ヒルネボウ

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夏目漱石を読むという虚栄「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」 2430

2021-04-08 21:01:08 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2430 「馬鹿」と「軽薄」
2431 「人間のどうする事も出来ない持って生れた軽薄」
 
「馬鹿」や「軽薄もの」は、『こころ』の隠蔽された主題に関わる言葉だ。それは「気取るとか虚栄とかいう意味」の類語であり、最終的に「明治の精神」と総括される。
 
<私は人間をはかないものに観じた。人間のどうする事も出来ない持って生れた軽薄を、はかないものに観じた。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」三十六)>
 
この前は、「自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た」という話だった。「自分に」だから、「思われ」は受身のようにも読める。Pは、「軽薄もののように」から「もののように」を削り、「自分」を「人間」に拡張する。語り手Pの「軽薄」の露呈。
「はかない」は意味不明。「に観じ」という用例を、私は知らない。この「に」は「に思われて来た」の「に」を引きずったものか。だったら、「に観じた」は「に思われて来た」の類語で、その誇張だろうか。
〈「どうする事も出来ない」~「軽薄」〉や「持って生れた軽薄」は意味不明。「はかない」が「あさはかである」(『広辞苑』「はかない」)という意味で、「軽薄」が「思慮のあさはかで篤実でないこと」(『広辞苑』「軽薄」)という意味なら、言い換えによる不当な誇張だ。
 
<神々に嘲(あざけ)られ打ち滅ぼされるような真の愚か者とは、自分自身の何者であるかを弁(わきま)えぬ人間のことだ、ぼくも長いあいだそういう人間だった。きみもやはり、長いあいだそういう人間だった。が、もうそういう自分から足を洗いたまえ。恐れてはならない。浅薄こそ、最高の悪徳なのだ。なにごとにもせよ、身をもって理解したことだけが真実である。きみがみじめに感じながら読むすべてを、ぼくはもっとうちひしがれた気持で書いている、ということも忘れないでほしい。きみにとっては「見えざる力」がはなはだ幸(さいわい)している。この力はきみに、不可思議で悲劇的な人生の姿を、いろいろ水晶にうつる影のように見せてくれた。
                                                    (オスカー・ワイルド『獄中記』)>
 
Pの言う「軽薄」も「自分自身の何者であるかを弁(わきま)えぬ」状態だろう。身の程知らずだ。ただし、彼には「見えざる力」が作用していない。〈自分は自分の身の程を「見えざる力」の助けなしに知ることができる〉と思っているものこそ、本物の身の程知らずだろう。Sの場合、「見えざる力」は「恐ろしい力」として不都合に働いた。「軽薄もの」の究極の姿は「この不可思議な私というもの」だろう。
Pは、「遺書」で語られるSの生き方を他山の石とし、同じような間違いをしでかさないように努めなければならないはずだ。しかし、「どうする事も出来ない」のなら、「遺書」は無益だろう。どうにかすることができたのなら、その話をすべきだ。
Pが批判すべきなのは、語られるSではない。語り手Sだ。Sの文体だ。ただし、作者がそんなことを示唆しているわけではない。
 
 
 
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2430 「馬鹿」と「軽薄」
2432 死刑宣告
 
「馬鹿」は夏目語だろう。
 
<「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯(うつ)向(む)いたまま顔を上げなかった。
「愚図だ」と兄が又云った。「不断は人並以上に減らず口を敲(たた)く癖に、いざと云(ママ)う場合には、まるで啞の様に黙っている。そうして、陰で親の名誉に関(かか)わる様な悪戯(いたずら)をしている。今日(こんにち)まで何の為に教育を受けたのだ」
(夏目漱石『それから』十七)>
 
代助は大卒のニートで、何に関しても意欲がない。理想もない。親の金で一軒を構え、書生を置いて、無為に暮している。腹の減らない「馬鹿」には「減らず口を叩く癖」がつく。
代助は「自分に特有なる細緻(さいち)な思索力と、鋭敏な感応性」(『それから』一)が自慢。だが、作中の誰一人として彼を尊敬していない。『それから』の作者が想定する読者は、代助をどのように評価すべきか。作者は、代助を批判しているのだろうか。あるいは、「兄」のような人々を批判しているのだろうか。どっともどっちか。不明。
「兄」の言葉遣いはよろしくないが、その主旨は常識的なものだ。代助は、結局、勘当されてしまう。当然の成り行きだ。なるようになっただけのこと。読者は、そんなくだらない話を読まされる。
 
<或者はまるで彼の存在を認めなかった。或者は通り過ぎる時、ちょっと一瞥(いちべつ)を与えた。
「御前は馬鹿だよ」
稀(まれ)にはこんな顔付をするものさえあった。
(夏目漱石『道草』九十七)>
 
『道草』は、『こころ』の次に発表された。
「彼」は健三という名で、作家以前のNがモデルとされる。
「ちょっと」は不要。健三は〈誰か私の「存在」を認めてくれよ〉と叫びたかったのだろう。そんな思いが顔に出ていて、だから、通行人がチラ見したか。
「御前は馬鹿だよ」というのは幻聴のようでもあり、単なる想像のようでもある。
「こんな顔つきをするもの」は、健三の幻覚のようだが、実在したのかもしれない。
この場面の語り手は、情景を客観的に語っているのでもなく、健三の妄想を語っているのでもない。語り手には、通行人の見方と健三の見方の仕分けができないのだ。作者は何をしているのだろう。読者はどう読めばいいのだろう。
「馬鹿」は死刑宣告に等しい。Kは自分を「馬鹿」と思って死にたくなった。健三は誰かに「馬鹿」と呼ばれたような気がして滅入ったらしい。Kは、眼前のSからではなく、頭の中にいるDから「馬鹿」と呼ばれたのだろう。健三も、通行人からではなく、頭の中のDから「馬鹿」と呼ばれたのだろう。Kの死後、Sも自分のDから「馬鹿」呼ばわりされているようだ。Nこそ、Dから「馬鹿」呼ばわりされながら暮らしていたのだろう。
 
 
 
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2430 「馬鹿」と「軽薄」
2433 文豪は「馬鹿」だった
 
「馬鹿」の真意を、Nは執拗に隠蔽している。
 
<もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪(ひざま)ずいて、私に毫(ごう)髪(はつ)の疑(うたがい)を挟(さしはさ)む余地もない程明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶(くもん)から解脱(げだつ)せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来る凡(すべ)ての人を、玲瓏(れいろう)透徹な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授け給わん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、或は疑い深くて人を容(い)れる事が出来ないか、この両方だけしかない様な気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。
(夏目漱石『硝子戸の中』三十三)>
 
「全知全能」でなくてもよかろう。〈「直覚を与えて」くれる「神」〉で十分。ただし、「直覚」は意味不明。「神があるならば」はふざけ過ぎ。「全知全能(ぜんちぜんのう)の神」と取引をする気か。しかも、その代償が「跪(ひざま)ずいて」やるだけか。「毫(ごう)髪(はつ)の疑いを挟(さしはさ)む余地もない程」は贅沢。とりあえず、〈もうちょっと「明らかな直覚」〉で我慢しなさい。「この苦悶(くもん)」について、この前に縷々語られているが、意味不明。だから、「神」の正体も不明。
どんなふうに「不明な」のか、私には読み取れない。「出て来る」のを待つのは怠け者。昼間にカンテラを提げて〈人間はいないか〉と呼ばわりなさい。「玲瓏(れいろう)透徹(とうてつ)な正直もの」は意味不明。普通の人に通じないような漢語を盾にしてその陰に身を隠す癖が治らない限り、実直な人が「前に出て来る」可能性はゼロだろう。「変化して」は〈「変化」せ「し」め「て」〉の間違いか。「魂」は意味不明。したがって、「幸福」の実態も不明。
どんなふうに自分が「騙されるか」ということについて、Nは明らかに語っていない。「容(い)れる」様子も語っていない。「疑い深くて」には笑わされる。間違いなく、「騙され」てきたのだ。つまり、「人」はNに対して、「不安で、不透明で、不愉快」な感情を隠して対面してきた。「人を容(い)れる事ができない」は、〈「人」はN「を容(い)れる事ができない」〉の間違い。「騙される」の真相は、〈「人」はN「を容(い)れる事ができ」るとNが勘違いする〉だろう。「両方だけしか」は、〈「両方だけ」〉と〈「両方」「しか」〉の混交。〈「両方だけ」~「ない」〉だと、「両方」以外に何かがありそうだ。〈「両方」「しか」~「ない」〉だったら、言うまでもなく、「両方」以外には何もない。何かがありそうで、なさそうな、矛盾した気分の露呈だ。Nは、この種の混乱の露呈に気づいていない。
「不安で、不透明で、不愉快」と「淋しみ」は同じような情緒だろう。さびしい系の語句は夏目語。「不透明」は意味不明。「不愉快」の反対が「幸福」らしい。だったら、お手軽な「幸福」だ。あるいは、「愉快」が意味不明。
「それ」の指す言葉はない。「人間」は唐突。「私」が適当。「人間」につなげたいのなら、「つづくとすれば」は〈誰にでも「つづく」ことだと「すれば」〉などとやるべきだった。Nは、彼一人の「不愉快」を、何の断りもなく「人間」全体に共有させようと企む。こんな汚い言葉遣いをするからNは嫌われたのだろう。
(2430終)
 

夏目漱石を読むという虚栄 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」 2420

2021-04-07 23:46:20 | 評論
      夏目漱石を読むという虚栄
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2420 「馬鹿」の含意
2421 「さも軽薄もののように」
 
意味不明の「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」という雑言にKがこめた意味つまりK的含意を、Sは知らなかった。〈SはK的含意を知らない〉ということに、Kは気づいていたろうか。不明。気付かれているかどうか、Sは気にしたろうか。不明。
 
<たしかその翌(あく)る晩の事だと思いますが、二人は宿へ(ママ)着いて飯を食って、もう寐(ね)ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日(きのう)自分の方から話しかけた日蓮の事に就いて、私が取り合わなかったのを、快よ(ママ)く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だと云って、何だか私をさも軽薄もののように遣り込めるのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」三十)>
 
「翌(あく)る晩」は不可解。なぜ、〈その「晩」〉ではないのか。「もう寐(ね)ようという少し前になってから」は意味不明。「むずかしい問題」が何なのか、不明。この後のやりとりを指すのだろうか。だったら、「問題」は意味不明。普通の意味での「問題」はないからだ。
「日蓮の事」の内容は語られない。「昨日(きのう)」のSは「草臥(くたび)れて」(下三十)いて、「日蓮の事」を聞き流していた。この「晩」のSが〈「むずかしい問題」は嫌いさ〉と言ったのかどうか、不明。〈「むずかしい問題」だから整理してみてよ〉と言ったのかどうか、不明。
「何だか」や「さも軽薄もののように」は怪しい。Sは、「遣り込め」られなかった。この後、「私は私で弁解を始めたのです」(下三十)と続く。ただし、「弁解」は変。〈反撃〉などが適当のようだが、真意は〈ごまかし〉だろう。〈Sは「馬鹿」か〉という簡単そうな問題の解答はない。この問題は消えてしまう。だから、「馬鹿」は意味不明。
「精神的に向上心がない」という言葉には、日本語として確かな意味がない。そんな言葉を意味ありげに用いる日本人は、「精神的に」怪しい。また、「向上心」の話をしているときに「馬鹿」なんて幼稚な言葉を使うK自身がバカみたいだ。「馬鹿」を聞きとがめないSもバカみたいだ。利口ぶったバカだ。専門バカなどとは違う。軽薄才子。
 
<私は実際心に浮ぶ(ママ)ままを書いた。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。
私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た。私は不愉快になった。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」三十六)>
 
「心に浮かぶまま」の真相は、〈Dに言われるがまま〉だ。Pは、暗記していたらしい「感傷的な文句」(上三十六)を「兄」宛ての手紙に書いてしまった。
「書いたあと」で我に返った。「書いた時」は〈書いている間〉などが適当。
「矛盾」はない。「矛盾」なんて言葉を不用意に用いるのが「軽薄もの」なのだ。
「自分に」は意味不明。
 
 
 
 
 
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2420 「馬鹿」の含意
2422 「恋の行く手」
 
房州旅行から帰った後、Sの方から「むずかしい問題」を蒸し返す。そのとき、Sは、それがすでに解けていて、しかも、その答えを二人がずっと共有してきたふうを装う。
 
<私は先(ま)ず『精神的に向上心のないものは馬鹿(ばか)だ』と云い放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。然し決して復讐(ふくしゅう)ではありません。私は復讐以上に残酷な意味を有(も)っていたという事を自白します。私はその一言(いちごん)でKの前に横たわる恋の行手を塞(ふさ)ごうとしたのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十一)>
 
「先(ま)ず」は意味不明。〈次〉がないからだ。
「使った言葉」は意味不明。〈あることを目的として「使った言葉」〉などの不当な略か。
「使った通り」は意味不明。なお、「房州」でKは「向上心が」と言った。「向上心の」ではない。「投げ返した」として、どうなるのか。俗にいうブーメラン効果をSは期待したのだろう。その程度のことしか、私には想像できない。
「復讐(ふくしゅう)」は、〈「房州」で「軽薄もの」扱いされたことに対する「復讐(ふくしゅう)」〉の略。
「復讐以上」に「復讐(ふくしゅう)」が含まれないのは変。「意味」の意味は〈意図〉か。不明。
『こころ』には「横たわる」が何度か出てくるが、どれも誤用。『こころ』における「恋」は意味不明。したがって、「恋の行手」も意味不明。
 
<彼の重々しい口から、彼の御嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像して見(ママ)て下さい。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」三十六)>
 
「重々しい口」は意味不明。「彼の重々しい口から」は〈「彼の」「口から」「重々しい」口調で〉とでも添削してやるか。面倒くさい。〈Kの「御嬢さんに対する切ない恋」の物語〉の中身は空っぽだ。〈この後、「私」の状態が語られるから、それを「想像して見て」ということなのかもしれない。「切ない恋」というと〈叶わぬ思い〉のようだが、違う。〈学生が恋をしてはいけない〉というふうに誤読できなくはないが、青年Sが空想していたはずの真相は〈Kは静に誘惑されて嬉しがっている自分を恥じる〉といったものだ。「切ない恋を打明けられた時の」Sの「心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず掻(か)き乱されていましたから、細かい点になると殆んど耳に入らないと同様」(下三十六)だったそうだ。しかも、聞こえていた「半分」さえ、語り手Sは語らない。
作者は、Sの空想する〈Kの「恋」の物語〉を徹底的に隠蔽している。Kの「恋」は被愛妄想だろう。一方、Sの「恋」は被愛妄想的気分に留まっていた。「相手は自分より強いのだ」(下三十六)とは、〈「相手は」妄想的性格において「自分より強いのだ」〉の不当な略だろう。作者は、自身の被愛妄想的性格を隠蔽している。
 
 
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2420 「馬鹿」の含意
2423 「単なる利己心の発現」
 
「恋の行手」云々に続く話が、私にはほとんど理解できない。だから、飛ばす。
 
<こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取(ママ)って痛いに違いなかったのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十一)>
 
「こういう」がどういうだか、私には読み取れない。「過去を二人の間に通り抜けて来て」は意味不明。「来ているのですから」に呼応させるには、「違いなかったのです」は〈違いないと思ったのです〉などでなければならない。ただし、このように語ると、〈実は違っていた〉という含意が生じる。この含意を処理できないから、語り手Sはおかしな言葉遣いをしているのだろう。
この後も意味不明なので、飛ばす。
 
<要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十一)>
 
この前の話を私なりに要約すると、〈Sは互いのために良かれと思ってKの雑言を引用した〉となる。だから、「利己心」という言葉は、やや唐突。〈良かれと思ったのは自己欺瞞だった〉と補足するか。「私の言葉」は〈Kの雑言〉だから〈「私の」発言〉が妥当。「単なる」には〈悪意のない〉という含意があるが、〈善意のない〉と解釈すべきか。「発現」には〈意図しない表出〉という含意があるが、〈意図を自覚したくない発言〉と解釈すべきか。
要するに、Sの反省が足りない。語り手Sの言葉は、語られるSの混乱を反復している。
 
<『精神的に向上心のないものは、馬鹿だ』
私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
『馬鹿だ』とやがてKが答えました。『僕は馬鹿だ』
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十一)>
 
「二度」の理由、あるいは三度ではない理由などが不明。「繰り返し」た理由が不明。
「そうして」は、〈そうすることによって〉や〈そうしながら〉などの混交。「Kの上に」は意味不明。「どう影響するか」について、Sは予想していたろうか。わからない。「どう影響するかを見詰めて」は意味不明。どう影響したのか、この後を読んでも、わからない。『こころ』を最後まで読んでも、わからない。
最初の「馬鹿だ」は、KのDの言葉であり、〈御前は「馬鹿だ」〉の略だ。Kはそれに対して「僕は馬鹿だ」と応じたわけだ。どちらも、眼前のSに対する返事ではない。
「馬鹿」のK的含意は不明のまま、『こころ』は終わる。
(2420終)
 

丼 食おう

2021-04-06 00:09:27 | ジョーク
 
   丼 食おう
丼 食おう 食おう 丼 食おう
お店に入って さあ 食べよう
泥鰌が出て来て 柳川丼
ごっつぁん 一緒に 食べましょう
 
丼 食おう 食おう 喜んで
しばらく一緒に食べてたが
やっぱり鰻がおいしいと
泣いては 泥鰌を 困らせた
(終)