答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

令和3年の「恵方巻き」

2021年02月03日 | 食う(もしくは)呑む

わたしが恵方巻きなるものをはじめて食したのは、たしか二十歳のころである。

そのころ東大阪市で暮らしていたわたしが、行きつけの串カツ屋の暖簾をくぐると、「今日はええもんサービスしたるわ」と店のおかあちゃんが言う。カウンターにすわると、おかあちゃんが「ほれ、恵方巻き」と出してくれた太巻き寿司は、なんでも〇〇の方角を向いて黙って丸かじりをすると幸せになるものらしかった。

なぜ丸かじりをせねばならんのだ?

さても奇妙な風習があるものだ。

そう思ったが、当時も今も、食に関するモットーは「郷に入りては郷に従え」であるわたしだもの、他に3~4人いた客といっしょに、指示にしたがい黙々と食った。他の客が言うには、関西地方全般にある風習ではないらしく、大半がその存在を知らなかったようだった。

それから40年あまりの歳月が過ぎた。あの夜、たまさかめぐり合った奇習と、その主役である食べ物が、まさか、日本全国にひろがり、節分にはかかせないものとなるなど、誰が想像できただろう。

わたしはといえば、それ以来、口に入れたことがない。

念のため言っておくと、太巻き寿司は好きだ。

ではなぜ食さないのかというと、ひとえにこれは天邪鬼ゆえとしかいいようがない。全国一斉でおなじ方角を向いて太巻き寿司にかぶりつくという「行事」に、右へ倣えをしたくないだけという程度の、誰に影響を与えるでもない軽い捻くれである。

そんな男が昨朝、新聞のあいだに入っていたチラシの画像を見てそそられた。朝飯前の空腹が輪をかけたのだろう、むしょうに食いたくなった。

「今晩は恵方巻きを食おうか」

妻に言うと

「あらめずらしい。じゃあ買うてくるね」

とはいえ、わたしたち夫婦が当日の晩餉に関してする朝の会話は、半分ぐらいの確率で実現しない。妻の夕方の気分しだいで、いかようにも変わり得る。期待せずに帰ったわたしを食卓でまちかまえていたのは、わたしの細い胃袋とおちょぼ口を考慮してくれたのだろう、細巻きよりは大きいが、お世辞にも太巻きとは呼べない大きさの海苔巻きが4本。

「お、いいねえ」

とうなずくなり

「切って」

まだまだそれではサイズが大きすぎるとカットを要求するわたし。

「恵方巻きの意味ないやん」

笑う妻を尻目に風呂へと行き、あがってきたわたしを食卓で迎えてくれたのは、断面を上にして皿に盛られた巻き寿司だった。まごうことなき海苔巻きである。

ぷんと柚子の香りがする。

こいつぁ日本酒だべ。

自家製の柚子酢がたっぷりと入った、少し甘めの海苔巻きを食いながら、辛口の純米酒をちびりちびりと呑る節分の夜。

「恵方巻きもええもんやな」

ひとりごちるわたしに

「これのどこが恵方巻きよ」

妻がわらった。

令和3年2月2日、結局のところ、40有余年ぶりの恵方巻きとはならなかったようだ。

 

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品質の均一化

2021年01月13日 | 食う(もしくは)呑む

奄美黒糖焼酎「れんと」のソーダ割りを呑みながら、右斜め前にある小さな軽量カップを見て思う。

はて、これを使いだしたのは、いったいいつごろからだったろうか。

思えば、つまらない酒呑みになったものだ。

こいつが家にくるまでのわたしは、その原液が芋にせよ麦にせよ米にせよ栗にせよ黒糖にせよ、目検討を旨としてきた。わが子らが小さいころなら、ときには「はいロクヨン」、またときには「はいヨンロク」と、その配合の按配について指示をだし、濃いときは甘んじて受け入れ、薄いときは原液を足し、足しすぎて濃くなればこれもまた受け入れて、けっきょくすべてが濃くなってしまうという晩酌を繰り広げるのが日課だった。

