ヒルネボウ

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本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

夏目漱石を読むという虚栄 2310

2021-03-25 16:52:23 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」

2300 「恋は罪悪ですよ」

2310 姦通罪

2311 『厭世詩家と女性』

 

NHKの『こころ』の輪読会で、平成の若い女性が〈「恋は罪悪」って凄いですよね〉みたいなことを言っていた。カマトトか? わからん。

角川文庫の『こころ』の帯紙に「しかし君、恋は罪悪ですよ。わかっていますか」という二文が引用されていた。出版社は〈この二文に客寄せ効果がある〉と思ったのだろう。そして、実際に効果はあるのだろう。なぜ? 私にはわからない。

明治には、「恋は罪悪」ではなかったのか。そんなはずはない。

昭和の戦後でも、「恋しちゃならない受験生」(中川五郎作詞・高石智也作曲『受験生ブルース』)と歌われていた。平成でさえ、AKB48のメンバーが恋をして謝罪のために丸坊主になったよね。令和でも、不純かどうか知らないが、男女交際を理由に退学になった高校生がいるそうだ。

 

<凡(およ)そ吾々東洋人の心底に蟠(わだか)ま(ママ)る根本思想を剔抉(てっけつ)してこれを暴露(ばくろ)するとせよ。教育なき者はいざ知らず、前代の訓育の潮流に接せざる現下の少年はいざ知らず、尋常の世の人心には恋に遠慮なく耽(ふけ)ることの快なるを感ずると共に、この快感は一種の罪なりとの観念附随し来ることは免れ難き現象なるべし。吾人は恋愛を重大視すると同時にこれを常に踏みつけんとす、踏みつけ得ざれば己れの受けたる教育に対し面目なしといふ感あり。意馬(いば)心猿(しんえん)の欲するままに従へば、必ず罪悪の感随伴(ずいはん)し来るべし。これ誠に東西両洋思想の一大相違といふて可なり。西洋人は恋を神聖と見立て、これに耽るを得意とする傾向を有すること前諸例によりても明かなるべく、また如(かくの)此(ごと)く重きを置かれたるこの情緒を囲(い)纏(てん)せる文学の多きも勢(いきおい)免るべからざるなり。

(夏目漱石『文学論』「第一編 第二章 文学的内容の基本成分」)>

 

SはPに「恋は最悪ですよ」と告げた。Pは戸惑ったらしい。なぜだろう。Pは、「前代の訓育の潮流に接せざる現下の少年」で、「尋常の世の人の心」を持たなかったのか。

「一種の罪悪」は意味不明。Nは、こういう「一種の」の使い方をよくする。誤用。

「東西両思想の一大相違」は誇張。

「恋を神聖と見立て」に留意。

 

<思想と恋愛とは仇讐なるか、安(いずく)んぞ知らむ、恋愛は思想を高潔ならしむる嬭(じ)母(ぼ)なるを。

(北村透谷『厭世詩家と女性』)>

 

「恋は罪悪」といった類の常識を北村が批判しているわけだ。

 

<恨みわび ほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ 名こそ惜しけれ

(『後拾遺和歌集』14・恋・4・815・相模)>

 

浮名が立つことは、罪ではなかったか。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2300 「恋は罪悪ですよ」

2310 姦通罪

2312 不義はご法度

 

青年Pにとって「罪悪という意味は朦朧(もうろう)として」いた。なぜだろう。

 

Ⅰ Pは「恋は罪悪」という考えを知らなかったので、Sの質問に驚いた。

Ⅱ Pは「恋は罪悪」という考えを知っていたが、それは古臭い考えのように思っていたのに、開明的なはずのSがそんな古い考えを信じているような発言をしたので驚いた。

 

どっちが正しい解釈だろう。私にこの問題は解けない。他に選択肢はあるのか。

 

<それまでの日本には「恋」という言葉しかなく、それは性交をともなうものであったが、「恋愛」はプラトニック・ラブを意味した。夫婦一心同体であるような緊密な一夫一婦制もまた、新しいトレンドとして広まっていった。江戸時代までの日本では性は豊饒であり、豊かさであり、祭であり、聖なるものであったが、これ以降、性は邪悪なものとして位置づけられる。同時に、遊女や芸者や妾などの玄人(くろうと)の女性たちは蔑視されるようになった。江戸時代までは普通の女性も恋に積極的であったが、明治以降、女性は性にはまるで興味がないかのようにふるまうことが要求された。

