ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

夏目漱石を読むという虚栄 3230

2021-05-20 23:33:21 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3230 『運命論者』
3231 額縁であるべきP文書
 
Sが「鎌倉」へ一人で来た理由は不明。事故死を装った溺死を企んでいたか。そうだとすると、Sには危うげな雰囲気が漂い、目立っていたのかもしれない。そうした雰囲気つまり「黒い影」に気付いた人は、気味悪がってSを避けたろう。ところが、Pは惹かれた。その理由は不明だ。「黒い影」に気づいて関心を抱いたのではない。Pが半裸の白人を珍しがった理由さえ不明なのに、その同伴者であるだけのSがどうして興味の対象になるのだろう。まったくわからない。かなり無理な話だ。
 
<秋の中過(なかばすぎ)、冬近くなると何(いづ)れの海浜を問ず(ママ)、大方は淋(さび)れて来る、鎌倉も其通りで、自分のやうに年中住んで居る者の外は、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、地曳網の男、或は(ママ)浜づたいに往(ゆき)通(かよ)ふ行商(あきんど)を見るばかり、都人士らしい者の姿を見るは稀なのである。
(国木田独歩『運命論者』一)>
 
この場面とは反対に、P文書の「鎌倉」は夏で賑わっている。作者は、わざと『運命論者』と反対の設定をしているらしい。
『運命論者』の最初の語り手である「自分」は、「都人士らしい者」との出会いを期待していたようだ。すると、お約束のように、「運命論者」である高橋信造が登場し、「自分」は彼の身の上話を聞くことになる。ありふれた展開だ。この身の上話が『運命論者』の本体になる。「自分」が語り手である部分は額縁のようになっている。身の上話を聞き終わると、再び「自分」が語り手になり、そして、作品は終る。
常識的には額縁であるべきP文書が『こころ』の前半を占めていて、しかも、「遺書」が終わっても、P文書は再開されない。おかしな構成だろう。
「自分」は挙動不審の男つまり信造を見かける。
 
<妙な奴だと自分も見返して居ること暫し、彼は忽(たちま)ち眼を砂の上に転じて、一歩一歩、静かに歩きだした。されども此窪地の外に出やうとは仕(ママ)ないで、たゞ其処らをブラ〵〳歩いて居る、そして時々凄い眼で自分の方を見る、一たいの様子が尋常でないので、自分は心持が悪くなり、場所を変る積(つもり)で其処を起ち、砂山の上まで来て、後(うしろ)を顧ると、如何(どう)だらう怪(あやし)の男は早くも自分の座つて居た場処に身体を投げて居た! そして自分を見送つて居る筈が、さうでなく立(たて)た膝の上に腕組をして突伏(つッぷ)して顔を腕の間に埋めて居た。
余りの不思議さに自分は様子を見てやる気になつて、兎(と)ある小蔭に枯草を敷て(ママ)這ひつくばい、書(ほん)を見ながら、折々頭を挙げて彼の男を覗(うかが)つて居た。
(国木田独歩『運命論者』一>
 
この「不思議さ」には何の不思議もない。Pの「不思議」とはまるで違う。
『こころ』と『運命論者』には、類似の話がいくつもある。ただし、弄られて変な話になっている。作者は、『運命論者』を利用しながらも、そのことを読者に気づかれまいと工夫し、しくじり続ける。本文が意味不明なのは、そのせいだ。
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3230 『運命論者』
3232 「運命の恐ろしさ」
 
 〈信造の物語〉は〈Sの物語〉の隠蔽された原典かもしれない。
 
<父に背いて他の男に走った母の娘と知らずに結婚した男の苦悶を描く。
(『広辞苑』「運命論者」)>
 
Sは養子であり、両親はそのことをSに対して秘密にしていた。しかし、叔父を含め、親戚はSが養子であることを知っていた。Sも長ずるに従い、そのことを薄々察するようになる。「ぐるぐる」は、自分の出自に関する問題を解こうとして解けない状態、いや、解きたくない状態を形容する言葉だろう。Sの母は死に際に「東京へ」(下三)と呟く。「東京」にはSの実母がいるからだ。静の母はSの実母だった。ただし、静の母は、そのことを知らない。ところが、なぜか、Sは知る。静は異父妹に当たる。
 
