2009年
■12月
世界天文年と鈴木壽壽子『星のふるさと』
「世界中の人々が夜空を見上げ、宇宙の中の地球や人間の存在に思いを馳せ、自分なりの発見」をしようという世界天文年の取り組みの中には、「アジアの星」や、光害を考える「美しい夜空への想い」という企画もある。「アジアの星」は、ギリシャ・ローマ神話に偏りがちな星の話を、それだけではない自分たちが暮らす場所の話としてアジア各地の星文化を紹介、共有しようというもの。
2009年の天文年の関心は、1975年に刊行された『星のふるさと』のふたつのパート「炎の上の火星」と「星のふるさと」に織り込められた願いでもある。
「炎の上の火星」は、1971年と73年地球に接近した火星の観察記録であるが、そこには石油工場の炎(フレアスタック)、煙霧(スモッグ)も記された。丹念な観察は、火星の観測記録となり、そして1970年代の四日市公害の苦しみ悲しみを伝えた。その両方に惹かれるのだが、そうしたメッセージの根底にあるのは、火星や月や夜空が見せてくれる星たちの姿と共にある私たちの★のこと。
たとえば「姉弟の星」の章では、「太陽に育てられ、太陽のまわりで暮らしている星の姉弟」が15年ぶりに出会った時に交わすであろう会話のかたちで、地球と火星の来し方を描いている。姉(地球)の暮らしの豊かさに目をみはる弟(火星)。けれどもそんな弟の目に映るのは、姉の星の戦火や「街にただよう死の煙霧」。姉は答えるしかない「月に旅するほどの力も、戦いの火を消し去ることはできない」のだと。
一方「星のふるさと」は、身近な人びとの星語りや、 中国、アイヌなどの昔語りからイメージを膨らませた12編。
ふたつのパートを収めた本のタイトルとなった『星のふるさと』には、幾重もの意味を読み取ることができる。星の降る里、かつて夜空を見上げた、あるいは今見上げているここ「故郷」。
星降る里の故郷の星、そして、私たちと地球と、夜空の星々が誕生したふるさと。星のふるさとは、私たちのふるさとでもある。
『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』夜空のスケッチ又は写真とメッセージ募集は、世界天文年2009の公認イベント。
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本の周辺① 図書館の司書さん
入手困難になっている地元の著者の古い本を探していた時、地元の図書館に所蔵されていることを知り、「やっぱり図書館は頼りになる」と思った。
そして、その後、その本を紹介する冊子を作成して、無料配布したところ、まちの図書館分室の司書さんから、ご丁寧なお電話をいただく。無料配布するだけだと資料として残らず、後で見たいと思っても入手できなくなるので、ラベル番号をとって保存しておきましたとのこと。
是非、直接お礼を言わなければとお訪ねすると、地域資料のテーマ別の棚に、8ページの小冊子に補強の厚紙が施され、副本まで用意という地域資料保存の基本に忠実な至れり尽くせり。
地域資料保存は、司書の経験、センス、熱意だ。ありがとうございます。頼りにしてます。私もよき利用者にならなければ。
本の周辺② 帯
新刊本に掛けられている帯には、人目を引くための「煽り」のことばが躍っているものだが、それはそれで、楽しめる。帯は捨てずに本に挟んでおくのが習慣だが、図書館の蔵書には、帯は無く、カバーも外されていることが多い。新刊で購入するとは限らないし、保存の手間を考えると仕方ないとは思うものの、ちょっと残念。
なので『星のふるさと』の帯も諦めていたのだが、本に帯を付けたまま保存されている方がいらっしゃって、当時の空気に触れることができた。
遠い昔から、人が星と語り合ってきた心豊かなならわしは、失われてしまうのだろうかー。
煙霧に消え、光の海に沈む星を惜しみつつ、「星よ帰れ!」とうたう
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Webサイトの安全評価
JR東日本のサイトが不正アクセスで改竄されるなど、サイトの安全性は気になるところだが、アンチウイルスソフトの中には、Webサイトの安全評価を実施しているものが、少なくない。
マカフィー「SiteAdvisor」をはじめ、 Norton「セーフウェブ」、ウイルスバスター「Trend プロテクト」、kaspersky Internet Security 2010、F-secure Internet Security 2010などがあるらしい。
