番外編 5 高尾団地解体 姫路モノレール延伸計画と船場ビル群(前編)(2017.3.10)の続きです
昭和41年頃の路線拡充計画図
船場
計画によれば、大将軍駅を出たモノレールは船場川に沿って北上します。写真左は、大将軍駅付近から見た
船場東ビルです。現在は産業道路と船場川は接していますが当時は道路と川の間に町並みがありました。
写真右で船場東ビルの東側を北上します。
写真左は船場東ビルの3階駐車場です。写真右は開口部から東を見たところです。目の前が「モノレール船場駅」
となります。地下鉄の出口も付近のビルの地下と連絡している場合がよくあります。モノレール駅と船場東ビルを
歩行者デッキでつなぐことは十分可能なことです。階段とエレベーターも東寄りに設計されています。そのまま住宅
や店舗に行くことも可能な駅直結ビルです。おそらく店舗も住宅も分譲だと思いますので管理組合での調整と合意が
必要です。船場東ビルは部分的ではありますが、やっぱりモノレールの駅の予定だったのです!?。
高尾団地は住宅と施設部分は完全に分離され、エレベーターや階段が共用されることは公団住宅ではごく一部の
些細な部分の例外を除いてあり得ないことでありますが、船場東ビル(おそらく他も)では共用されています。おそ
らく店舗・住宅・駐車場のセットの所有者が多く実用的な設計となっているのだと思われます。
姫路城西
「モノレール船場駅」を出ると次は「姫路城西」です。一之橋(前方)の南の写真左のあたりが駅になります。
駅からは写真右のように姫路城が見えます。(モノレールに乗っていれば船場を過ぎればずっと見えていますが。)
道路と船場川の間は細長い公園となっていますが昔は建物が並んでいました。
ここで写真左の書写山方面と写真右の競馬場・白国方面に分かれます。書写山方面は四車線の立派な道路が有り
ますが、当時の道路状況を考えれば後ろに見える景福寺山と名古山の山麓をモノレールの橋脚で跨いでいくルート
も考えられます。競馬場・白国方面は船場川に沿って北上します。川いっぱいまで建物がありますがお城側は通れ
ませんので建物側を走ることになります。
姫路市のホームページから取れる「船場・城西」のチラシに船場ビル群(赤)とモノレール(青)を書き込みました。
ビルの形は多少不正確です。「モノレール船場駅」に連絡デッキも書き込みました。
感動体験姫路まちなかあるき・歴史に出会えるまち・なつかしさや感動がいっぱい・待ちを楽しむ・待ちを味わう
・まちで学ぶ 船場・城西 だそうです。飾磨県庁跡の記載がありますので明治の初めまでが対象でしょうか。いや
好古園は最近のものですね。船場ビル群は、語るべき意義と価値がある建物です。船場ビル群が活性化すれば観光名所
にもなり得ます。チラシに配置図を入れるだけなら今すぐ始められます。応援・活用しましょう。
モノレールの撤去する橋脚があれば白鷺橋のあたりに一本ぐらいもって来ましょう。決して「歴史の捏造」ではなく
夢多き時代の記念碑として。
姫路競馬場前
北行きモノレールの終点の姫路競馬場です。人口も多く競馬開催日は利用客が見込めます。姫路競馬は現在休止中
でトラックの中を利用した船場川の遊水池工事が進んでいます。
白国
競馬場から延伸した白国です。写真は陸上自衛隊姫路駐屯地の北東角付近です。
広峯神社は京都の八坂神社の元宮といわれる(八坂神社側は否定)由緒ある神社で最近では軍師黒田官兵衛の
祖父が家伝の目薬を広峯神社の御師に御札とともに販売してもらって財をなしく黒田家の基礎を作ったことでも
知られています。お正月は初詣の参拝登山で賑わいます。
白国神社は創建一千七百年播磨国四の宮の由緒ある神社です。今は昔、小泉首相の頃と思いますが日本人の青年が
イラク戦争直後のイラクでイスラム過激派に誘拐・殺害されて、イスラム過激派が犯行声明にうっかりキリスト教暦
を使用したため「イスラム過激派がキリスト教暦を使用するはずがない、便乗した悪質ないたずら」と信用されず、
イスラム暦で犯行声明を出し直して世界中から笑いものになった事件がありましたが、キリスト教暦を使用する訳の
