「現地の人のしこうに合わせて」
というそのテロップが画面下に流れたのはNHKの朝のニュース。東南アジアのコーヒー事情に関する報道だった。
いくらなんでも「しこう」はないのではないか。
と感じたぼくは、皆さんご存知のように、「わかりやすく」を標榜し、また花森安治に習い「ひらがな」で書くことを自らに課してきた者だ(近ごろでは宗旨を少しだけ変えたが、それについてはまた後日)。
山本夏彦は、その花森の「実用文十訓」を紹介した『私の岩波物語』でこう書いている。
******字句を吟味して、耳で聞いてわからぬ言葉は使うまいとした。極力平がなで書いた。平がなばかりだと読みにくくなる。要所要所に漢字がほしい。そのあんばいに苦心した。だから誌面はかな沢山でまっ白でありながら読みやすいのは苦心の存するところで、ぱっと誌面をひろげてながめて感心したことがある。******
花森に習おうとしたぼくもまた、これにはずいぶん苦心した。その挙げ句、これだ、という法則やルールを確立させるには至らなかったのだから、エラそうなことを言えた義理ではない。
しかし、そのぼくでさえ「しこう」には呆れてものが言えなかった。いや、そのぼくだからこそ、だろうか。
しこう。
思いつくままに列挙しても、思考、志向、指向、嗜好、試行、施行、歯垢、紫香。そこから、何らの予備知識がなく「現地の人のしこうに合わせて」という文面に合わせたものをチョイスすると「思考、志向、指向、嗜好」の4つ。
「歯垢」という字も無理やり合わせられないではない(現地の人の歯垢)が、まさかそれではあるまいから、4つに絞ってさしつかえはないだろう。
現地の人の思考、現地の人の志向、現地の人の指向、現地の人の嗜好。
と、そのような面倒くさい手順を経ずとも、ニュースを見ていたぼくには、それに当てはまる漢字が「嗜好」だということがわかっている。
しつこいようだが繰り返す。
「現地の人のしこうに合わせて」
そこは「嗜好」しかないだろうが。
呆れ返りつつ心のなかでツッコミを入れた。
たしかに、一般的な小学生なら読めないかもしれない。
それが大人ならどうだろうか。ぼくは読めると信じたいが、そうでもないかもしれない。しかし、書く側が、たとえこれは読めないかもしれないと思っても使わなければならない漢字がある。この場合は確実にそれに当てはまる。
たしかにむずかしい問題ではある。キーを叩き、あるいは画面をフリックして出てきた変換候補にもとづいて漢字化するだけなら、何らの困難もともなわないが、少なくとも、伝えようとする側のことを考え、一つひとつを漢字にするか平仮名か、はたまたカタカナで表現するかを思案しながら文章を書くとなると、そのチョイスはかんたんではない(しかも想定するその相手が不特定多数であればなおさらだ)。
しかし、その困難さを身をもって体験してきたからこそ思う。
漢字か平仮名か、はたまたカタカナか。その思案において、「読み書きするのが難しいから」という選択理由は必ずしも正しくはない。たとえ、その字面からは読み取れなかったとしても、前後の文脈から判断すればなんとなくわかる程度なら、漢字を使うべきだ。それが、二字以上の漢字が結合して一語をなすもの、つまり熟語なら、原則として平仮名にするべきではない。
すると、ひるがえってオレはどうなんだ?という自問が浮かんできた。
いやぼくにかぎって決してそれは・・・・ない、と思う・・・・たぶん。
いやいや、ここはけんきょに、もってたざんのいしとすべし。