夏目漱石を読むという虚栄
2000 不純な「矛盾な人間」
2250 不自然な「自然」
2250 「記憶して下さい」
2251 複数の「その人の記憶」
「その人の記憶」には、いくつもの解釈が考えられる。
Ⅰ Sに関する語り手Pの記憶。
Ⅱ S自身の記憶。
Ⅲ P文書で語られるPが構想していた〈「先生」の物語〉に関する語り手Pの記憶。
Ⅳ 「遺書」で語られるSが構想していた「自叙伝」に関する「遺書」の語り手Sの記憶。
「その人の記憶」は、こうした複数の物語が混交したものだ。
Ⅰは「遺書」を読み終えたPにとって、Ⅱの一部になる。また、Ⅲを包含するか。ⅡはⅣを包含するが、Pは「自叙伝」を知らない。Sさえも「自叙伝」を完成させられなかった。〈Sの物語〉の創作を、SはPに丸投げした。Pは、それを完成させていない。完成させたのかもしれないが、Pによる〈Sの物語〉は『こころ』に含まれていない。作者は〈Sの物語〉の創作を読者に丸投げしているのだ。
<凡(すべ)てを叔父任せにして平気でいた私は、世間的に云えば本当の馬鹿(ばか)でした。世間的以上の見地から評すれば、或は純なる尊(たっと)い男とでも云えましょうか。私はその時の己れを顧みて、何故(なぜ)もっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜(くや)しくって堪(たま)りません。然しまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見(ママ)たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵(ちり)に汚(よご)れた後(あと)の私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかに貴方より先輩でしょう。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」九)>
「人が悪く」や「正直過ぎた」は意味不明。
「生れたままの」は〈幼児的〉という意味のようだが、幼児だって人見知りする。
何を「記憶して」やればいいのだろう。「あなたの知っている私」は、〈Pが「知っている私」だとSが思っているS〉とは、常識的には違う。また、〈読者の知っているS〉とも違う。同じなら、奇跡だ。読者は奇跡が起きているように誤読すべきか。不気味。「塵(ちり)」は意味不明。だから、「きたなくなった」も意味不明。
<彼らと交わりながら、ただひとり立ち
屍(し)衣(え)のように、人と異なる思想を身にまとった
今もなお、というべくは、あまりに心屈して汚れたのだが――。
(ジョージ=ゴードン・バイロン『私は世を愛さなかった』)>
「きたなくなった年数」は意味不明。「貴方」にウッとなる。前の文では「あなた」だったから。「たしかに」の被修飾語がない。「たしかに」と「でしょう」は呼応しない。
2000 不純な「矛盾な人間」
2200 不自然な「自然」
2250 「記憶して下さい」
2252 「こんな風に生きて来たのです」
SがPに「記憶」を強いるのは、Pに「遺書」の批評をさせないためだろう。
<記憶して下さい。私はこんな風に生きて来たのです。始めて貴方に鎌倉で会った時も、貴方と一所(ママ)に郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後(うしろ)には何時でも黒い影が括(く)ッ(ママ)付いていました。私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」五十五)>
「こんな風」がどんなふうだか、S以外の誰にもわからない。そのことを、Sは知っている。「記憶して下さい」は駄々と同じだ。
「会った」は〈出「会った」〉が適当。「郊外」は「何々園」(上二十六)のことか。
「黒い影」は、Kの亡霊ではない。S自身の「気分」の隠喩だ。「後(うしろ)」は〈過去〉の比喩。
「妻のために」の真相は〈「妻の」せいで〉だろう。