<里子は兎も角も妹ですから、僕の結婚の不倫であることは言ふまでもないが、僕は妹として里子を考へることは如何しても出来ないのです。
人の心ほど不思議なものはありません。不倫といふ言葉は愛といふ事実には勝てないのです。僕と里子の愛が却つて僕を苦しめると先程言つたのは此事です。
(国木田独歩『運命論者』六)>
 
「僕」は信造。奇妙なことだが、〈信造の母=里子の母〉という決定的な証拠はない。里子と信造の「愛という事実」は描写されていない。作者は、それを表現できなくて、インセスト・タブーの物語へと逃げているみたいだ。つまり、作者は、「妹として里子を考えること」しかできなくて、〈作者にとって表現困難な「愛という事実」〉を〈作中人物の「不倫という言葉」〉によって表現したふりをしているように疑われる。
語り手Sは「運命の恐ろしさ」(下四十九)という言葉を用いているが、この「運命」の物語は空っぽだ。作者は「運命」という言葉を『運命論者』から持ってきたのだろう。
『それから』の三千代は、代助の友人だった菅沼の妹だ。友人を〈もう一人の自分〉と見なせば、代助はインセスト・タブーを犯したことになる。さらに言えば、二人の男は一人の少女を媒介として精神的に合体する可能性があったことにもなる。少女を媒介とした男同士のプラトニック・ラブが成立するわけだ。
Sは、Kと精神的に合体するために、〈静とKの恋愛〉を空想していたのだろう。当然ながら、この空想が実現することを忌避してもいた。この矛盾を、Sは自覚できなかった。語り手Sも自覚していない。作者さえ、自覚していない。だが、作者は、この奇妙な「運命の恐ろしさ」を露呈してしまっている。
ちなみに、『女系図』(泉鏡花)は「小説としては構想が不自然に過ぎる」(『ブリタニカ』「女系図」)とされる。話が複雑になった原因は、主人公の主税とその妹のような妙子との恋愛感情を作者が隠蔽しているせいだろう。主税の恋人であるお蔦は、彼と妙子の母あるいは姉のような存在だ。
 
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3230 『運命論者』
3233 みゆき現象
 
Sは、従妹と結婚する気になれなかった理由について、次のように語る。
 
<あなたも御承知でしょう、兄(きょう)妹(だい)の間に恋の成立した例(ためし)のないのを。私はこの公認された事実を勝手に布衍(ふえん)しているかも知れないが、始終接触して親しくなり過ぎた男女(なんにょ)の間には、恋に必要な刺戟(しげき)の起る清新な感じが失な(ママ)われてしまうように考えています。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」六)>
 
一つでも「例(ためし)」が見つかれば話はひっくり返ってしまう。
 
<兄の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)皇子との兄妹相姦説話で知られる。
(『古語林 古典文学事典/名歌名句事典』「衣通(そとおり)王(のみこ)」)>
 
「公認された事実」には〈黙認された別の「事実」〉という含意がある。
Sは〈兄妹のように育った男女間の「恋」の物語はない〉とでも思っているのか。『井筒』(世阿弥)を知らないのか。『たけくらべ』(樋口一葉)でもいい。
Nは『あわれ、彼女は娼婦』を知っていたはずだ。
 
<特に主人公ジョバンニが懐妊させた実の妹アナベラを殺し、その心臓を剣に突刺して登場する最後の場面は圧巻。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「あわれ、彼女は娼婦」)>
 
『ザ・ルーム』(ダオー監督)では、兄妹相姦による懐妊が聖母マリアの処女懐胎に擬せられる。こうしたトリックは、日本では不必要だろう。日本では、兄妹相姦は、愚行ではあっても、悪行ではないからだ。
 
<一人の女の子に“恋人、母、妹”の役割を求める当世の男の子の姿をよくとらえている。
(世相風俗観察会編『現代風俗史年表』1983年「みゆき現象」)>
 
古代日本の近親相姦の罪としては、「己が母犯せる罪、己が子犯せる罪」(『ブリタニカ』「国津罪」)しかなかったようだ。『運命論者』の主人公の苦悩は、日本の近代社会における性愛文化の混乱によって生じたのだろう。罪と恥の混同かもしれない。
近代日本人の作家は、恋愛の「感じ」として兄妹相姦を思いつく。『運命論者』の作者は西洋的禁忌を利用して自身の想像力の不足を隠蔽した。『こころ』の場合はもっと複雑だ。兄妹相姦の物語は作品の深層でもSの妄想でもない。それは母子相姦を希釈したものだ。Sは、静の母を実母として想像し、静とではなく、その母との結婚を夢見た。こうした混乱を、作者は必死になって隠蔽している。その結果、本文が意味不明になってしまった。
「恋は罪悪」の真意は「己が母犯せる罪」だろう。
 
