いのりむし文庫

いのりむし斧舎 ⒸNakajima Hisae

平和之礎 (御薗神社)

2012-06-15 | 四日市市内の戦争慰霊碑(データ)


平和之礎 1992年2月
氏子一同

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卯野精忠君紀念碑  (御薗神社)

2012-06-14 | 四日市市内の戦争慰霊碑(データ)

卯野精忠君紀念碑 
建立年不明
日清戦争従軍者の記念碑

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碑には、日清戦争に従軍し帰国後亡くなった旨が記されています。
石碑の状態からみて、改修または改築されていると思われますが、建立年、建立者、改修等の経緯は不明です。

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忠魂碑 (御薗神社)

2012-06-13 | 四日市市内の戦争慰霊碑(データ)

忠魂碑 
建立は1910(明治43)年5月らしい

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忠魂碑 (川島町 西福寺)

2012-06-13 | 四日市市内の戦争慰霊碑(データ)

忠魂碑 1906(明治39)年3月10日
従軍人建之

この碑が建立された場所は、「明治二十七年三十七年戦」の「記念康休園」(明治三十九年三月)であったことを示す門柱が残されています。


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真実之利 (川島町 西福寺)

2012-06-12 | 四日市市内の戦争慰霊碑(データ)

真実之利 1964年 仲秋
有志


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「太平洋戦争における戦死者のため 真実之利」

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「九十八人塚」

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「三郎塚 
すきな生ふ 小さき塚かも 鋤きのこす  七草」

西福寺には伊勢三郎(義盛)のものとされる墓と三郎塚があり、
「義盛忌」句会での田中七草の句が刻まれました。

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おもいでのしるべ(采女八幡社)

2012-06-11 | 四日市市内の戦争慰霊碑(データ)

おもいでのしるべ 1959年 
采女町 公没者遺族会


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「おもいでのしるべ」  *58名の名前が記されている。

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「昭和三十四年五月 采女町 公没者遺族会」

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慰霊のかたち

2012-06-10 | 四日市市内の戦争慰霊碑について(解説)

 人は必ず死ぬものだが、社会がその死に特別な意味を見出そうとする時、残された人びとは慰霊の心をかたちにしようとする。

 戦争慰霊碑に言及する人は少なくないものの、多くの場合、特定の政治的主張を背景に語られるため、主張の過剰さに反して戦争慰霊碑の基礎的なデータさえ充分でないと感じるようになった。たとえば、碑のどこにも「英霊」とは刻まれていないのに、当然のごとく「英霊碑」と称されるといった具合に。「英霊」や「忠」を使うのも、そして使わないのも、そこには理由があるはずであるのに。

 四日市市内の戦争慰霊碑を調べるようになり、予想以上に多様な慰霊碑が残されていることを知った。その一方で、長く後の世に伝えようとして石に刻まれたさまざまなことがらが、百年さえ耐えることができないことも珍しくはなかった。碑を存在せしめていた価値観とともに破壊され、あるいは朽ち、あるいは訪れる人もなくなって。
 
 
戦争の時代、戦争慰霊碑が戦死を賛美し戦意高揚に利用するものであったことは言うまでもないが、その戦争に負けた時、戦死を賛美してきた人びとは、どのように振る舞ったのか。

 日本にとっての戦争は、思い出すには遠くなりつつあるかもしれないが、忘れ去るには、まだ「過去」になっていない。戦争の記憶がまだ生々しかった時代、人びとは、慰霊碑にどのような思いを重ねたのだろうか。現存する慰霊碑から、慰霊のかたちもまた、時代と共にその姿を変えていくことが見えてくる。

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