そう、このようなものは、すべてにおいて大体がちょうどよいのだ。

あゝそれなのにそれなのに、あろうことか、計量カップで品質の均一化を図ろうなどとは。仕事ならそれでもよし。いやそのほうがよいに決まっている。だが、家庭となると話は異なる。会社の論理を、家庭や社会へストレートにもちこんではならぬと、あれほど自戒してきたというのに。

繰り返すが、このようなものは大体やおおよそぐらいがちょうどよい。

と、つまらない酒呑みに堕してしまったこの身を嘆きつつ、きっちり60ミリリットルを計量した「れんと」を、120ミリリットルの炭酸水で割って呑む。

 

 

 

 

 

わるくないのだよこれが。

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つなぐwebあり

2020年12月07日 | 食う(もしくは)呑む

自身4度目となるオンライン呑み会は、はじめてのホスト役。設定したメインテーマは、「ひょっとして、人は時間軸のなかで物事を考えるのが得意じゃないのでは?」だった。

招待したのは、いずれ劣らぬ論客ばかり。といっても、気のおけない仲間たちとの宴なれば、話はあっちへ行ったりこっちへ来たり。そのままつづければ朝までやってしまいそうな勢いは、どこかで誰かがシャットダウンしなければ終わりそうにない。なれば、と不承不承ではあるが、主催者権限で強制終了したのは、開始後約200分がすぎたあたりだった。

その余韻がまださめやらぬなか、フェイスブックをのぞくと、参加者のひとりがこんな投稿をしていた。

 

宴のあと

楽しかったなあ

窓を叩く霙

 

最後の「まどをたたくみぞれ」という終わり方にしびれた。

ふむふむどれどれ・・

天井を見上げ、少し考えたあと、おもむろにコメントを入れた。

李白だ。

 

両人対酌山花開

一盃一盃復一盃

我酔欲眠卿且去

明朝有意抱琴来  

 

両人対酌して山花開く

一盃 一盃 復た一盃

我れ酔いて眠らんと欲す 卿(きみ)且(しばらく)去れ

明朝 意有らば 琴を抱いて来たれ

 

すぐに返信がきた。

 

滌蕩千古愁

留連百壺飲

良宵宜清談

皓月未能寝

酔来臥空山

天地即衾枕

 

滌蕩(てきとう)す千古の愁い

留連す百壺(ひゃっこ)の飲(さけ)

良宵宜しく清らかに談ずべし

皓月(こうげつ)未だ寝る能わず

酔い来って空山に臥せば

天地は即ち衾枕(きんちん)なり

 

流石、やるねとにやり。

李白だ。

 

ここに酒あり

遠方に朋あり

つなぐwebあり

語り かつ酔い

酔い かつ語る

うん

今という時代もわるくない

 

 

 

 

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ブリにぬた

2020年11月16日 | 食う(もしくは)呑む

おととい、当ブログのアクセス数No.1だった記事は、8年前のものだった。

題して、『高知県民はブリの刺身に緑色の“ぬた“をつけて食べる』(2012.12.12)。

わたしにしては、ごく稀な「食べ物ネタ」だ。

どこがどうなって、そんな昔のブログが掘りおこされたのかよくはわからないが、それがインターネットというやつだもの、検索に詮索は無用だ。

そのようなものを書いた記憶だけはあった。しかし、当然のように中身は忘れている。

どれどれ・・とのぞいてみた。

稚拙な文章だ。

しかし、「味がある」と言えないこともない。

(自分で言うかね ^^;)

少々気恥ずかしい気分にはふたをして、加筆修正をせずに転載してみることにした。

 

******

 