(田中優子『張形と江戸女』)>

 

「それ」は「明治維新」(『張方と江戸女』)だ。「恋愛」という語は「明治三十五年頃から辞典に登録されはじめ、loveの訳語として定着していったことが明らか」(飛田良文『明治生まれの日本語』)という。「聖なるもの」に留意。「邪悪」とSの言う「罪悪」は似ているか。

 

<一般には肉体的感覚的欲望に優越する精神的愛をいい、文字通りプラトンの愛(エロス)に由来する。なおプラトンのエロスは、性愛的段階での対象との合一を超克して、超越的価値との出会いを目的とする。

(『ブリタニカ国際大百科事典』「プラトニック・ラブ」)>

 

SもPも、また、『こころ』の作者も、「江戸時代までの日本」の習俗を踏まえている様子はない。作者が「恋」についてどんなことをほのめかしたつもりなのか、私にはわからない。

 

<江戸の人々が真摯(しんし)に生きて、麗(うるわ)しく咲かせた「文化」という名の花は、明治の世が進んでいくにしたがって、目に見えて萎(しぼ)んでいった。新たな価値観や文化を創出できたなら、それはそれで結構な話だろう。しかし実状は、まったく、そうではなかった。明治政府は、江戸のすべてを否定したが、異なる新しい文化の花を咲かせられなかった。それでも、社会の紐帯(ちゅうたい)を維持できていたのは、「江戸時代の遺産」があったからに違いない。

(森田健司『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』)>

 

「明治維新という幻想」は〈「明治維新」は日本近代の始まり「という幻想」〉などの略。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2300 「恋は罪悪ですよ」

2310 姦通罪

2313 『みだれ髪』

 

明治において、「恋は罪悪」という考えは、皮肉な意味で新鮮だったのかもしれない。

 

<歌にきけな誰れ野の花に紅(あか)き否(いな)むおもむきあるかな春(はる)罪(つみ)もつ子

(与謝野晶子『みだれ髪』)>

 

あえて「罪(つみ)もつ子」と呼ばれてやろう。そんな感じだ。誇らしげ。

 

<1947年の刑法一部改正以前は183条によって、有夫の婦女が夫以外の男性と性的に関係をもったとき、夫の告訴をまって本罪で処罰された。しかし、有婦の男性は有夫の婦女と性的関係をもったときのみ相姦者として処罰されることになっていたため、憲法14条の法のもとの平等に違反するのではないかが問題とされ、夫の姦通をも処罰するか、両方とも処罰しないか議論が分れ、結局削除された。

(『ブリタニカ国際大百科事典』「姦通罪」)>

 

与謝野晶子は、北村透谷とは正反対の戦術を採用したようだ。

 

<むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子

(与謝野晶子『みだれ髪』)>

 

「君」は与謝野鉄幹、「我」は未婚の鳳明子。だから、二人とも法的な「罪」は犯していない。柳原白蓮の場合とは違う。『花子とアン』(NHK)参照。

 

<1870年(明治3)の新律綱領は妻妾二等親を復活し妾にも妻と同様の貞操義務を課した。また、妾は妻と同様夫の戸籍に登記され、妾の産んだ子は妻の子と同様公生(ママ)の子とされた。また父の妻と庶子との間には嫡母庶子関係という親子と同一の関係が発生するものとされた。新律綱領にかわって制定された旧刑法(1880年公布)は親属に妾を含まず、ここに法の明文からは妾という文言が消滅し、1898年の明治民法は嫡母庶子関係を残し、家督相続の順位において嫡出女子よりも庶男子を先にしたことは事実上妾の存在を認めたものであった。

(『日本歴史大事典』「めかけ」白石玲子)>

 

〈「罪の子」or妾〉という二者択一を拵え、「罪の子」を選べば、男女平等か。

 

<ああ皐月(さつき)仏(フ)蘭(ラン)西(ス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟

(与謝野晶子『夏より秋へ』)>

 

「罪の子」が成長して「雛罌粟」の花になったらしい。

 

(2310終)

 

 


