夢と希望と笑いと涙の英語塾

INDECという名の東京高田馬場にある英語塾で繰り広げられる笑いと涙の物語
新入会員募集中!

東京スカイツリー開業に当たって

2012年05月22日 08時33分01秒 | 時事放談: 国内編

今日東京スカイツリーが開業するに当たって、提灯記事が盛り上がる中、毎日は冷めた論評を発表しています。でも、それが面白い。記録しておきましょう。

**********

<特集ワイド>曽野綾子さんと考えた 東京スカイツリーなんて、いらない!?
毎日新聞 2012年5月21日(月)18:00

 ◇大魔神か、巡礼地か

 「なんだあの見苦しいものは?」。この春、ローマから4年ぶりに帰国し「東京スカイツリー」を初めて目にしたときの第一印象だ。そんな話を周辺にすると、「えっ」「何言ってんの」という反応をされた。60歳代の同僚記者には「そんなこと言ったら『非国民』って言われるぞ」と半ば冗談、半ば本気で諭された。それでも私の目には大魔神のように見える。あの「世界一の電波塔」は本当に必要なのか。【藤原章生】

 ◇高さ競争「くだらない」 そもそも必要だった?

 22日の開業を前に、メディアもスカイツリーで大騒ぎだ。大多数の声に惑わされず社会を見てきたこの人なら意見が合うだろうと、作家、曽野綾子さんに電話をしてみた。

 「あれですか? 私はわざわざ見に行きません。どうしても電波塔が必要なら仕方ないんでしょうけど、まず、その辺をお調べになって、それから話をしましょう」と言われた。私はテレビが嫌いでめったに見ることはない。それでも必要性は認めるので、確かにあの塔がなければテレビが見られないという公共性があるなら我慢するしかない。

 事業主体、東武タワースカイツリー社の広報宣伝部に聞いてみると「電波のことですか? それは一つのきっかけにすぎません」とあっさり言われた。むしろ大事なのは観光、町おこしなのだという。同社のサイトにはあの塔の「基本理念」として(1)活力のある街づくり(2)時空を超えたランドスケープ(3)防災面での安心と安全――の3本柱があり、電波には触れていない。

 時空を超えたランドスケープ? SF映画か遊園地の宣伝文句のようだが、「この辺り、押上周辺は東京大空襲でも焼け残り、江戸情緒のある町並みがありますので、その風景を乱さず地域と一緒に発展していければ……」という思いが「ランドスケープ」に込められているそうだ。しかし、江戸情緒とあの塔がどうからむのか。ツリーがすでに死にかけた「江戸情緒」にとどめをさすというのならわかるが。「シュール(レアリスム的=超現実主義的)にしか見えません」と進言しても、「そうですね、シュールな風景かもしれません」とツリー社はいたって前向きなのだ。

 「電波塔としての役目」をしつこく聞くと、「その辺の事情は総務省に聞いてほしい」との話だ。だが同省も「私たちは基準にのっとり許可を出すだけで、電波塔の必要性といった話にはどの課も答えられない」。そこで03年暮れに「新タワー推進プロジェクト」をつくり建設を促してきた放送6社の代表格、NHKに聞くと「東京タワーの電波発信地点は高さ200メートル強で、都内に200メートル級の高層ビルが林立したため、一部地域で映りが悪くなる可能性があると感じていた」と広報の男性が説く。ただし、放送局側が電波塔を強く求めたのか、造る側が建てたいと言い出したのかは「鶏と卵の関係で、はっきりしない」と言う。

 電波塔の役割について東武、総務省、放送局のいずれも歯切れが悪いのは、「私たちこそが求めた」という強い自主性がないまま何となく進んできたからのようだ。

 現時点ではみな東京タワーからの電波で地上波デジタル放送を見ているが、広範囲で見えないという話は聞かない。仮に見えなくても、衛星やケーブル、あるいはネット、携帯電話でもテレビは見られる。NHKも「映りの悪い世帯については個別に対応している」と言い、東京タワー一本で何とかしのげるわけだ。

 そんな話を曽野さんにすると「でも、庶民の中には、東京タワーではテレビが見えなくなるからスカイツリーを造ったと思っている人、たくさんいます。私もその一人」と言う。

 「東日本大震災前に計画されたものだから、ぜいたくに浮かれたんですかね。日本人って本当に無駄、ぜいたくをしていました。しなくていいことをして、買わなくていい物を買って。ひとのぜいたくを何とも言えませんけど、嫌なのは『これを見ないと』というあの熱狂ぶり。それを『軽薄だ』と教える人がいない、教育不在ですね

 ツリー社は総事業費650億円という。元を取るのに何年かかるかは知らないが、それにしても、人はなぜ2000~3500円もの切符を買って高い人工物に上りたがるのか。私は5歳のころ歩いて東京タワーに一度上ったが、階段は覚えていても、上からの風景は全く覚えていない。よほど天気のいい日は別にして高い所から見る東京の光景は似たり寄ったりで、何の感動もない。

 「私は高い所に興味がない。高所は『民のかまどはにぎわっておるな』という皇帝、統べる者の視点、殿様の願望ですよ。私は本当に展望台が嫌い。あんな所にいる必要を私は認めないんです。実に退屈な光景ですよ。見る物が遠いと意味がない。作家は地面をはって調べる方ですから。浅草だったら仲見世通りの裏口に人生を見つける。大事なのは音と匂い、盗み聞きができることですから」

 曽野さんはこうも言う。

 「一番ばかな発言は、『こういうものがある町を誇りに思う』という言い方。テレビで地元の教師が言ってました。出身地から誰が出ているから誇りを持てるとか、そんなこと何も関係ないですよ。うちの村からあの有名人が生まれたと威張る人がいるけれど、個人とは無関係。その人の才能や努力とは何の関わりもないことですから。それを子供にはっきり教えないといけません」

 「電波塔として世界一」がツリーの宣伝文句だが、ノスタルジー映画が美化する高度成長の時代でもあるまいし、と思う。私も子供のころは「東京タワー」「霞が関ビル」と騒いだが、ずいぶん前から新宿の都庁ビル、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンとむやみに高層ビルを建てる東京にうんざりしている。むしろ人口が減り、もっと小さい都市になってほしいと思っている。

 「高さ競争は後発国のやることではないですか。もっと大人になってもらいたいですね。どんな高い塔も今に抜かれます」

 1958年完成の東京タワーができた頃を懐かしむ人が結構いるという。ツリーは半世紀後、どうなっているのだろう。遷都が求められる中、首都圏の人口が大幅に増えているとは思えない。高齢化も相当進んでいることだろう。「時空を超えたランドスケープ」は、「成長を追い求めた時代」をしのぶ巡礼地になっているだろうか。

**********

個人的には「ああそう」というレベルの関心しかないスカイツリーですが、自分が「庶民」であったことには驚きでした。電波塔として絶対に必要なものではなかったという指摘に関しては。

それでも、個人的には、多少なりともこれで活気が出ればそれでよいのではと思っています。醜悪かもしれませんが、そびえたつアレを見ると、ちょっと雄々しい気分になるのは事実ですから。いずれガラガラ状態になるようなことがあれば、行ってもよいかと思っています。熱してはいないけれども、この記事ほどシニカルではないというところです。

とはいえ、スカイツリーの記事だらけの今日の新聞には驚きました。何せテレビも見ない人間ですから。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 厚労省、いまごろやっと庁舎... | トップ | 日本がアメリカにとって重要... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時事放談: 国内編」カテゴリの最新記事