けれども、こうした安全評価の信頼性について、各社が、どのような方法でサイトの安全性を評価しているのか、その評価はいつの時点での情報に基づくのかなども気になる。
たとえばウイルスバスター「Trend プロテクト」では、Yahoo!、Google、MSN、Biglobe、Infoseekで検索されたサイトを、「安全」「不審」「危険」「有害/迷惑」「未テスト」に分類し表示している。便利そうに思えるが、こうした分類の中には、開設してから間もない(といっても半年以上)ために、まだテストされていないという理由で「未テスト」のものも含まれ、それが一体いつになれば評価されるのかもよくわからない。
実際、ウイルスバスターの使用者が、自分の運営しているサイトを「未テスト」と表示され、「あら!」なんてことにもなるのである。この場合、ウイルスバスターのサポートセンターへメールで調査を依頼すると、早々に対応してくれて解決するのだが、ウイルスバスターの使用者であることを証明(使用番号の記入)する必要がある。もっとも、そもそもウィルスバスターを使っていなければ、事態に気付くこともないのだから、それは当然かもしれないが、では、それ以外のマカフィーやノートンやらでは、どんな安全評価なのか知りたい、納得できない場合どうやって依頼をかけるかとなると、やはり使用者にお願いするしかないってことなのだろうか。しかも同一ドメイン名で「危険」とされたサイトがあると、他のサイトも一括して「危険」と評価される場合もあるとか?そうなの??かくして管理人の苦悩は続く。
■11月
鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ 夜空のスケッチ又は写真とメッセージ募集
四日市市人権センターが、夜空のスケッチ又は写真とメッセージ募集を始めた。
『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』を読んだ人を対象に、年齢、市内市外を問わず全国誰でもOK。自宅付近を肉眼で見た夜空のスケッチなど形式自由。締め切りは来年2月末。天文に関心のある人はもちろん、日頃、空をながめることがあまり無い方人も、『星のふるさと』に触れ、今までとは少しちがった気持ちで、見慣れた夜空を、そして、その下で暮らす私たちのことを思うことができたら嬉しい。
10月27日の空スケッチ
2009・10・27・19:00
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四日市市民大学 意外と知らない四日市 空 11月20日
6回講座の最終回は「四日市に受け継がれてきた星空」
講師は市立博物館天文係の稲垣好孝さん
市立博物館では、プラネタリウムで、『おじいさん おばあさんが伝えた ふるさとの星』『俳句と星 山口誓子が見た星空』という自主制作番組も上映してきた。残念ながら今はもう見られないが、この講座で、その内容が紹介された。
『ふるさとの星』は、富田の漁師さんが海で見る七つ星や、90代の女性が子どもの頃に聞かされた「ほうきぼし」のお話。昔は今とはちがったかたちで、空が教えてくれるものと人々の暮らしが結びついていた。そんな話を自分の体験として語れる人は、もうほとんどいない。ほうき星が見えると「戦争がくる」と言われていたことを語るおばあさんの様子に、きっと怖かったんだろうなあと思う。
『俳句と星』は、療養のため、1941年9月から1948年まで四日市(富田・天ケ須賀)で暮らしていた山口誓子の足跡をたどる。1946年に野尻抱影との共著で出版された『星恋』の中から、「露更けし星座ぎつしり死すべからず」(1941年)が取り上げられた。同書には、四日市の空が、たくさん詠まれている。
そして、最後に鈴木壽壽子『星のふるさと』も。
空、星、暮らし、ことば、それらに心を寄せ表現してきた人と人がつながっている。
■10月
鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ
思いがけない出会いで、最近夜空を見上げることが多くなったが、実のところ、天文はとてもとても苦手である。幼い頃、百科事典で初めて銀河の写真を見た時、なんとも言えない不安にかられて本を閉じてしまった。
その後、私たちが今見ている宇宙は、遠い遠い過去の姿であることをを知り、あの不安の理由を思う。
そして、足元をそっと確かめたくなるような気持ちを抱いたまま、今ここから見る空の意味を考える。
