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中村吉右衛門・自分史8:二代目中村吉右衛門襲名

2017年07月21日 07時02分09秒 | 歌舞伎

22歳で、二代目中村吉右衛門を襲名する。計り知れないプレッシャーに、当代は悩み続けたようです。

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(語る 人生の贈りもの)中村吉右衛門:8 実父の背に芸の重み、襲名へ
朝日新聞 2017年7月20日05時00分

帝国劇場で行われた二代目中村吉右衛門襲名披露口上。前列右から2人目が吉右衛門=東宝提供、東京都千代田区

 ■歌舞伎俳優・中村吉右衛門

 《二代目中村吉右衛門の襲名披露は1966年、22歳の時。建て替えて新しくなった帝国劇場開場披露歌舞伎公演で、「祇園祭礼信仰記 金閣寺」の此下東吉(このしたとうきち)などをつとめた。木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がモデルで、知略でピンチを救うヒーローだ》

 暁星では小学校からフランス語を習い、大学でも仏文学を勉強しました。作家のカミュを研究しにフランスへ行きたいという思いもあって、悩んで実父(初代松本白鸚〈はくおう〉)に相談したら、「何にでもなっちゃいな」とくるっと後ろを向かれました。

 背中を見て、播磨屋と高麗屋の芸を双肩に担い、播磨屋をぼくに、高麗屋を兄(現・松本幸四郎)に渡そうとしている大変さを思いました。怒らなかったので、かえって悪いことを言ったと思った。フランス行きも断念しました。

 「金閣寺」は実父に教わりました。東吉は二枚目で、すっきりとした役ですが、僕には向いていないんじゃないかと思っていました。

 良い役者にならなくてはいけない、吉右衛門劇団を作らなければ、人気もなくてはならない――。襲名後はプレッシャーとの闘いでしたね。

 《70年の初代吉右衛門の十七回忌追善帝劇特別公演では、「熊谷陣屋」を上演。初代の当たり役、熊谷直実(くまがいなおざね)をつとめた。追善口上の前には、50年に記録映画として撮影された初代の「熊谷陣屋」の一場面が上映された》

 口上は中村屋のおじさん(十七代目中村勘三郎)と、僕と実父の3人。ぼくは初代の映画を見て「初代の芸はただただすごいなあ」と思った。撮影時、初代は60代。実父は「全盛期はあんなもんじゃなかったんだぞ」といい、映画で直実の妻、相模をつとめた六代目中村歌右衛門のおじさまも、「物語の人物が私の見ている前に出てきたよ」とおっしゃっていました。

 そんな熊谷をやりたいのですが、なかなかできるものではありません。ですが、この年になって、役の感覚や感情がわかるようになってきたなと思います。

 (聞き手 山根由起子)

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フランス留学は、どの本にも出ていることで、当代が本当にやりたいことだったことのようですが、実父の対応を見て断念したとか。ですが、そこから苦闘の修行の日々が始まります。大看板を背負っただけに、本当に大変だったようです。

しかし、いまや『熊谷陣屋』の熊谷直実といえば、当代吉右衛門です。他の追随を許しません。花道の出から、花道に入るまでの75分間、見物は直実そのものになった吉右衛門にしびれまくります。

あと何回吉右衛門の直実が見られるのでしょう。そう考えると、吉右衛門にはいつまでもお元気でいてもらいたいと願ってしまいます。


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