夏目漱石を読むという虚栄
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2420 「馬鹿」の含意
2421 「さも軽薄もののように」
意味不明の「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」という雑言にKがこめた意味つまりK的含意を、Sは知らなかった。〈SはK的含意を知らない〉ということに、Kは気づいていたろうか。不明。気付かれているかどうか、Sは気にしたろうか。不明。
<たしかその翌(あく)る晩の事だと思いますが、二人は宿へ(ママ)着いて飯を食って、もう寐(ね)ようという少し前になってから、急にむずかしい問題を論じ合い出しました。Kは昨日(きのう)自分の方から話しかけた日蓮の事に就いて、私が取り合わなかったのを、快よ(ママ)く思っていなかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だと云って、何だか私をさも軽薄もののように遣り込めるのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」三十)>
「翌(あく)る晩」は不可解。なぜ、〈その「晩」〉ではないのか。「もう寐(ね)ようという少し前になってから」は意味不明。「むずかしい問題」が何なのか、不明。この後のやりとりを指すのだろうか。だったら、「問題」は意味不明。普通の意味での「問題」はないからだ。
「日蓮の事」の内容は語られない。「昨日(きのう)」のSは「草臥(くたび)れて」(下三十)いて、「日蓮の事」を聞き流していた。この「晩」のSが〈「むずかしい問題」は嫌いさ〉と言ったのかどうか、不明。〈「むずかしい問題」だから整理してみてよ〉と言ったのかどうか、不明。
「何だか」や「さも軽薄もののように」は怪しい。Sは、「遣り込め」られなかった。この後、「私は私で弁解を始めたのです」(下三十)と続く。ただし、「弁解」は変。〈反撃〉などが適当のようだが、真意は〈ごまかし〉だろう。〈Sは「馬鹿」か〉という簡単そうな問題の解答はない。この問題は消えてしまう。だから、「馬鹿」は意味不明。
「精神的に向上心がない」という言葉には、日本語として確かな意味がない。そんな言葉を意味ありげに用いる日本人は、「精神的に」怪しい。また、「向上心」の話をしているときに「馬鹿」なんて幼稚な言葉を使うK自身がバカみたいだ。「馬鹿」を聞きとがめないSもバカみたいだ。利口ぶったバカだ。専門バカなどとは違う。軽薄才子。
<私は実際心に浮ぶ(ママ)ままを書いた。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。
私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た。私は不愉快になった。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」三十六)>
「心に浮かぶまま」の真相は、〈Dに言われるがまま〉だ。Pは、暗記していたらしい「感傷的な文句」(上三十六)を「兄」宛ての手紙に書いてしまった。
「書いたあと」で我に返った。「書いた時」は〈書いている間〉などが適当。
「矛盾」はない。「矛盾」なんて言葉を不用意に用いるのが「軽薄もの」なのだ。
「自分に」は意味不明。
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2420 「馬鹿」の含意
2422 「恋の行く手」
房州旅行から帰った後、Sの方から「むずかしい問題」を蒸し返す。そのとき、Sは、それがすでに解けていて、しかも、その答えを二人がずっと共有してきたふうを装う。
<私は先(ま)ず『精神的に向上心のないものは馬鹿(ばか)だ』と云い放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。然し決して復讐(ふくしゅう)ではありません。私は復讐以上に残酷な意味を有(も)っていたという事を自白します。私はその一言(いちごん)でKの前に横たわる恋の行手を塞(ふさ)ごうとしたのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十一)>
「先(ま)ず」は意味不明。〈次〉がないからだ。
「使った言葉」は意味不明。〈あることを目的として「使った言葉」〉などの不当な略か。
「使った通り」は意味不明。なお、「房州」でKは「向上心が」と言った。「向上心の」ではない。「投げ返した」として、どうなるのか。俗にいうブーメラン効果をSは期待したのだろう。その程度のことしか、私には想像できない。