『鈴木壽壽子 星のふるさとのこころ』では、『星のふるさと』から、「小さな発見」「一字の橋」「結びにかえて」を読むことができる。
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「慰霊」のかたち
忠魂碑について説明しなければならないことになり、市内の慰霊碑を調べ始めた。予想以上に多種類の碑が残されていることを知る。
忠魂碑は、戦時下、戦意高揚に利用されたことが知られているが、戦後は1953年以降、各地で「忠魂碑」などの慰霊碑の建設が盛んになる。市内で建立された多くの忠魂碑に混じって「平和之礎」碑が散見できる。「平和之礎」という表現は共通するものの、字体や揮毫者、建立時期はまちまちで、組織立った動きでは無さそうだ。戦争の記憶が未だ生々しかった時代、人びとは、慰霊に、どのような心を重ねたのだろうか。まずは、どのような碑が残っているのかを知るため各地をまわる。
大型台風が去った後、晴れた日が続いたので、この機会にと市内を北へ南へと自転車で走る。国土地理院2万5千分の1地図と住宅地図を組み合わせて、碑が在りそうな場所に当たりをつける。エリア内のできるだけ多くの碑を調べようと予定を組んだが、だんだん滅入ってきた。
どうしてこんなに勇ましく大きいのだろう。忠魂、英霊、殉国といった言葉で飾られた碑を見上げると、晴れた空は眩しく、刻まれた名前は遠くて読めない。
1976年になって立てられたコミュニティセンター横の大きな忠魂碑を眺めながら、気持ちが萎え始めた頃、別の地域の寺で、「太平洋戦争における戦死者のため 真実之利」と刻まれた小さな慰霊碑を知る。1964年仲秋、有志の手で立てられた碑には、「すきな生ふ小さき塚かも鋤きのこす」(杉菜生ふ小さき塚かも鋤のこす 田中七草)の句が添えられていた。碑の下には、虫鬼灯がやわらかな光を受けて美しい。
ああ、こういう慰霊のかたちもあったのだと気づき、碑の調査計画を変更する。
もっと時間をかけて、ゆっくり丁寧に回ろう。古い集落や共同墓地が、まだ昔日の姿を残しているうちに。
■9月
1975年と2008年
1975年12月末、この年名古屋駅周辺で、11人が飢えと寒さで亡くなっていたことが報道された。不況は、労働者の街笹島を直撃。簡易宿泊所にさえ泊まれず、食べ物を手にすることもできなくなった人びとが冬の空の下に投げ出されていた。
翌1月、ともかくも準備された炊き出しが、手探りの支援活動の始まりだった。次の年、仕事がなくなり役所なども一斉に休みに入る年末年始、オケラ公園に越冬小屋が建つ。越冬とは、生きてこの冬を越すの意。
当時はまだ「ホームレス」という言葉も使われることはなく、支援者たちは、「野宿を余儀なくされている人」と呼んだが、一般的に使用されていた「浮浪者」という表現が示すように、怠け者が自ら招いた事態という認識が圧倒的だった。それを支援する連中などは、困った変人としか見られなかった。
しかし、生活相談や医療相談など日雇労働者との関わりを通じて、違法行為や暴力が支配する労働現場の実態が具体的に明らかになってくる。賃金の未払い、深刻な労災のもみ消し、日雇いのための雇用保険への未加入も、もちろん雇用者の違法行為である。まもなく日雇労働組合が結成され、労働会館も設立された。
そして、2008年、「ホームレス問題」が、新たな装いで耳目を集める。2008年年末からの年越派遣村は、大きく報道され政治問題となった。少数の特別な人びとの特別な問題であった「ホームレス」、しかもホームレス自立支援法(2002年)で示されたような、日本的な解釈の「ホームレス問題」が、もはや、これまでのような特殊視では済まされなくなっていることが見えてきた。
よっかいち人権大学”あすてっぷ”の第6回講座は、「ホームレス」がテーマ。講師の藤井は、1975年の活動開始からのメンバーで、今も支援活動を続ける。藤井によれば、1970年代の建設現場で働く日雇労働者も、今日の派遣労働者も基本的な構造は同じだという。
今、1975年当時のことを思い出しながら、何が、どう変ったのかを考えている。
9月26日(土) よっかいち人権大学あすてっぷ
ホームレスと私たち ~拡がる貧困の中で考える~
笹島診療所 ソーシャルワーカー 藤井 克彦
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まちの本屋さん
いつもの本屋さん、9月初めから、なにやらいつもと雰囲気がちがう。人文系を中心に見慣れた風景がない。店の一番奥、民俗学と文化人類学のコーナーで、宇宙人、お祓い、開運、強運‥ はて?
