専門性か、それとも基本的教養か。昔からある問題ですが、個人的には、学部ではリベラルアーツ系の勉強を徹底すべきだと思っています。
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経営学、専攻の価値あるか 米企業が学生の問題解決能力を疑問視(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版) - goo ニュース
2012年4月6日(金)10:00
多くの大学で経営学専攻の学生はありふれた存在だ。しかし一部には、その価値はもっと低いものだとの指摘もある。
米国の大学生の20%以上は経営学専攻。次に一般的な社会科学と歴史学の2倍に近い割合だ。
この割合は過去30年間、比較的安定しているが、大学教職員や企業の採用担当者は、学部レベルの経営学の学位の価値を疑問に思っている。
最大の不満は、経営学部では金融や会計の基本に焦点を置くあまり、リベラルアーツ系学部(職業に直結せず実務的でない、文学、哲学、数学などの分野の学部)の特徴である長いエッセイやクラス内討論を通じて批判的思考法や問題解決能力が培われることがない点だ。
企業は、複数の領域に触れることで得られる広範な知識ベースと革新的なアイデアを持ち、柔軟に考えられる人材が必要だとしている。採用担当者の大半は、 経営学専攻の学生をあからさまに避けたりはしないが、コンサルティング、テクノロジー、さらには金融業界の企業でさえ、より広い学問的バックグラウンドを 持った候補者を捜していると語る。
経営学部の教育に関する共著があるウィリアム・サリバン氏によると、経営学部とリベラルアーツ系学部の講義が分かれていることは、経営学の講義が他の学科から「孤立している」と感じる学生を意図せず傷つけている。
大学側も承知だ。ジョージ・ワシントン大学、ジョージタウン大学、サンタクララ大学などのビジネススクールは、経営学部の課程を微調整し、歴史、倫理、ライティングの講義と金融やマーケティングのコースの統合を進めようとしている。
こうした大学は、米欧の大学20校以上の経営学部とともに先月ジョージ・ワシントン大学で会議を開き、リベラルアーツ系学部と経営学部の課程の統合を進める方法を議論した。
ジョージ・ワシントン大学経営学部のダグ・ガスリー学部長は、同大の心理学部や哲学部の専門性を経営倫理の講義に利用することを計画中だ。サステナビリ ティに関する講義では、工学部課程の助けを借りる予定。秋には経営学や社会学に関する中核コースを盛り込んだ新規課程を開始しようとしている。
英語、経済学、工学など他の学科で調和の取れた候補者を捜してきた採用担当者は、こうした変化を歓迎するはずだ。金融機関でさえ、こうした学部の学生は経営学部生には欠けていることのある鋭い批判的思考法や問題解決能力を備えていることが多いと語る。
投資銀行の新規採用者にトレーニングコースを提供するトレーニング・ザ・ストリートの創設者、スコット・ロスタン氏は「企業は人材を探している。知識自 体を求めているのではない」とし、「合併・買収(M&A)のクラスを履修したというだけの理由で採用するわけではない」と述べた。
経営学の学位は少なくとも1800年代から与えられてきたが、職業向けの課程とみられることが多かった。こうした課程は職業専門学校に属すると指摘し、 学生は経営学修士号(MBA)取得のため経営大学院に向かう前に、大学で世界の何かに関して学ぶべきだとする専門家もいる。
歴史的に学生に焦点を絞るよう勧めてきた欧州の大学にさえ、拡大を模索する学校が現れている。
スペインの大学エサデの学部課程ディレクター、アルフレッド・ベルニス氏は「教育は技術的な習得以上のものだ」と述べた。課程の残りの部分に、人間性を「埋め込む」必要があるという。エサデは、13年秋に始まる経営学部の新しい課程を発表する見通し。
大学だけで十分か。答えるのは尚早だと多くの採用担当者は言う。いずれにせよ、企業は引き続き、多様な人材の確保に向け経営学部以外の学生の採用を検討しそうだ。
就職先として大卒者に人気のフェイスブックは、特に専攻を絞って採用をしているわけではない。同社採用担当者は「何を学び、学ばなかったかの問題ではな い」と述べた。より分析的なノウハウが必要とされる業務もあるが、そうした部門に配属される人の出身は、経営学、経済学、数学その他の学部だという。
コンサルタント会社ブーズ・アンド・カンパニーは今年度、大卒の採用を59%増やした。北米の大学の採用を担当する同社関係者は、直近の採用は経営学専 攻が約3分の1、残りは数学、看護、経済学専攻だと述べた。学部レベルについては、訓練によって「優れたコンサルタント」になり得る「基礎的な要素」を 持った学生を探しているという。
専攻以外にもいくつか科目を取るよう義務づけている大学は多い。ペンシルベニア大学ウォートン校(ビジネススクール)のジェド・ソマーズさん(22) は、スケジュールの多くがウォートン校特有の必修科目で埋まっているが、ブラジルのドラム、美術史などの科目も履修した(同校によると、学生の約半分はリ ベラルアーツ系学部の所属)。
ソマーズさんは7月、バークレイズ・キャピタルで債券インデックス商品セールスの職に就く。経営学を専攻してこの分野に情熱があることを示したことが採用につながったと考えている。
バークレイズ米州部門の大卒採用担当者によると、ここ数年、新規採用されるアナリストの半分は経営学、金融、経済学、会計学部の出身だが、「金融のバッ クグラウンドがない学生が貴重な見方をもたらす」という。ただ、「リベラルアーツ専攻の志願者は、この業界に対する追加的な配慮が必要なことが多い」とし ている。
“Well, German problem is a completely and entirely different one from Japanese problem. The German people were a mature race. If the Anglo-Saxon was, say, 45 years of age in his development, in sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature. The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of 12 as compared with our development of 45 years.”
