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日本傷痍軍人会、解散式を挙行

2013年10月04日 07時54分44秒 | 時事放談: 国内編

さぞやお辛い日々だったことでしょう。日本のために犠牲になられた方々に、ただただ感謝するしかありません。

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日本傷痍軍人会が解散式 高齢化で会員減、運営困難に(朝日新聞) - goo ニュース

2013年10月3日(木)20:08

 戦争で負傷したり病気になったりした元兵士らでつくる財団法人日本傷痍(しょうい)軍人会の解散式が3日、東京都渋谷区の明治神宮会館であった。高齢化で会員が減り組織運営が困難になったため、来月、正式に解散する。

  解散式に先立って開かれた創立60周年の記念式典には天皇、皇后両陛下、会員である元軍人、軍属やその家族ら約1千人が参加した。天皇陛下は「戦傷病者と その家族が歩んできた歴史が忘れられることなく、皆さんの平和を願う思いとともに語り継がれていくよう希望してやみません」と述べた。

 解散式では、傷痍軍人会の奥野義章会長(90)が「幾多の困難を乗りこえてきた傷痍軍人会が末永く語り継がれることと固く信じます」とあいさつした。

 会は1952年に発足し、会員の生活援護や福祉業務を担ってきた。最も多い時に約35万人いた会員数は今年3月末で約5千人に減り、平均年齢は92歳になっていた。傷痍軍人会とともに日本傷痍軍人妻の会も解散する。

傷痍軍人 最大35万人から5千人に…消える戦後 時代に逆らえず(産経新聞) - goo ニュース

2013年10月3日(木)15:25

 先の大戦で負傷した傷痍(しょうい)軍人の多くは、後遺症や再発の恐れに苦しみながら、満足に働くこともままならない苦しい生活を送ってきた。

 昭和21年には、連合国軍総司令部(GHQ)の非軍事化政策により、明治8年から続いてきた軍人に対する恩給制度が廃止。障害のため、働いて生計を立てることが難しい傷痍軍人の一部は、白衣の着物姿で街頭へ出て、楽器を奏でながら募金活動を行った。

 日本傷痍軍人会の富樫堅太郎専務理事(91)も障害に苦しんだ一人だ。昭和17年に陸軍に入隊。中国・山西省の師団司令部に配属後の18年7月、乗っていたトラックが地雷を踏み、右腕を失った。

 「私は早い時期に戦傷を受けたので、復員もでき、就職もできた」と振り返るが、仲間の多くは職を失い、妻や家族の支えを受けながら、苦しい生活を送ったという。

 同会の竹内博総務課長(81)は「昔の軍人は我慢強い。泣き言を言わない人が多かった」と話す。しかし、戦後の高度成長期の中で、傷痍軍人は次第に、人々の冷たい視線にさらされるようになっていった。

 同会は、傷痍軍人の処遇改善や会員同士の交流を目的に27年11月に発足した。医療費の給付や義肢、義足の支給などを求め、38年8月には「戦傷病者特別援護法」制定に結びつけた。

 現在の会員の平均年齢は92歳。約35万人いた会員も発足から60年がたち、約5千人に減った。毎年約3千人の仲間が亡くなっていくという。

 会の維持が困難になったとして、同会は11月末で解散。長年活動してきた会員からは、「仲間と会う機会がなくなるのはつらい」との声も聞こえるが、全国にあった支部も、長崎県など数カ所を除き、解散となる見通しだ。

 「みんな高齢になる中で、よくここまでもった」と富樫さん。終戦から68年。日本からまたひとつ「戦後」が消える。

平均年齢92歳「日本傷痍軍人会」最後の式典 両陛下臨席され、お言葉 (産経新聞) - goo ニュース

2013年10月3日(木)12:45

  先の大戦などでの戦傷病者らで作る「日本傷痍(しょうい)軍人会」(日傷)は3日、天皇、皇后両陛下ご臨席のもと、東京都渋谷区の明治神宮会館で 「戦傷病者特別援護法制定50周年並びに日本傷痍軍人会創立60周年記念式典」を開いた。日傷は会員の減少と高齢化で11月末の解散が決まっており、今回 が最後の式典となった。

 式典には会員や家族ら約1100人が参加。陛下は「戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が、決して忘れられることなく、みなさんの平和を願う思いとともに、将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません」とお言葉を述べ、会員らの苦労をねぎらわれた。

 自身も中国大陸で銃弾を受けて大けがをした奥野義章会長(90)は式辞で、「不撓(ふとう)不屈の精神と周囲の方々の温かい支えにより幾多の困難を克服し、社会の各分野で活躍してきた」と振り返った。

 日傷は戦争で負傷した軍人の処遇改善を求めるため、昭和27年11月に設立された。当時は約35万人の会員がいたが、現在は約5千人。会員の平均年齢は92歳となり、全国にあった支部も、長崎県と千葉県を残して11月末で解散となる。

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もう40年以上も前の話です。子供の時に神社やお寺に行くと、白い着物に身を包んで軍帽をかぶった傷痍軍人の方々がアコーディオンを弾きながら軍歌を唄っていました。片足がなかったり、片目だったり、戦争がすぐそこに見えて、子供心に恐ろしい思いをしました。

長い間、本当にご苦労様でした。日本傷痍軍人会会員の方々が安らかな老後をお過ごしになられることを切望してやみません。


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