高知県民はブリの刺身に緑色の”ぬた”をつけて食べる

というTVプログラムが、いつだったかあった(そうだ)。

写真は昨夜、奈半利町長門で食したそのブリと”ぬた”である。

ここのそれは、ぶつ切りのブリにニンニクを効かせた”ぬた”がたっぷりとかかっていて、

”ぬた”を食ってるんだか、ブリを食ってるんだか、

つまり”ぬた”がメインなのかブリがメインなのか判別しかねるほどに、その”ぬた”が強烈な存在感、つまり旨いのだが、

「やっぱりこれは”ぬた”にブリをではなく、ブリに”ぬた”をつけて食べてるんだろうな」と、

そうこう思っているうちにお通しとしてで出てきたそいつはすぐ無くなってしまい、

相棒をなくしてしまった”ぬた”は、所在なげに皿の中。

注文した刺身の盛り合わせにブリがあるのを見つけた私は、

「これやこれ、これやがな」と、ブリの刺身に緑色の”ぬた”をつけて食うのだが、

刺身用として切られたブリとぶつ切りのブリでは、パンチの効き方がまるで違っていて、

こういうのをして職人技というのだろうかと、感心しきりな私。

「高知県民はブリの刺身に緑色の”ぬた”をつけて食べる」のである。

*****

 

無性に食いたくなった。

合わせるのは日本酒。

それも高知の酒。

なかでも、しっかりと個性が強い辛口。

無性に呑みたくなった。

けっきょくそこへ落ちつくのかと、笑うしかない。

 

 

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実証実験

2020年07月30日 | 食う(もしくは)呑む

意識をして晩餉の酒量をへらしはじめてから、ひと月以上が過ぎた。

そのココロはというと、入院→手術のために準備したものではあったし、「我慢」という要素が占める割合はかなり大きいが、かねてより、なんとなく「そうではあるまいか」と思っていたことを実践してきたのも功を奏している。

それは、「とりあえず」のビール(系飲料)をやめたことだ。

どうしてやめてみたか?

「ホントにビールもしくはビール系飲料が呑みたいのかオレは?」

と自問したとき、

「どうもそうでもないかもしれないぞ」

という答えが出てきたからだ。

「ホントは渇いたのどをうるおすために、シュワシュワ~、がほしいだけ」

という仮説がアタマをもたげてきたからだ。

で、「実証実験をはじめてみたらみごとに仮説は裏づけられた」、というわけだ。

まずその前段として、晩にウマい「とりあえず」をやるための準備をしない(ここ重要)。

つまり、水分をじゅうぶんとる。

もうここから先は「とりあえず」のために水分はとりません、などという邪な態度を排除する。

そして、そのあとの実証実験はというと、なんのことはない。

「シュワシュワ~」を味わうために使ったのは炭酸水だ。

晩餉のはじめに、菜や肴を口に入れながら、180ミリリットルのグラスに市販の強炭酸水を2杯呑む。

これでじゅうぶんに、「とりあえず」は代用される。

そこからおもむろに、焼酎のソーダ割り、もしくは日本酒を呑る。

もちろん、結局は酒量をおさえるために我慢をしなければならない。

しかし、この「とりあえず」を抑えることの意義は大きい。

なんとなれば、「とりあえず」分のアルコール摂取を制御できるからだ。

と、本音のところを言えば、訳知り顔で書いていて少し情けない自分がいる。

長いあいだ、「度数が5~6以下はアルコールとは認めない」などとうそぶいて、「とりあえず」にしても「締め」にしても、低アルコール飲料は酒量にカウントしないという流儀を採用してきたからだ。

しかし、背に腹は代えられない。

というか、実践してみると何の問題もなかった。

そう。

「なかった」

「これまでは」

 

じつはきのう、猛烈にビール(系飲料)が呑みたくなったのだ。

そう。

夏だ。

梅雨が明け、本格的に夏がやって来たのだ。

結局のところ、意志の問題なのか。

結局は、我慢なのか。

そう思いつつ、抑えがたい衝動をようやっとでこらえた。

いや、兆候はしっかりとあるのだ。

減っていたはずの酒量も、近ごろでは、「すきあらばも少し」という自分とのせめぎ合いとなっているし。

幸い、体調はよくなっている。

「のめるときは呑んだらいいぢゃないか、かた苦しく考えるなよ」

と別のわたしは勧めてくれる。

しかし・・・

 

