歌舞伎ファンとしては実に寂しい話ですが、仕方ないことではあります。
**********
歌舞伎の人間国宝、坂田藤十郎さんが曽根崎心中「お初」から“引退”(産経新聞) - goo ニュース
2014年1月28日(火)15:43
■昭和28年初演 通算1351回
歌舞伎の人間国宝で第20回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)受賞者の坂田藤十郎さ ん(82)が、代名詞ともいえる上方歌舞伎「曽根崎心中」のヒロインお初を、4月の東京・歌舞伎座の公演で“引退”する。昭和28年から60年余りにわた り、ほぼ一人で演じてきた当たり役は、演じ納めとなる4月26日の千秋楽で通算1351回。惜しまれながら歌舞伎座新築開場1周年の晴れ舞台で区切りを打 つことになった。(亀岡典子)
お初と徳兵衛の悲恋を描いた「曽根崎心中」は近松門左衛門の心中物の代表作だが、江戸時代以来、長く上演が 途絶えてきた。だが、昭和28年8月、東京・新橋演舞場で宇野信夫さんの脚本、藤十郎さん(当時、二代目中村扇雀)のお初、藤十郎さんの父の二代目中村鴈 治郎さんの徳兵衛で、歌舞伎で復活初演。社会的現象となるほど人気を集め、“扇雀ブーム”を巻き起こした。
藤十郎さんは「お初に出会った ことで私の人生は変わった。運命ですね」と振り返る。以来、藤十郎さん以外にお初を演じたのは、次男の三代目中村扇雀さん(53)と孫の中村壱太郎(かず たろう)さん(23)だけ。平成17年11月の四代目坂田藤十郎襲名の際にもお初を勤めたほか、イギリス、ロシア、アメリカなどでも上演された。
「演じるたびにお初の人生を生きてきた。4月は初演のときのような気持ちで、お初さんに感謝しながら演じたい」と話す藤十郎さん。初日を迎えるまでに、「お初天神」として知られる大阪・キタの露天(つゆのてん)神社にあるお初像に、報告に行く予定だという。
◆この世のものでない美しさ
日本文学研究者で米コロンビア大名誉教授、ドナルド・キーン氏の話「初めて藤十郎さんの『曽根崎心中』を見たのは、昭和28年12月の京都・南座。私が日本に留学した年でした。歌舞伎の女形の中でもこの世のものでないような美しさで、自分の目を信じられないほどでした。その後、『曽根崎心中』は文楽でも復 活上演され、現在の日本の伝統芸能に大きな影響を与えたと思います」
歌舞伎俳優・坂田藤十郎 まさかの“一世一代” お初に出会い私の人生も変わった(産経新聞) - goo ニュース
2014年2月1日(土)23:23
今年4月に開場1周年を迎える東京・歌舞伎座。その記念公演で、自身の代名詞ともいえる「曽根崎心中」のお初を“一世一代”で勤めることになった 坂田藤十郎さん。「まさか、自分がやるものに、“一世一代”がつくとは思いもしなかった」という。昭和28年、東京・新橋演舞場での復活初演以来、60年 余りにわたって1300回以上、ほぼ一人で演じ続けてきたお初。ラスト公演に向けて、さまざまな思いを語っていただいた。
■一世一代のお初
--お初といえば、藤十郎さん。そう言われるほど畢生の当たり役で、昭和28年に、近松門左衛門の原作をもとにした宇野信夫さんの脚本で、ご自身でお初を 作り上げられて以来、ほとんどお一人で演じてこられました。ですから、“一世一代”とうかがったときは本当に驚きました
坂田藤十郎 私 は もともと“一世一代”とか思わない人じゃないですか。ですからまさか自分のやるものに、そういうタイトルがつくとは思わなかったですね。ですから、みなさ ん、回数とか年数とかおっしゃってくださるけれども、わたし自身の気持ちとしては、毎回、毎回、お初という女性の人生を生きている、という感じなんです。 でもそれは、どんなお役でも変わらない。お初でも、「封印切(ふういんきり)」の忠兵衛でも、みんな一緒です。
--初演のときは、社会的現象といわれるほどのブームを呼んだとうかがっています。どうして、お初がそれほど、共感され、支持されたのでしょう
