答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

やけどの丸干し

2019年02月15日 | 食う(もしくは)呑む

 

朝いちばんのインスタグラム投稿がほぼ日課になってきたわたしが、どれどれ今日はとスマートフォンのライブラリをのぞいていると、一枚の画像に目が止まった。

ひと皿に乗った一匹だけの干物。

丸干しだ。

もちろん、いつ食したのかまでを忘れていたわけではない。その一部始終をくっきりはっきり鮮明に覚えている。

先日、お城下の夜、連れが頼んだ「メヒカリの丸干し」の品書きのその横に書いてあったその干物を、思わず注文したのはなぜだったか。酒を呑むと胃がバカになってしまい、食べだすと止まらなくなるのを警戒自重して、飲酒の端(はな)を除いては、食べ物を口にすることがほとんどなくなってしまうわたしだ。ふだんならアルコールだけがあればよかったはずだ。

が、たまらなくそそられた。

そして、目の前に出された干物を見るとどうにも箸が止まらなくなった。

食う。

そしてぐびり。

また食う。

そしてまたぐびり。

干物になった魚の名は「やけど」。

「やけど」の丸干しだ。

ハダカイワシのことを、ここ高知では「やけど」と呼ぶ。

外見とは異なり上品な身が、ほろほろと口のでほぐれ、口中に広がった脂を酒で胃の腑に流し込む。

「そそられた」直感はまちがいではなかった。

じつにうまい。

食味もさることながら、その見た目がまたよい。

ウロコが取れてツルツルな風貌が、他人ごとのような感じがしない。

心して食えよ、と独りごちながら、

またまた食う。

そしてまたまたぐびり。

気がつけば、となりにあったメヒカリもほとんどわたしが食っていた。


それから何日かが経ち、ひと皿に盛られた一匹の裸鰯の画像を見て、

「さて今宵は・・・」

と早くも晩餉に想いを馳せる辺境の土木屋。

「その前にしごとやろが!し・ご・と!!」

別のわたしにそう叱られて首をすくめる、セントバレンタインデーの次の朝。

 

 

 

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春菊

2018年12月30日 | 食う(もしくは)呑む

干物がひと皿、菜を和えたものがふた皿に漬け物が少々という晩餉。

余人は知らず。わたしはこの類の食事を摂ると元気になる(ような気分になる)。

ふた皿のうちひとつは、菜花のおひたしだ。

ひとくち食す。

その苦さがよい。

苦さの余韻を燗酒で腑に落としこむ。

これやがなこれ、とほくそ笑む。

またひとくち食す。

ちがう苦味が交ざっているのに気づく。

これは・・・そうそう春菊だ。

春菊、子どものころならば天敵だったといってもよい。たとえば、あの美味いすき焼きに、なんで春菊なんぞというものを入れるのだこの人はと、なんど母を憎らしげに思ったことか。しかも、もともと大した量が入っていない肉はほとんど親父が食ってしまうし・・・。

味覚のうちでも、「苦い」は「大人の味」を代表するものだろう。もちろんそれが好きな子どももいないわけではないだろうが、たいがいの子どもは「苦い」ものを食べない。少なくとも好んでは食さない。

いつのころからだろう。「苦い」が好きになったのは。不思議なものだ。嫌いが転じて好きとなる。そんなに好きでもなかったものを好むようになるのとはちがう。嫌いを好きになるのだ。

考えてみればそれが大人になるということだろう。

大人になるということは「変わる」ということだ。だとしたら、「変わる」をやめるということは大人であることをやめるということに他ならない。と言い切ってしまえばいささか乱暴だろうか。そうでもないぞとわたしは思う。

そんなこんなを考えながら晩酌をしていると、ある考えがアタマに浮かんだ。

「春菊、まだある?」

女房殿に問うとあるという。

「あしたはすき焼きにしようか」

甘辛い醤油の味がしみた「苦い」を想像しながらぬる燗をまたグビリ。

どうにかして酒を旨く呑みたいだけじゃないのか?

