夏目漱石を読むという虚栄
2000 不純な「矛盾な人間」
2300 「恋は罪悪ですよ」
2310 姦通罪
2311 『厭世詩家と女性』
NHKの『こころ』の輪読会で、平成の若い女性が〈「恋は罪悪」って凄いですよね〉みたいなことを言っていた。カマトトか? わからん。
角川文庫の『こころ』の帯紙に「しかし君、恋は罪悪ですよ。わかっていますか」という二文が引用されていた。出版社は〈この二文に客寄せ効果がある〉と思ったのだろう。そして、実際に効果はあるのだろう。なぜ? 私にはわからない。
明治には、「恋は罪悪」ではなかったのか。そんなはずはない。
昭和の戦後でも、「恋しちゃならない受験生」(中川五郎作詞・高石智也作曲『受験生ブルース』)と歌われていた。平成でさえ、AKB48のメンバーが恋をして謝罪のために丸坊主になったよね。令和でも、不純かどうか知らないが、男女交際を理由に退学になった高校生がいるそうだ。
<凡(およ)そ吾々東洋人の心底に蟠(わだか)ま(ママ)る根本思想を剔抉(てっけつ)してこれを暴露(ばくろ)するとせよ。教育なき者はいざ知らず、前代の訓育の潮流に接せざる現下の少年はいざ知らず、尋常の世の人心には恋に遠慮なく耽(ふけ)ることの快なるを感ずると共に、この快感は一種の罪なりとの観念附随し来ることは免れ難き現象なるべし。吾人は恋愛を重大視すると同時にこれを常に踏みつけんとす、踏みつけ得ざれば己れの受けたる教育に対し面目なしといふ感あり。意馬(いば)心猿(しんえん)の欲するままに従へば、必ず罪悪の感随伴(ずいはん)し来るべし。これ誠に東西両洋思想の一大相違といふて可なり。西洋人は恋を神聖と見立て、これに耽るを得意とする傾向を有すること前諸例によりても明かなるべく、また如(かくの)此(ごと)く重きを置かれたるこの情緒を囲(い)纏(てん)せる文学の多きも勢(いきおい)免るべからざるなり。
(夏目漱石『文学論』「第一編 第二章 文学的内容の基本成分」)>
SはPに「恋は最悪ですよ」と告げた。Pは戸惑ったらしい。なぜだろう。Pは、「前代の訓育の潮流に接せざる現下の少年」で、「尋常の世の人の心」を持たなかったのか。
「一種の罪悪」は意味不明。Nは、こういう「一種の」の使い方をよくする。誤用。
「東西両思想の一大相違」は誇張。
「恋を神聖と見立て」に留意。
<思想と恋愛とは仇讐なるか、安(いずく)んぞ知らむ、恋愛は思想を高潔ならしむる嬭(じ)母(ぼ)なるを。
(北村透谷『厭世詩家と女性』)>
「恋は罪悪」といった類の常識を北村が批判しているわけだ。
<恨みわび ほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ 名こそ惜しけれ
(『後拾遺和歌集』14・恋・4・815・相模)>
浮名が立つことは、罪ではなかったか。
2000 不純な「矛盾な人間」
2300 「恋は罪悪ですよ」
2310 姦通罪
2312 不義はご法度
青年Pにとって「罪悪という意味は朦朧(もうろう)として」いた。なぜだろう。
Ⅰ Pは「恋は罪悪」という考えを知らなかったので、Sの質問に驚いた。
Ⅱ Pは「恋は罪悪」という考えを知っていたが、それは古臭い考えのように思っていたのに、開明的なはずのSがそんな古い考えを信じているような発言をしたので驚いた。
どっちが正しい解釈だろう。私にこの問題は解けない。他に選択肢はあるのか。
<それまでの日本には「恋」という言葉しかなく、それは性交をともなうものであったが、「恋愛」はプラトニック・ラブを意味した。夫婦一心同体であるような緊密な一夫一婦制もまた、新しいトレンドとして広まっていった。江戸時代までの日本では性は豊饒であり、豊かさであり、祭であり、聖なるものであったが、これ以降、性は邪悪なものとして位置づけられる。同時に、遊女や芸者や妾などの玄人(くろうと)の女性たちは蔑視されるようになった。江戸時代までは普通の女性も恋に積極的であったが、明治以降、女性は性にはまるで興味がないかのようにふるまうことが要求された。
(田中優子『張形と江戸女』)>