わからない神社やお寺まである昨今、元号と皇紀を使用する正当な神社です。
私としてもコンピュータ暦としてやむおえない場合のあって苦しいところもありますが。
なお、昭和37年のと昭和41年の計画図では多少曲がり方が違いますが同じコースだと思います。
名古山
名古山の北、辻井東あたりです。当時はこんなに広い道路はありませんでしたので、用地費節約のためモノレールの
特性を活かし名古山の山麓を走る計画だったかも知れません。
石見元秀市長の手柄山と並ぶ「二大事業」の名古山です。元々は陸軍墓地が有ったところです。戦災復興に伴う市街地
の区画整理による墓地の移転先の確保と新規造成が大きな目的でありましたが、敗戦により墓を守る陸軍が解体され荒廃
する墓地を公園化して後世に伝えることは手柄山に全国戦災都市空爆死没者慰霊塔を建てるのと同じように大切なことだ
ったのです。
戊辰の役以来、第二次世界大戦に至るまで戦没された英霊および自衛隊公務殉職者の御霊十一万一千五百余柱が鎮まる
聖地であります。若くして戦死された将兵は子供が無いために無縁仏となることが多くあります。英霊を国家の責任にお
いて決して無縁仏にはしない。靖国神社や護国神社で御霊をお祀りしなければならない理由の一つでもあります。しかし
お墓も守らなければなりません。どうぞご参拝ください。
このブログは無縁仏地獄を吹聴する「宗教」のブログではありません。しかし国民のいない国家はあり得ません。未婚化
による人口の減少には危機感を持っています。若者の皆さんどうか結婚してください。「新居はもちろんUR賃貸!」
なおUR賃貸は大型住宅を含むほぼ全ての住宅にお一人でもお住まいいただくことが出来ます。詳しくはUR都市機構
のホームページをご覧下さい。
このブログは単なる団地好きのブログでUR都市機構とは一切関係ありません。
横関
山頂の圓教寺は西の比叡山とも言われ当時の姫路観光では姫路城と並ぶ二枚看板です。モノレールは書写山ロー
プウェイの山麓駅にに接続します。
書写
書写山の山麓を少し西進したあと南下します。東洋大学付属姫路高校(現在は中学・高校)写真左と姫路工業
大学(現在は兵庫県立大学)写真右が有りますので中間点付近が終点でしょうか。
思案橋
実は思案橋は二つあります。
赤い欄干の思案橋は室津街道(たぶん)に架かる旧街道の橋になります。橋の向こう側(東側)の天神・宮の
あたりは飾磨の「歴史地区・美観地区」になります。橋のたもとに思案橋公園の隣には菅原道真の銅像と「東風
吹かば にはひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌碑があります。さすがは菅原道真公はすごい
オーラです。(逆光で見えにくくてすみません)説明板によればここで「陸路を行くか海路を行くか」思案をした
と書いてあり案外小さなことだったのですね。(諸説有り)
国道250号線(浜国道)の思案橋です。写真左の奥です。船場川も随分広くなっています。川の上にでも
十分駅が作れるぐらい広いです。今は国道も四車線と広いのでモノレールが走ることが出来ます。
思案橋から網干方面
国道250号線を西に汐見橋で夢前川に沿って北上、山陽電鉄を越えて、JRと山陽電鉄の中間あたりを大津町
から余部まで西進します。
思案橋から大塩
国道250号線を東進します。
妻鹿あたりでは飾磨バイパスになります。国道250号線とは離れますがそのまま東進します。
八家川に突き当たります。国道250号線は少し北で山越え、山陽電鉄はトンネルとなりますが、モノレールは
前方の谷間を通って的形町に入ります。
終点の大塩です。計画図では大塩駅の東で山陽電鉄に接続することになっていますが駅がありませんので大塩駅
で終点だと思います。電車が並んでいます。強敵です。500メートルほど離れて平行して走って勝負になったので
しょうか。そもそも必要性が問われるような気がします。
豊岡・舞鶴
姫路市内路線とは別に太平洋と日本海の架け橋となるべく、豊岡・舞鶴への構想もあったそうです。鳥取の話も聞い
たような気がします。鳥取行きは智頭急行で実現しました。
