ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
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腐った林檎の匂いのする異星人と一緒 14 断片の裏面

2021-04-17 09:51:33 | 小説
   腐った林檎の匂いのする異星人と一緒
          14 断片の裏面
 
男は女からビラを貰った。貰ってやった。配る少女の横顔に惹かれ、ふらりと近付いたら、押し返すようにビラを渡された。
ビラの裏で指と指が触れた。でも、自分を見てはくれない。目を合わせようとしたら、数センチ、後ずさりされた。逃げたのだ。次に貰ってくれそうな人を物色するふりをして逃げた。
十歩ばかり歩いて、「これ、何?」とでも言いたげにビラを両手で胸の前に持って男は振り返った。ほんの一秒。少女は背を向けている。男は空を見ず、足元も見ず、ビラを見てから、見るふりをしてから歩き去った。少女は少し遅れて横目で男の後ろ姿を追った。だから、ビラを欲しそうにしていた人を見逃した。
通りを隔てた露店で、子を抱いた若い女が二人を見ていた。彼女は物語の始まりを予感した。しかし、無駄だとわかり、すぐに忘れようとした。そのために、人形のように泣かない子をあやしながら、あやすふりをしながら商品を並べ替えた。微かな溜息。その後、元に戻す。無駄だった。無駄なことでも、何もしないよりはましだ。
飽き飽きだ。生きるのに飽きた。男は頭の中で繰返す。もう、飽き飽きだ。
待ち合わせの店には、意外に早く着いた。開店前だ。ドアを軽く叩いてみたら、中から睨まれた。怯え半分、怒り四半分、残りの四半分は悲しみか。そこらを歩いて時間を潰そうと思ったが、店の人はドアを開けてくれた。そんなつもりはなかったと言いわけをしようとしたが、無駄だった。どうぞ。あ、はい。いいんですか。無言。あなたはドアを叩き続ける男の出てくる小説を読んだことはありますか。無言。ドアを叩き続ける男の映画でもいいですが。どうするんです。入りますか。入ります。ご注文は五分後にお願いします。五分ですね。無言。私は観たことがないんですよ、ドアを叩き続ける男の映画なんか。無言。小説も読んでいません。無言。
男は案内されたのとは別の席に座った。その隣。わざとだ。そして、考え始めた。いや、考えるふりを始めた。このままだと、他の客をじろじろと見てしまいそうで弱った。ただし、幸いなことに、他の客はいない。
重そうな花瓶の横に、分厚い辞典のような箱が立ててある。箱のような本か。箱だけで、中身はないのかもしれない。少し斜めになっていて、今にも倒れそう。倒れても大事ない。倒れるなら、倒れろ、さっさと。
男がイライラ光線を発すると、他の客はぎくりとして目を逸らすものだ。だが、今のところ、誰もいない。いるのは、ウエイトレスだけ。
ウエイトレスは幼いころから男どものイライラ光線には慣れっこで、白い手袋をした両手で銀色の盆を盾に使って跳ね返す。それが、戻ってくることはめったになく、他の客を照らすことも、まず、なくて、壁を焦がす程度で終わればほっとすることだろうが、そんなこともまずなかった。
イライラ、ピーッ! 跳ね返る音は、ジャジャ。ピー。ジャジャ。ジャ。ピピピッ。
そんな滑稽かつ悲惨な場面を目の当たりにしたくないから、男は自分の席を選ぶのだった。選ばれるのは、窓際だとか、柱の間だとか、額縁のないモダン・アートの横だとか、そういった場所ではなくて、特徴のない場所だ。特徴のない場所が好みだった。
窓は嵌め殺し。ガラスを叩いて、出してくれと叫んでも無駄なようにできている。窓外の街並みは、ありふれている。自動車道路を隔てた向かいの店も、看板も、その下を急ぎ足で歩く人も、その人の上着の裾がひらひらするのも、その前を走り去る小型車も、雨が降らないせいか、元気のなさそうな街路樹も、みんな、ありふれている。雨なんか、降っても降らなくても、ありふれている。店内の観葉植物だって、その種類も、葉も、照りも、ありふれている。テーブルがわずかにがたつくのだって、ありふれている。落ち着かないのも、ありふれたことだ。
