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いのりむし文庫

いのりむし斧舎 ⒸNakajima Hisae

2011年 前半

2014-11-23 | 2011年
●3月6日 貨物鉄道博物館を遊ぼう

 貨物鉄道博物館(いなべ市)の月に一度の開館日。3月は「貨物鉄道博物館を遊ぼう」のイベント。
 13:17、 三岐線富田駅出発。四日市案内人協会による周辺解説を聞きながら、30分ほどで丹生川駅着。
貨車クイズラリー 、お子様用ミニ列車運行、貨車と積荷のイラスト展示 、DVD「貨物鉄道輸送と四日市」上映など。低価格設定(200円)で100枚用意されたDVDは早々に完売。子どもたちも多く、貨車の上で記念撮影。









【2011年2月】

●海軍燃料廠の払い下げ

   2月28日「四日市再生」公害市民塾例会
   四日市公害を考える勉強会②「海軍燃料廠について」

 四日市における石油コンビナートのはじまりは、旧海軍燃料廠の広大な跡地を利用して操業された「昭和四日市石油」である。

 四日市公害を考える勉強会の第2回は、海軍燃料廠の建設、空襲、敗戦、跡地利用の経緯。

 1938年、燃料供給の不足を補うための新たな燃料廠の建設地が塩浜に決定されたのは、その海が水深12メートルであったからだという。同年11月の用地買収開始から3ヵ月で買収を完了。当時の住民にとって、「協力」以外の選択はなかったであろう。1年以内の全戸移転となった。
 
 戦後、残されていた使用可能な石油精製施設、広大な敷地、整備された港湾という好条件に、跡地利用をめぐって多くの企業が払い下げを希望。しかし政府の方針決定が遅れたこともあり、交渉は難航。3ヵ所の燃料廠の内、徳山の26万坪、岩国の20万坪と比べて、四日市の65万坪は格段の広さであった。
 
 (*日本の石油化学工業の発展に大きな影響を及ぼした四日市の燃料廠の払い下げについては、平井岳哉「四日市旧海軍燃料廠の払い下げ過程について」がくわしい。)

 結局、1957年に至り、払い下げの許可を得たのは昭和石油であった。昭和石油と三菱グループの合弁で「昭和四日市石油」を設立、1959年5月、操業が開始された。

 さて、今も残る通称「海軍道路」は、沿岸部の海軍燃料廠と泊山の「山の工場」を結ぶ軍用道路であった。戦後開発が進んだ泊山周辺では、「山の工場」貯蔵庫跡など、昔の姿を知ることができる場所がわずかに残されている程度だが、山に向かう途中にある白髭神社周辺の変遷には関心を持ってきた。

 今回の講座で、白髭神社に残されている碑の揮毫が別府良三(海軍第二燃料廠長)であることを知る。戦後、公職追放解除後の別府は昭和石油の常務であったという。
 
 また現在、神社の周囲には県の施設や変電所、中電の社宅や三菱化学の寮があるが、戦後この辺りにCIEがあったとの話も出た。CIE(民間情報教育局)は、1946年、軍国主義教育の一掃と新教育の普及のため三重軍政部内に設置されたというが、そのCIEのことだろうか。しばらく泊山・白髭神社周辺に注目したいと思う。

●マンサク



2月27日 松阪市内

●2月27日 第16回 松浦武四郎まつり
 毎年2月最終日曜日に、松浦武四郎記念館の中庭で開催されている武四郎まつり。今年は静内民族文化保存会がアイヌ古式舞踊を披露。また、地元の中学生の吹奏楽演奏や小学生の群読と寸劇などの発表もあった。
 まつりに合わせて公開されている武四郎の生家まで10分足らず。民家に掲げられた屋号の看板を見ながら歩く。生家前で手づくりのあられを煎り、お茶を振舞ってくださった地元に人びとに、心からありがとうを言う。

   心せよ えみしも同じ 人にして この国民の 数ならぬかは

 これは、1864年に刊行された『西蝦夷日誌 四編』におさめられている武四郎の作。








●2月20日 貨物鉄道博物館ボランティア養成講座 

 貨物鉄道博物館ボランティア養成講座 最終回
   「貨物列車はなぜ姿を消したのか」 
     講師:三岐鉄道会長 日比義也氏
     2月20日(日) 四日市大学
     問い合わせ先 市民社会研究所

 2003年開館の貨物鉄道博物館(いなべ市)をさらに活用させるため、企画を委託された市民社会研究所のボランティア養成講座。最終回は貨物列車の歴史について。

 三岐鉄道の丹生川駅前にある貨物鉄道博物館は、一般からの寄付とボランティアによって運営されており、保存されている貨車も、必ずしも三岐鉄道で走っていたものではない。
 
 では、なぜ丹生川駅構内なのか。日比氏の説明によると、
   ①失われていく貨車の保存に熱心な市民がいた。
   ②丹生川駅は昔の貨物取り扱い駅で、貨物ホームや上屋が残されていた。
   ③三岐鉄道では今も貨物列車が走っている。特にセメント輸送では全国でもここだけとのこと。
 そうした諸条件がそろって、貨物輸送130周年の2003年に、この地に博物館が誕生した。

 しかし、ボランティアの運営では、開館日は月に一度の日曜日のみというのが現状。まずは、子どもの教育施設として、社会見学などでの活用をめざすという。沿線には、太平洋セメントの藤原工場、そして藤原岳。