さて、この夏を無事のりきれるかどうか。

すべてはわたしの、この薄弱な意志にかかっている。

結局、行きつく先はそこだったのかと思えば、情けないやら悲しいやら。

ま、ぼちぼちやろう。

この問題にかぎっては、そんなに事がうまく運ぶはずはないのだから。

 

 

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鶏の唐揚げ弁当

2020年01月24日 | 食う(もしくは)呑む

某月某日某所にて。

その部屋にいたのは男ばかりが10人ほど。主催者が用意してくれた弁当は、全員一律で鶏の唐揚げ弁当だった。

その年齢層がけっこう高いなか、ふたりだけいた若者は、さっさと食べ終わったかと思うと、そろって部屋の外へ。わたしはと言えば、はなからペースを上げることなく、少しずつゆっくりと食べていた。

「昼休みは1時間たっぷりある。他の皆よりおくれてもなんの不都合もないわさ」てなもんである。

あらためて周りを見わたしてみると、残された爺さんオジさんたちの箸の動きが、みな一様ににぶいことに気づく。

と、目と目が合った隣りの御仁が、ぼそりとつぶやいた。

「唐揚げだけの弁当はちょっとつらいなぁ」

そうこぼした彼はわたしより2歳年上。ほぼ同年代だ。

「ホントホント、若いころはこんなのを好んで食ったのにねぇ」

返事をしながら思い出したのは、昨年夏のこと。何がよいかとも何にするかとも訊かれず、トンカツ定食(しかもたっぷりの白飯)をデーンと出されたときの残念感。しかしながら、ゲストたるわたしの同意なくそれを注文していた目の前の人は、十以上も年が離れた爺さんだった。

事ほど左様に、人それぞれではあろう。あの日、あの部屋にいた爺さんやオジさんが、一様に唐揚げ弁当を食すのが辛そうだったというだけで、加齢とともに揚げ物がキツくなるのだと結論づけることもできない。なんとなれば、70を過ぎてなお健啖家で、揚げ物を好んで食べる人なぞ、世の中にはゴマンといるからだ。

ただ、わたしはダメだ。

食べないことはないし、今でも変わらず、鶏の唐揚げは好物のひとつだと言ってさしつかえないが、その量はごくごく少なくていい。

そういえば、あれもダメになった。

一個の唐揚げを3回ほどに分けて食べながら、ケンタッキーフライドチキンの姿を思い浮かべた。20代のころなら、9ピースパックをひとりでたいらげたこともあったが、今では2つも食べれば満腹だ。

当地(高知県中芸地区)名物でパトリ的食べ物である「手羽先」(鶏の手羽先を素揚げし塩コショウで味付けしたもの)もそう。ビールをぐびぐび飲りつつ、手羽先にむしゃぶりつけば、やめられない止まらない。まるで際限がないかのように食えたし、また呑めたものだ。

と、ある事実に苦笑い。

揚げ物関係ばかりを思い浮かべながら唐揚げ弁当を食べているものだから、口腔のみならず、アタマの中までが脂っぽくなり、ますます箸がすすまなくなってきた。

まったく、ヤキがまわったとはこのことだ。

少食だった亡父が、少量のものをちびちび食べる様を横目で見ながら、「あぁじれったいなぁ」などと感じていたことも今は昔。すっかり同様になってしまった自分自身にまた苦笑いしつつ、鶏の唐揚げ弁当完食。

某月某日某所にて。

 

 

 

