わたしが恵方巻きなるものをはじめて食したのは、たしか二十歳のころである。
そのころ東大阪市で暮らしていたわたしが、行きつけの串カツ屋の暖簾をくぐると、「今日はええもんサービスしたるわ」と店のおかあちゃんが言う。カウンターにすわると、おかあちゃんが「ほれ、恵方巻き」と出してくれた太巻き寿司は、なんでも〇〇の方角を向いて黙って丸かじりをすると幸せになるものらしかった。
なぜ丸かじりをせねばならんのだ?
さても奇妙な風習があるものだ。
そう思ったが、当時も今も、食に関するモットーは「郷に入りては郷に従え」であるわたしだもの、他に3~4人いた客といっしょに、指示にしたがい黙々と食った。他の客が言うには、関西地方全般にある風習ではないらしく、大半がその存在を知らなかったようだった。
それから40年あまりの歳月が過ぎた。あの夜、たまさかめぐり合った奇習と、その主役である食べ物が、まさか、日本全国にひろがり、節分にはかかせないものとなるなど、誰が想像できただろう。
わたしはといえば、それ以来、口に入れたことがない。
念のため言っておくと、太巻き寿司は好きだ。
ではなぜ食さないのかというと、ひとえにこれは天邪鬼ゆえとしかいいようがない。全国一斉でおなじ方角を向いて太巻き寿司にかぶりつくという「行事」に、右へ倣えをしたくないだけという程度の、誰に影響を与えるでもない軽い捻くれである。
そんな男が昨朝、新聞のあいだに入っていたチラシの画像を見てそそられた。朝飯前の空腹が輪をかけたのだろう、むしょうに食いたくなった。
「今晩は恵方巻きを食おうか」
妻に言うと
「あらめずらしい。じゃあ買うてくるね」
とはいえ、わたしたち夫婦が当日の晩餉に関してする朝の会話は、半分ぐらいの確率で実現しない。妻の夕方の気分しだいで、いかようにも変わり得る。期待せずに帰ったわたしを食卓でまちかまえていたのは、わたしの細い胃袋とおちょぼ口を考慮してくれたのだろう、細巻きよりは大きいが、お世辞にも太巻きとは呼べない大きさの海苔巻きが4本。
「お、いいねえ」
とうなずくなり
「切って」
まだまだそれではサイズが大きすぎるとカットを要求するわたし。
「恵方巻きの意味ないやん」
笑う妻を尻目に風呂へと行き、あがってきたわたしを食卓で迎えてくれたのは、断面を上にして皿に盛られた巻き寿司だった。まごうことなき海苔巻きである。
ぷんと柚子の香りがする。
こいつぁ日本酒だべ。
自家製の柚子酢がたっぷりと入った、少し甘めの海苔巻きを食いながら、辛口の純米酒をちびりちびりと呑る節分の夜。
「恵方巻きもええもんやな」
ひとりごちるわたしに
「これのどこが恵方巻きよ」
妻がわらった。
令和3年2月2日、結局のところ、40有余年ぶりの恵方巻きとはならなかったようだ。