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あまりに哀しい一家心中未遂

2009年02月05日 07時27分55秒 | 時事放談: 国内編
読んだ瞬間、暗澹たる気分になってしまいました。こういう家族を救えない日本とは・・・。

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「私を死刑に」「あなたが生き残った意味必ずある」(朝日新聞) - goo ニュース

2009年2月5日1時36分

 重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した妻(同53)に頼まれ、2人を殺害した夫(57)に対する判決が4日、さいたま地裁であった。死刑を求めた夫に裁判所が出した答えは、懲役7年(求刑同10年)。若園敦雄裁判長は「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある」と諭した。

 長男正大さんに対する殺人と、妻きみ衣さんに対する承諾殺人の罪に問われたのは、埼玉県川越市の福島忠被告。福島被告は公判で「体調が悪化して長男を介護できないと自分を責める妻に『3人で死のう』と言われ、決意した」と語った。

 検察側の冒頭陳述や福島被告によると、長男の症状は重く、知能は2、3歳程度。生後間もなく医師に「20年ほどしか生きられないのでは」と言われたといい、夫婦は「子どもに罪はない。20年を大切にしてあげよう」と誓った。

 食事やトイレなども付ききりで妻が世話したが、介護は過酷だった。自分の便を口に運ぶ長男を抱きしめ、泣いたこともある。成人すると長男は暴れたり、妻の髪の毛を抜いたりもした。

 妻が頭痛やぜんそくなどの体調不良を訴えたのは約2年前。40年勤めた会社を定年退職した福島被告も介護を手伝った。だが妻の体調はますます悪化し、「3人で逝こう」と心中を望むようになった。

 08年8月、妻は果物ナイフを手に「私と長男を刺して」と懇願。9月9日夜には「遺書を書いた」と福島被告に伝えた。その言葉に、説得を続けていた被告の心も折れた。

 翌10日午前1時ごろ、福島被告は就寝中の妻と長男の首などを果物ナイフで刺した。自らも風呂場で手首を20カ所以上傷つけたが、死にきれずに110番通報した。

 「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」。そう公判で訴えた福島被告は判決後、「残された人生を有意義に生きて欲しい」と裁判長に言われ、「はい」と一礼して法廷を去った。(津阪直樹)

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被告の辛さはいかばかりか。社会全体が受け皿にならなければ、こういう問題は解決しません。

悲劇を繰り返さないためにも、われわれ一人一人が考えるべき問題です。

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