別のわたしがそう声をかけてくるが、「そういうのを大人っていうのだよ」と軽くいなしてまたグビリ。

春菊を語るつもりが、結局、酒の話になってしまったというご愛嬌。

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ノ・ミカタ

2018年12月08日 | 食う(もしくは)呑む

 

「”ノ・ミカタ”が効く」というのを聞きつけ、一昨夜、お城下での呑み会でさっそく試してみた。

「二日酔い予防効果があると有名な”しじみ”に多く含まれる「アミノ酸アラニン」を主成分とするサプリメント」なのだそうな。

何に効くか。

「悪酔いをしない」「翌日に残らない」のだそうな。

もちろん、「そんなもん、呑みすぎたら何やってもいっしょ」というのがわたしの基本的スタンスではあるが、翌朝の予定次第では、そんなものを身体に入れておきたいという気持ちになることもある。

そんなことを言うと、「じゃあほどほどに止めておけばいいじゃないか」という声が上がるのは承知しているが、ここ酒国高知で生きている以上、そうもいかない。ましてや遠来の客人がたが相手となると、「そこそこしっかり」は呑まないと、ソイツぁ失礼というものだ。

で、効いたか。

それが、はっきり言ってよくわからないのだ。

たしかに、悪酔いはしなかったし、翌日にも残らなかった。しかしわたしの場合、基本的にそれが「たのしい酒」ならば、悪酔いはまずしないし、翌日にも残りにくいのはいつものことだ。そして、一昨夜はそんな「たのしい酒」だった。

それに近ごろのわたしは、もっぱらハイボールを呑むようにしている。

「ハイボールは残りにくいですよ」

この夏、そう教えてくれたのは福島のMさんだ。

そのときは、いつものように、

「そんなもん、呑みすぎたらなに飲んでもいっしょぜよ」

と笑い飛ばしたわたしだったが、その言葉が妙にアタマのなかに残っていて、真偽の程はよくわからいまま、折にふれてそれを実践しているというわけだ。

そしてもうひとつ心がけていることがある。「呑み」の最中にウォーターブレイクをつくるようにしているのだ。もちろん、事情が許せばという括弧つきではあるが、すきあらば水を飲むように努めている。

そこにかてて加えてのサプリメントである。

「残るはずがないではないか」と言われればそのとおりだし、かつてのわたしからすれば堕落もいいところだ。もしも若いころのわたしが目の前にいれば、フンと鼻で嘲笑われるのがオチだろう。

だが、それでいいのだと思っている。

歳々年々人同じからず。

また楽しからずや。

 

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鯨海酔候

2018年11月16日 | 食う(もしくは)呑む

朝から鼻が痛い頭が痛い喉が痛い、という三重苦ではじまったきのう11月15日は、わが青春のアイドルツートップである坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋で襲われ、龍馬が死んだ日。

そしてその坂本龍馬が生まれた日。

ついでにボジョレー・ヌーヴォーの解禁日。

とくれば、ボジョレーの新酒で乾杯だ、となりそうなものなのだが、わたしが選んだのは遠く幕末に思いを馳せて「酔鯨」の特別純米酒。

おっともひとつ理由があった。

鯨を見たからだ。

昼間、会社を休んで参加したとある会合で鯨を見たのだ。

その会の初っ端、アトラクションに登場したのは、よさこい踊りにおけるトップチーム”とらっくよさこい”。





鯨が彼女たちとともに跳ねていた。

「よ~し今宵は酔鯨だべ」

三重苦を身体に抱えたままではあるが、わたしの心はそう決まった。

しかし・・・・

なんてこった。いざ呑みはじめたはいいが、「鯨のごとく酒をのむ」、すなわち鯨海酔候と自らを称した容堂公には遠く及ぶことなく、わずか2杯の酒で風邪気味の身体はとろけてしまい、9時過ぎには寝床に入ってしてしまうという体たらく。

だが、かえってそれがよかったのだろう。今朝起きてみると、声は変わり身体のふしぶしは痛いが、回復のきざしで満ちあふれていた。

「あらあら、完全に風邪ひいてしもたね」

女房殿はそう言うが、なんのなんのどうしてどうして、体感としてすでに危機を脱したわたしはこう答える。

「風邪は治った」

「じゃあその声はなによ」

「風邪よ」

「・・・」

相変わらずわけのわからないことを言う連れ合いだとでもいうように軽く息を吐いて、まな板に向かい直す彼女には目をやらず、黙々と飯を食いながら思う。

明日は慎太郎さんの命日だな。

では今日は・・・

特別なんの日でもない。しかし、酒を呑むのに何の日かなど必要なものか。

 