改めて棚全体を見回すと、端から図書館・博物館、妖怪、民俗学、家紋・家系、ファンタジー、超常現象(UFO、宇宙人)、文化人類学、城、自伝、郷土史と続く。川村湊、大林太良と『まもなく宇宙人が到着します』やアダムスキー全集が仲良く並んでいた。
数日後、様子をうかがいに立ち寄ると、文化人類学との境界は消滅、もはやコーナーとして成立せず、『宇宙人』『お祓い日和』開運・強運・占い本数冊が平積みとなっていた。減ったコーナーがあれば増えたコーナーもあるはずと思い見ると、学参書、資格試験参考書、コミックが大幅増。今のところ、自然科学、思想、哲学、宗教、絵本には影響は表れていない。
駅前の大型ショッピングセンターで、売り場面積の広さを誇るこの本屋さん、バランスの良い品揃えで頼りにしていたのだが。何が減ったかだけではなく、何が増えたかも気になる。客層も若く、致し方ないとはいえ、こんな風に方針の転換が始まると、やがて本の入れ替えを繰り返し、挙句、撤退した店をいくつも見てきた。ネットでの購入はたいへん便利で、そしてますますサービスは過剰になるであろうけれど、私は、今はまだ本屋を失いたくはないと思っている。
■8月
鈴木壽壽子『星のふるさと』
現在入手困難になっている『星のふるさと』(1975年刊行)を紹介する小冊子(A4、8頁)を、地元で作製中。9月後半には配布開始予定。
『星のふるさと』と私たちの素敵な出会いのきっかけをつくってくださったore nestさん、ありがとうございます。
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ノリタケデザイン 100年の歴史展
4月18日~8月30日名古屋ボストン美術館
明治から昭和初期の「オールドノリタケ」など「ノリタケチャイナ」のデザインの変遷をたどりながら、 明治期の画帖も特別公開された。
ノリタケといえば、ボーンチャイナ。『日本陶器70年史』によると1932年、骨灰の製造などの研究が始まり、1935年には本格的に製造開始、輸出もすすめられた。ボーンチャイナの技術は、戦時下においても技術保存指定され生産が継続されたというが、原料の入手や販売先は、どうなっていたのだろう。ボーンチャイナ製品の裏印は何種類もあり、今回の展覧会ではそれらの一覧も紹介されていた。
今回の展示で、もうひとつ興味深かったのは、「ゲームセット」「フィッシュセット」と呼ばれる食器セット。王侯貴族が狩猟の際に使う城館に備えられた食器で、鹿や兎、狐などが描かれ、金彩、金盛の装飾。ゲームは狩猟用、フィッシュは釣り用。オールドノリタケのゲームセット、フィッシュセットは、主にアメリカに輸出された。
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送っていただいた本から
①図録 獣骨を運んだ仲覚兵衛と薩南の浦々
知覧・頴娃に残る海運資料と発掘調査速報展
近世期の獣骨利用に大きな役割を果たした知覧の仲覚兵衛について、近年すすめられた地元での研究成果が公開されている。従来、日本における「骨粉肥料の祖」的に扱われてきた仲覚兵衛と、鹿児島の骨粉利用の虚実を多角的に検証。仲覚兵衛(特に初代)については、一次資料の不在から伝承が多かったが、屋敷跡の発掘調査と地元資料の整理によって、海運、菜種栽培、骨粉肥料の普及に果たした役割を明らかにしている。
仲覚兵衛の再評価に接して、鹿児島で骨の利用が先駆的に展開できた社会的背景や、牛・馬と鯨の比較など、さらに興味がわく。
速報展は、7月18日~11月3日 ミュージアム知覧
②中尾健次『新カムイ伝のすゝめ 部落史の視点から』