(付記)井田生『一地方における凄い性生活(見聞集)ーー近親間姦の種々相を中心に』「一〇 近親姦序説ーー文学の中の表現」(日本生活心理学会〔編〕『生心リポート・セレクション④さまざまなる耽美性愛の情動』所収)
 
 
(3230終)
 

夏目漱石を読むという虚栄 3220

2021-05-19 23:03:13 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3220 正体不明の「先生」
3221 Dの代役
 
「淋(さび)しい人間」には、「相手も私と同じ樣な感じを持っていはしまいか」と思いたがる傾向があるようだ。〈相手も自分と同じように感じてほしい〉という期待が過度になり、妄想的になるのだろう。
 
蠅は手の上にぴたりととまった。
その気になれば、手をのばして、蠅を追っばらうこともできる。
でも彼女は追わなかった。
彼女は追わずに、だれかが見ていればいいのにと思った。そうすれば、彼女がどんな人間かを知ってくれるだろう。
なんだ、あの女は、蠅も殺せないんだ……と。
(ロバート・ブロック『サイコ』)
 
「彼女」の名はノーマという。彼女の空想する「だれか」との問答を上演してみよう。
 
だれか 蠅があなたの手にぴたりととまった。手をのばして、蠅を追っばらわないのか。
ノーマ その気になれば、手をのばして、蠅を追っぱらうこともできる。でも、私は追わない。追わずに私を、だれかが見ていてくれればいいのにと思う。そうすれば、私が、どんな人間かを知ってくれるだろう。
だれか なんだ、あなたは、蠅も殺せないんだ。
 
お笑いになってしまった。
彼女の〈自分の物語〉は、次のように語られている。聞き手は「だれか」つまりDだ。
〈蠅は私の手にぴたりととまった。その気になれば、手をのばして、蠅を追っぱらうこともできる。でも私は追わない〉。
ノーマは、〈私は、蠅も殺せないんだ〉と自己紹介したくない。他人に忖度してほしい。〈私は、「あの女は、蠅も殺せないんだ」とだれかに思われたがる人間だ〉というふうに自己紹介するのも、いやだ。では、〈私は「あの女は、蠅も殺せないんだ」と人から思われたがる人間だと自己紹介することもできないんだ〉と自己紹介すべきだろうか。そんな自己紹介はほとんど無意味だろう。ノーマは、どんな自己紹介もできない。
Sは自己紹介ができない。語り手Pは、Sに代わってSをQに紹介することができない。作者は読者にSを紹介できない。
 
あなたは とうさんのイメージが いえ… 愛(あい)の心(こころ)がつくりあげたのです! 
(永井豪&ダイナミックプロ『手天童子』)
 
PはSのDの最後の化身だろう。Sは「遺書」の聞き手の「イメージ」としてPを「つくりあげた」のかもしれない。実在のPは「イメージ」の素材でしかなかったのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3220 正体不明の「先生」
3222 「先生の顔が浮いて出た」
 
PとSは「鎌倉」から別々に東京へ帰る。その理由は不明。二人は再会を約束したが、PはSの自宅をすぐには訪ねなかった。
 
私は無論先生を訪ねる積りで東京へ(ママ)帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数(ひかず)があるので、そのうちに一度行って置(ママ)こうと思った。然し帰って二日三日と経(た)つうちに、鎌倉に居た時の気分が段々薄くなって来(ママ)た。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」四)
 
この夏、Pは帰省したのだろうか。帰省したとしても、かなり短い期間だったろう。
「気分が段々薄くなって」しまった理由を、語り手Pはぼかしている。
〈SはPの訪問を待ち望んでいない〉という物語と〈SはPの訪問を待ち望んでいながら、そうではないように装っていた〉という物語が、同時に、しかし不十分に暗示されている。この二つの物語は、同時に真実でありうる。つまり、〈Sの気持ちはぶれていた〉と考えられる。だが、青年Pはそうした可能性に思い至らず、前者を重んじた。一方、語り手Pは後者を暗示している。そのことに作者は気づいていない。
 
私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室(へや)の中を見廻した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私は又先生に会いたくなった。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」四)
 
「何だか」は変だ。「不足な」のは「先生」であるはずだ。ところが、青年Pには、そのことが自覚できなかったようだ。この時期の青年Pの暮らしぶりを想像するのは困難。「往来」で知人に出会わなかったのか。「友達」(上一)はどうした。下宿を訪ねたり訪ねられたりする相手はいなかったのか。こうした疑問が山ほど、浮かぶ。
「物欲しそうに」の「物」は怪しい。新しい「友達」が欲しいのか。新しい「先生」が欲しいのか。異性の恋人が欲しいのか。「室(へや)」の外は「見廻した」のか。
Sと出会う前から、Pは何度もこうした体験をしていたのだろう。そして、そのたびに、〈「先生」的人物〉の「顔が浮いて出た」のだろう。そうした事情を露呈するのが「再び」という言葉だ。この前に、「先生の顔が浮いて出た」という話はない。本文は、二つの物語を同時に、しかし不十分に暗示している。一つは、〈Sの生霊がPの「頭の中」に出現してPを誘った〉というもの。もう一つは、〈PはSの「顔」を思い出そうとしたら簡単に思い出せた〉というもの。次の文に続くのは、前者の物語だ。
Pは、「又先生」的人物に「会いたくなった」のだ。Sその人に、ではない。
「鎌倉に居た時の気分が段々薄くなって」いたせいで、実在のSに対する遠慮などが消えた。そして、かつての「先生」的人物のぼんやりとした「顔」が浮かんだのだろう。
「淋(さび)しい人間」は、複数の〈自分の物語〉を同時に、しかし不十分に語る。そのせいで混乱し、苦痛から逃れたくて「死の道」(下五十五)を展望するわけだ。
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3220 正体不明の「先生」
3223 「一人の西洋人を伴(つ)れて」
 
PがSに接近した理由を作者は徹底的に隠蔽している。Sを正体不明にしておくためだ。
 
特別の事情のない限り、私は遂(つい)に先生を見逃したかも知(ママ)れなかった。それ程浜辺が混雑し、それ程私の頭が放漫であったにも拘わらず、私がすぐ先生を見付出したのは、先生が一人の西洋人を伴(つ)れていたからである。
その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ(ママ)入るや否(いな)や、すぐ私の注意を惹(ひ)いた。純粋の日本の浴衣(ゆかた)を着ていた彼は、それを床几(しょうぎ)の上にすぽりと放り出したまま、腕組をして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿(は)く猿股(さるまた)一つの外何物も肌(はだ)に着けていなかった。それが私には第一不思議だった。私はその二日前に由比(ゆい)が浜(はま)まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ(ママ)入る様子を眺めていた。私の尻(しり)を卸(ママ)した所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍(わき)がホテルの裏口になっていたので、私の凝(じっ)としている間に、大分多くの男が塩(ママ)を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股(もも)は出していなかった。女は殊(こと)更(さら)肉を隠し勝(がち)であった。大抵は頭に護謨(ごむ)製の頭巾(ずきん)を被(かぶ)って、海老茶(えびちゃ)や紺や藍(あい)の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済(ママ)まして皆(みん)なの前に立っているこの西洋人が如何(いか)にも珍しく見えた。
彼はやがて自分の傍(わき)を顧みて、其所にこごんでいる日本人に、一言(ひとこと)二言(ふたこと)何か云った。その日本人は砂の上に落ちた手拭(てぬぐい)を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人が即(すなわ)ち先生であった。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」二)
 
「特別の事情」は何だったのか。不明。私には埋め草のように思える。
 
当時の海水浴の様子が、フランスの画家で多数の風刺画を世に残したジョルジュ・ビゴーの作品の中に見られる。そのひとつが一八八七(明治二十)年の熱海の海岸である(図5-2)。腰巻ひとつで上半身は裸の女性が、特に恥じることなく男性と一緒に沐浴している。子供は丸裸である。海中で見えないが、男性はふんどし姿が一般的だったようである。ただ、手前でしゃがんでいる男性は何もつけていないように見える。
(中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか』「第5章 複雑化する裸体観」)
 
ところが、次第に日本人は裸体を恥じるようになる。
 
このように、ハイネが見た下田公衆浴場から四十年余りたって、日本人の裸体観は、古風な価値観と新たなそれとがせめぎ合う様相を呈する。
(中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか』「第5章 複雑化する裸体観」)
 
Pの「第一不思議」は「複雑化する裸体観」の表出だろう。『こころ』の読者はめまいを覚えるはずだ。くらくらしているとき、「先生」が登場する。狡い書き方だ。
 
(3220終)
 

夏目漱石を読むという虚栄 3210

2021-05-19 00:52:43 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3210 「一種の失望」
3211 「何処かで見た事のある顔の様」
 
青年Pは「淋(さび)しい人間」だったはずだ。しかし、その自覚がなかったのだろう。
 
<その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうも何処かで見た事のある顔の様に思われてならなかった。然(しか)しどうしても何時(いつ)何処で会った人か想(おも)い出せずにしまった。
その時の私は屈託がないというより寧(むし)ろ無聊(ぶりょう)に苦しんでいた。それで翌日(あくるひ)もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけて見(ママ)た。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と遺書」二)>
 
「その時」は、PがSを見かけたときだ。〈「ぼかんとしながら」~「考えた」〉は意味不明。この「先生」は、Sであると同時に〈「先生」的人物〉でもあったろう。
「考えた」が「思われて」に下落している。
「思」の文字が「想」に変わっている。嫌らしい。
「何時(いつ)何処で」より、〈どんな「人」か〉という問題を先に解くべきだろう。
 
<私たちの実験によれば、過去のできごとを思いだすときに活性化する脳領域と、未来のできごとを想像するときに活性化する脳領域はほぼ重なっていた。脳にとって、この二つの行為のあいだにはほぼ違いというものがないようだ。
(マイケル・コーバリス『意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること』)>
 
「屈託がない」は意味不明。
 
<気にかかることが一つもないさまでさっぱりしている。
*霧の中の少女(1955)〈石坂洋次郎〉四「二人は小指を絡み合せながら、屈託無く笑い出した」
(『日本国語大辞典』「屈託(くったく)無(ない)」)>
 
「無聊(ぶりょう)」は意味不明。
 
  • <心配事があって楽しくないこと。新花つみ「―の事なりとて、ひたすら避してうけざりけり」
  • つれづれなこと。たいくつ。「―を慰める」「―な日々」
(『広辞苑』「無聊」)>
 
本文の「無聊(ぶりょう)」は①だろうか。「苦しんでいた」というから、〈Pは退屈している「というよりも」気晴らしを必要としていた〉と解釈すべきだろうか。その場合、青年Pには何か「心配事」があったように思われる。「心配事」を、語り手Pは隠蔽しているわけだ。また、〈「心配事」を「先生」的人物が解消してくれる〉という物語をも隠蔽しているようだ。
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3210 「一種の失望」
3212 「相手も私と同じ樣な感じを持って」
 
〈PとSの邂逅の物語〉は不可解だ。
 
<私は最後に先生に向って、何処かで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないと云った。若い私はその時暗に相手も私と同じ様な感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚(みおぼえ)がありませんね。人違(ひとちがい)じゃないですか」と云ったので私は変に一種の失望を感じた。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」三)>
 
「最後に」は、〈我慢しきれなくなって、話の流れを無視して〉などが適当。ここまで、Sは、Pにとってあまり興味のないような「色々の話」(上三)をしていた。
「若い」や「暗に」や「疑った」などは、過負荷だ。思わせぶりが過ぎる。
Pが「予期して」いたのは、〈私も「同じ様な感じを持って」いますよ〉だろう。だったら、〈先生も「同じ様な感じを持って」いらっしゃるのではありませんか〉と問えばよかろう。そのように問わない理由は不明。
Sの答えは、Pに対する応答としては、ずれている。Pが「予期して」いたのと違うのではなくて、普通の会話として成り立っていないのだ。
Pが「変に一種の失望を感じた」という理由は、Sの返事がPの発言に対して適切ではなかったこと、および、「予期して」いた「返事」と異なること、この二つだ。ところが、このことがPには整理できない。前者の場合、「変」なのはSだ。後者の場合、「変」なのはPだ。「一種の」だから、Pの「失望」は普通の意味での〈失望〉ではない。「予期して」いた「返事」が推定できなければ、「一種の失望」の意味を想像することはできない。
 
<「このお嬢さんなら、ぼくお会いしたことがありますよ」
するとご隠居さまがお笑いになって、
「そらまたそんなでたらめを。会ったことがあるなんて、そんなわけがあるものかね」
宝玉も笑いながら、
「いいえ、それは会ったことはないでしょうけれど、なんだがぼく、お顔に見覚えがあるような気がするんです。だからこれは昔の旧友で、今日こうして久しぶりに再会したということにしても、かまわないじゃないでしょうか?」
「そうかい、そうかい、それはよかった。そんな工合だといっそう仲良しになれるだろうね」
(曹雪芹『紅楼夢』第三回)>
 
Pが「予期して」いたのは、「ご隠居さま」のような対応だろう。彼女は真実を知らないが、「お嬢さん」の黛玉と宝玉は霊的な世界で「会ったこと」がある。ただし、二人ともその記憶を失くしていた。
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3200 「近づく程の価値のないもの」
3210 「一種の失望」
3213 認知的不協和
 
語り手Pは、語られるPの〈自分の物語〉における自分とSの亡霊との会話を語りなおしている。この〈自分の物語〉は怪談だ。
 
P 私は、なぜ、先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかったのです。
Sの亡霊 それは私が死んだ今日になってみれば、もう解っていましょう。私は、初めからあなたを愛していたのです。私があなたに示した時々の素っ気ない挨拶や冷淡に見える動作は、あなたを遠ざけようとする不快の表現ではなかったのです。
P 傷ましい先生! 
Sの亡霊 私は、自分に近づこうとする人間に、〈近づく程の価値のないものだから止せ〉という警告を与えていたのです。他人の懐かしみに応じない私は、他人を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたのです。
 
本文は、次のようになっている。
 
<私は何故(なぜ)先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。それが先生の亡(な)くなった今日になって、始(ママ)めて解って来た。先生は始(ママ)めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素(そっ)気(け)ない挨拶や冷淡に見える動作は、私を遠(とおざ)けようとする不快の表現ではなかったのである。傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づく程の価値のないものだから止(よ)せという警告を与えたのである。他(ひと)の懐(なつ)かしみに応じない先生は、他(ひと)を軽蔑(けいべつ)する前に、まず自分を軽蔑していたものと見える。
(夏目漱石『こころ』上四)>
 
「こんな心持」を要約することは、私にはできない。
「始めから私を嫌(きら)っていたのではなかった」には〈最後には私を嫌うようになった〉という含意がある。だが、この含意は無視しなければならないらしい。つらいな。
「傷ましい」は、私には皮肉に思える。〈イタ過ぎる〉みたいな感じ。
 
<こうした不協和を心理学では「認知的不協和」といって、アメリカの心理学者フェスティンガーが提唱した。これは、人が自分の考えなどと矛盾するものと出会った時に心のなかで生じるストレス状態のことをいう。このモヤモヤとした精神状況を解決するために、「自分は初めから嫌われてなどいなかったのだ」と思い込むようになる。この際、相手への好感度も自然とUPする。
認知的不協和を巧みに利用すれば、相手の考えを誘導することができるのだ。
(斎藤勇『マンガ 悪用禁止!裏心理学』)>
 
Sは、「認知的不協和を巧みに利用」していた。つまり、Sは人たらしだった。ただし、たらせる相手は、自分に似た「淋(さび)しい人間」に限られていたろう。
 
(3210終)
 

夏目漱石を読むという虚栄 3150

2021-05-17 21:59:54 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3150 いんちきな「思想家」
3151 『貧困の哲学』と『哲学の貧困』
 
「貧弱な思想家」というSの自己紹介に、Pは突っこまない。謙遜と解釈したからか。では、Sには謙遜する資格があったのか。
 
<彼の著書の中でのプルードンのサン・シモンとフーリエとに対する関係は、ほぼフォイエルバッハが(ママ)ヘーゲルに対する関係に等しい。ヘーゲルに比べると、フォイエルバッハは極めて貧弱である。しかし、ヘーゲル以後に於ては、彼は一時期を画した。何故なら、彼は、キリスト教的良心にとっては不愉快で哲学的批判の進歩にとっては重要な然しヘーゲルによつて神秘的な明暗の中に殘された諸点をはっきりさせたからである。
(カール・マルクス『哲学の貧困』「附録 カール・マルクスの観たプルードン」)>
 
「彼」はプルードンで、「著書」は『貧困の哲学』だ。「貧弱」でも、取り得はある。
Sは自分をプルードンやフォイエルバッハ級の「思想家」と自負していたのだろうか。あるいは、「思想家」という言葉そのものが冗談なのだろうか。
マルクスの考える「貧弱な思想家」の特性は、どのようなものか。
 
<充たすべき欲望がかく多数あるということは、生産すべき物がかく多数あるということを仮定している――生産なくして生産物は存しないから。生産すべき物がかく多数あるということは、それらの物の生産を助けているのはもはやだた一人の人の手ではないことを仮定している。ところで、吾々が生産を助ける一人の人以上の手を仮定した瞬間から、吾々は既に分業に基礎を置く全分業を仮定しているのである。かくて、プルードン君の仮定しているような欲望は、それ自身全分業を仮定している。分業を仮定するなら、そこには交換が存在し、従って又交換価値が存在する。それなら、初めから交換価値を仮定したのと違いはない。
しかしプルードン君は廻り路をすることを好んでいる。いつもその出発点に戻ることになるその総ての廻り路を、同君にしたがって歩いて見(ママ)よう。
(カール・マルクス『哲学の貧困』「第一章 科学上の一発見」)>
 
「分業」が「商品生産とは結び付いていない」(『ニッポニカ』「分業」)という社会はある。
「貧弱な思想家」の特徴は「廻り路をすること」だろう。Sの「ぐるぐる」と同質か。ただし、この「プルードン」に「廻り路」の自覚はない。Sに「ぐるぐる」の自覚はある。
 
<いわゆる人民の代表と国家の支配者に対する全人民の普通選挙権――これが民主派と同じようにマルクス主義者たちの最後の言葉である――なるものはいんちきであり、その背後には少数者専制が隠され、虚偽の民意を体現しているだけにいっそう危険である。
(ミハイル・アレクサンドロヴィチ・バクーニン『国家制度とアナーキー』)>
 
マルクス主義が「いんちき」であることは、アナキストにとって自明だった。
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3150 いんちきな「思想家」
3152 『国家制度とアナーキー』
 
バクーニンにとっての「貧弱な思想家」は「自由思想家」だろう。
 
<これらの自由思想家諸先生は頭のてっぺんから爪先に至るまでブルジョアであり、実証主義者を自称したり自ら唯物論者を気取るときでさえ、そのやり口、習慣、生活の面では手のつけられぬ形而上学者なのだ。彼らには、生活は思想から出てくるのであって、あらかじめ存在する思想の実現であるかのようにつねに見えるのだ。したがって思想、彼らの貧弱な思想が生活をも支配しなければならないと信じており、だから彼らには、逆に思想が生活から出てくるのであって、思想を変えるにはまず生活を変革しなければならないことが分からないのだ。人民にゆったりとした人間らしい生活を与えてみたまえ、諸君は人民の思想の深い合理性に驚くであろう。
自由思想家を自称する熱心な教条主義者たちが、理論的、反宗教的宣伝を実際活動に先行させているのには、いま一つ別の理由がある。彼らは大部分が見込みのない革命家であって、たんに虚栄心の強いエゴイストであり、臆病者にすぎないのだ。しかもその地位からすれば彼らは教養ある階級に属し、これら階級の生活に充満している逸楽、デリケートな優雅さ、知的虚栄心をひどく大切にする。彼らは、人民革命がその本質においても目的そのものにおいても、荒々しくぞんざいであり、彼らが快適に暮らしているブルジョア社会の破壊をも辞さぬことを、百も承知しているのだ。しかも彼らは、革命の事業に誠心誠意奉仕することで生ずる著しい不都合をまねくつもりが毛頭ないからこそ、またたいして自由主義的でも大胆でもないが、教養や生活上の関係、優雅さや物質的安楽の面でなお貴重なパトロンであり、崇拝者であり、友人であり、同志である連中の不興を買いたくないからこそ、彼らは自分たちを高い地位から引きずりおろし、現在の地位から得ているあらゆる便宜をいきなり奪ってしまうような革命をひたすら嫌悪し、恐れているのである。
ところで、彼らはこの点を認めたがらない。彼らはその急進主義でブルジョア社会を驚かせ、革命的青年層やできれば人民そのものをしっかりと自分たちにひきつけておかねばならない。一体どうすればよいのか? ブルジョア社会を驚倒させねばならないし、そうかといってそれを怒らせてはならないし、革命的青年層をひきつけると同時に革命による破滅は避けねばならないのだ! そのための手段はただ一つ、その見せかけの革命的憤怒をことごとく主なる神へ向けることである。彼らは神の不在を確信しているので、神の怒りも恐れない。官憲、すなわちツァーリから最下位の警官に至るすべての官憲となれば、話は別だ! 銀行業者やユダヤの買占め商人から最下位の富農商人や地主に至るまでの、富裕にして社会的地位の強大な人間となれば話は別だ! 彼らの怒りはてきめんである。
(ミハイル・アレクサンドロヴィチ・バクーニン『国家制度とアナーキー』「付録A」)>
 
バクーニンこそ「貧弱な思想家」かもしれない。「彼の著述から独創的な考えを引き出すことはできない」(ウドコック『アナキズムⅠ』)ということだから。
アナキズムは平凡な思想だろう。「独創的な考え」であってはならない。
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3150 いんちきな「思想家」
3153 自分の影
 
「思想家」について、Pは非常識なことを考えているはずだ。そして、その自覚がありながら、横車を押そうとして失敗し、おかしな言い方をしてしまったようだ。作者は語り手Pに加担しているようだ。つまり、『こころ』の作者は、語り手たちの嘘を嘘と知りつつ、真実のように表現しているみたいだ。だから、『こころ』は非常に読みにくい。
Sは、普通の意味の「思想家」ではない。ただし、普通の意味での「思想家」がどのような人間なのか、必ずしも自明ではない。
〈普通の思想家の覚悟は生きた覚悟ではない。火に焼けて冷却し切った石造家屋の輪郭(りんかく)だ。Pの眼に映ずる普通の思想家はたしかに思想家である。けれどもその思想家の纏(まと)め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれていない。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脉(みゃく)が止まったりする程の事実が、畳み込まれていない〉(本稿1542参照)
Pなら、このように語ったろうか。そうだとしても、意味不明だから、参考にならない。
 
<ひどいものだね、あなたの覚(さと)りの悪さは。自分の影をこわがり自分の足跡(あしあと)をいやがって、走って逃げ出した男がいたが、足を早(ママ)く挙げれば挙げるほど足跡はますます多くなり、走り方をどんどん早(ママ)めても影は体から離れない、自分ではまだ走り方が遅いのだと思ってどこまでも疾走(しっそう)し、力つきてとうとう死んでしまった。日蔭(ひかげ)に入って影を消し、じっと立ちどまって足跡を作らずにいることを知らなかったのだ。馬鹿かげんもひどいものだね。ところであなたは、仁とか義とかいう道徳の世界をこまかくつつきまわり、賛成できるかどうかの分かれめをはっきりさせ、行動を起こすかどうかの変わりめを見きわめ、贈物をやりとりする交際の度(ど)あいを適切にし、好き嫌いの感情をうまくととのえ、喜びや怒りをやわらげて節度づけることに懸命だ。これでは〔あの馬鹿な男と同じむだな骨折りで〕、まず危害は避けられないだろう。〔人のことを気にするより、〕ひきしめて自分の身を修め、慎んで生まれつきの真実なものを守り、世俗の物は人々に返してしまうなら、何物にも乱されることがなくなるだろう。いまわが身に道を修めることをしないで、他人にそれを求めているのは、なんと外界にとらわれたことではなかろうか。
(『荘子』「漁夫篇 第三十一」)>
 
語っているのは「漁(ぎょ)父(ほ)」で、「あなた」は孔子、という設定。
「自分の影」は、Sの「黒い影」と同質。
Sは「あの馬鹿な男と同じむだな骨折り」をして、死にたくなっている。そんなSを、Pは「馬鹿な男」と思わないのだろうか。「傷ましい先生」という言葉に「馬鹿な男」という含意はあるのか、ないのか。あるはずだ。
Kは死に後れだった。だが、Sも死に後れのはずなのだ。「もっと早く死ぬべきだのに何故今まで生きていたのだろう」(下四十八)というKの自問は、Sのものでもあった。Kの自殺とは無関係に、Sも「もっと早く死ぬべきだ」と思っていたはずだ。その理由を、Sは捏造しながら生きていた。Sの捏造と作者の創造が混交している。
(3150終
(3100終)