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田舎のバス

2021-03-22 17:59:33 | ジョーク

   田舎のバス

おんぼろ車

凸凹道を 

ガタゴト ガタゴト

ガタゴト ガタゴト

ガタン ゴトン

ガタン ゴトン

走る

ガタ ゴゴゴ

停まる

だけどもお客さん 我慢をしているよ

それは私が美人だから

(終)


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夏目漱石を読むという虚栄 2250

2021-03-21 22:26:59 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」

2250 不自然な「自然」

2250 「記憶して下さい」

2251 複数の「その人の記憶」

 

「その人の記憶」には、いくつもの解釈が考えられる。

 

Ⅰ Sに関する語り手Pの記憶。

Ⅱ S自身の記憶。

Ⅲ P文書で語られるPが構想していた〈「先生」の物語〉に関する語り手Pの記憶。

 Ⅳ 「遺書」で語られるSが構想していた「自叙伝」に関する「遺書」の語り手Sの記憶。

 

「その人の記憶」は、こうした複数の物語が混交したものだ。

Ⅰは「遺書」を読み終えたPにとって、Ⅱの一部になる。また、Ⅲを包含するか。ⅡはⅣを包含するが、Pは「自叙伝」を知らない。Sさえも「自叙伝」を完成させられなかった。〈Sの物語〉の創作を、SはPに丸投げした。Pは、それを完成させていない。完成させたのかもしれないが、Pによる〈Sの物語〉は『こころ』に含まれていない。作者は〈Sの物語〉の創作を読者に丸投げしているのだ。

 

<凡(すべ)てを叔父任せにして平気でいた私は、世間的に云えば本当の馬鹿(ばか)でした。世間的以上の見地から評すれば、或は純なる尊(たっと)い男とでも云えましょうか。私はその時の己れを顧みて、何故(なぜ)もっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎた自分が口惜(くや)しくって堪(たま)りません。然しまたどうかして、もう一度ああいう生れたままの姿に立ち帰って生きて見(ママ)たいという心持も起るのです。記憶して下さい、あなたの知っている私は塵(ちり)に汚(よご)れた後(あと)の私です。きたなくなった年数の多いものを先輩と呼ぶならば、私はたしかに貴方より先輩でしょう。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」九)>

 

「人が悪く」や「正直過ぎた」は意味不明。

「生れたままの」は〈幼児的〉という意味のようだが、幼児だって人見知りする。

何を「記憶して」やればいいのだろう。「あなたの知っている私」は、〈Pが「知っている私」だとSが思っているS〉とは、常識的には違う。また、〈読者の知っているS〉とも違う。同じなら、奇跡だ。読者は奇跡が起きているように誤読すべきか。不気味。「塵(ちり)」は意味不明。だから、「きたなくなった」も意味不明。

 

<彼らと交わりながら、ただひとり立ち

屍(し)衣(え)のように、人と異なる思想を身にまとった

今もなお、というべくは、あまりに心屈して汚れたのだが――。

(ジョージ=ゴードン・バイロン『私は世を愛さなかった』)>

 

「きたなくなった年数」は意味不明。「貴方」にウッとなる。前の文では「あなた」だったから。「たしかに」の被修飾語がない。「たしかに」と「でしょう」は呼応しない。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2200 不自然な「自然」

2250 「記憶して下さい」

2252 「こんな風に生きて来たのです」

 

SがPに「記憶」を強いるのは、Pに「遺書」の批評をさせないためだろう。

 

<記憶して下さい。私はこんな風に生きて来たのです。始めて貴方に鎌倉で会った時も、貴方と一所(ママ)に郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後(うしろ)には何時でも黒い影が括(く)ッ(ママ)付いていました。私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」五十五)>

 

「こんな風」がどんなふうだか、S以外の誰にもわからない。そのことを、Sは知っている。「記憶して下さい」は駄々と同じだ。

「会った」は〈出「会った」〉が適当。「郊外」は「何々園」(上二十六)のことか。

「黒い影」は、Kの亡霊ではない。S自身の「気分」の隠喩だ。「後(うしろ)」は〈過去〉の比喩。

「妻のために」の真相は〈「妻の」せいで〉だろう。

この前の段落の内容を無理に要約すると、次のようになる。

〈静の母が死んだ後、「黒い影」あるいは「不可思議な恐ろしい力」(下五十五)と呼ばれるDがSに〈死ね〉と囁く。Sは死んでみたくなる。静を残しておくのは「不憫(ふびん)」(下五十五)だから心中しようと思う。ただし、自殺の理由を静に「打ち明ける事の出来ない位な(ママ)」(下五十五)彼だから、無理心中ということになる。自殺か、無理心中か、Sは迷う〉

