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愛煙家の井上ひさし氏、肺がんで逝く

2010年04月12日 07時42分03秒 | 離煙ニュース: 国内編
愛煙家で知られた井上ひさし氏が、肺がんのため亡くなりました。

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井上ひさしさん逝く 闘病半年…最後まで創作意欲衰えず

 「父と暮せば」「吉里吉里人」「ひょっこりひょうたん島」など、笑いと社会批評を織り交ぜた戯曲や小説を発表、平和運動にも取り組んだ劇作家、作家で文化功労者の井上ひさし(いのうえ・ひさし、本名・廈=ひさし)さんが9日午後10時22分、肺がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。75歳。昨年10月に肺がんが見つかり、闘病を続けていたが、入院先から帰宅した9日夕方、容体が急変した。舞台、映画化作品も多く、若手からベテランまで芸能界からも惜しむ声が相次いだ。

 美しい日本語を用いて数々の作品を発表した井上さんが、半年の闘病生活の末、静かに逝った。

 この日東京・台東区で会見した、井上さんが主宰する劇団「こまつ座」の社長で三女の井上麻矢さん(42)によると、井上さんは昨年10月の肺がん発覚後、入退院を繰り返しながら抗がん剤治療を行っていたという。4度目の治療が終了し、体調が回復した9日朝に自宅に戻っていた。

 だが、夕方に容体が急変し、そのまま帰らぬ人に。最期は妻のユリさんと麻矢さん、長男(18)の3人がみとった。麻矢さんは「家族にみとられたいという希望をかなえられて良かったと思います」と気丈に話した。

 井上さんは、上智大在学中に浅草のストリップ劇場「フランス座」で文芸部員に。当時の支配人である松倉宇七氏によると「(同劇場に出演していた)渥美清が活躍できたのも、彼のおかげだと思っている」と話すほど、抜きん出た才能の持ち主だったという。その後、64年に放送を開始したNHK「ひょっこりひょうたん島」で注目を集め、72年には戯曲「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞を、小説「手鎖心中」で直木賞を受賞した。

 84年には劇団「こまつ座」を旗揚げ。数々の小説、戯曲を世に送り出した。闘病中も創作意欲は衰えず、7月に上演予定だった沖縄戦を題材にした戯曲「木の上の軍隊」を執筆中だったが、完成させることはできなかった。

 「素晴らしい作品を生み出し、親子(であること)を超えて尊敬できる。井上芝居を守り、次の世代に必ずつなげる」と固い決意を語った麻矢さん。井上さんは生前、「身内だけで送ってほしい」と話していたそうだが「周囲の声もありますので」と、後日お別れの会などを行うことを考えていることを明かした。

 ◆11日、近親者で通夜 ○…神奈川・鎌倉市内の井上さんの自宅では、11日夕から親族の通夜が営まれ、近親者20人が参列した。祭壇には著作、舞台のポスターが供えられていたという。門には「葬儀は近親者のみで営み、香典や弔花などは辞退申し上げます」との張り紙があり、敷地外から手を合わせる人もいた。

近所の男性は「いつもたばこと携帯灰皿を持って歩いていましたが、最近は『抗がん剤を打つと2日間は調子が悪いんです』と元気がなかった」。通っていた喫茶店のマスターは「2月頃に姿を見せたときは『13キロもやせた。やはり肺がんとたばこには因果関係があるんだね。さすがに禁煙したよ』と。優しい人でした。残念です」と語っていた。

 ◆新国立に記帳台 〇…現在、東京・初台の新国立劇場では、井上さんの「東京裁判三部作」の第1部「夢の裂け目」(28日まで)を上演中。また、こまつ座公演「シャンハイムーン」が全国を巡演している。新国立劇場ではこの日、井上さんの死を受けて、訃報(ふほう)を掲出。12日からは、来場者が井上さんへのメッセージを記入できるカードを用意し、後日、遺族に渡すことを決めた。同日には5月15日から埼玉・彩の国さいたま芸術劇場で上演予定の「ムサシ」の会見が行われ、演出家の蜷川幸雄氏(74)、藤原竜也(27)らが井上さんの思い出を語る。

 ◆井上 ひさし(いのうえ・ひさし、本名・廈=ひさし)1934年11月17日、山形県生まれ。上智大在学中に東京・浅草の劇場「フランス座」で文芸部員に。1964年放送開始の「ひょっこりひょうたん島」(共作)で注目を集め、72年に戯曲「道元の冒険」(71年初演)で岸田国士戯曲賞、小説「手鎖心中」で直木賞を受賞。84年、劇団「こまつ座」を旗揚げ。04年には作家・大江健三郎さんらと「九条の会」を結成。日本ペンクラブ会長も務めた。主な作品に戯曲「父と暮せば」。09年日本芸術院会員。吉川英治文学賞、菊池寛賞などを受賞。直木賞選考委員も務めた。

(2010年4月12日06時00分 スポーツ報知)

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この記事には写真がついているのですが、それには次のようなキャプションがつけられています。

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1991年、神奈川県・鎌倉の自宅でインタビューに応える井上ひさしさん。手にはたばこ、灰皿には吸い殻がぎっしり

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実際、写真には大きな灰皿が吸殻だらけ。かつての自分の灰皿を思い出しました。たばこを吸わずにいてくれたら、まだまだ活躍なさっていたのではないかと思うと、非常に残念です。

政治的信条が違うのでここ20年ほどは徐々に心が離れ著作をほとんど読まなくなりましたが、氏の著作には少年期から青年期にかけて大いに影響を受けました。上智大学に進学した理由の一片にも、井上氏の影響があります。「モッキンポット師」がいるのではないかと思っていましたから。

惜しい才能を失ったことは、事実。たばこはやっぱりイカンです。たばこと縁を切る離煙生活を。

井上氏のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

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