「生き抜け」という今日的なメッセージを掲げて公開される映画『カムイ外伝』、シリーズの新作が、9月25日発売の「ビッグコミック」誌から3号連続で掲載されるなど、この秋注目のカムイ伝。1964年に連載が開始されたカムイ伝は、当然ながら、当時の問題理解、部落史研究の影響を受けている。 中尾は1997年刊行の『「カムイ伝」のすゝめ』をベースに、近年の部落史研究の成果を盛り込みながら『カムイ伝』に描かれた部落史観を批判的に検討しつつも、カムイ伝の魅力に触れている。1997年刊に比べて、生産と労働に関する研究成果が大きく取り上げられ、田中優子との対談も追加。
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トマトな夏
季節初めに食べた北海道産のトマトが美味しかったので、今年の夏は毎日トマト。何はなくても、とにかくトマトだった。「しっかりした味」という説明の旬のトマトは、やはりおいしい。ところで以前から気になっているのだが、トマトの甘さには二種類あるように思う。心地よく感じるのは熟した甘さで、いわゆる糖度を強調したトマトの「甘さ」には、何か独特の共通した匂いを感じるのだが気のせいだろうか。近くの店では、北海道産のトマトの種類が多く、しかも美味しいのだけれど、トマトまで北海道産というのはいつごろからのことなのだろうか。農家のトマト栽培への情熱に感謝しつつも、ごく日常的な生鮮野菜は、近隣のものを大切にしたいところ。
月末になり野菜の高値が伝えられ、店頭の野菜が小振りになったような気もするものの、近所の畑から到来のゴーヤやなす、きゅうりは変わらず元気に育っている様子。
24日夜、とても涼しく肌寒いほど。夏の間、床の上でのびていた猫が、今日はベッドの上で眠っていた。季節が変わったことを知る。暑いね、涼しくなったね、ちょっと暑さが足りなかった?など語りかける相手は無数。
■7月
菊地信義『装幀思案』『新・装幀談義』
『装幀思案』の新刊紹介を見て、さっそく本屋へ。いつも行く本屋さんで『装幀思案』『新・装幀談義』を見つけ購入。この本屋さん、欲しいと思った本が店頭に並んでいる率が非常に高く頼りにしている。最近はネットでの本の購入が便利になったが、店頭での本との出会いは捨てがたい。この本を選んでくれた書店の担当者に感謝しつつ、せっせと通う。
菊地信義の2冊、特に『新・装幀談義』で語られるのは、名詞の本と、動詞の本(これは読むという意味ではなく、「本する」とでも言ったらよいのか)。特に表紙は、本をその読者へとつなぐ架け橋。
今、私が編集中の小冊子は、ある本を紹介するもの。表紙のイメージはすぐ固まったが、字体、大きさ、配置に迷った。表紙は「私はこの本をこんな風に読みました」をかたちにすることだと改めて思う。知らない人に、手にとってもらい、ページをめくってもらえるように。印刷屋さんからは、「色目は多少変わることがありますから」と釘を刺されている。表紙は黒、白、赤。ポイントの赤は、赤だけど赤だけではない赤。これが印刷でイメージ通りに出て欲しいのだけれど。
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活版印刷・孔版印刷
版下渡しをする予定の印刷の件で、データ処理について営業担当者と打ち合わせ。技術担当者の返事を待っている間、どんどん処理技術が変化していくので大変ですねという話で盛り上がる。
この業界が長いという営業のおねえさん、活版印刷から、写植へと変わったときは、こんな板でどうして印刷できるんだろうと思ったとか。私の高校時代、高校生新聞はちょうど活版から写植への転換期だった。商業新聞が写植へ移行した時期よりは、少し遅れてのことだったと思う。
一方で、身近な印刷は、まだガリ版の時代。子どもの頃、なぜかうちに近代孔版技術講座のテキスト(財団法人実務教育研究所編 1963年発行)があった。ガリ版・鉄筆・ロウ原紙の時代から、ガリ版も鉄筆も必要ないボールペン原紙というのもあり、さらには、紙に普通に書いた原稿をファックス転写して版をつくるファックス原紙というのもあった。大学の学生会館で初めてこのファックスで版をつくった時、B4の1枚を数十分かけて転写する機械をしばらく眺めていたことを思い出す。