Nは、次のように歌うことができなかった。だから、その批判もできなかった。

 

<できることなら あなたを殺して

あたしも死のうと思った

それが愛することだと信じ

よろこびに ふるえた

(上村一夫作詞・都倉俊一作曲『同棲時代』)>

 

Sは、異常な「愛」さえ信じることができなかった。

 

<自分の過去を語る手紙をほぼ終えようとして、「先生」は「私」にこう呼びかける。求めているのが理解でも共感でもない点が注目される。手紙の初め(一七二ページ)と終わり(三二七ページ)には「参考」という、知的な分析を想起させることばも使われているが、後者は「妻」にだけは伝えるなという限定的な文脈の中のことであり、前者も、「参考」の前提として、「先生」の「血潮」が「私」の「胸に新らしい命」を宿すという、直接的な継承が語られている。

(新潮文庫版『こころ』「注解 記憶して下さい」)>

 

「理解でも共感でもない」のは「受け入れる」だろう。「遺書」は印可状か。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2200 不自然な「自然」

2250 「記憶して下さい」

2253 見捨てられそう

 

SとPが共有していたらしい「淋しみ」とは、見捨てられそうな不安のことかもしれない。

 

<母から見捨てられたという絶望的な喪失体験による抑うつ状態。

(『精神科ポケット辞典 [新訂版]』「見捨てられ抑うつ」)>

 

Sは、「明治天皇が崩御(ほうぎょ)に」(下五十五)なったとき、静に心中を持ちかける。彼女は冗談めかし、「殉死でもしたら可(よ)かろう」(下五十五)と拒む。Sも冗談めかして、「明治の精神に殉死する積りだ」と応じる。「笑談(じょうだん)」は、乃木夫妻の心中事件後、現実味を帯びることになる。

 

0 幼児期、Sは保護者に見捨てられる。

1 青年期、Sの父母が死に、見捨てられたように感じる。(下三~四)

2 叔父一家にSは見捨てられる。(下五~九)

3 Sは静母子に見捨てられそうな気がする。(下十~十八)

4 SはKに死なれ、見捨てられたように感じる。(下十九~五十三)

5 静の母が死に、Sは見捨てられたように感じる。(下五十四)

6 Sは静に心中を拒否され、見捨てられたように感じる。(下五十五)

7 乃木夫妻の心中を知る。(下五十六)

 

「遺書」では語られないが、Sは幼児期に見捨てられたはずだ。そのせいで、1から7までの出来事に対して過敏に反応してきたのだろう。

SとPは、「淋しみ」という「同情の糸」(上七)で繋がっていた。彼にも見捨てられた体験があったのだろう。Pの失われた「記憶」の代用品がSの「遺書」だ。「その人の記憶を呼び起す」というPの言葉の真意は、〈S自身の「記憶」という墓に埋葬された「淋しみ」をPは私有するために「呼び起こす」〉といった意味だろう。

 

<十年ばかり前にうせたる先妻の腹にぬひと呼ばれて、今の奥様に継(まま)なる娘(こ)あり、桂次がはじめて見し時は十四か三か、唐人(とうじん)髷(まげ)に赤き切れかけて、姿はおさなびたれども母のちがふ子は何処やらをとなしく見ゆるものと気の毒に思ひしは、我れも他人の手にて育ちし同情を持てばなり、

(樋口一葉『ゆく雲』上)>

 

「育ちし同情」は〈「育ちし」ゆえの「同情」〉と解釈する。

P文書におけるSの発言は、その「背景」(下二)である「遺書」を読むことによって、Pにとって理解可能なものに変わったのだろう。ただし、私に「遺書」は意味不明。

『こころ』を理解するためには、SとPに共通する「背景」が仮想できなくてはならないようだ。その「背景」について、Sは語っていない。作者は「背景」の隠蔽あるいは欠落を文芸的に利用していたのだろうか。そうとは思えない。

 

(2250終)

(2200終)