昨は橋南に酔ひ 今日は橋北に酔ふ

酒あり飲むべし 吾酔ふべし

(山内容堂『二州楼閣に飲す』より)

 

たった2杯の酒で寝てしまうくせして、気分だけは、朝から鯨海酔候なオジさんなのだった。

 

 

酔鯨 特別純米酒 瓶 720ml [高知県]
 
酔鯨酒造

 

酔鯨 特別純米酒 瓶 1800ml [高知県]
 
酔鯨酒造
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泡にはじける柚の香の誘惑

2018年11月14日 | 食う(もしくは)呑む

「ほ~イケるぢゃないか」

ひとくち口に入れたあと目前までグラスをかかげ、うすにごりの液体を見る。そしてぐびりと飲る。一口ひと口、またひとくち。。。

グラスの中身はご存知下町のナポレオン”いいちこ”だ。

といっても、ただの”いいちこ”ではない。

実生ゆず生搾り果汁入りの”いいちこ”だ。

いつのころからだろう。収穫の季節になると、夜ごと特製”いいちこ”を飲りながら、「あゝ、ゆず農家の至福われにあり」などと悦に入るのがささやかなたのしみだ。

飲るのはロック。

水割りでもお湯割りでもなく断固としてロック。

「実生(みしょう)ゆず生搾り果汁入り”いいちこ”ロック」。

と、おとといの晩まではそう思っていたが、そのとき酒の神が降臨してきた。

「ソーダじゃよソーダ」

次の日、女房殿に買ってきてもらった炭酸水を入れて試してみた。それが「ほ~イケるぢゃないか」の正体だ。

一合の焼酎を3回に分けて飲んだ。おおぶりの柚子玉を水平方向に二分割し、3回に分けてしぼり入れた。いずれの場合もソーダを注ぎ込むのは工程の最後だ。強炭酸水がグラスのなかで弾けるのに合わせてゆずの種が踊る。「実生ゆず生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」だ。

ふむ、なんだかもひとつアピール不足のネーミングだな。

ここはもうひと押し、「北川村の柚子農家がつくった実生ゆずの生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」、なんていうのはどうだろう。

「長いな。クドイし」

別のわたしが言下に否定する。

「ま、お飲りよ、そんなことはどうでもイイぢゃないか」

いつもは手厳しいアヤツめが、つづけてそう勧めてくれたのに甘え、「北川村の柚子農家がつくった実生ゆずの生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」をまたぐびり。

ソーダの泡にはじける柚の香の誘惑に抗いきれず、一杯一杯またいっぱい。






そんな夕餉を思い起こしつつ、

さてさて夜も更けてきた。

では今宵も、

一杯一杯、

またいっぱい。

いざ。




 

・・・・・・・・・・

 

そういえば、、、と久しぶりに会った”とある読者さん”がひと言。

「あのブログランキング、どうしてやめたんですか?」

「んんん・・・・覚えてない」

「ポチッとしてたんですよ、わたし」

(そういやたしかにそんなのあったなあと遠い目)

 

ということで、長いあいだお付き合いいただいている”とある読者さん”に敬意を表してしばしのあいだ復活。

 

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食う、について。

2018年10月27日 | 食う(もしくは)呑む

先日、高松へ行ったときのこと。同行者と、さあメシでも食うかとなった。高松といえばうどんである。われながらベタな連想をどうかと思いつつ、うどん屋に入った。さて・・・メニューをながめ、さほど考えるまもなく釜揚げうどんに決めた。