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わしわし食うワシ

2019年12月14日 | 食う(もしくは)呑む

夕餉どき、

「ほれ」

と猟師が置いていってくれた足ひとつ。

「ありがとう」

と礼を言ってもらったまではよかったが、

「さてやるか」

と晩酌のあと台所に立ち、その片足をさばきはじめると、いかに子猪とはいえ、さすがに鶏や魚のようにはいかず、ましてや酔眼朦朧だ、危なかしいったらありゃしない。それでも、悪戦苦闘して切り分ける肉から包丁をとおして伝わってくる質感と両のまなこで確認するその色つやが、

「こいつぁうまいぞ」

と確信させる。

「どれどれ・・」

矢もたてもたまらず、味見と称して塩コショーをぱらぱらとふりかけ焼き肉タイム。

ふだんはいたって少食で、メシを食ったあとでまた食うなどという行為はほとんど考えられないのだが、たまにゃあなあイイさと、わしわし食う。

一枚一枚また一枚。

ではついでだと、よしゃあいいのにまた呑みはじめる。

一杯一杯また一杯。

北川村で獲れたイノシシを肴に北川村産実生のゆず生搾り焼酎ソーダ割りをチビチビと飲りながら、秋の夜長はふけてゆく。

 

 

 

 

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ゆず農家の至福

2019年11月11日 | 食う(もしくは)呑む

収穫のよろこび、などと言えば体はいいが、そして、それを「たのしい」とかのたまう人が実際に存在するのも知ってはいるが、少なくともその作業にかかわっているあいだは、わたしにとって苦役以外のなにものでもない。

何がって、柚子の収穫が、である。

とはいえ、そんな一日が終わり、晩餉のときともなると、その様相は一変する。

何がって、これがあるからである。

 

 

実生のゆずを大量にしぼり入れた焼酎の上からソーダを注ぐ。

 

 

沈んでは浮き、浮いては沈みをくりかえしながら、きらめく泡に身をおどらせる柚子の種にわが身の来し方をかさね、一杯一杯またいっぱい。

ああ、柚子農家の至福ここにあり。

 

「って結局、たのしんでるんじゃないかよ」

という指摘は受けつけないので悪しからず。

 

 

 

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那賀町「麺屋藤」

2019年07月06日 | 食う(もしくは)呑む

 

那賀郡那賀町は徳島県南部に位置する町。

麺屋藤は、その那賀町にあるラーメン屋だ。

「今日の昼はラーメンにしましょう。うまい店があるんですよ」

と、すすめるではなくすでに決定済みの同行者にあらがうことなく、国道195号沿いにあるその店に入ったわたしは、めったにラーメンを口にしない人だ。

きらいなわけではない。

むしろ大好物だった。

太鼓を打ち始めてこのかた、アルコール類以外の飲食物は節制するという食習慣を繰り返すなかで、わたしのなかで自然と淘汰されていき、あまり食することがなくなったうちのひとつだ。

だが、まあそれほどかた苦しく考えなくてもよいではないかという心持ちが、なにかにつけてわき上がる近ごろでは、自らすすんで口にすることはないが、他人さまからすすめられたそのときは、こだわることなく応じることにしている。

そんなわたしが、「どれがオススメ?」と問うと、「どれでも。全部うまいです」と同行者は答える。

ひとしきり、メニューを見たあと、「塩」にするか「醤油」にするか迷ったあげく、選んだのは「醤油」。『幸せの黄色いハンカチ』で出所した健さんがラーメンとカツ丼をむさぼり食うあのシーンを観た42年前以来、迷ったら「醤油」と決めている。それに、「すべてがオススメ」とあらば、オーソドックスな一品を選択するのが常道だろう(ホントか?)。

食べるなり、ぶっ飛んだ。

ふだんはめったにラーメンを食べないわたしに、ラーメンの美味い不味いを語る資格などないのは承知している。だが、それを差し引いてもなお、いや、だからこそというべきか。