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夏目漱石を読むという虚栄 2240

2021-03-20 23:09:31 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」

2200 不自然な「自然」

2240 「私の自然」

2241 「平生」と「自然」

 

『こころ』は、人間関係に対するNの混乱した想念を露呈した模擬作品だ。

語り手たちは論理的に語ることができない。だから、当然、倫理的な話はできない。

 

<Kに詫まることの出来ない私は、こうして奥さんと御嬢さんに詫(わ)びなければいられなくなったのだと思って下さい。つまり私の自然が平生の私を出し抜いてふらふらと懺悔(ざんげ)の口を開(ひら)かしたのです。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十九)>

 

このとき、Kは死んでいる。だが、Kの霊に対して「詫(わ)び」ることはできるかもしれない。この前に「詫(あや)まり」(下四十九)とあるから、「詫(わ)び」という言葉が新たに出てくるのは、変。意味が違うとしたら、どのように違うのだろう。単なる言葉のおしゃれだろうか。「詫(わ)びなければいられなくなった」は〈「詫(わ)びなければ」なら「なくなった」〉と〈「詫(わ)びな」いでは「いられなくなった」〉の、例によって義務と欲求の混交だ。非常に読みづらい。〈静母子がKの代理になる〉という考えは不可解だが、隠蔽された主題のかすかな露呈だろう。

「つまり」は不適当。この「自然」は〈狂気〉だろう。「私の自然」と並べるのなら、〈「私」の「平生」〉とすべきだ。〈「自然」対「平生」〉という前提があるらしいが、不可解。「ふらふらと」の被修飾語が「開かした」では、「私の自然」が「ふらふらと」していることになる。したがって、「ふらふらと懺悔(ざんげ)の口を開(ひら)かした」は、〈私が「ふらふらと懺悔(ざんげ)の口を」開くように仕向けた〉などが適当。「と思って下さい」と言われても、思いようがない。難問の解決を丸投げされたPの反応を想像することも、私には無理。ひどい悪文。

青年Pは、〈「先生」という言葉は「私の口癖だ」〉と言った。「口癖」は「平生」だろう。一方、語り手Pは、〈「先生」という言葉は「私に取って自然だ」〉と書く。「先生」のP的含意は、「平生(へいぜい)」から「自然」へと変化したらしい。この変化をもたらした出来事を、私は特定できない。だから、語り手Pの用いる「先生」の含意は推理できない。

ただし、Sにとって「平生(へいぜい)」と「自然」が対立するものでも、Pにとっては対立しないのかもしれない。そうだとすると、「自然」に関するSの考えをPは「受け入れる事の出来ない人」なのかもしれない。Pの「自然」観はSの「自然」観を超えているのかもしれない。そして、作者は、Sの「自然」観を批判しているのかもしれない。

 

<大きな自然は、彼女の小さな自然から出た行為を、遠慮なく蹂躙(じゅうりん)した。

(夏目漱石『明暗』百四十七)>

 

「則天去私」に絡めた言葉遊びをすると、「大きな自然」が「天」で、「小さな自然」が「私」だろう。「大きな自然」は〈先天的素質〉で、「小さな自然」は〈後天的習性〉か。逆説である〈氏より育ち〉とは反対のことが起きたか。だったら、普通だよ。語り手は「彼女」の本性を隠蔽している。あるいは、自然の声によって、小便が「出た」後、大便が出たか。

「大きな自然」について、Nは何を知っているつもりだったのか。不明。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2200 不自然な「自然」

2240 「私の自然」

2242 意志系

 

「自然」は夏目語だろう。ほとんどの場合、私にはその意味が推定できない。

 

<自然の児(じ)になろうか、又意志の人になろうかと代助は迷った。彼は彼の主義として、弾力性のない硬(こわ)張(ば)った方針の下に、寒暑にさえすぐ反応を呈する自己を、器械の様に束縛するの愚(ぐ)を忌(い)んだ。同時に彼は、彼の生活が、一大断案を受くべき危機に達して居る事を切に自覚した。

(夏目漱石『それから』十四)>

 

「自然の児(じ)」も「意志の人」も意味不明。だから、「迷った」も意味不明。「自然の児(じ)になろう」と考えるのは「意志の人」だろう。違うのか。何が何だか、さっぱりわからない。意志系の言葉も夏目語だろう。「馬鹿気た意地」などと同じで、マイナスの価値がありそう。