高松で釜揚げうどんを食う。

オヤジふたりで食う。

わたしはふつう(ひと玉)。眼前にすわる痩身のオジさんは三玉。その体躯はといえば、両者ともに細身である。比べると、わたしのほうが少し小さいとはいうものの、互いの目の前に置かれたうどんの量ほどにはちがわない。いきおいよくズルズルっとすすり込む彼。わたしも負けじと猫舌のくせに敢然とすすってみるが、ペースは向こうのほうが断然速い。とはいえ、なんといっても3倍だ。わたしがすべて食い終わったとき、彼の器(たらいです)にはまだ半分ほどが残っていた。「どうです?」と薦めてくれる。少食のわたしでもうどん一杯で腹いっぱいにはならず、やや軽めではあるが、それで十分だ。「いいから食べて」と答える。

「足りないでしょ?」

「腹八分目」

「スイマセンね(笑)」

「いやいや、あくまでアタシのやり方やから。どうぞ腹いっぱい食べて(笑)」

肉体を使った労働が減ったことまたは飲酒によるカロリー摂取をふまえた体重調整のための意識的な少食と、数年におよぶピロリ菌由来の胃弱ゆえのやむを得ない少食、卵が先かニワトリが先か、どちらもが混ざり合って正真正銘の少食になってしまったが、慣れてしまえばどうということもなく、「人間っていうのはそれほど食わなくても生きていけるのだよ」または「そもそも現代人っていうのは食い過ぎ」などとうそぶいていた。その様子が少し変わってきたのは一年ほど前から。長年悩まされていた胃弱からは卒業していないものの、ずいぶん調子がよくなってきてみると、これまた久しくアタマをもたげることがあまりなかった食欲という基本的な欲が、折につけむくむくと起き上がってきて、「腹減った」あるいは「食いたい」とわたしに訴えかける。よいことだ。ごくごく当たり前で正常なことだ。その当たり前を受けて、さあ食うぞ、とばかりに食べ始めるがしかし、長年かかって慣れ親しんだ少食がじゃまをする。量を食べれないのだ。特に宴のときなぞは、あれも美味そうだこれも旨そうだと、少食は少食なりに舌なめずりをするのだが、目論んだ品数に到達する前に満腹中枢がギブアップする。

少食になったのと関係しているのかどうか、時期をほとんど同じくして食べる速度がゆっくりになった。意識的にそうしたきたような記憶がある。よく噛む、そう意識づけてきたからだ。してみると、少食になったことと因果関係はあるのだろう。昔と比べるとずいぶんゆったりとメシを食う。

先日、現場で若い人といっしょに昼メシを食った。いつ以来だろう。その健啖ぶりと食べる速さが好ましかった。

「オレもなあ、昔はよく食ったし、食うのも早かった」

遠い目をしてそんなことを言うオジさんなどはロクなものではない。若いころのわたしならそう思っただろう。ざまあない。いつのまにかそんなオヤジになってしまっている。どんなことはあろうとメシはしっかり食う、そして早メシ早グソ。これが現場人の鉄則だ。いざとなれば今のオレだって・・・。

「未練であるぞ」

別のわたしがアタマの後ろで笑った。

 

 

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大人舌

2018年09月26日 | 食う(もしくは)呑む

桃知さんが本日投稿したブログのタイトルは『大人舌。秋刀魚が届いたので即焼いて食べたのだが、今年初めて息子がワタがうまいと云ったこと。(前川さんからの贈与:蒲田水産:大船渡市赤崎町)』。ひときわわたしの目を引いたのは、「大人舌」というフレーズだった。

大人舌?

そんな言葉があるのか?

浅学にしてわたしは初見初耳だ。

さっそく検索してみる。まず、Google日本語入力で漢字変換できない。「おとなじた」と打っても「おとなした」でも「大人舌」という熟語は出てこない。仕方なしに「おとな」と「した」とに分けて変換。

さあ大人舌だ。

ヒットしたそのほとんどが、女優の石原さとみさんが出演するCM関連。つまり、こういうものだ。

 

女優石原さとみ(31)が25日、都内で「明治 ザ・チョコレート」の新CM発表会に出席した。

「昔の私」と「今の私」が会話を交わすCMで、「ちょうだいよ!」とチョコレートをおねだりする昔の石原に、今の石原が「大人舌になったらね」と“おあずけ”するもの。

「大人舌」という言葉は、舌が肥えて酸味や苦みなどの違い、おいしさが分かるようになった人を示すもの。「大人舌というフレーズは使ったことなかったです。このCMをきっかけに、『大人舌な人が喜びそうだね』みたいなフレーズができたらうれしい」と話した。(日刊スポーツより)