「それ」は「明治維新」(『張方と江戸女』)だ。「恋愛」という語は「明治三十五年頃から辞典に登録されはじめ、loveの訳語として定着していったことが明らか」(飛田良文『明治生まれの日本語』)という。「聖なるもの」に留意。「邪悪」とSの言う「罪悪」は似ているか。
<一般には肉体的感覚的欲望に優越する精神的愛をいい、文字通りプラトンの愛(エロス)に由来する。なおプラトンのエロスは、性愛的段階での対象との合一を超克して、超越的価値との出会いを目的とする。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「プラトニック・ラブ」)>
SもPも、また、『こころ』の作者も、「江戸時代までの日本」の習俗を踏まえている様子はない。作者が「恋」についてどんなことをほのめかしたつもりなのか、私にはわからない。
<江戸の人々が真摯(しんし)に生きて、麗(うるわ)しく咲かせた「文化」という名の花は、明治の世が進んでいくにしたがって、目に見えて萎(しぼ)んでいった。新たな価値観や文化を創出できたなら、それはそれで結構な話だろう。しかし実状は、まったく、そうではなかった。明治政府は、江戸のすべてを否定したが、異なる新しい文化の花を咲かせられなかった。それでも、社会の紐帯(ちゅうたい)を維持できていたのは、「江戸時代の遺産」があったからに違いない。
(森田健司『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』)>
「明治維新という幻想」は〈「明治維新」は日本近代の始まり「という幻想」〉などの略。
2000 不純な「矛盾な人間」
2300 「恋は罪悪ですよ」
2310 姦通罪
2313 『みだれ髪』
明治において、「恋は罪悪」という考えは、皮肉な意味で新鮮だったのかもしれない。
<歌にきけな誰れ野の花に紅(あか)き否(いな)むおもむきあるかな春(はる)罪(つみ)もつ子
(与謝野晶子『みだれ髪』)>
あえて「罪(つみ)もつ子」と呼ばれてやろう。そんな感じだ。誇らしげ。
<1947年の刑法一部改正以前は183条によって、有夫の婦女が夫以外の男性と性的に関係をもったとき、夫の告訴をまって本罪で処罰された。しかし、有婦の男性は有夫の婦女と性的関係をもったときのみ相姦者として処罰されることになっていたため、憲法14条の法のもとの平等に違反するのではないかが問題とされ、夫の姦通をも処罰するか、両方とも処罰しないか議論が分れ、結局削除された。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「姦通罪」)>
与謝野晶子は、北村透谷とは正反対の戦術を採用したようだ。
<むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子
(与謝野晶子『みだれ髪』)>
「君」は与謝野鉄幹、「我」は未婚の鳳明子。だから、二人とも法的な「罪」は犯していない。柳原白蓮の場合とは違う。『花子とアン』(NHK)参照。
<1870年(明治3)の新律綱領は妻妾二等親を復活し妾にも妻と同様の貞操義務を課した。また、妾は妻と同様夫の戸籍に登記され、妾の産んだ子は妻の子と同様公生(ママ)の子とされた。また父の妻と庶子との間には嫡母庶子関係という親子と同一の関係が発生するものとされた。新律綱領にかわって制定された旧刑法(1880年公布)は親属に妾を含まず、ここに法の明文からは妾という文言が消滅し、1898年の明治民法は嫡母庶子関係を残し、家督相続の順位において嫡出女子よりも庶男子を先にしたことは事実上妾の存在を認めたものであった。
(『日本歴史大事典』「めかけ」白石玲子)>
〈「罪の子」or妾〉という二者択一を拵え、「罪の子」を選べば、男女平等か。
<ああ皐月(さつき)仏(フ)蘭(ラン)西(ス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
(与謝野晶子『夏より秋へ』)>
「罪の子」が成長して「雛罌粟」の花になったらしい。
(2310終)