「彼の主義」は、私には総括できない。そんなものはなくて、〈自分には「主義」がある〉と勘違いしてしまった代助に対する語り手の皮肉の表現のように思えるが、よくわからない。「寒暑」に心身が「すぐ反応を呈する」のは健康だろう。あるいは、アレルギーか。「自己」は意味不明。「主義」には〈自縄自縛〉という含意があるのかもしれない。皮肉のようで、皮肉ではなく、実は矛盾であり、つまり、無意味か。「器械の様に束縛する」は意味不明。だから、「愚(ぐ)」かどうか、不明。この一文は、私にはさっぱりわからない。

「同時に」は不可解。「断案を受く」は意味不明。「断案」は〈弾劾〉の誤りか。

 

<女は前後の関係から、思慮分別の許す限り、全身を挙げて其所(そこ)へ(ママ)拘泥(こだわ)らなければならなかった。それが彼女の自然であった。然し不幸な事に、自然全体は彼女よりも大きかった。彼女の遥(はる)か上にも続いていた。公平な光りを放って、可憐(かれん)な彼女を殺そうとしてさえ憚(はば)からなかった。

(夏目漱石『明暗』百四十七)>

 

「前後の関係」や「其所(そこ)」が何なのか、私にはわからない。ソ系語の濫用。

「それ」は、〈「其所(そこ)へ拘泥(こだわ)らなければならなかった」ということ〉だろうが、「其所(そこ)」が不可解なので、この文は意味不明。

「然し」は不可解。「自然全体」は「大きな自然」と同じか。

 

<このあたりの叙述は「明暗」執筆中の漱石の思想を考える上で重要である。それは「道草」(本全集第八巻所収)第五十七章の「金の力で支配できない真に偉大なもの」とも関係する。

(「夏目漱石全集9『明暗』」(ちくま文庫)注)>

 

「可憐(かれん)」は意味不明。「いじらしいこと。かわいらしいこと」(『広辞苑』「可憐」)のどちらのようでもない。「彼女」はお延だが、ちょっと美人のようで、そうでもない。性格は悪い。

 

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2200 不自然な「自然」

2240 「私の自然」

2243 自然派と写生文

 

夏目語の「自然」は〈自然主義〉の〈自然〉とは違うようだ。

 

<実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫(ローマン)派(は)の作家では猶(なお)更(さら)ない。自分はこれ等(ら)の主義を高く標榜(ひょうぼう)して路傍の人の注意を惹(ひ)く程に、自分の作物が固定した色に染附けられているという自信を持ち得ぬものである。又そんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。

(夏目漱石『彼岸過迄(まで)に就て(ママ)』)>

 

Nは、〈自分はどういうタイプの作家のつもりでいるか〉という問題と、〈自分はどういうタイプの作家として見られたいか〉という問題を、わざと混同して語っている。

「固定した色に染附けられているという自信」は、言うまでもなく、皮肉だ。皮肉を裏返すと、別種の「自信」つまり「信念」が露見する。だが、皮肉を抜きにして、Nは何かを確かに語りうるのだろうか。無理だろう。

Nが否定のために担ぎ出した「自然派の作家」とは、「自然主義の立場に立つ作家」(『日本国語大辞典』「自然派」)だが、「実をいうと」彼らの正体は不明だ。

 

<文学で、理想化を行わず、醜悪・瑣末なものを忌まず、現実をただあるがままに写しとることを目標とする立場。

(『広辞苑』「自然主義」)>

 

「あるがままに写しとること」が気になる。

 

<写生文家のかいたものには何となくゆとりがある。逼(せま)っておらん。屈托(くったく)気(げ)が少ない。したがって読んで暢(の)び暢びした気がする。

(夏目漱石『写生文』)>

 

自然主義と写生派の態度は、正反対のようだ。

 

<自然主義は各国の小説、戯曲にもみられるが、日本では、1890年ごろゾラの理論が紹介され、島崎藤村の《破戒》(1906年)が自然主義作品と呼ばれた。田山花袋や《早稲田文学》の作家らがこれに続いたが、自己の内面をありのままに告白することに主眼が置かれた点に特色がある。これは西欧語の〈nature〉と日本語の〈自然〉との本来的な意味のずれによるものとも考えられる。