「うまいな、これ」

麺屋藤の凄みが五臓六腑に染みわたる。

「どうです?うまいでしょ?」

という同行者の問いに返事はしない。

黙ってうなずくのみだ。

ふだんなら、どんなにその味がよくても、ひと口ふた口すすったら、あとは飲まないスープも、気がつくと半分ほどになっていた。

このような表現をしてしまうと、まことにもって失礼なことを承知であえて言うが、その味を体験してみると、ついつい「こんなところに?」という表現をしてみたくなるような立地条件にある店だ。

「ああ、ええもん食うた」

大満足のわたしを講演会場で迎えてくれた聴者たちは、これがまた、予想を軽く裏切って余りある上質の受け手であり、わたしがこれまで経験してきたなかでも、まちがいなくかなりの上位にランクインする人たちだった。

「プレゼンテーションは送り手と受け手の創作物だ」

桃知さんの言葉が何度も何度も脳内で行きつ戻りつしながら、ハイレベルな受け手に感謝しつつ務めた講演が終わった帰り道。

「味」がその土地とそこに住む人たちの印象を決めるのか。

はたまた、その地の空気と人の印象が「味」の記憶を左右するのか。

たぶんどちらもなんだろう。

そんな余韻にひたりながら四国山地の最東端を走る。

味は人なりこころなり。




 

 

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アニサキス

2019年04月18日 | 食う(もしくは)呑む

今朝の高知新聞に踊る「アニサキス」という文字に、思わず目がとまった。

自慢じゃないがこのわたし、アニサキス食中毒に2回もかかったことがある。それ以来、アニサキスという言葉には敏感だ。

とうぜんのこと、記事を読んでみた。

・・・・・・

カツオが原因とみられるアニサキス中毒の報告件数が2018年、前年の10件から100件に増えた。関東、関西の量販店などでは「カツオの生の刺し身は売らない」という”厳しい対策”を取る例も出ている。数字の波紋がカツオ業界を揺らしている。

・・・・・・

から始まるその記事によれば、タレントの渡辺直美さんが2年前にツイッターでアニサキス食中毒にかかったことがキッカケだという。

・・・・・・

食中毒から復活いたしました。
ヒルナンデスの出演者の皆様、スタッフさん、ラジオの関係者の皆様、代役をやってくれたジャンポケ、ご迷惑をおかけしました。そして、ファンの皆様ご心配おかけしました。これからも頑張ります!皆様、アニサキスに注意です。
激痛すぎてアラサー病院で泣きました。

(Twitter『2017.04.02.@watanabe_naomi』より)

・・・・・・

彼女がツイッターでこう発信して以来、大きく取り上げられはじめ、それによって一般消費者の生魚への拒否反応が広まったという。

知らなかった・・・

「ふん、何をいまさら」

思わずそう冷笑してしまった。

いや渡辺さんにではない。それぐらいのことで過剰反応をする消費者に対してだ。

なんとなれば、こちとら2回の羅患歴を有しながら、いまだにまだ、アニサキスが生息しやすいサバもその他の青魚も生で食している(2回目のあとは・・さすがにしばらく食えませんでしたがね)。大好物だ。だいいち、アニサキスなどというものは昔からいるのだ。たしかにカツオは、「ほとんどいる」とされているサバやスルメイカよりは少なかったのだし、その報告例が10倍になったというには何らかの原因があるのだろう。それにしてもだ。全国でたかだか100件である。取るに足らない数字ではないか。それをなんだ。カツオの生の刺し身は売らない?てやんでえべらぼうめ。。。

と紙面に向かいひとしきり憤慨したあとふと思う。

こんなことを広言して、もしも3回目があったとしたら笑いものもイイところだなと。

そうそう、1回目と同じ医院で処置してもらった2回目に、医者がわたしに冷たく言い放った言葉を忘れることはできない。

「いいかげん勉強せんとね。嘲笑われるよ」

だいじょうぶ、あれからずいぶん勉強した。

いろんなことに注意をして食えばだいじょうぶだということを。

 

君子危うきに近寄らず?

いやいや

虎穴に入らずんば虎子を得ず

でしょ (^^)

 

 

 

 

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