伯母たちを連れて、利かん気そうな少女が入ってきた。浮いた足をぶらぶらさせるために、椅子に坐った。
イライラ、ピーッ! ジャ。
男は、両手をポケットに突っ込んだ。癖だ。小学校に上がったときからの癖。困ると、そうする。何に困っていいのか、わからなくて困ると、そうする。手を出しなさい。叱られると笑う。えへへっ。叱られなくても笑う。えへへっ。笑うために、ポケットがある。
空っぽのはずのポケットの中で、何かに触った。不気味。それがさっき貰ったビラだということに気づいたのは、取り出してテーブルに置いて皺を伸ばそうとしたときだった。
イライラ、ピーッ! ジャ。ピッ。
男はビラを千切って混ぜてから並べ直す。ジグソー・パズルの要領。火星探検から両足を失くしただけで無事に帰還した宇宙飛行士が自慢げに語ったことだ。暇で死にそうなときはパズルをするに限る、と。没頭すると、腹の立つのを忘れられる。時の経つのを、だったか。チラシに対して悪意は、ええっと、ないこともない。あった。そう、あるのだ。
ビラを貰ったことは思い出したが、ポケットに入れたことは思い出せない。捨てた覚えもないが、捨てられたビラが風に吹かれて戻ってポケットに入り込む様子を思い描くことはできた。ひらひら。するり。
いつだったか、そんな意外な体験をしたような気がする。場所はオーストラリアだ。砂漠の真ん中の岩壁を攀じ登り、もう少しで天辺だと思ったら、猿がぬっと顔を出した。男は驚いたが、猿はもっと驚いた。人間を、しかも男を見たことがなかったからだ。猿は飛び上がり、そのまま落下して潰れた。何が嫌だって、猿の潰れたのを見るぐらい、嫌なことはない。落下したのは、猿ではなかったのかもしれない。人間だったのかもしれない。猿に似た人間? 人間に似た猿? 人間にも猿にも似た異星人? 
自作のパズルは簡単だった。簡単すぎた。すいすい。簡単なのは、良いことだ。揺らぐ自信を立て直す効果がある。だが、簡単すぎるのは、どうか。
おや。最後の一枚がない。中央に嵌まるはずのピースがない。あることはあるが、うまく収まらない。縁は合っているのに絵柄が合わない。裏返して見たが、やはり、絵柄は合わない。今度は縁も合わない。風に乗って戻ってきたのは、この断片だったか。その断片のかさかさの縁をなぞる。罪を償うような感じ。失敗は成功の元。失敗を楽しむような感じ。
ちっぽけな自尊心が爛れた。腐りそうだ。
この一枚はこのままにして、他の断片を裏返したらどうか。一度に裏返すことはできない。一枚、一枚。その場合、右端が左端に来る。しかし、上が下に来るわけではない。
できそうでできないパズルを、ウエイトレスがちらちら見ている。制服が合わないらしく、肩のあたりを弄りながら、救いを求めるようにたった一人の客を見る。彼女に見られていることに男は気づかない。気付きたくないのか。言ってくれたら、足りないピースを探してあげるのに。丁寧に頼んでくれたら、他のことだってしてあげるのに。他のことって? あら、いやだ。
男は街路樹を見ている。街路樹の向こうに共同住宅があり、窓がある。いくつもの窓があって、屋根裏部屋があって、寝台があって、長患いの少女が寝ている。寝台の側に椀が置いてある。湯気は立っていない。彼女の父親は牢屋にいる。革命家と間違われた。本当は哲学者なのよね。そんな嘘を母親が少女に語る。性別不明の乳飲み子が欠伸をする。終わりのない話の途中で、母親は乳飲み子を抱え上げ、稼ぎに出る。その女が、ビラ配りの少女を見ていたのだ。
どこからともなく、歌声が流れてくる。歌声は通りを越え、川を越え、そして、雲のかけらが散る大空を巡り、四つ角に落ちてくる。ビラ配りの少女が歌っているのか。露天商には、少女の背中しか見えない。疎らに色褪せた革の上着。ビラを配り終えて、彼女は立ち去るところらしい。短いスカーフ。斜めに被ったハンチングから垂れ下がる一本の三つ編み。横縞の靴下は左右の色が違う。
彼女が店に入ってくる。この店には哲学者が集まると聞いたからだ。
男は自分が哲学者だったことを思い出す。そして、地下室の揺椅子から離れようとしない老女の顔を思い出す。高い窓から歩行者の脚が見え、その背景に空が見えた。薄暗い部屋にミイラのような老女は似合った。生きているのか、いないのか。尋ねても応じない彼女に向かって、大空を飛ぶことと真の自由との微妙な差異、あるいは深い溝について、すなわち、まだないことともうないことの合併症のような変事について、長々と講釈を垂れた。もう生きていないというよりはまだ生まれていないという感じの女を眺めながら飲んだお茶の味は思い出せる。味? いや、匂い。一方、講釈の内容がどうだったか、思い出せない。勝ち誇った笑みが張り付いたまま息絶えたような、死に化粧のための薄紙が乾ききって皺だらけになったような、ぞっとするほど醜い顔の中で、瞳だけは輝いて見えた。だが、動かない。その目が瞬時でもこちらを向いてくれたら、その眼差しが「許す」と告げているようだったら、別の日に別の誰かに同じ講釈をする気概が持てたかもしれない。哲学者でいられたかもしれない。もっと優れた講釈だってできそうではないか。
ウエイトレスは、無実の容疑者のように身じろぎひとつしない。彫像のようになれたらと願わないでもない。どんな彫像が素敵かしら。何を手にしよう。盾か。旗か。鈴が鳴り、反射的に動いた。ただ動いた。何をすればいいのか、まだ不慣れなので、咄嗟には思い付かない。だが、動いた。
男は、鈴の音を聞いて身構えた。待っていた人が来たようだ。誰を待っていたのだろう。何時と約束していたっけ。この店だったか。
ピー。ジャ。
ジャ? ジャ……。ジャン……。いや、ジャニス。そうだ。ジャニス。多分。
ジャニスらしい少女が、ウエイトレスに案内されて、入口近くの席に就いた。ウエイトレスを見上げるその横顔に、見覚えがある。だが、いつ、どこで会ったのか、思い出せない。つい最近だったようで、ずっと昔だったような気もする。欠けていたピースが見つかったような気がした。ビラを集め、手の中で丸めた。
「林檎風味の紅茶」をジャニスらしい少女は注文した。男が飲んでいるのも、それだ。偶然の一致か。運命か。わざと、だな。だろう。
男はいやに太く見える自分の指を訝しみ、それで断片が摘めるものか、試すように一枚を剥がした。すると、その端を女の指が撫でに来た。
ジャ。
顔は上げないで、男は名を呼ぼうとしたが、唇が震えるばかりだ。視野が暗み、前の椅子に座った人物の顔が見えない。服には、何となくだが、見覚えがある。
「時間がないの」と女は言う。飴でもしゃぶっているようで、彼女らしくない声だ。でも、彼女の声って、どんなだったろう。
「そうだね」と男は深い考えもなく応じた。
「何を見ているの」
問われて気づいた。自分は窓の外を向いていたのだ。正面に戻そうとしたが、戻らない。苦笑で誤魔化す。なぜ、この女はここにいるのだろう。理由が必要だろうか。理由を尋ねようとしたら、首が捻じれて、横になった。何かを不思議がっているように思われそうだ。
彼女は黙って、ゆっくりと立ち上がった。
ジャ。
男は去って行く人を呼び戻そうとした。同時に、首を元に戻そうとした。そして、どちらもできなかった。鈴の音がして、ドアの閉まる音がして、首が直った。店内から、一人だけ、誰かがいなくなっているはずだ。それは誰か。
だが、客たちの誰にも見覚えがない。ウエイトレスがいないので、男は大目に小銭を置いて、通りに走り出た。右、左、正面。人々は逃げ惑っている。どこへ逃げたらいいのか、わからないようだ。地響きがする。戦車が来るのだろう。いつかと同じように、やがて世界が終わるのだろう。
「忘れたの? 映画を観るのよ、これから、私たち」
「映画だろうか」
「現実でないことは確かね」
「女優の名は?」
「何度言えばわかるの。時間がないのよ」
彼女はジャニスじゃない。でも、いいんだ。その方が却っていいような気がする。男は腕を貸そうと、もたげた。それに手袋をした手が載る。階段を下りよう。
空を爆音が渡る。低空飛行。偵察機か。誰かを探しているのか。そして、その誰かを見つけたのか。翼が揺れる。
女が空に手を振る。ゆっくりと、黒板消しで黒板の文字を消すときのような仕草。何が消されたのか。
彼女の名を、私は知らない。
(終)

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備忘録~サンドイッチ

2021-04-14 10:40:15 | ジョーク
   備忘録
     ~サンドイッチ
買って被って御湿よ
贅沢はステーキだ
欲しがりません豚カツまでは
ホットケーキの皮もサンドイッチ
(終)

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夏目漱石を読むという虚栄「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」 2450

2021-04-13 18:06:37 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2450 継子いじめ
2451 『弱法師』
 
Kが「精神的に」云々の雑言を投げつけたかった本当の相手は、Sではなかったろう。語られるSはそのように推測していたはずだ。その相手は、日蓮の生まれた村にある「誕生寺(たんじょうじ)」(下三十)の「住持」(下三十)だ。Kは、自分が常日頃から考えていることを「住持」の口から聞きたかったのだが、期待外れに終わったので悔しがり、その悔しさをSと共有したがった。ところが、Sに無視されたので、八つ当たりをした。そうしたKの気分が察せられたので、SはKの雑言をまともに受け取ろうとはしなかった。ただし、もともと、Kが雑言を投げつけたかった相手は、彼の実父だ。彼は、「住持」に、実父のような人間を非難させたかった。そして、「住持」を〈理想的な父〉として敬愛したかった。
Sの空想するKは、〈理想的な父と邂逅する〉という夢を見ていたのだろう。この夢の物語は、〈Pは理想的な父と邂逅する〉というP文書の物語と相似だ。
 
<こは夢(ゆめ)かとて俊徳は、親(おや)ながら恥(は)づかしくて、あらぬかたに逃げければ、父は追ひ着き手を引きて、なにをか包(つつ)む難波寺(なにわでら)の、鐘(かね)の聲(こえ)も夜(よ)紛(まぎ)れに、明(あ)けぬ先(さき)にと誘(いさな)ひて、高安(たかやす)の里(さと)に帰りけり、高安(たかやす)の里(さと)に帰りけり。
(『弱(よろ)法師(ぼし)』)>
 
Kが実父を嫌うのは、実父が再婚したからだ。「住持」を実父の批判者として想定したのは、「住持」が日蓮宗徒だったからだろう。
 
<日本の仏教にあっては、鎌倉時代以後、愛欲を基本的に否定しようとするもの、愛欲を肯定しそのなかに生じる罪の意識や無常観をもとに阿弥陀仏の救済を求める浄土教、愛欲の生活にありながらも題目を称えることによって浄化されるとする日蓮仏教、の3つの傾向が生れた。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「愛欲」)>
 
Kは浄土教的愛欲を罪悪視したかった。なぜなら、彼は「真宗(しんしゅう)の坊さんの子」(下十九)でありながら「医者の所へ(ママ)養子に遣られた」(下十九)からだ。
ただし、「養子」は口実であり、実際には継母に唆された実父がKを厄介払いしたのだろう。Kは、実父を恨みつつも憐れみ、継母を憎んでいたのかもしれない。
両親に対する恨みや憎しみを、Sも抱いていた。〈親に虐待された子の物語〉を文脈として、KとSは「話を交換して」(下二十五)いた。ただし、「話を交換して」は意味不明。
Nの小説の主人公たちのほとんどが、少年期、親に疎まれている。あるいは、親を疎んでいる。さもなければ、親元から離れて暮している。ところが、Sだけは違う。〈両親はSを溺愛していた〉と誤読できる。ただし、溺愛も虐待の一種だろう。
Sを虐げたのは、両親ではなく、叔父一家ということになっている。『こころ』の作者は、親子関係に対する自分の実感を隠蔽するために、具体性の乏しい話を書いているようだ。KとSの育ちに、大きな違いはなかったろう。
 
 
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2450 継子いじめ
2452 母性喪失症候群
 
作者は、〈Kの物語〉を、可能な限り、隠蔽しようとしている。
 
<Kは母のない男でした。彼の性格の一面は、たしかに継母(けいぼ)に育てられた結果とも見る事が出来るようです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」二十一)>
 
「母のない男」は〈「母の」慈愛を知ら「ない男」〉などの不当な略だろう。
「たしかに」の被修飾語が不明。「彼の性格の一面」という言葉は、その「面」が致命的なことを隠蔽している。語り手Sは、〈実母はKを愛した〉という虚偽の暗示をしている。
 