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虫 肉食・草食
夏に向かい虫の話題が増える。ある日の同僚の会話。
同僚A(40代らしい女性)
「えーっ 蛍って肉食だったのね。ショック!!」
同僚B(50代のはず男性)
「そう、蛍はけっこう獰猛なんですよ」
花の周りにやってくる虫には、花そのものが目当てものと、花に集まる虫を狙って集まってくる虫がいる。あの「愛らしい」ナナホシテントウムシも、アブラムシをバクバク食べる肉食系。人にとっての「害」と「益」という点では、草食系は、作物を食い荒らすやっかいな虫であることも少なくない。今では実感が薄れているが、蝗の大量発生は、人の餓死へとつながっている。そうした「害虫」駆除のため、天敵作戦が注目されるようになった。
たとえばベダリアテントウムシの活躍は有名。最近のニュースではテントウムシに充分働いてもらうため、飛べないテントウムシを人工的につくることに成功したとか。羽の形成に関与する「ベスティジアル遺伝子」を無効にすることができるらしい。大量死が問題となっているハチといい、昆虫の「家畜」化がすすんでいる。
先日、マリーゴールドの上で、じっと静止していたシオヤアブ(たぶん)。何をしているのかと思ってよく見ていたら、何やら名前不明の虫をしっかと捕まえていた。見た目(だけで判断してはいけないけど)も恐ろしげなシオヤアブは、飛行中の虫を捕まえて、体液を吸い取るのだそう。
というような昆虫の生活模様が、ファーブル昆虫記には満載されている。ファーブル展では、会場に絵本コーナーがあり、母親が男の子に読み聞かせをしていた。アリに食べられる虫の話だったらしく、母親がさかんに「アリにたべられちゃうんだって、こわいねえ。こわいねえ。」と繰り返していた。そんなこと言われて、あの男の子、夜中にうなされたりしないだろうか。
虫の世界も、花の世界も、おもしろいけれど辛くもある。少々滅入るので、花里孝幸『自然はそんなにヤワじゃない』(新潮選書)を読み、気持ちのリハビリをする。
7月7日、昨日は無かった場所に蝉の抜け殻を見つける。9日、昨晩から降り始めた雨は朝には止み、近くの公園で蝉が一斉に鳴き出す。
■6月
6月27日~8月30日
四日市市立博物館 ファーブル昆虫記の世界
大人になるにつれ、だんだん虫が苦手になった。特に室内でゴキブリだのクモだのに出会うとドキドキする。子どもの頃は、さほど気にならなかったように思うが、そのあたりの記憶もあいまいだ。
最近、家の中では、あまり虫を見かけなくなったのは、3匹の猫たちの暗躍によるものであろうと秘かに思っている。実際、猫たちが揃って天井や壁を見上げている時、その視線の先には‥ 「君たち、趣味の狩りは感心しないね」なんて言ってみても詮無いこと。おかげで室内の平穏が保たれているわけだし。
であるのに、なぜファーブルなのかというと、チラシに掲載されていた熊田千佳慕の虫と花のコラボな絵に誘われたから。花をながめていると、当然のこと、虫と出会う機会も増える。私の視線に頓着せず撮影にご協力(?)いただいた虫はこちらから開きます
この展覧会では、1922年出版大杉栄訳の『昆虫記』第1巻が紹介されている。訳者の序で、大杉が、入獄中にファーブルの英訳を読み耽り、糞虫の徹底的糞虫さ加減を感嘆しているのが愉快。
ところで、最近、花や虫にうつつを抜かしているようだが(それはそれで楽しい)、人と動物の関係を考えるにあたって、ハチやカイコなど家畜化された昆虫というのは、興味深い存在である。たとえばカイコの場合、養蚕で糸をとるために繭を煮ることは殺蛹であり、仏教の殺生観から問題視されることがあった。特に近世の養蚕の導入期には、真宗信仰の強い地域で影響が強かった。これは日本だけでなく、東南アジアの仏教国でも同様の傾向がみられる。