(『百科事典マイペディア』「自然主義」)>

 

「本来的な意味のずれ」があるのなら、きちんと考えることはできない。

(2240終)

 


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夏目漱石を読むという虚栄 2230

2021-03-17 22:32:26 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」

2200 不自然な「自然」

2230 「良心」

2231 「私の自然を損なったのか」

 

「自然」とは記憶を偽造する癖のことだろう。記憶を偽造してしまうのは、無自覚つまり「自然」だ。そうしたありふれた事実に、Nは気づかなかったようだ。

 

<彼は父と違って、当初からある計画を拵(こしら)えて、自然をその計画通りに強いる古風な人ではなかった。彼は自然を以(もっ)て人間の拵えた凡(すべ)ての計画よりも偉大なものと信じていたからである。だから父が、自分の自然に逆らって、父の計画通りを強いるならば、それは、去られた妻が、離縁状を楯(たて)に夫婦の関係を証拠立てようとすると一般であると考えた。けれども、そんな理窟を、父に向かって述べる気は、まるでなかった。父を理(り)攻(ぜめ)にする事は困難中の困難であった。

(夏目漱石『それから』十三)>

 

「自然」は、『それから』に何度も出てくるが、意味不明。

「自然をその計画通りに強いる」は〈「その計画通り」「を」「自然」「に強いる」〉の誤りだろう。〈「彼は」~「ではなかった」〉とあるが、〈彼は~であった〉という文が出てこない。父に対する反抗心しか語られていないのだ。だから、代助は正体不明。

〈彼の「自然」は彼の考える「自然」と同じ〉という証拠はない。

「だから」は機能していない。「離縁状」の比喩は不可解。

「述べる気」になったとしたら、その方がおかしい。代助に「自分の自然」があるのなら、誰にでも「自分の自然」はある。それらは異なるはずだ。そのことに、『それから』の作者は気づいていない。『道草』あたりから、Nは気づいたらしい。『こころ』における「人間らしい」(下三十一)と「人間らし過ぎる」(下三十一)の対比が転機か。

「父を理攻(りぜめ)に」は笑える。代助のような軽薄才子に誰が「理(り)攻(ぜめ)に」されよう。代助に「理(り)」など、ないのだ。その弱点を隠蔽するのが「自分の自然」という言葉だ。

 

<こんな話をすると自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠(かす)めて通るでしょう。移った私にも、移らない初(はじめ)からそういう好奇心が既に動いていたのです。こうした邪気が予備的に私の自然を損なったのか、又は私がまだ人慣れなかったためか、私は始めて其所の御嬢さんに会った時、へどもどした挨拶をしました。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」十一)>

 

先の「自然」は副詞で、後の「自然」は名詞だ。意味は似ているのだろうか。不明。

「そういう」は不可解。「へどもど」するのは、〈静の「好奇心」が自分に働く〉という妄想のせいだ。主体としての自分と客体としての自分の混同。被愛願望を隠蔽するからだ。

〈「邪気」=「好奇心」〉ではない。「邪気」とは、語り手Sが隠蔽している〈妄想〉のことだ。「私の自然」が損なわれていないとき、Sはどんな「挨拶」をしたろう。「へどもど」しないで、「今まで想像も及ばなかった異性の匂(におい)」(下十一)を犬みたいにクンクン嗅ぎまわり、「肉の方面から近づく念」(下十四)に駆られて抱きついて押し倒して……。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2200 不自然な「自然」

2230 「良心」

2232 「良心の命令」

 

「記憶」は、その持ち主の思考を制限するらしい。

 

<私には先刻(さっき)の奥さんの記憶がありました。それから御嬢さんが宅へ(ママ)帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていた樣なものです。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十六)>

 

「記憶」は、それに基づく「想像」とともに、ある物語を形成する。そして、それらの主体である自分を〈自分の物語〉に閉じ込めてしまう。

 

<私の歩いた距離はこの三区に跨(また)がって、いびつな円を描いたとも云われるでしょうが、私はこの長い散歩の間殆(ほと)んどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、何故だと自分に聞いて見(ママ)ても一向分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得る位、一方に緊張していたと見(ママ)ればそれまでですが、私の良心が又それを許すべき筈はなかったのですから。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十六)>

 

「距離」は〈経路〉などが適当。「いびつな円」と「Kの事」の関係が不明。

「何故」は、〈あのときの自分は何を考えていたか〉という問題から逃れるための言葉だ。中年Sは、青年Sの気分を「回顧して」いるのではなく、反復している。「一向分りません」って、「この二つのもので歩かせられていた様なもの」じゃなかったのか? 

