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四日市の中心部に流れる海蔵川の南側堤防の下に、「靖博地蔵尊」と彫られた地蔵がある。
建立年は不明だが、近所の方のお話では、昭和20年代にはあったという。
戦争中の1944(昭和19)年1月21日、この付近で、戦闘訓練中の九七式戦闘機2機が衝突して墜落、2名が亡くなっている。この事故で亡くなった操縦士の1人が、林靖博陸軍大尉で、召集されて間もない明野陸軍飛行学校の北伊勢分教所(鈴鹿郡川崎村)の訓練生であった。
『ふるさと橋北』(橋北地区郷土史編集委員会 2013) によると、亡くなった林大尉は名古屋出身の27歳で、不憫に思った当時の有力者が発起し、婦人会などの協力を得て地蔵尊が建立されたという。
その後しばらくは、毎年8月13日に、地元住民と遺族による供養の行事が続けられた。
遺族が出席できず行事はなくなった現在(2015年)も、清掃や前掛けの洗濯などは欠かさず、地元の人びとによって大切にされていることが判る。
『明野陸軍飛行学校の歴史と飛行 第200戦隊戦史』(1979)では、この事故は次のように記録されている。
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1月21日 18年度召集佐尉官(北伊勢教育中)独立飛行第52中隊附陸軍大尉林靖博、九七式戦闘機操縦、同熊谷陸軍飛行学校附陸軍大尉片桐敏雄、九七式戦闘機を操縦は小隊空中戦闘訓練中、衝突し両機共、四日市海蔵橋付近に墜落両名共殉職す。
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(中島久恵 記)
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(2015年3月撮影 中島)