<性格としては、孤独、攻撃的、疑い深い、拒否的となる。不活発でおどおどしているが、自分を受入れてくれる人にはまつわりつく。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「母性喪失症候群」)>
 
こうした「性格」は、K限定のものではない。Sも、Pも、そして、Nの小説に登場する男たちのほとんど全員が、こうした「性格」の持ち主だ。Nの生い立ちが反映しているわけだが、『道草』以前の作者は母性喪失症候群を過小評価していたようだ
Sは一種の「母のない男」であり、静の母によって癒されたように錯覚していたらしい。彼女によってKが癒されれば、静の母の母性が証明されるか。ただし、真相は不明。
語り手Sは、〈Kは実母に育てられなかった〉という物語と〈Kは「継母(けいぼ)に育てられた」〉という物語を同じもののように語っている。無理だ。
Kが継母から受けた精神的な傷は、意外に深かったのかもしれない。
 
<裔一は小さい道徳家である。埴生と話をするには、僕は遣り放しで、少しも自分を拘束するようなことは無かったのだが、裔一と何か話していて、少しでも野卑な詞、猥褻(わいせつ)な詞などが出ようものなら、彼はむきになって怒(おこ)るのである。
(森鴎外『ヰタ・セクスアリス』)>
 
Kも「小さい道徳家」だった。
 
<裔一の母親は継母である。ある時裔一と一しょに晴雪楼詩鈔を読んでいると、真間(まま)の手古奈(てこな)の事を詠じた詩があった。僕は、ふいと思い出して、「君のお母様は本当のでないそうだが、窘(いじ)めはしないか」と問うた。「いいや、窘めはしない」と云ったが、彼は母親の事を話すのを嫌うようであった。
(森鴎外『ヰタ・セクスアリス』)>
 
「継母」は「僕」を性的にからかう。彼女は、裔一をも性的に混乱させていたろう。
 
 
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2450 継子いじめ
2453 『摂州合邦辻』
 
『こころ』の隠蔽された主題は継子いじめだ。
 
<「継子話」は継母のいじめの方法により2大別できる、一つは、不可能な課題を与えて継子を苦しめる話である。第二は、継子を殺害するか追い出すかする話である。いずれも継子の苦難は、継子を守護する生母の霊や神仏の霊力によって救われる。
(『日本大百科全書(ニッポニカ)』「継子話」小島瓔禮)>
 
Kが養子に出されたのは、継母の策略によるものだったのかもしれない。語られるSは、そのように空想していたのではないか。
あらゆる継母が先妻の子に対して冷淡であるはずはない。〈実母=良い母〉かつ〈継母=悪い母〉というのは類型だ。実の子だからこそ厳しく接する母親はいる。『秋のソナタ』(ベルイマン監督)参照。
青年Sが空想し、語り手Sが隠蔽する〈Kの物語〉は、次のようなものと仮定できる。
 
継母に唆された実父は、「次男」(下十九)であることを口実に、Kを養子に出した。Kは、実父を愛欲に溺れた男とみなし、自分は違うタイプの男になろうと頑張った。理想の男になれたら実父を見返し、改心させ、実父に継母を罰させるつもりだった。
 
語り手Sは、青年Sの空想していた〈Kの物語〉の気分だけを漂わせている。
 
<河内国高安郡信吉長者の一子しんとく丸は継母の呪いによって癩(らい)となり、捨てられて乞食となるが、追ってきたいいなずけの乙姫と再会し、清水観音(清水寺)の利生によって元の身を取り戻すというのがその内容である。改作としてのちに有名な《摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)》が出た。
(『百科事典マイペディア』「しんとく丸」)>
 
 しんとく丸は『弱法師』の俊徳と同一人物。『身毒丸』(寺山修司)は現代の異本。
SとKが共有していた文脈は『しんとく丸』だったろう。静は乙姫だ。
 
<高安家の御家騒動を背景に、奥方玉手御前が、継子俊徳丸への邪恋を装って悪人の毒手から俊徳丸の命を守る苦衷と、玉手の父合邦の苦悩とを描く。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「摂州(せっしゅう)合邦(がっぽうが)辻(つじ)」)>
 
Sの空想するKは、〈継母の冷たさの裏には母性愛がある〉という夢を見ていた。玉手御前は静の母だ。Sは、彼女に〈良い母〉と〈悪い母〉の両面を見て、混乱した。
Sがこんな空想を好むのは、自分が母親から受けた精神的虐待の記憶をKの体験とすりかえるためだ。Sにとって、実母は継母のようによそよそしく感じられていたろう。
 
(2450終)
(2400終)
 

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夏目漱石を読むという虚栄「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」2440 

2021-04-12 19:08:20 | 評論

      夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2440 「ぐるぐる」
2441 不合理な二者択一
 
「遺書」の語り手Sは、不合理な二者択一を聞き手Pに迫る。
 
<凡(すべ)てを叔父任せにして平気でいた私は、世間的に云えば本当の馬鹿(ばか)でした。世間的以上の見地から評すれば、或は純なる尊(たっと)い男とでも云えましょうか。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」九)>
 
Sが「本当の馬鹿(ばか)」つまり当時の言葉でいう〈白痴〉なら、叔父によってとっくに禁治産者にされていたはずだ。逆に、「純なる尊(たっと)い男」であれば、まるで「本当の馬鹿(ばか)」みたいに「財産」を叔父に与えて「平気でいた」ことだろう。「訴訟」(下九)に関わるような話題で「本当の馬鹿(ばか)」という言葉を用いる語り手Sは、社会人として怪しい。
聞き手Pの対応はどこにも記されていないが、読者は〈Pは「純なる尊(たっと)い男」を選ぶ〉と思うはずだ。この場合、読者は作者によって「純なる尊(たっと)い男」を選ばされることになる。
朝三暮四の故事において二者択一が成り立つのは、〈合計七つ〉という前提があるからだ。二者択一の前提を疑わずに即答してしまうのは、賛成しようが反対しようが、猿と一緒。悪意のある質問者の掌の上で踊らされているのに気づかない利口ぶった猿人だ。
 
<釈尊の弟子の一人。兄の摩迦槃特が聡明であったのに比し愚鈍であったが、後に大悟したという。悟りに賢・愚の別がないことのたとえとされる。
(『広辞苑』「周利槃(しゅりはん)特(どく)」)>
 
Sは、愚者のような賢者として描かれている。だが、「大悟した」という話はない。
 
<ああ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。ただどこまでも十力(じゅうりき)の作用は不思議です。
(宮沢賢治『虔十公園林』)>
 
何ですかあ~? 
 
<「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ」
どんぐりは、しいんとしてしまいました。
(宮沢賢治『どんぐりと山猫』)>
 
作者の言いたいことを六十字以内にまとめよ。
まとめたあなたは「えらい」つまり「ばか」だ。「ばか」のふりをするあなたは「えらい」つまり「ばか」だ。「しいん」としてしまったあなたは、そう、「どんぐり」だよ。
 
 
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2440 「ぐるぐる」
2442 ドラマティック・アイロニー
 
青年Sは、〈自分は「本当の馬鹿」か、「純なる尊(たっと)い男」か〉という不合理な二者択一を本気で自分に課したのだろうか。語り手Sは、聞き手Pを相手に芝居をしているみたいだ。
 
<イアーゴー ああ、みじめな阿呆(フール)だ、
 愛してきたあげく誠実のせいで悪党(ヴァイス)にされるとは! 
(シェイクスピア『オセロー』後出エンプソン論文から)>
 
「愛して」は、〈オセローを敬い「愛して」〉の略。「誠実」とは、イアーゴーがオセローに、その妻の不貞を告げたときの態度。不貞は、オセローを悩ませるための作り話だから、言うまでもなく、観客の観点では、イアーゴーは「悪党(ヴァイス)」だ。
イアーゴーは、〈「世間的に云えば」自分は「阿呆(フール)」だ〉と、オセローに訴える。オセローは〈自分は「世間的以上の見地」に立つ人物だ〉と思いたくて、イアーゴーにやすやすと騙されてしまう。
冷静な読者なら、「遺書」の語り手Sは、イアーゴーのような嘘つきのように思えるはずだ。また、聞き手Pがオセローに相当する騙され役のように思えるはずだ。ところが、このように解釈すると、『こころ』は作品として解体する。
 
<ここにあらわれているのは、世間はそう考えているかもしれないが、「阿呆(フール)」にはなるものかというイアーゴーの気持である。だがこの気持は劇的アイロニーでもあり、彼の「誠実な」の概念に立ち戻る。彼は陰謀に我を忘れることによって「阿呆(フール)」になっているのだ。彼は他人を認識することにも、そして恐らく自分自身の欲求を認識することにすら失敗している。
(ウィリアム・エンプソン『『オセロー』における「誠実な」Honestという単語』)>
 
エンプソン的に読めば、語り手Sは、ある種の「馬鹿」になっている。彼は、語り手として失敗しているわけだ。作者は、このことに気づいているのだろうか。
Pのいう「恐ろしい悲劇」は、〈「純なる尊(たっと)い男」であるSが「運命」(下四十九)に翻弄される〉といったドラマだろう。だが、このドラマは、作品の内部の世界の住人であるSの独り芝居だ。だから、『こころ』に意味があるとすれば、「遺書」をドラマティック・アイロニー(劇的アイロニー)として読むことになる。つまり、『こころ』は、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』などの喜劇を悲劇に仕立て直そうとして意味不明になった失敗作なのだ。
語り手Sは、イアーゴーのように、「他人を認識することにも、そして恐らくは自分自身の欲求を認識することにすら失敗している」のだろう。ところが、作者が語り手Sをイアーゴー的しくじり先生として設定している様子はない。だから、作者こそ、「他人を認識することにも、そして恐らくは自分自身の欲求を認識することにすら失敗している」のだろう。こうした疑問を抱かない人は、実生活において、「他人を認識することにも、そして恐らくは自分自身の欲求を認識することにすら失敗している」のではなかろうか。
 
 
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2440 「ぐるぐる」
2443 「子供扱い」
 
青年Sが叔父のような普通の人から「子供扱い」(下八)をされるのは、当然だったろう。
 
<Aさんは親から譲り受けた莫大(ばくだい)な財産を持っているのですが、そのせいもあって、極度に他人を信じない傾向を心の中に持っています。Aさんにとっては他人とはすべて自分の財産を狙って近づいてくる下心を持った人たちであり、少しも油断できない存在です。ですから、Aさんはどんな人に対しても心を開こうとはしません。
(山岸俊男『日本人という、うそ―武士道精神は日本を復活させるか』)>
 
タイトルは、〈「日本人」はサムライかナデシコだ「という、うそ」〉などの略。
 
<もちろん、若いうちは、Aさんと友だちになりたいと考えた人もいたでしょうし、また誰も他人を信じられないAさんを気の毒に思い、手を貸してあげようと考える親切な人もいたかもしれません。
しかし、そうやっていくら仲良くしても、親切にしてあげても、Aさんが心の中で「何か下心があるのではないか」と疑っていることに気がつけば、普通の人ならば、Aさんと付き合うのがだんだんイヤになってくるものです。
(山岸俊男『日本人という、うそ―武士道精神は日本を復活させるか』)>
 
「普通の人ならば」Sを「Aさん」の同類と見なそう。『黄金』(ヒューストン監督)参照。
 
<その上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通った明か(ママ)なものにせよ、一向記憶となって母の頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。だから……然しそんな事は問題ではありません。ただこういう風に物を解きほどいて見(ママ)たり、又ぐるぐる廻して眺めたりする癖は、もうその時分から、私にはちゃんと備わっていたのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」下三)>
 
「そんな」の指すものは、「……」を復元したときに発見される言葉だろう。
 
<この性分が倫理的に個人の行為やら動作の上に及んで、私は後来(こうらい)益(ますます)他(ひと)の徳義心を疑うようになったのだろうと思うのです。それが私の煩悶(はんもん)や苦悩に向って、積極的に大きな力を添えているのは慥(たしか)ですから覚えていて下さい。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」下三)>
 
「この性分」は「ぐるぐる」のこと。「ぐるぐる」は不合理な二者択一に関わっている様子の形容だろう。「倫理的に」は意味不明。「個人」は〈他人〉のこと。
「向って」や「積極的に」などは意味不明。「益(ますます)」だから、すでに叔父以外の誰かの「徳義心」を疑っていたことになる。それは誰だろう。両親しか考えられまい。
(2440終)
 

     


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備忘録~ピンピン

2021-04-12 00:47:24 | ジョーク
   備忘録
     ~ピンピン
理屈見つかるか 罪作り
高望み 溝の型
槌の子の膣
自分 ピンピン 無事
(終)
 

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