結局、私たちは、どこかで折り合いをつけていくことになるのだが、こうした葛藤は、いわゆる四足獣問題だけではないということを、小さき命へのまなざしから知ることができる。
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5月30日~7月12日 日本の“美術”の愛し方 徳川美術館
久しぶりに、徳川美術館へと出かけたのは、今回の企画展の「コレクションを味わう、四つの扉」の中に「動物へのまなざし」があったため。
徳川美術館の中で、動物はどのように扱われるのか興味が湧くが、狂言面や根付などに混じって展示されていた異色のコレクションは、萩山焼膃肭臍置物。これは、1833(天保4)年、熱田沖新田にまぎれ込んだところを捕らえられ、話題を振りまいた膃肭臍(オットセイ)を置物にしたもの。見た目からは、オットセイではなくゴマフアザラシであると指摘されている。この「膃肭臍」は、清寿院の芝居小屋で見せ物となったが、まもなく死亡。しかし、その姿が評判を呼び、膃肭臍をデザインした手拭や落雁の菓子など関連グッズまで売り出された。という情報は、この時代のニュースに威力を発揮する小田切春江(歌月庵喜笑)の『名陽見聞図会』などに絵入りで紹介されている。
■5月
鈴木壽壽子『星のふるさと』
ご縁に恵まれ1975年に発行された『星のふるさと』を知る。
1970年代初めの四日市。
コンビナートの夜のきらめき それが星でないのが悲しい
著者は、見上げた空を想い、その空の下で暮らす人々を想った。
そして、この町にも青空と星空が戻ってくると信じて待てる明日のあることを祈り、星が好きな観望者から、「流れ去って帰らぬ一瞬一瞬の自然の姿をできるだけ確かに」記録する観測者となった。『星のふるさと』は、星への愛情とともに語られたあの時代の夜空の記録である。
40年近く経った今、この町の空を見上げながら、この町の人々に『星のふるさと』が大切に読み継がれますようにと願う。
(『星のふるさと』関連情報は、後日紹介する予定です)
『星のふるさと』の詳細は、霞ヶ浦天体観測隊
http://kasuten.blog81.fc2.com/blog-category-15.html
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四日市公害の歴史 語り部講座(4月~6月)
4月から始まった講座も4回目。講座を聞き、当時の新聞報道を読み返しながら、マスコミは公害の「被害者」をどのように扱ったのかを考えた。
口之島牛(東山動植物園 こども動物園)
5月3日、東山動植物園に行く。今回の目的は、こども動物園の口之島牛。名古屋大学から借り受けたという9歳の雌は、名大が1990年から口之島牛の飼育をおこなっている設楽フィールドで生まれた。口之島牛は、放牧されていた牛が野生化した珍しい例で、1928年、国の天然記念物に指定された山口県の見島牛とともに、在来牛の性質を受け継ぐものとして注目されている。現在、日本で飼育されている牛のほとんどは、明治以降、ヨーロッパから輸入された牛との交雑で品種改良されたもの。この東山動物園の口之島牛の公開には、家畜の遺伝的多様性保護の研究を紹介するという意味もあるとのこと。
ところで日本動物園水族館協会が掲げる4つの目的(①レクリエーション②教育・環境教育③種の保存④調査研究)のひとつに、種の保存があり、絶滅しそうな野生動物を「生息地の外でも生きて行ける場を与える、現代の箱舟の役割も果たしている」と、一見わかりやすそうに説明されている。実際、動物園での繁殖に成功しなければ展示動物の調達もままならないのであるから、関係者は無関心ではいられない。