インド人は、前世・(現世)・来世の内容を瞑想から得ている。
英米人は、過去・(現在)・未来の内容を経験に基づいた考察から得ている。
無哲学・能天気の人には、世界観がない。実況放送・現状報告に準じた「世の中は、、、、、」しか語れない。
時制のない言葉で語ると、実況放送・現状報告の内容になる。
つまり、目先・手先の内容ばかりを語ることになる。
現実構文の中では、非現実の内容は語れない。それを語れば真っ赤なウソになる。
日本人には意思がない。だが、恣意はある。
これは、子供の状態と同じである。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には時制がない。
意思がなければ、罪もない。
死刑執行人には罪がない。
意思を示せば罪もある。
殺意があれば、殺人罪に問われる。
意思を示す人は、当事者になる。
意思を示さない人は、傍観者になる。
我が国は、世界にあって世界に属さず。
日本人は、問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力 (腹芸) はもっている。
問題を解決する能力がないと、無力感・閉塞感にさいなまれる。
成案の人も完全ではない。だから、議論により矛盾するところを改めて成案に磨きをかける必要がある。
成案の人は、公言を好む。成案の人は、議論を好む。矛盾のない論旨を理解してもらいたいからである。
腹案の人は、’お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか’ と言っている。
腹案の人は、談合を好む。小言を好む。双方の恣意の摺合せをしたいからである。
腹案の人には、具体的な解決策はない。
だが、消去法により、相手に言いがかりをつけている。
‘ああでもなければこうでもない’ と力説する。
議論は、まだまだ尽くされていない。
どうやら、相手から譲歩を引き出すことが解決策のすべてであるとの錯覚を起こしているようである。
意思を示さなければ、責任感もわかない。
日本人には、意思がない。
我が国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。
とかくこの世は無責任。
英語の責任は、自分の意思で問題を解決すること。
意思のない人は、問題解決の適任者ではない。
意思のあるところに解決方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思がなければ、解決方法はない。
座して死を待つことになる。
自分に必要なものを自分自ら獲得するのが親鳥の態度である。
自分に必要なものを親に知らせて獲得してもらうのが幼鳥の態度である。
日本人には意思がないので、他力本願・神頼みになる。
自ら望むことなく危機に陥る欠点がある。
日本人は、目先・手先に神経を集中することができる。
細工物が上手で、仕上がりのセンスも良い。
それで、技術立国としての存在価値を示している。
日本人には、リーズン (理性・適当・理由) がない。
リーズナブルな (理性ある・適当な・理由になる) 判断ができない。
リーズナブルな判断は個人に基づく判断内容であるから、日本人の得意とする実況放送・現状報告の延長線上にはない。
だから、日本人は個人的な理性判断に欠けている。
現状の上に、さらに外国からの尊敬が得られる手段を獲得することができるならば、われわれ日本人は鬼に金棒である。
その目的を達成するには、英米流の高等教育が近道である。これにより、リーズンが獲得できる。
彼らの大学の高等教育の中身は、大人になるための英語の再教育である。日本語には、このような再教育はない。
だから、英米で高等教育を受ければ、格別の苦労もなく得られる結果である。
これは、12歳の大人にならないための予防策となる。
我々は、この一点に教育の努力を集中して自己の改善を図るべきである。
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