 帰路、立ち寄った三岐鉄道の暁学園前駅を疾走する貨車。
 そして、切符は昔ながらの紙製。駅員さんが鋏を入れてくれる。






●「なつかしい暮らし」展

 四日市市立博物館 「なつかしい暮らし」   
 1月29日(土)~3月16日(水)

 小学生の学習支援として、このところ毎年開催されている企画展。これまで昭和30年代の生活を中心に館収蔵品などで紹介している。

 昭和30年代といえば「なつかしい」が定番の形容になっているかのようだが、今年のタイトルは、そのものずばり「なつかしい暮らし」。

 しかし、今どきの小学生にとって、昭和30年代が「なつかしい」はずもなく、親や祖父母世代への秋波か? はたまた担当者がそういう年代なのか? などと思いつつ会場へ。
 
 今年は、親だけでなく祖父母へのサービスも行き届き、昭和30年代だけではなく、昭和10年代も対象の展示構成。当然、戦中の暮らしに関するコーナーもある。単に「なつかしい」だけではない歴史の一面への「配慮」かもしれないが、だったら「なつかしい」などとくくらなければいいじゃないかと思う。

 「なつかしい」の連呼に、今では死語のはず(?)の「博物館行き」ということばを思い出した。親しまれる企画を模索する博物館が発する「なつかしい」とは、「博物館行き」のキャッチコピーな言い換えかしらと、ひとりごつ。

●2月5日 黒人映画講座・TOKUZO(名古屋)

「BLACK MOVIES joint」chapter-1
■案内人:小川真一(音楽評論家)森田裕(TOKUZO)
■スペシャルゲスト:柳下毅一郎(映画評論家)

 名古屋黒人映画愛好会の立ち上げとなる第一回の講座。
 概論の前半となる今回は、1910年代から70年代まで。
 黒人映画大好きな森田氏の企画構成力と準備された資料、柳下氏のオスカー・ミショーの興行師的人物解説などで楽しめる入門編でした。

【2011年1月】

●姫路の皮革産業

 第25回人権啓発研究集会のワークショップ「姫路・皮革産業の歴史をたどる」( 1月28日)で、姫路市高木地区・御着地区を行く。

 日本の皮革産業の歴史は、被差別の歴史と重なる部分が非常に大きい。しかしそれでも、どこから眺めるかによって見えるものも違ってくるのは当然のこと。

 作業時の臭い、重労働、賤視、伝統の技術、地場産業、大量生産への転換、後継者不足、付加価値のある製品開発、ブランド力、ファッション、外国人労働者(特にベトナム人)の増加‥

 「産業」というくくりでは語りきれない、只今の皮革産業である。

●コードバン
 馬革専門の新喜皮革で、コードバンの製造を見学する。

 コードバンは、馬の尻の特に繊維密度が高い部分を特別な技法で仕上げた革で、世界でも製造しているのは2社のみといわれる。

 一般に革は、皮の外側を利用するように加工されるが、コードバンの場合は、なめした皮の内側を磨き上げて仕上げる。皮の良質な部分を時間をかけてなめし、加工することで、独特の光沢のある革となり、靴、カバン、ベルト、財布などデザイン性・ファッション性の高い製品に使われている。

 新喜皮革では、原料の馬皮のほとんどが輸入。コードバンを安定的に生産するため、馬肉を食する習慣のあるヨーロッパから馬皮を入手しているという。
 皮革産業は、食用家畜の副産物で成り立っているのだということが強調されていた。





●西御着総合センター皮革資料室
 総合センターのリーフレットによるとセンターの設立は1979年だが、皮革資料室が開設されたのは2005年。隣保館モデル事業として国庫補助を受けている。

 特別対策としての同和対策事業が終了(2002年)し、当該地区での皮革産業も盛況を過ぎた頃に、隣保館モデルとして開設された。だからという訳でもないだろうが、ここに展示されているのは「過去」である。



●猫も大好きなストーブ
 寒い日が続く。
 犬山では、ヤクニホンザルは焚火、ワオキツネザルはストーブに寄ってくるが、巷の猫もストーブは大好きなのである。



●蜜柑とお茶
 昨年から今年にかけて訪れた地域で、こもごもに地場産業の低迷、後継者不足の声を聞いた。
 石油コンビナートで全国的に有名なこの町にも、南には蜜柑農家があり、山麓には茶畑が広がっている。
 けれどもここでも栽培農家のほとんどが高齢化している。しかも、最近お茶(緑茶)を飲む人が少なくなり、お茶が売れないのだそうだ。
 そういえば、出先でペットボトルのお茶を勧められた時に、冗談半分に「お茶にはこだわっているので」とお断りしたら驚かれ、「どこのメーカーがいいんですか?」と聞かれた。いやいや、そうではなくて、と説明しなければならないのは悲しい。
 緑茶は美味しい。寒い季節はぬるめのお湯、暑い季節は水で丁寧に淹れた緑茶は美味しい。

●2011年元旦 名古屋オケラ公園(西柳公園)

 

 今年もオケラ公園に小屋が建った。(2010年12月28日~2011年1月4日)

 名古屋で、野宿する日雇労働者への炊き出し活動が始まったのは、1976年1月。当初は、おにぎりと味噌汁を配って回っていた。開始から今日まで、炊き出しを担ってきたのはキリスト者たちと市民たち。

 仕事がなくなり寒さも厳しい年末年始、オケラ公園に小屋を建てるようになったのは1980年1月。緊急避難所として有志によって建設・運営された。やがて日雇労働者組合が結成され、拠点となる笹島労働者会館も設立された。

 この30年、周辺は大きく変わったが、この公園の年末年始の風景は、そのままだった。

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