「復讐(ふくしゅう)」は、〈「房州」で「軽薄もの」扱いされたことに対する「復讐(ふくしゅう)」〉の略。
「復讐以上」に「復讐(ふくしゅう)」が含まれないのは変。「意味」の意味は〈意図〉か。不明。
『こころ』には「横たわる」が何度か出てくるが、どれも誤用。『こころ』における「恋」は意味不明。したがって、「恋の行手」も意味不明。
<彼の重々しい口から、彼の御嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像して見(ママ)て下さい。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」三十六)>
「重々しい口」は意味不明。「彼の重々しい口から」は〈「彼の」「口から」「重々しい」口調で〉とでも添削してやるか。面倒くさい。〈Kの「御嬢さんに対する切ない恋」の物語〉の中身は空っぽだ。〈この後、「私」の状態が語られるから、それを「想像して見て」ということなのかもしれない。「切ない恋」というと〈叶わぬ思い〉のようだが、違う。〈学生が恋をしてはいけない〉というふうに誤読できなくはないが、青年Sが空想していたはずの真相は〈Kは静に誘惑されて嬉しがっている自分を恥じる〉といったものだ。「切ない恋を打明けられた時の」Sの「心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず掻(か)き乱されていましたから、細かい点になると殆んど耳に入らないと同様」(下三十六)だったそうだ。しかも、聞こえていた「半分」さえ、語り手Sは語らない。
作者は、Sの空想する〈Kの「恋」の物語〉を徹底的に隠蔽している。Kの「恋」は被愛妄想だろう。一方、Sの「恋」は被愛妄想的気分に留まっていた。「相手は自分より強いのだ」(下三十六)とは、〈「相手は」妄想的性格において「自分より強いのだ」〉の不当な略だろう。作者は、自身の被愛妄想的性格を隠蔽している。
2000 不純な「矛盾な人間」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
2420 「馬鹿」の含意
2423 「単なる利己心の発現」
「恋の行手」云々に続く話が、私にはほとんど理解できない。だから、飛ばす。
<こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取(ママ)って痛いに違いなかったのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十一)>
「こういう」がどういうだか、私には読み取れない。「過去を二人の間に通り抜けて来て」は意味不明。「来ているのですから」に呼応させるには、「違いなかったのです」は〈違いないと思ったのです〉などでなければならない。ただし、このように語ると、〈実は違っていた〉という含意が生じる。この含意を処理できないから、語り手Sはおかしな言葉遣いをしているのだろう。
この後も意味不明なので、飛ばす。
<要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十一)>
この前の話を私なりに要約すると、〈Sは互いのために良かれと思ってKの雑言を引用した〉となる。だから、「利己心」という言葉は、やや唐突。〈良かれと思ったのは自己欺瞞だった〉と補足するか。「私の言葉」は〈Kの雑言〉だから〈「私の」発言〉が妥当。「単なる」には〈悪意のない〉という含意があるが、〈善意のない〉と解釈すべきか。「発現」には〈意図しない表出〉という含意があるが、〈意図を自覚したくない発言〉と解釈すべきか。
要するに、Sの反省が足りない。語り手Sの言葉は、語られるSの混乱を反復している。
<『精神的に向上心のないものは、馬鹿だ』
私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
『馬鹿だ』とやがてKが答えました。『僕は馬鹿だ』
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四十一)>
「二度」の理由、あるいは三度ではない理由などが不明。「繰り返し」た理由が不明。
「そうして」は、〈そうすることによって〉や〈そうしながら〉などの混交。「Kの上に」は意味不明。「どう影響するか」について、Sは予想していたろうか。わからない。「どう影響するかを見詰めて」は意味不明。どう影響したのか、この後を読んでも、わからない。『こころ』を最後まで読んでも、わからない。
最初の「馬鹿だ」は、KのDの言葉であり、〈御前は「馬鹿だ」〉の略だ。Kはそれに対して「僕は馬鹿だ」と応じたわけだ。どちらも、眼前のSに対する返事ではない。
「馬鹿」のK的含意は不明のまま、『こころ』は終わる。
(2420終)