藤十郎 それまでの古典の歌舞伎の女形の役にはないリアリティーがあったと、当時よく言われました。たとえば、心中に行くのに、お初と徳兵衛が真夜中、 「天満屋」を抜け出す場面。お初が徳兵衛の手を取って、先に花道を転がるように入っていった。これは、戦後の日本に新しく登場した女性たちの姿と重なると 言われました。
--「天満屋」では、縁の下に隠した徳兵衛に、素足を差し出して、自ら心中の覚悟を問う名場面もあります。いつ拝見しても、震えるような官能性と歌舞伎独特の美しさ、そして女性特有の愛の深さに心打たれます
藤十郎 近松さんがそういう女性を書いたわけですから、その通り演じているだけなんです。ただ、花道をお初が先に入ったのは、昭和28年8月、新橋演舞場での復活初演の初日、気持ちで演じていたら自然にそうなったということなんです。それが“型”になったのです。
■「あんたのおかげでややこしなった」
--歌舞伎の「曽根崎心中」があまりにすごい人気でしたので、2年後の昭和30年、文楽でも復活しました
藤十郎 おもしろいエピソードがあるんですよ。文楽でも復活したので私も舞台を拝見に行きました。そのとき、綱のおっしょさん(八世竹本綱大夫)が、「あ んたの真似、してまんねんで」とおっしゃるんです。もちろん冗談ですけどね。それから、文楽の女形の人形は普通、裾を引いているので、足はないのですが、 初演で徳兵衛の人形を遣われた吉田玉男さんが、お初の足は絶対に必要だと主張されたそうです。「天満屋」で、徳兵衛がお初の素足を自分の喉に押し当てる場 面がありますからね。そのとき、お初を遣っておられた二代目(吉田)栄三(えいざ)さんが、絶対にあかんとおっしゃって稽古が中断したそうです。「あんた のおかげでややこしなった」と言われました(笑)。
--いまや、「曽根崎心中」は歌舞伎、文楽とも大人気演目です
藤十郎 お初に出会って私の人生も変わりました。運命ですね。
-以前、お話しをうかがったとき、お初に出会ったことで近松の深さを知り、近松の研究公演を行う「近松座」結成に至り、四代目坂田藤十郎襲名にもつながっていったとおっしゃられたことがあります
藤十郎 ですから、4月の初日までには、大阪の梅田にあるお初天神さんに行って、お初さんのブロンズ像に「あなたのおかげです。ありがとう」と報告とお礼を言いに行きたいと思っています。
■自分の芸の塊
--ところで、藤十郎さんは日本俳優協会の会長を務められ、現代の歌舞伎を牽引し、歌舞伎俳優さんをたばねられる重責も担っていらっしゃいます。いまは上方歌舞伎だけでなく、歌舞伎全体を見渡す立場になられたのでは
藤十郎 おこがましいけれど、そういうことも考えないといけないと思っています。上方歌舞伎に対しても、自分の歌舞伎を作っていくこと。それが結果的に、 上方歌舞伎を盛り立てることにつながっていくと思っています。藤十郎という人はどうやら、自分の芸の塊(かたまり)みたいな人ですからね。芸というのは、 とまるところがないですね。スポーツ選手は1番になるという目標があるじゃないですか。でも、芸には1番とか、2番はない。ないのが魅力で、何かこう、果 てしのないものに向かって進んでいっている気がします。
--それにしても藤十郎さんはお若いです。わたし自身の気持ちとしては、お初をずっとずっとやり続けていただきたいぐらいです
藤十郎 年齢のことは考えない。考える必要がない。自分のなかに歌舞伎というものがある。もし、みなさんに若いと言ってもらえるなら、それが若さの秘密かもしれませんね。
**********
82歳で、まだ「果てしのないものに向って進んでいっている」とおっしゃるのだから、頭が下がります。舞台を実際に見てみると、藤十郎丈の年齢のことなど、すぐに忘れてしまいます。お初も見ていますが、本当に十代の女性に見えてくるから、恐ろしいんです。
4月の一世一代公演は絶対に見逃せないところですが、3月には3月で歌舞伎座において藤十郎丈が『封印切』の忠兵衛を演じられます。まちがいなく、これも名舞台となることでしょう。年齢を超越した芸の力を存分に堪能させてもらいます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます