ヒルネボウ

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夏目漱石を読むという虚栄 3140

2021-05-16 22:03:31 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3140 窮屈な思想家
3141 「貧窮問答歌」
 
Sは、次のように自己紹介している。
 
<私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏(まと)め上げた考(ママ)を無暗に人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。
(夏目漱石『こころ』上三十一)>
 
〈「貧弱な思想家」は、自分の思想を、「無暗に」ではないが、「必要が」あれば、「人に隠す」ものだ〉という前提があるらしい。「頭で纏(まと)め上げ」は意味不明。Sは、〈自分には「自分の頭で纏(まと)め上げた考」がある〉という妄想を抱いていたのだろう。ただし、作者が〈Sの「考」に中身はない〉という文芸的表現を試みている様子はない。「隠す必要がないんだから」は唐突。このような弁明が、なぜ、必要なのだろう。作者は読者に対して、「僕の思想が危険思想でもなんでもないと云ふこと」(森鴎外『かのように』)を暗に訴えているつもりだろう。その読者の典型は特別高等警察か。
 
<見劣りがしてみすぼらしいこと。必要を満たすに十分でないこと。また、そのさま。
*こゝろ(1914)〈夏目漱石〉上「私は貧弱な思想家ですけれども」
(『日本国語大辞典』「貧弱」)>
 
「必要を満たすに十分でない」のなら、「貧弱な思想家」は思想家失格だろう。
「思想家」の「家」は、「高尚な愛の理論家」(下三十四)などの「家」と同様、誇張による自嘲の表現か。「貧弱な」という言葉を、Sの謙遜と解釈する人は多いのだろう。だが、謙遜でなければ、どのような形容が適当だろう。私は〈窮屈〉を思いつく。「貧窮問答歌」(『万葉集』892)の貧者は「吾(あれ)をおきて 人はあらじと 誇(ほこ)ろへど」と歌う。一方、窮者は「かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道」と歌う。
 
<叔父に欺(あざ)むかれた当時の私は、他(ひと)の頼みにならない事をつくづく感じたには相違ありませんが、他(ひと)を悪く取るだけあ(ママ)って、自分はまだ確(たしか)な気がしていました。世間はどうあろうともこの己(おれ)は立派な人間だという信念が何処かにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他(ひと)に愛想(あいそ)を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」五十二)>
 
「この己(おれ)は立派な人間だ」と誇るのなら、思想的貧者だろう。「動けなくなった」のなら、思想的窮者だろう。窮者が貧者と自己紹介すれば、むしろ高慢だろう。謙遜ではない。Sは「貧弱な思想家」というより、〈窮屈な思想家〉だろう。平たく言うと、意地っ張りだ。〈窮屈〉は「意地を通せば窮屈だ」(『草枕』)から取った。
「同じ人間」は〈「同じ」種類の「人間」〉の不当な略。どういう種類だろう。不明。
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3140 窮屈な思想家
3142 空っぽの「思想問題」
 
P文書の語り手Pは、Sの「思想」に関して、次のように語る。
 
<私は思想上の問題に就いて、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と遺書」三十一)>
 
青年Pが抱えていた「思想上の問題」は不明。したがって、「利益」の内容も不明。「自白する」は穏やかでない。〈他人から思想上の「利益」を受けるのは罪だ〉といった前提でもあるのだろうか。ちなみに、Pの卒業論文は「教授の眼にはよく見えなかったらしい」(上三十二)というから、学問上の「利益」は受けなかったようだ。あるいは、「見えなかった」の真意は〈解らなかった〉かもしれない。だったら、いじましい。
 
<貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑(けいべつ)までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何等の背景もなかったし、あなたは自分の過去を有(も)つには余りに若過ぎたからです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」二)>
 
「現代」がいつから始まるのか、不明。「現代」のものに限らず、「思想問題」は、『こころ』のどこにも見当たらない。だが、作者は「現代の思想問題」を暗示したつもりかもしれない。「議論を向けた」は意味不明。読者は、「記憶して」いるつもりになるべきか。
「それ」が「現代の思想問題」なら、「態度」は意味不明。Sは、どうして、〈Pには「よく解っている」〉と思うのだろう。
「あなたの意見」は、Sの「態度」と同様、どこにも見当たらない。さっきは「貴方」で、今度は「あなた」だ。ちなみに、この混用は、P文書におけるSの発言にもみられる。たとえば、「あなたは私に会っても」(上七)と「貴方は外の方を向いて」(上七)などの例がある。Pが聞き分けたわけではなかろう。だから、作者の意図によるのだろう。その意図を、読者は察すべきか。「なれなかった」は〈なるべきなのに「なれなかった」〉と〈なりたくなかった〉の混交。つまり、義務と欲求の混交。ここだけ常体なのは、なぜか。
Pの「考え」は、私には見つけられない。「意見」と同じか。同じなら、なぜ、言葉を変えたのか。「背景」は意味不明。「背景も」の「も」は不可解。「何等の背景もなかった」と断定する根拠は不明。「なかったし」は〈「なかった」からだ「し」〉が適当。ここまでは、前の文の理由を語るものだろう。また、「あなたは自分の過去を」以下は、「あなたの考えには何等の背景もなかった」ということの、その理由を語るはずだ。そうだとしたら、「なかったし」と引っ張るのは不合理。一旦、切ろうよ。「自分の過去」は意味不明。「過去を有(も)つ」は意味不明。「余りに」ではなくて「若過ぎ」るのは何歳からか。単に〈若い〉のは何歳までだろう。SがPと同じ年齢のときも「若過ぎた」のだろうか。そして、「過去を有(も)つ」こともなかったのか。何が何やら、さっぱりわからない。
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3140 窮屈な思想家
3143 「世間に向って働らき掛ける資格のない男」
 
思想が「貧弱」になってしまう原因は何だろう。
 
<われわれの祖先も、茶席においては、それが共通な話題として、また、文字通り、主人自ら奔走し、親しく手をくだし、心を尽くして席をととのえ、食品を調理し、会食に当たってはそれらのものの由来などを話しあって、お互いの真実にふれて行(ママ)く手がかりにした。そこには、いきとどいた会話のしかたがきめられていた。近代の日本人であるわれわれは、そういう伝統まで旧弊と一緒に忘れ去り、西洋の実際生活から抽象された様式だけを文化として学びとることに急であったために、われわれの話しあいが社会的なものとして発達せず、また、そういうばあいに使われることばがきわめて抽象的な概念として考えられるようになってきたために、ことばの具体性が失われ、われわれの話しあいは貧弱なものになり、会話はみすぼらしい状態に陥っていることが観察され、反省される。
(西尾実『日本人のことば』「Ⅱ 談話」)>
 
「それ」は、たとえば「献立」(『日本人のことば』)だ。
『こころ』における会話が「貧弱なもの」であることに気づかない人は、日本の「伝統」を知らないのだろう。また、「西洋の実際生活」を体験したこともないのだろう。体験する機会があっても、有効に活用できないのだろう。英国に滞在中のNがそうだったようだ。
 
<先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想に就ては、先生と密切の関係を有(も)っている私より外に敬意を払うもののあるべき筈がなかった。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」十一)>
 
この二文の因果関係は転倒しているようだ。「世間」にとってSの「学問や思想」が「まるで」価値のないものだからSは無名だったはず。Sの「学問や思想」などの業績は皆無だろう。著作がないだけでなく、演説や公開討論などもしない。
 
<その時先生は沈んだ調子で、「どうしても私は世間に向って働ら(ママ)き掛ける資格のない男だから仕方がありません」と云った。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」十一)>
 
「その時」は無視。「どうしても」は宙に浮いている。「世間に向って働らき掛ける」は意味不明。だから、「資格」は意味不明で、「資格」を与えたり奪ったりする機関や人格なども想像できない。「仕方」についても同様。
Sから「資格」を剥奪したのは、「恐ろしい力」だ。ただし、語り手Sは、「資格」以前の能力について反省をしていない。能力さえあれば、Dと戦いながら「世間に向って働らき掛ける」ための「仕方」を見つけられたかもしれないのだ。
 
 
(3140終)
 

夏目漱石を読むという虚栄 3130

2021-05-14 23:21:52 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄  
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3130 「直感」とか「直覚」とか
3131 「近づき難(がた)い不思議」
 
 『こころ』に出てくる気障な文句の多くは、意味不明であるがゆえに、読者には価値があるように思われるらしい。たとえば、「先生」に明確な意味はない。だが、そのせいで、読者はSという正体不明の男が有難い人物のように思い込まされてしまう。こうした効果は、文芸的なものではない。呪術的なものだ。
 
<神秘性を高めるため意味不明の文句が使用されることも多い。
(『ブリタニカ国際大百科事典』「呪文」)>

 
Nの残した文章には多くの意味不明の文言が含まれている。そのことを、夏目宗徒は知っている。知っているのにNを崇める。いや、知っているからこそ崇めるのだ。
 
<私は最初から先生には近づき難(がた)い不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、何処かに強く働ら(ママ)いた。こういう感じを先生に対して有(も)っていたものは、多くの人のうちで或(あるい)は私だけかも知(ママ)れない。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」六)>
 
「近づき難(がた)い不思議」は不思議。〈「不思議」に近づく〉はわからない。だから、「近づき難(がた)い」は、もっとわからない。〈「先生には」~「不思議がある」〉も不思議。「あるように思っていた」は、〈「あるよう」だと「思っていた」〉と〈「ある」と「思っていた」「ように」思う〉の混交だろう。語り手Pは、語られるPのぼんやりした印象と、語りの時点におけるぼんやりした記憶を、語り手Pはごっちゃにしているわけだ。ぼんやりした印象だけでPがSに近づくのはおかしい。はっきりとした思い込みがあったから近づいたはずなのだ。その思い込みの具合などが、語りの時点では薄れてしまっているのだろう。
「それでいて」の「それ」の指す言葉がない。「どうしても」は唐突。「近づかなければいられない」は〈「近づかなければ」なら「ない」〉と〈「近づか」ないでは「いられない」〉の混交。つまり、義務と欲求の混交。語り手Pは、語られるPの精神的混乱をこの言葉によって反復しているらしい。語り手Pは、〈PはSに近づきたかった〉という物語を封印している。「強く働いた」というのに、働いた先が「何処か」わからないのは変。「働いた」は〈「働いた」のだろう〉が正しいのだろう。語られるPは、ある部位を「強く」意識していた。しかし、語り手Pには、その部位が「何処か」思い出せないらしい。嘘としか思えない。
ちなみに、Sも「廻らなければいられなくなった」(下四十九)というふうに語る。これも、〈「廻らなければ」なら「なくなった」〉と〈「廻らな」いでは「いられなくなった」〉の混交だ。作者は、義務と欲求の仕分けができないらしい。作者は、数々の意味不明の文言によって自身の精神的混乱を露呈している。
「こういう感じ」には、〈どういう「感じ」か、もう、わかったよね〉といった押し付けがましい感じがあるよね。「多くの人」は、〈「多く」ない「人」〉の誤記か。だって、Sは「孤独な人間」だろう。「私だけ」という限定の根拠は不明。
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3130 「直感」とか「直覚」とか
3132 「馬鹿気ている」
 
「多くの人のうちで或(あるい)は私だけかもしれない」の続き。
 
<然(しか)しその私だけにはこの直感が後(のち)になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいと云われても、馬鹿(ばか)気(げ)ていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくも又嬉(うれ)しく思っている。
(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」六)>
 
「直感」は、意味不明の〈「近づき難(がた)い不思議があるよう」で「どうしても近づかなければいられないという感じ」〉の言い換え。こういう「感じ」を「直感」と呼べるのは、それが「事実の上に証拠立てられた」とわかった後だろう。つまり、〈「こういう感じが」「直感」だったことは「事実の上に証拠立てられた」〉と語るべきだ。ただし、「事実の上に証拠立てられた」も意味不明。「事実」は「遺書」の内容だろうが、〈語り手Sは真実のみを述べている〉という「証拠」は皆無だ。誰に「云われ」たり「笑われ」たりするのだろう。Qではなかろう。Pの「兄」か。P文書はPとQの架空対談であり、その観客が別にいる。それは「兄」のようなタイプの俗物だ。実在しない彼がGだ。PはGを説得できそうにないので、自分とQが通じ合っている様子をGに見せつけ、先手を打ってGの攻撃を封じようとしている。「それ」は、〈「先生には近づき難(がた)い不思議がある」こと〉だろうか。「見越した」は意味不明。『日本国語大辞典』の「見越す」の項にこの文から引用してある。その意味は「先のなりゆきをおしはかる。将来を見とおす」というものだ。しかし、「「見越す」は、将来起こることを予測する意で、多くは、その立てた予測に対して、あらかじめなんらかの対策を取る場合に用いられる」(『類語例解辞典』〔察する〕)ということだから、『日本国語大辞典』は間違っている。この辞典は、「それ」を〈「この直感が後(のち)になって」「証拠立てられ」ること〉と解釈したのだろう。しかし、そのように解釈すると、「それを見越した自分の直覚」は〈「この直感が後(のち)になって証拠立てられ」るという将来を見通した「自分の直覚」〉ということになり、ナンセンス。そうでないのなら、「直感」と「直覚」は別の意味だ。同義語だとすると、違う言葉を使ったPの魂胆が怪しくなる。怪しいということにしよう。「見越した」の真意は〈見抜いた〉だろう。語り手Pは、〈青年PはSに「不思議がある」ことを「直感」によって察知した〉という虚偽を語ろうとしたが、虚偽という自覚があるものだから、しどろもどろになっているのだろう。「頼もしく」は真相を隠蔽するためで、意味不明。
「遺書」はSとPの架空対談であり、その観客はRだ。ところが、不合理なことに、RはQと重なるようだ。SはP文書の出現を予知しており、「遺書」をQのために書いたみたいだ。さもなければ、作者は、自分の企画とPやSの希望を混同しているのだろう。
語り手Pは〈語られるPはSの美質を察知した〉といった虚偽を聞き手Qに信じさせようとしたが、うまくいかなかった。QはGと区別できないからだ。そこでSが登壇し、Pの暗示した虚偽を真実として保証した。すると、虚偽を真実として信じるQと信じないGが分離する。Pを信じるQはSをも信じるRに変わる。一方、どちらのことも信じないGは排除される。排除されたくないQは、P的になり、G的でなくなる。あなたなら、どうする? 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3130 「直感」とか「直覚」とか
3133 論より証拠
 
Pの感知した「不思議」の一部は「或強烈な恋愛事件」だろう。だが、この「恋愛事件」は、『こころ』が終わってもなお「不思議」のままだ。だから、Pの「直感」あるいは「直覚」がどのように機能したことになるのか、私にはわからない。
ところで、「直覚」という言葉は、普段、見ない。
 
<「直観」はドイツ哲学から一般化したとされ、「英独仏和哲学字彙」(一九一二)では、英語Intuitionには「直覚」だけをあてているが、ドイツ語Anschauungでは、「直観」を第一に挙げ、複合語ではすべて「直観」を用いている。
(『日本国語大辞典』「直観」)>
 
〈直観〉と言えば、「例えばベルクソン」(『広辞苑』「直観主義」)だろう。
 
<普通、ベルクソンの哲学は科学および知性を厳しく批判した哲学だとされる。しかしながら、そのような見方に真向うから反撃したのがベルクソン自身であった。じっさい、彼の哲学は科学の検閲に服し、科学を前進させることのできる哲学であり、彼のいう知性は科学的知性として直観とならんで実在意識をうることができる能力であった。そうして、ベルクソンが空虚な認識だとして終始一貫反対したのは、言葉を認識の手段とする考え方であった。したがって、ベルクソンの言語批判は直ちに科学批判・知性批判ではないのである。より詳しく言えば、言葉による認識が果たして真の意味の知性のなすところかどうかが問題なのである。そうなら、そこには当然、言葉と科学、言葉を用いる通常の知性と科学的知性との区別が問題になるのでなければならない。
(池辺義教『ベルクソンの哲学』)>
 
Pも、『こころ』の作者も、読者も、こんなややこしい議論を喜ばないはずだ。
 
<これに反して、成員間の相違が比較的小さい日本は、言挙げ(フィクション)よりも互いに共有する事実(ファクト)にもとづく一体感に頼ることが可能な文明でした。ここでは「論より証拠」が決め手で、理屈や言説はむしろ無駄なものとして排除される傾向が強かったのです。しばしば耳にする「理屈としてはそうだが、でも事実は違う」といった表現は、一般に外国では矛盾(むじゅん)と受け止められてしまいます。このことはフランス語で”Vous avez raison.”(理屈、道理はあなたにある)が、「あなたの言う通りだ、あなたは正しい」となることと対照的です。
(鈴木孝夫『英語はいらない?!』)>
 
「これ」は〈欧米や中国などの社会〉のこと。日本人だって、〈無理が通れば道理は引っ込む〉と愚痴る。〈論より証拠〉は、言うまでもなく、逆説だ。〈証拠のない論〉は疑わしいが、〈論のない証拠〉なんて無意味だ。
 
(3130終)
 
 
 

夏目漱石を読むという虚栄 3120

2021-05-13 15:02:44 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3120 自己嫌悪
3121 『金明竹』
 
「遺書」を読み終えたPに、Sの自殺の動機が理解できたのか。〈「先生」は死ぬしかなかったんだな〉と納得できたのか。〈自分が早めに上京して説得すれば「先生」は死ななかったかもしれない〉とは思わなかったか。『こころ』の内部の世界で「遺書」を読むことになる誰か、つまりRは、Pを責めたか。許したか。褒めたか。彼と抱き合って泣いたか。泣きながら笑ったか。Sから生きる勇気をもらったような気がしたか。
作者は、どのような後日談を暗示しているのだろう。不明。
 
 <「こないだからの長じけで、つかいつくして、骨は骨、紙は……ああ、ねこに、紙はなかった……皮は皮で、ばらばらになりまして、つかい道になりませんから、たきつけにしようとおもって、物置きへ(ママ)ほうりこんであります」
(古典落語『金明竹』)>
 
以前、与太郎は「知らないひと」(『金明竹』)に「傘」を貸してしまった。彼の伯父は馬鹿な与太郎にも覚えられそうな断りを教えてやる。「貸し傘も、なん本もございましたが、このあいだから長じけで、つかいつくしまして、骨は骨、紙は紙と、ばらばらになりまして、つかい道になりませんから、たきつけにしようとおもって、物置きへほうりこんであります」(『金明竹』)と。この「傘」を、与太郎は「ねこ」に変えてしまった。
わかりにくい〈「ねこ」の物語〉はありふれた〈「傘」の物語〉の不適当な異本だ。「紙」が直接に「皮」に代わるのではない。「傘」が「ねこ」に代わったからだ。
〈「殉死」の物語〉は、わかりにくい。「殉死」の「新らしい意義」について詮索するのではなく、わかりやすい原典を探してみよう。〈「自由と独立と己れ」の物語〉では無理だ。これも、やはり、わかりにくい物語だ。
 
他(ひと)に愛想(あいそ)を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」五十二)
 
〈「殉死」の物語〉の原典は〈自己嫌悪の物語〉だろう。
ただし、〈自己嫌悪〉という言葉は、決してわかりやすくはない。
 
<生理状態は殆んど苦にする暇(いとま)のない位、一つ事をぐるぐる回って考えた。それが習慣になると、終局なく、ぐるぐる回っている方が、埒(らつ)の外へ飛び出す努力よりも却(かえ)って楽になった。
代助は最後に不決断の自己嫌悪(けんお)に陥った。
(夏目漱石『それから』一四)>
 
Sも「ぐるぐる」をやる。「ぐるぐる」が「明治の精神」に変わったので、「一番楽な努力」(下五十五)が「殉死」に変わったのだろう。
 
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3120 自己嫌悪
3122 「アカチバラチー」
 
『デンスケ』(横山隆一)のドシャ子は「アカチバラチー」と叫ぶ。意味不明。原形は「赤い薔薇が散った」ということだそうだが、原形を知ってもドシャ子の気持ちは想像しがたい。だから、私はこれを使いこなせない。
『ブラック・ジャック』(手塚治虫)のピノ子の「アッチョンブリケ」は、意味不明のようで、そうでもない。文脈によって彼女の気持ちを想像することができる。だから、私は適当に使える。
『魔法使いサリー?』(横山光輝)の「テクマクマヤコン」に意味はない。意味があろうとなかろうと、呪文だから、私がこれを唱えても何も起きない。
 
吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。難有い難有い。
(夏目漱石『吾輩は猫である』十一)
 
「南無阿弥陀仏の文字の解釈には種々の説がある」(『ブリタニカ』「南無阿弥陀仏」)という。ワガハイはどんな「説」を信じているのだろう。不明。
「転じて、死ぬこと、物事の尽きること。終わることをいう」(『日本国語大辞典』「南無阿弥陀仏」)というが、ワガハイの場合、通俗的転意で用いているのではなさそうだ。意味がありそうで、意味不明なのだ。「太平」とは自己嫌悪を感じない状態だろう。
ワガハイは「太平」などについて十分に語ってはいない。『こころ』の場合も同様。
夏目宗徒は、〈「太平」を得ないのが偉い〉と思っているのかもしれない。
 
<私は密かに思っている。漱石が参禅して、其処でもし見性(けんしょう)していたり、悟ったりなどしたとしたらおかしい。却ってそれが無かったところに漱石の人となりや、頭のよさがあったと思っている。
(千谷七郎『漱石の病跡』)>
 