この前の段落の内容を無理に要約すると、次のようになる。
〈静の母が死んだ後、「黒い影」あるいは「不可思議な恐ろしい力」(下五十五)と呼ばれるDがSに〈死ね〉と囁く。Sは死んでみたくなる。静を残しておくのは「不憫(ふびん)」(下五十五)だから心中しようと思う。ただし、自殺の理由を静に「打ち明ける事の出来ない位な(ママ)」(下五十五)彼だから、無理心中ということになる。自殺か、無理心中か、Sは迷う〉
Nは、次のように歌うことができなかった。だから、その批判もできなかった。
<できることなら あなたを殺して
あたしも死のうと思った
それが愛することだと信じ
よろこびに ふるえた
(上村一夫作詞・都倉俊一作曲『同棲時代』)>
Sは、異常な「愛」さえ信じることができなかった。
<自分の過去を語る手紙をほぼ終えようとして、「先生」は「私」にこう呼びかける。求めているのが理解でも共感でもない点が注目される。手紙の初め(一七二ページ)と終わり(三二七ページ)には「参考」という、知的な分析を想起させることばも使われているが、後者は「妻」にだけは伝えるなという限定的な文脈の中のことであり、前者も、「参考」の前提として、「先生」の「血潮」が「私」の「胸に新らしい命」を宿すという、直接的な継承が語られている。
(新潮文庫版『こころ』「注解 記憶して下さい」)>
「理解でも共感でもない」のは「受け入れる」だろう。「遺書」は印可状か。
2000 不純な「矛盾な人間」
2200 不自然な「自然」
2250 「記憶して下さい」
2253 見捨てられそう
SとPが共有していたらしい「淋しみ」とは、見捨てられそうな不安のことかもしれない。
<母から見捨てられたという絶望的な喪失体験による抑うつ状態。
(『精神科ポケット辞典 [新訂版]』「見捨てられ抑うつ」)>
Sは、「明治天皇が崩御(ほうぎょ)に」(下五十五)なったとき、静に心中を持ちかける。彼女は冗談めかし、「殉死でもしたら可(よ)かろう」(下五十五)と拒む。Sも冗談めかして、「明治の精神に殉死する積りだ」と応じる。「笑談(じょうだん)」は、乃木夫妻の心中事件後、現実味を帯びることになる。
0 幼児期、Sは保護者に見捨てられる。
1 青年期、Sの父母が死に、見捨てられたように感じる。(下三~四)
2 叔父一家にSは見捨てられる。(下五~九)
3 Sは静母子に見捨てられそうな気がする。(下十~十八)
4 SはKに死なれ、見捨てられたように感じる。(下十九~五十三)
5 静の母が死に、Sは見捨てられたように感じる。(下五十四)
6 Sは静に心中を拒否され、見捨てられたように感じる。(下五十五)
7 乃木夫妻の心中を知る。(下五十六)
「遺書」では語られないが、Sは幼児期に見捨てられたはずだ。そのせいで、1から7までの出来事に対して過敏に反応してきたのだろう。
SとPは、「淋しみ」という「同情の糸」(上七)で繋がっていた。彼にも見捨てられた体験があったのだろう。Pの失われた「記憶」の代用品がSの「遺書」だ。「その人の記憶を呼び起す」というPの言葉の真意は、〈S自身の「記憶」という墓に埋葬された「淋しみ」をPは私有するために「呼び起こす」〉といった意味だろう。
<十年ばかり前にうせたる先妻の腹にぬひと呼ばれて、今の奥様に継(まま)なる娘(こ)あり、桂次がはじめて見し時は十四か三か、唐人(とうじん)髷(まげ)に赤き切れかけて、姿はおさなびたれども母のちがふ子は何処やらをとなしく見ゆるものと気の毒に思ひしは、我れも他人の手にて育ちし同情を持てばなり、
(樋口一葉『ゆく雲』上)>
「育ちし同情」は〈「育ちし」ゆえの「同情」〉と解釈する。
P文書におけるSの発言は、その「背景」(下二)である「遺書」を読むことによって、Pにとって理解可能なものに変わったのだろう。ただし、私に「遺書」は意味不明。
『こころ』を理解するためには、SとPに共通する「背景」が仮想できなくてはならないようだ。その「背景」について、Sは語っていない。作者は「背景」の隠蔽あるいは欠落を文芸的に利用していたのだろうか。そうとは思えない。
(2250終)
(2200終)