少し前になる。『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』(施光恒、集英社新書)を読んだ。
ややセンセーショナルに過ぎる書名がわたし的にはイケてないのだが、グローバリズムをその基底とした国家の「英語化」政策と、この国を覆う「英語化」という「空気」、そしてその帰結として国語が「現地語化」してしまうという危険に警鐘を鳴らす論考。
労作である。一読の価値あり。興味のある方はぜひ読んでみてほしい。
英語化は愚民化
日本の国力が地に落ちる
施光恒著
集英社
著者がこの書のなかで繰り返し強調するのは、外国語の能力に優れた者が外来の知を積極的に学び「翻訳」することと、そこから「土着化」という展開を図ることの重要性。
つまりそれは、宗教改革以降の西欧の近代化の歴史を、
ラテン語で読み書きする人々だけが独占していた「普遍」的な知を、「現地語」に「翻訳」し、それぞれの地域に根づかせることで、多くの人々の社会参加が可能となり、近代化への活力が生じたのだ。(P.160)
と読み解き、時代は進んでわが日本の明治期、
世界の最先端の知が日本語に「翻訳」され、庶民がアクセスしやすい形で広められ、そのおかげで近代化は成功をおさめ(P.239)
それ以降、
「翻訳」と「土着化」の国づくりは、日本のいわば特技(P.232)
となったと論じている。
いわゆる「英語化」がもたらす愚についてはぜひ本書を読んでほしい、と留めおくことにしておいて、繰り返し登場する「翻訳と土着化」というキーワードを咀嚼しながら、わたしは本の筋とは違う別のあることを考えていた。
建設業におけるクリティカルチェーン・プロジェクト・マネジメント(CCPM)のことである。
CCPMを導入しようとした、あるいは実際に導入した企業は多い(らしい)。だがそのうちで、成功していると言えるのはほんのひと握りだという。それについてわたしはかつてこう書いたことがある。
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~2013年6月4日【継続しない理由】~
今日とあるかたから、「なかなか浸透(継続)しないんですよね」という相談を受けた。CCPMが社内に、である。よくある話しだ。その場その時、各社さまざまに、色んな要因があると思う。
リーダーの不在、
トップの希薄な意識、
ぬぐえない拒絶意識、
(変わることに対して)オープンマインドになれない社員(特にベテラン)、
多忙な現場技術者、
教科書どおりには行かない現実、
従来の工程表とのダブルスタンダード、
その他もろもろ。
CCPMなんかなくたって、現場は回るのである。
それにだいいち私は、そのかたを知ってはいるが、会社のなかについてそれほど知悉しているわけではない。そんな人間が訳知り顔をして適当な推測で無責任な言葉を並べ立てるわけにはいかないが、かといって、「ワシ知らんもんね」「自分の頭で考えなさいよ」と突き放すことも出来はしない。
もとより一般解などがあるわけもなく、私がアドバイスしたとしてもヒントにしか過ぎず、結局は、やってみて、自分の頭で考えて、またやってみて考えての繰り返しが成否の鍵を握っていると私は思うのだ。そんな、この道(悪戦苦闘の)の先輩としての私が今日示したキーワードは、「共通の言語」。
CCPMをして、社内の「共通の言語」とならしめることが出来るか。
CCPMを「共通の言語」としてコミュニケーションを図ることが出来るか。
話す言語が違えば、そこに齟齬が生まれるのは当然である。
(わかっている人には言わずもがなだが、これ、CCPMに限った話ではない)
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ちょうど丸2年経った今読み返してみると、何かが少し不足している。その何かを補うのが、「翻訳」と「土着化」というキーワードではないか。そうビビッと来たのである。
常々わたしは「教科書はない」と言ってきた。
いや実際には「教科書はある」のだ。だが、「あったとしてもそれは単なる教科書にすぎず、個々の現場で実用に堪えられるものではない」というのが本当のところだろう。
つまり、まず必要不可欠なのは教科書たる原典を原語で学ぶ役目、いわば水先案内人が存在すること。さらにそのうえで、その必死のコッパで学んだ原典を現地語に「翻訳」し組織にフィットさせること、すなわち「土着化」。
「翻訳」そして「土着化」。
ここに成功の秘訣がある、とまではおこがましくて言えないが、少なくともここに継続できるか否かの大きな要因があるのは確実だ。理念や理論を語る言語は、組織の構成員の「共通言語」でなくてもいい。むしろ、はじめから「共通言語」として降りてくる例などほとんどないと言っていいだろう。問題はそこから先、理念や理論や方法論を共通の言葉としての「現地語」に翻訳できるかできないかが、まずは分岐点なのだ。
とはいえそれがある程度できたとしても、「翻訳」=「土着化」ではないのは当然のこと。そこから先、「土着化」への展開は容易なことではでき得ない。
だがそうだとしても、たとえばどこかの誰かがやってきて、「ほれ、これが教科書だ。このとおりやれば必ずうまくいく」というよくあるパターンではダメなのは明らかだ。だいいちわたしは、そんな人たちの言説は眉に唾つけて聞くに限るとかねがね思ってもいる(にもかかわらず、その類にすがる人たちは後を絶ちませんが)。
だが他人を見ている分には明らかなそのことも、いざその当事者たる身となってしまえば、これがけっこう理解できなかったりするものだ。
「翻訳」と「土着化」。
オマエはそれをやりきった(ている)か?
と問われれば、
う~んとうなってボウズ頭をボリボリ掻くしかないのだが、結局わたしがやってきたこと、この先もやろうとしていることはそういうことなのだろうと思う。
以上、『CCPMを社内に展開し継続するためには「翻訳」と「土着化」が必須ですよ」論、まだまだ舌足らずな部分もあるが、わたしのなかではビビッと来るところあり、とりあえずリリースしてみた。
いかがだろうか?
言うまでもないが、CCPMだけに当てはまる話ではない。
「翻訳」と「土着化」。
地場中小零細建設業にとっては、すべからくに当てはまるとわたしは思う。
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