お金の問題を別として、最大の問題は雪対策です。多摩モノレールは雪の日は軌道に雪が積もらないように終電の後
も30分間隔でで回送電車を走らせているそうです。コンクリートの軌道上をゴムタイヤで走る多摩モノレールに対し、
鉄のレールの上を走る姫路モノレールは多少雪に強いかも知れません。問題は軌道側面の着雪です。吹雪で樹氷状態と
なれば即漏電です。発電機を積んだ電源車を連結して吹雪の中を雪を飛ばしながら走るモノレール。鉄道ファンには
たまらない絵にはなったのでしょうが実現は難しかったでしょう。
姫路モノレール復活計画
奇しくも姫路モノレールが休止が答申されたされた昭和47年(休止は昭和49年)「都市モノレールの整備の促進
に関する法律」が成立。モノレールが公道の上を堂々と走れることになりました。これを踏まえて計画しました。
ルートは姫路駅から書写山・兵庫県立大学です。おそらく大将軍駅のカーブと姫路城西の一之橋のカーブと車両基地
と駅の部分での若干の用地の買いたしを除けば新たな用地買収は不要です。まるで将来のモノレール用に空けているよう
にも見えます。
姫路駅から残った橋脚を利用して船場川まで西進、船場川沿いに北進します。最初の駅「大将軍駅」は船場川沿いに南北
に建つことになります。ここからは複線となります。次は「船場」船場東ビルの東側になります。「姫路城西」から西進
「嵐山町」「名古山北口」「辻井」「田寺」「御立」夢前川を渡り「書写」となりますがロープウェイには接続せず西進
ここからは単線となり「東洋大付属」「県立大学」が終点となります。「書写」と「ロープウェイの山麓駅」は自動運転の
バスか車両基地がロープウェイの山麓駅辺りにしか適地がないのでこれを利用した支線を運行することも出来ます。
経営的には極めて難しいと思いますがせっかくのモノレール展示室、こんなパネルの一枚もあったら楽しいと思います。
しかし一枚だと信じる人がいるかも知れませんので、コーナーを作って何枚も貼ったらどうでしょうか。
番外編 13 高尾団地・姫路モノレール大将軍駅 解体工事完了 まとめ(2018.1.26) があります。
掲載予定もこちらをご覧ください。
昭和41年頃の路線拡充計画図
船場
計画によれば、大将軍駅を出たモノレールは船場川に沿って北上します。写真左は、大将軍駅付近から見た
船場東ビルです。現在は産業道路と船場川は接していますが当時は道路と川の間に町並みがありました。
写真右で船場東ビルの東側を北上します。
写真左は船場東ビルの3階駐車場です。写真右は開口部から東を見たところです。目の前が「モノレール船場駅」
となります。地下鉄の出口も付近のビルの地下と連絡している場合がよくあります。モノレール駅と船場東ビルを
歩行者デッキでつなぐことは十分可能なことです。階段とエレベーターも東寄りに設計されています。そのまま住宅
や店舗に行くことも可能な駅直結ビルです。おそらく店舗も住宅も分譲だと思いますので管理組合での調整と合意が
必要です。船場東ビルは部分的ではありますが、やっぱりモノレールの駅の予定だったのです!?。
高尾団地は住宅と施設部分は完全に分離され、エレベーターや階段が共用されることは公団住宅ではごく一部の
些細な部分の例外を除いてあり得ないことでありますが、船場東ビル(おそらく他も)では共用されています。おそ
らく店舗・住宅・駐車場のセットの所有者が多く実用的な設計となっているのだと思われます。
姫路城西
「モノレール船場駅」を出ると次は「姫路城西」です。一之橋(前方)の南の写真左のあたりが駅になります。
駅からは写真右のように姫路城が見えます。(モノレールに乗っていれば船場を過ぎればずっと見えていますが。)
道路と船場川の間は細長い公園となっていますが昔は建物が並んでいました。
ここで写真左の書写山方面と写真右の競馬場・白国方面に分かれます。書写山方面は四車線の立派な道路が有り
ますが、当時の道路状況を考えれば後ろに見える景福寺山と名古山の山麓をモノレールの橋脚で跨いでいくルート
も考えられます。競馬場・白国方面は船場川に沿って北上します。川いっぱいまで建物がありますがお城側は通れ
ませんので建物側を走ることになります。
