健さんは、美空ひばりさんと13本の映画で共演しています。その縁で、大船にある元松竹撮影所の美空さんのタイル画の題字を健さんが書いているほどです(詳しくは、当ブログの2014年9月15日の記事「高倉健さんが、美空ひばりタイル画の題字を書いていた」を参照ください)。
その美空さんと健さんとの関係を美空さんの息子である加藤和也氏が話しています。記録しておきましょう。
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【独占秘話】加藤和也氏 母が亡くなったとき…深夜に自ら供花届けた健さん
サンケイスポーツ 2014.11.19 05:02
高倉健さんは恩人の1人です。今年も含めて毎年、母の命日(6月24日)に必ず線香を送ってくださっていました。
健さんは祖母(喜美枝さん)のことを「おふくろ」と呼んでいました。1981年に祖母が亡くなったとき、自宅にいの一番に駆け付け、火葬場まで付き添ってくださいました。棺が窯に入る直前、「私も入る」と取り乱した母をなだめてくれたのも、健さんでした。
母が89年に亡くなったときは、健さんからの供花が一番に届きました。でも母の遺体が自宅に戻ったのは深夜。生花店が営業している時間ではないので、不思議に思っていました。すると電信柱の陰に健さんに似た人が見えた。まさか、健さんがお見えになっていたとは思いませんでしたが…。
それから2年ほど後に母が眠る横浜の墓地へ行ったとき、参道の手前に高級車が止まっていました。こんな時間に珍しいと思いながら歩いていくと、夕暮れをバックに歩いてくる男性が。すれ違う際に「こんにちは」とあいさつし、顔を見ると健さんでした。
驚く私に「元気か?」と声を掛けてくださり、私が「どちらへ?」とたずねると「君のうちのお墓だよ」と。「1人でですか?」と聞くと、「いつも1人で来るんだよ。お前も頑張れよ」と、私の手を固く握りしめてくださいました。
そのとき、母が亡くなった深夜の電信柱の“影”が、健さんだったことを確信しました。健さん、心よりお礼を申し上げます。どうぞ安らかにお休みください。
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健さんらしいエピソードです。胸が熱くなります。合掌。
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