「ただ」は不要。「不思議に思うだけ」の「だけ」は変。青年Sには、Kと静母子が「切り離すべからざる人のように」(下三十五)思えていた。このとき、青年Sは〈静母子はKをどうするつもりか〉と考えていたらしい。この物語に、S自身は登場しない。だから、話は「それまで」なのだ。このあたりの趣旨は〈青年Sの「良心」が起動しなかったのは「何故だ」〉というものだろう。この疑問の前提には〈「良心」は「自然」に起動するものだ〉という文があるのだろう。しかし、この前提は怪しい。

 

<もしKと私がたった二人曠野(こうや)の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。然し奥には人がいます。私の自然はすぐ其所(そこ)で食い留められてしまったのです。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十六)>

 

Sは、〈壁に耳あり「曠野(こうや)」にも耳あり〉と思うのかもしれない。だったら、「良心」つまりDは、常に沈黙を守ることになる。静母子の像は、SのDとしてSに付きまとっていた。だから、彼女たちは「曠野(こうや)」にも出現できたはずだ。

「奥」にいるのは静母子だ。彼女たちに密告しそうな「下女」(下十)も含むか。

「すぐ其所(そこ)」はどこ? 〈「自然」を「食い留め」〉は意味不明。

 

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2200 不自然な「自然」

2230 「良心」

2233 「自然」と混乱

 

「良心」は「自然」に起動するのだろうか。

 

<自己意識において意識されるのは、ただ自己が自己であるという空虚な自己の形式ではなく、自己のかかわる他のさまざまなものの意識であり、この他のさまざまなものへとかかわっているものとしての自己の意識である。しかし、これが自己の存在であり、自己の行為であるということが顕在的に意識されるときに、自己のうちにはこれを自己自身のものとして認めることを是認したり、拒否したりしようとする第二の自己の声がおこってくる。これが良心の声である。

(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「良心」加藤信朗)>

 

「第二の自己」をDと考える。ただし、Dは〈悪心の「声」〉も発する。

 

<このように、自然(人間の自然も含めて)と人間(の創造性)とを対置することの基盤には、人間は、自然の一部でありながら、同時に(単なる)自然を超えた存在である、という信念がある。だが、人間にこのような特異な位置づけを与えようとする場合、はたして何が「人間の自然(本性)」に属し、何が属さないのか、という問題が生ずる。自然と対置された人間の知的創造性、自由も、人間の自然(本性)に属するのではないか、社会を形成し、さまざまな制度のもとで生活し、文化を創造することも、人間の本性的なあり方ではないのか、という問題である。もしこのような問いに、すべて肯定的に答えるならば、(文化の一部としての)科学・技術を駆使してさまざまの事物に手を加え、いわゆる「自然」を破壊することも、また逆に、そのような「自然破壊」を予測し、それを未然に防ぐ手だてを講ずることも、「人間の自然」に含まれ、ひいては「自然」も含まれることになるであろう。かくして、自然と人間との対比は、きわめて不確かなものとなる。

(『日本大百科事典(ニッポニカ)』「自然」丹治信春)>

 

日本語の〈自然〉という言葉は、もっと「不確かなもの」だ。

 

<自然ということばは中国に由来することばで、最初に現れるのは《老子》である。自然とは、猛然とか欣然のようにある状態を表すことばであり、存在を示す名詞ではない。自然とは自分に関しても万物についても人為の加わらない状態、おのずからある状態を意味している。自然という漢語が日本に入っても、長い間この意味は変わらなかった。これに対して、江戸時代に蘭学・英学が受容されると、英語のネイチャーnature,蘭語のナトゥールnatuurの訳語として〈自然〉があてられるようになり、その意味が日本語のそれまでの自然の意味に重層し、混乱を生じるようになる。

(『百科事典マイペディア』「自然」)>

 

Sの「自然」が意味不明なのは、日本の近代の言語的「混乱」の反映でもあるようだ。

(2230終)

 


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