姫路市のホームページから取れる「船場・城西」のチラシに船場ビル群(赤)とモノレール(青)を書き込みました。
ビルの形は多少不正確です。「モノレール船場駅」に連絡デッキも書き込みました。
感動体験姫路まちなかあるき・歴史に出会えるまち・なつかしさや感動がいっぱい・待ちを楽しむ・待ちを味わう
・まちで学ぶ 船場・城西 だそうです。飾磨県庁跡の記載がありますので明治の初めまでが対象でしょうか。いや
好古園は最近のものですね。船場ビル群は、語るべき意義と価値がある建物です。船場ビル群が活性化すれば観光名所
にもなり得ます。チラシに配置図を入れるだけなら今すぐ始められます。応援・活用しましょう。
モノレールの撤去する橋脚があれば白鷺橋のあたりに一本ぐらいもって来ましょう。決して「歴史の捏造」ではなく
夢多き時代の記念碑として。
姫路競馬場前
北行きモノレールの終点の姫路競馬場です。人口も多く競馬開催日は利用客が見込めます。姫路競馬は現在休止中
でトラックの中を利用した船場川の遊水池工事が進んでいます。
白国
競馬場から延伸した白国です。写真は陸上自衛隊姫路駐屯地の北東角付近です。
広峯神社は京都の八坂神社の元宮といわれる(八坂神社側は否定)由緒ある神社で最近では軍師黒田官兵衛の
祖父が家伝の目薬を広峯神社の御師に御札とともに販売してもらって財をなしく黒田家の基礎を作ったことでも
知られています。お正月は初詣の参拝登山で賑わいます。
白国神社は創建一千七百年播磨国四の宮の由緒ある神社です。今は昔、小泉首相の頃と思いますが日本人の青年が
イラク戦争直後のイラクでイスラム過激派に誘拐・殺害されて、イスラム過激派が犯行声明にうっかりキリスト教暦
を使用したため「イスラム過激派がキリスト教暦を使用するはずがない、便乗した悪質ないたずら」と信用されず、
イスラム暦で犯行声明を出し直して世界中から笑いものになった事件がありましたが、キリスト教暦を使用する訳の
わからない神社やお寺まである昨今、元号と皇紀を使用する正当な神社です。
私としてもコンピュータ暦としてやむおえない場合のあって苦しいところもありますが。
なお、昭和37年のと昭和41年の計画図では多少曲がり方が違いますが同じコースだと思います。
名古山
名古山の北、辻井東あたりです。当時はこんなに広い道路はありませんでしたので、用地費節約のためモノレールの
特性を活かし名古山の山麓を走る計画だったかも知れません。
石見元秀市長の手柄山と並ぶ「二大事業」の名古山です。元々は陸軍墓地が有ったところです。戦災復興に伴う市街地
の区画整理による墓地の移転先の確保と新規造成が大きな目的でありましたが、敗戦により墓を守る陸軍が解体され荒廃
する墓地を公園化して後世に伝えることは手柄山に全国戦災都市空爆死没者慰霊塔を建てるのと同じように大切なことだ
ったのです。
戊辰の役以来、第二次世界大戦に至るまで戦没された英霊および自衛隊公務殉職者の御霊十一万一千五百余柱が鎮まる
聖地であります。若くして戦死された将兵は子供が無いために無縁仏となることが多くあります。英霊を国家の責任にお
いて決して無縁仏にはしない。靖国神社や護国神社で御霊をお祀りしなければならない理由の一つでもあります。しかし
お墓も守らなければなりません。どうぞご参拝ください。
このブログは無縁仏地獄を吹聴する「宗教」のブログではありません。しかし国民のいない国家はあり得ません。未婚化
による人口の減少には危機感を持っています。若者の皆さんどうか結婚してください。「新居はもちろんUR賃貸!」
なおUR賃貸は大型住宅を含むほぼ全ての住宅にお一人でもお住まいいただくことが出来ます。詳しくはUR都市機構
のホームページをご覧下さい。
このブログは単なる団地好きのブログでUR都市機構とは一切関係ありません。
横関
山頂の圓教寺は西の比叡山とも言われ当時の姫路観光では姫路城と並ぶ二枚看板です。モノレールは書写山ロー
プウェイの山麓駅にに接続します。
書写
書写山の山麓を少し西進したあと南下します。東洋大学付属姫路高校(現在は中学・高校)写真左と姫路工業
