(表忠碑) 1918年 川島村
「日露従軍者」「大正七年一月建之 川島村」
碑は傷みが激しく、読み取りが難しいのですが、『ふるさと散策“川島町のむかし”』(川島町連合自治会 1975年)に掲載された「佐々木神社跡にある表忠碑」の写真では、「表忠碑」「第三師団」「大庭二郎」の文字が見えます。沙々貴神社旧跡は、歴明寺横にあります。
故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級加藤金兵衛之碑 1906(明治39)年7月
1905(明治38)年7月に戦死したことが記されています。
報恩碑 1948年10月 水谷潔書 「戦没者芳名」として1940年10月から1945年3月までに戦死した17名の名前が刻まれています。
平和之礎 1962年10月
故陸軍一等卒北川栄吉君碑 1905(明治38)年1月
表忠碑 1953年12月
陸軍大将侯爵山縣有朋書
平和之礎 1955年 『終戦50周年 三重県遺族会記念史』(三重県遺族会 1995年)によると、北野町遺族、北野町有志一同により、1955年9月に建立されたようです。
旌忠碑1906(明治39)年4月10日
「林梵了撰並書」「明治37年日露開戦以来我郷茂福従軍者32人」裏面には発起人の名前が記され、「世話方 大字 茂福」とあります。
大東亜戦争殉国士慰霊塔(南富田 薬師寺)1979年8月15日富田地区自治会・遺族会四日市市長 加藤寛嗣 書
忠魂碑帝国在郷軍人会富田町分会『ふるさと富田』(富田地区文化財保存会 2010年)によると、1915(大正4)年11月10日に建立されたということです。
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