないのですが、エキセントリックになった中国空軍が暴走することも考えられなくもなく、警戒を怠るわけにはいきません。
要注意、中国。この覚悟でつきあうべき国です。
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