 

ふむふむナルホド。それにしても・・・「大人舌」か・・・たしかにあるな・・・しかし上手いこと言うもんだな。と感心したのにはわけがある。かくいうわが家の夕餉の食卓に今週は秋刀魚が二度上がったからだ。

じつを言うと、わが女房殿は秋刀魚のワタを食さない。反してわたしはそれが大好きだ。酒肴(藤田正児の『酒の肴』によれば、「サカ」は酒であり、「ナ」は魚や菜のこと、それだけで酒の肴の意は足りているらしいので、読んだばかりの本の受け売りでそれらしくウンチクをふりかざして、今日は酒肴と表現せずに肴と書いてみよう)、もとい、肴、特に日本酒のそれとして、秋刀魚のワタは最上級のもののひとつだと信じている。ひっきょう、わたしは二人前のワタをちびちびやりながら酒を楽しむこととなる。娘息子が家にいた時代なら全員分がわたしの皿に放り込まれそうになって、さすがに5人分となるといかなワタ好きなわたしでも、食い過ぎプラス呑み過ぎで翌朝の胃のもたれが確実なものとなるため、最大三人前ぐらいにとどめていたが、ことほど左様に秋刀魚のワタが大好きなのである。しかし、そういうわたしとて、小さい子どものころはそうでもなかった。目の前でなんの躊躇もなくワタをぱくつく親父殿を見ながら、何を好き好んでこんな苦いものを、と不思議でならなかった記憶がある。秋刀魚のワタに限らず、苦さは大人舌の代表的なものだろうが、やはり、酒を愛してやまない大人が好むマイルドな苦さとなると魚のワタ系、なかでも秋刀魚か鮎のワタに純米酒を冷やで飲る。

秋刀魚は三陸の産がいい。

秋刀魚の相手には横手で買った酒「まんさくの花」を指名しよう。

脳内を流れるBGMは斉藤哲夫の『さんま焼けたか』だ。

一杯一杯復一杯。

う~ん、「大人舌」これに極まれりだ。

夜の帳が下りるころ、そんな妄想をふくらませる辺境の土木屋。

帰ろうか、うん、もう帰ろうよ。 



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及時当勉励 歳月不待人

2018年09月08日 | 食う(もしくは)呑む

酔っぱらって思いついたことのメモ帳がわりにこのブログの「下書き」を使うことがよくある。そのたいがいは、短い文章か箇条書きで内容が記されていて、あとからそれなりのテクストとなってアップロードできるできないはさておき、何を書き留めたかったかぐらいはわかるようになっているのだが、たまに「なんじゃこりゃ?」というものがある。なぜメモを残したのか?何に触発されて何を考えたのか?さっぱりわからぬことがある。

「及時当勉励 歳月不待人」

という漢詩が記されていた日時は、8月30日22時51分52秒。

タイトルは「及時当勉励 歳月不待人」。本文も「及時当勉励 歳月不待人」(gooブログは、本文とタイトルを記入しなければ草稿として保存してくれないという仕組みになっている)。

さて・・・?

と首を傾げ思案してみるが、なにが言いたかったのか、サッパリ思い出せない。

「ま、いいか。とりあえず意味だ」と検索してみる。


故事ことわざ辞典』より

・・・・・・・・・・・・

時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれることなどない。
転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。

・・・・・・・・・・・・

 

読んで字の如しだ。それぐらいのことなら、この辺境の土木屋とて読み解ける。だが・・・、そういった類の言葉に酔っぱらったわたしの脳がビビッとくるはずはない。別の意味があるはずだ。検索をつづけてみる。

と、すぐに、別の解釈が見つかった。

 

漢詩の朗読~「歳月人を待たず」(「雑詩」)陶淵明』より

・・・・・・・・・・・・

人生無根蒂
飄如陌上塵
分散逐風轉
此已非常身
落地爲兄弟
何必骨肉親
得歡當作樂
斗酒聚比鄰
盛年不重來
一日難再晨
及時當勉勵
歳月不待人

 