大学(現在は兵庫県立大学)写真右が有りますので中間点付近が終点でしょうか。
思案橋
実は思案橋は二つあります。
赤い欄干の思案橋は室津街道(たぶん)に架かる旧街道の橋になります。橋の向こう側(東側)の天神・宮の
あたりは飾磨の「歴史地区・美観地区」になります。橋のたもとに思案橋公園の隣には菅原道真の銅像と「東風
吹かば にはひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌碑があります。さすがは菅原道真公はすごい
オーラです。(逆光で見えにくくてすみません)説明板によればここで「陸路を行くか海路を行くか」思案をした
と書いてあり案外小さなことだったのですね。(諸説有り)
国道250号線(浜国道)の思案橋です。写真左の奥です。船場川も随分広くなっています。川の上にでも
十分駅が作れるぐらい広いです。今は国道も四車線と広いのでモノレールが走ることが出来ます。
思案橋から網干方面
国道250号線を西に汐見橋で夢前川に沿って北上、山陽電鉄を越えて、JRと山陽電鉄の中間あたりを大津町
から余部まで西進します。
思案橋から大塩
国道250号線を東進します。
妻鹿あたりでは飾磨バイパスになります。国道250号線とは離れますがそのまま東進します。
八家川に突き当たります。国道250号線は少し北で山越え、山陽電鉄はトンネルとなりますが、モノレールは
前方の谷間を通って的形町に入ります。
終点の大塩です。計画図では大塩駅の東で山陽電鉄に接続することになっていますが駅がありませんので大塩駅
で終点だと思います。電車が並んでいます。強敵です。500メートルほど離れて平行して走って勝負になったので
しょうか。そもそも必要性が問われるような気がします。
豊岡・舞鶴
姫路市内路線とは別に太平洋と日本海の架け橋となるべく、豊岡・舞鶴への構想もあったそうです。鳥取の話も聞い
たような気がします。鳥取行きは智頭急行で実現しました。
お金の問題を別として、最大の問題は雪対策です。多摩モノレールは雪の日は軌道に雪が積もらないように終電の後
も30分間隔でで回送電車を走らせているそうです。コンクリートの軌道上をゴムタイヤで走る多摩モノレールに対し、
鉄のレールの上を走る姫路モノレールは多少雪に強いかも知れません。問題は軌道側面の着雪です。吹雪で樹氷状態と
なれば即漏電です。発電機を積んだ電源車を連結して吹雪の中を雪を飛ばしながら走るモノレール。鉄道ファンには
たまらない絵にはなったのでしょうが実現は難しかったでしょう。
姫路モノレール復活計画
奇しくも姫路モノレールが休止が答申されたされた昭和47年(休止は昭和49年)「都市モノレールの整備の促進
に関する法律」が成立。モノレールが公道の上を堂々と走れることになりました。これを踏まえて計画しました。
ルートは姫路駅から書写山・兵庫県立大学です。おそらく大将軍駅のカーブと姫路城西の一之橋のカーブと車両基地
と駅の部分での若干の用地の買いたしを除けば新たな用地買収は不要です。まるで将来のモノレール用に空けているよう
にも見えます。
姫路駅から残った橋脚を利用して船場川まで西進、船場川沿いに北進します。最初の駅「大将軍駅」は船場川沿いに南北
に建つことになります。ここからは複線となります。次は「船場」船場東ビルの東側になります。「姫路城西」から西進
「嵐山町」「名古山北口」「辻井」「田寺」「御立」夢前川を渡り「書写」となりますがロープウェイには接続せず西進
ここからは単線となり「東洋大付属」「県立大学」が終点となります。「書写」と「ロープウェイの山麓駅」は自動運転の
バスか車両基地がロープウェイの山麓駅辺りにしか適地がないのでこれを利用した支線を運行することも出来ます。
経営的には極めて難しいと思いますがせっかくのモノレール展示室、こんなパネルの一枚もあったら楽しいと思います。
しかし一枚だと信じる人がいるかも知れませんので、コーナーを作って何枚も貼ったらどうでしょうか。
番外編 13 高尾団地・姫路モノレール大将軍駅 解体工事完了 まとめ(2018.1.26) があります。
掲載予定もこちらをご覧ください。