が、動物園/口之島牛/在来種の保護/多様性/家畜/野生/交雑/純粋/種の保存/箱舟ときて、口之島牛は、いったいどういう文脈の話なのだろうかと思う。
来年名古屋ではCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催される。口之島牛は、どのように語られ、あるいは語られないのか、しばし注目したい。
■4月
4月8日より6月24日まで、6回講座
四日市公害の歴史 語り部講座、始まる
四日市公害の被害発生当時から今までを知る澤井余志郎(公害を記録する会)の連続講座。地域、企業、行政、労働組合、政治団体、市民がどのように行動したのか、時代を隔てた今だから検証できることもあるのだと思った第1回であった。
「障害」「障がい」表記問題の波紋
三重県は、2007年に「障害」「障害者」を「障がい」「障がい者」に改めると発表。その波紋から、3月23日「県民啓発講座」~障がい表記と障がい者の人権~ というシンポジウムが開催されるということで注目していた。
この問題は、たとえば同様の決定をした岐阜県と岐阜市に対して、東海聴覚障害者連盟相談役後藤勝美が、「私は、障がい者にあらず、障害者である」(朝日新聞 私の視点 2009. 1. 23)と主張するなど、関係者の間でも批判が強いのである。が、結局、シンポでは多様な意見があることは示したものの、県は「障がい」路線を見直すことはない模様。
今回の県の決定が問題となるのは「障害」と「障がい」のどちらが良いかだけではなく、「障がい」が正しいかのように結論付けるメッセージを、一定の強制力をもって発することにある。
「障害者」という表現の妥当性については、40年にもなろうとする議論の歴史があり、そこで尽くされてきた指摘は「障害」の「害」だけをひらがなにすれば解決するようなことではないのである。
しかし、いずれにしても「障害」か「障がい」かではなく、ぼちぼち問題の本質に迫るような具体的な提起で、こうした議論を越えていきたいものである。
■3月
2月28日~4月23日 パラミタミュージアム
大石芳野 写真展 子ども 戦世(いくさよ)のなかで
パラミタミュージアムでは、昨年から片岡球子、江里佐代子、21世紀を担う女性陶芸家たちと女性の表現者の作品展が続いている。そして今回は、大石芳野。
この写真展に登場するのは、1980年のカンボジアからベトナム、ラオス、アフガニスタン、チェルノブイリ、スーダンの子どもたち。それぞれの時代を思い出しながら、写真の中の子どもたちと対面する。
チェルノブイリは、今年で23年。4月29日には、チェルノブイリ23周年救援企画in名古屋(国際センター)が開催される。
■2月
1月31日~3月22日 四日市市立博物館
昭和はくぶつかん -うつりゆく暮らしとまちー
「昭和」を知らない子どもがもう二十歳なんて考えたくないが(といっても仕方ないけど)、小学生の社会科の学習支援として毎年開催。「昭和」を知っているボランティアさんが、解説に活躍している。何しろ長かった「昭和」のことなので内容は盛りだくさん。
■1月
1月24日(土)TOKUZŌ10周年企画第11弾
犬塚康博 ・JB 〔渕上純子 ? bikke〕・関島岳郎 ・すぎの暢
名古屋今池にある得三の10周年企画のライブ。
得三は、音楽は勿論のこと、1960年代中国映画『農奴』+呉智英トーク「プロパガンダと芸術」(昨年12月)といった企画もありのユニークな飲み屋さん。
犬塚康博の「幸せそうな人たち」は、加川良も歌っていることで知られているが、私は、とりわけ2番の歌詞が好き。2番があるから、1番と3番が、もっと好きになる。この他、犬塚の曲には、特定の時代と出来事を想起させる詩がたくさんあるが、それらが単なるノスタルジーではないのは、「今」とどうつながっているかだと思う。