人生は根蒂無く
飄として陌上の塵の如し
分散し風を追って転じ
此れ已に常の身に非ず
地に落ちて兄弟と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならん
歓を得ては当に楽しみを作すべし
斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)む
盛年 重ねて来たらず
一日 再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月 人を待たず

 

[現代語訳]

人生には木の根や果実のヘタのような、
しっかりした拠り所が無い。

まるであてもなく舞い上がる
路上の塵のようなものだ。

風のまにまに吹き散らされて、
もとの身を保つこともおぼつかない。

そんな人生だ。みんな兄弟のようなもの。
骨肉にのみこだわる必要はないのだ。

嬉しい時は大いに楽しみ騒ごう。
酒をたっぷり用意して、近所の仲間と飲みまくるのだ。

血気盛んな時期は、二度とは戻ってこないのだぞ。
一日に二度目の朝はないのだ。

楽しめる時はトコトン楽しもう!
歳月は人を待ってはくれないのだから!!

 

[解説]

(略)

「時に及んで当に勉励すべし 歳月人を待たず」ここが、日本ではずっと「過ぎた時間は二度ともどってこないんだから一生懸命勉強しなさい」というツマンナイ意味にとられてきました。

確かにこの部分だけ取れば「勉励すべし=努め励め」と取れますが、詩全体の文脈を見ると、「何に努め励むのか?」ハッキリしてます。

酒を飲んで、おおいに楽しむことに「努め励め」とすすめているのです。

(略)

・・・・・・・・・・・・


「ははあ~ナルホドね」

これで解けた。

「及時当勉励 歳月不待人」とだけ書き記して寝床についたくだんの日、お城下での懇親会をことわって帰村したわたしが向かった先は、ここ。




村に一軒だけある料理屋が25年の歴史に幕を閉じるその前日に開かれた呑み会だった。

といっても、とりたてて感傷的になるでなく、大いに呑み、かつ語った宴。

努めよ。

励めよ。

歳月は人を待ってはくれない。


及時当勉励 歳月不待人。

そういうことである。


 

 

 

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「たちばな原酒」をのむ

2018年08月23日 | 食う(もしくは)呑む

 

九州からの贈与、「たちばな原酒」。

「百年の孤独」で有名な宮崎県黒木本店の混ぜもの、割り水、ブレンドなしの100%原酒の芋焼酎だ。

(じつは「百年の孤独」もいただいた。ありがとうございます。)

ラベルを見るとその度数は37度~37.9度。めっきり強い酒を呑むことがなくなったわたしゆえ、その度数にじゃっかん怯え、封を切らずにとって置いていた。

しかし・・・・

強い酒に酔い痴れたい夜もある。

とばかりに昨夜、意を決して開栓。

カンパーイ。

 

 

結局、水で割ってしまったヘタレなオジさん。

たいへん、旨うございました ^^;

 

 

 

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夏の酒

2018年07月18日 | 食う(もしくは)呑む

日中、外気温が36℃ほどあったと思ってほしい。

思う貴方は酒呑みだ。

いやいや、そうでなくてもいいから想像してみてほしい。

熱風がごとき空気を身にまといつつ、たどり着いたわが家、もしくは居酒屋で、まず最初に何を呑むのか。

わたしならご多分にもれず冷たいビールを一杯、そしてもう一杯。

そのあとにつづくのは、冷やした酒か、それとも・・・・

いずれにしても冷たいものにはちがいない。

Aさんはちがう。

昨夜、彼がフェイスブックにアップした画像に写るのは、正面に酒肴としての焼き鳥(タレだ)、その右脇に銀色のタンポと透明の液体が入ったコップ。

燗酒だ。

茹だった身体の五臓六腑にあったかい日本酒が染み渡るという(推測するにそれは本醸造八海山だ、たぶん)

う~ん。

と唸り、生唾をごくんと飲みこむ。

酒呑みたるものかくあらん。

毎夜毎夜、キンキンに冷やしたビールをあおっては、「うんめえなあ~」と愉悦に浸っているわたしなぞは、足元にもおよばない。

 

うん、今宵は熱燗だべ。

固く心に誓うオジさんなのだった。

(とかナントカ言いつつも、結局落ち着く先は・・・・)

 

 

 

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