「密かに」の真意は〈無根拠に〉などだろう。
「参禅」は「約二週間」ということだ。「其処」は「帰源院」だが、この引用の後、千谷はこの寺に関する悪評を仄めかす。「おかしい」というのは、〈「帰源院」は駄目な寺だから、誰であれ、「悟ったりなどしたとしたらおかしい」〉などの不当な略でもある。「見性(けんしょう)」は「自己の本来の心性を見極めること」(『広辞苑』「見性」)で、「心性」は「天性」(『広辞苑』「心性」)で、「天性」は「うまれつきそなわっている性質」(『広辞苑』「天性」)で、ええっと、だから、何? ところで、「道元は不変の心性を認めないのが仏教であるとし、見性を全く否定する禅を説く」(『岩波 仏教辞典』「見性」)という。
「それ」の指す言葉はない。千谷に「無かった」と、どうして、知れているのか。「人となりや、頭のよさ」があるとかないとか、意味不明。
この種の勿体ぶった意味不明の文章によって、文豪伝説は拡散されてきた。
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3120 自己嫌悪
3123 『昭和維新試論』
 
Nは、個人的な心身の不調と、身近な人々との不和と、明治の社会の混乱などとを、無根拠に関係づけて偉ぶり、何となく独創的な思想が表現できたように勘違いしていたらしい。こうした異様な勘違いが「明治の精神」の隠蔽された意味だ。
 
<生活の定型喪失にともなう「神経衰弱」「煩悶」「発狂」「自殺」等の現象が明治初年に多く見られたことは、島崎藤村の『夜明け前』や、福沢諭吉の『学問のすすめ』などにその証言がある。
(橋川文三『昭和維新試論』「五 青年層の心理的転位」)>
 
「生活の定型」は意味不明。「ともなう」は怪しい。これらの「現象」の淵源を「明治の精神」と呼ぶことができる。いつの時代でも、社会の変化をピンチと感じる人はいる。だが、チャンスと感じる人もいる。「喪失」を〈新生〉と感じる人はいる。
暗くて怪しい「明治の精神」は令和も「継続中」だろう。
 
<しかし、ジャンセンのいう「自己完成の可能性へのオプティミズム」から、懐疑的な「内観的夢想」(introspective reveries)への転位を個人のレベルで正確につきとめることはそれほど簡単な作業でないであろう。ここで私のいうのは、当時青年であった岩波茂雄の言葉を借りていえば、「乃公出でずんば蒼生を如何せん、といったような慷慨悲憤の時代のあとをうけて、人生とは何ぞや、われは何処より来りて何処へ行く、というようなことを問題とする内観的煩悶の時代」(『岩波茂雄伝』)への劇的な推移がどうして生じたのか、そしてその傾向が、のちに日本の進路にどういう意味をもったのかという問題である。もとより、いついかなる時代の青年もその同じ問題に直面したと見ることはできる。しかし、現代に生きる私たち自身のそれとほぼ同じ構造をもち、同じ色どりをおびたものと思われる「煩悶」はこの時期に始まっているのではないだろうか? たとえば「現代人の孤独」とでもいうべき様相が青年心理の中に登場するのはこの時代ではないか、ということである。
(橋川文三『昭和維新試論』「五 青年層の心理的転位」)>
 
「ジャンセン」は無視。「自己完成」も「内観的夢想」も「転位」も意味不明。
「ここ」の指すものは不明。岩波が登場する理由は不明。
「劇的な推移」でなく、〈喜劇的な衰退〉なら、「問題」にする価値はなかろう。「慷慨悲憤」が壮士芝居で、「煩悶」が新劇なら、芸能界の「問題」だ。
「乃公出でずんば蒼生を如何せん」も「人生とは何ぞや、われは何処より来りて何処へ行く」も意味不明で、気障で、芝居がかっていて、滑稽。こうした胡散臭いスタイルが昭和の「日本の進路」を確実にしたのだろう。
「構造」や「色どり」は意味不明。
「現代人の孤独」は、「青年心理」限定ではない。勿論、日本人限定でもない。
 
(3120終)
 
 

我等が母校

2021-05-12 17:05:15 | 
   我等が母校
 
駅から十分 歩いて十分
我等が母校 お利巧高校
風景絶佳 ガス水道完備
リベラリズムの お利口高校
我等 自由に 我等 自由に
我等 自由に 自制せよ
(終)