答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

黒の手帳

2024年12月23日 | オヤジのICT修業
Amazonから届いた黒い手帳の表紙には、右上に金色の字で「2025」とだけ記されている。日本能率協会マネジメントセンター発行の「NOLTY能率手帳A5月間ブロック(黒)」である。
薄い罫線が引かれたページをめくると、そうそうこれこれ、と懐かしさに脳ミソが喜んでいるのがわかる。胸ポケットに差したUniJETSTREAM三色ボールペンを取り出し予定を書き込む。なんだか少しぎこちない。相変わらず下手くそな字だなと呆れ返るが、かまわずつづける。

日本語ワードプロセッサというものがこの世に登場して以来、長いあいだ字が下手なことにコンプレックスを抱いていたぼくは、これ幸いとそれに飛びつき、周りの誰よりも速く打てるように、自在に使いこなせるようにとトレーニングを重ねた。そのうちそれがパーソナルコンピュータに代わっても同様だ。
その甲斐あって、ブラインドタッチが身につき、必要最小限をのぞき、「手で書く」という行為をしなくなって久しい。そのせいで、下手くそだったぼくの字は、それに何重もの輪をかけ、下手くそ極まりないものとなってしまった。とともに多くの漢字を忘れた。となればなおさら、「手で書く」のがイヤになる。それでも、iPadのメモアプリは使っており、書かないわけでもないのだが、紙とはすっかり縁遠くなってしまった。デジタル化のためにはペーパーレスを推進させなければならないという思いが、なおいっそうそれに拍車をかけ、今に至っている。

手書きとタイピングでは脳におよぼす影響がどう異なるかを比較したノルウェー科学技術大学の研究論文がある。36人の大学生を対象に、デジタルペンで単語を手書きする場合と、キーボードでタイピングする場合の脳活動を記録したものだ。

それによって発見されたのは以下の点である。
1.手書きは脳の接続性を広範囲に促進する
・手書きをするときには、頭頂部や中央部の脳領域でシータ波およびアルファ波による広範な接続性が確認された。
・これらの接続性は記憶形成や情報のエンコードに重要であり、学習に有益であるとされている。
2.タイピングでは同様の接続性が見られない
・キーボードをタイピングするというのは機械的で単純な指の動きにすぎず、手書きで必要とされる複雑な運動や感覚入力をともなわないため、脳の接続性は手書きに比べて限定的なものにとどまった。
3.手書きの動きが脳をより効果的に刺激する
手書きは、視覚情報、運動指令、固有受容感覚を統合し、脳の広範なネットワークを活性化させる。
4.学習環境における手書きの重要性
・手書きは記憶や学習を促進する神経接続パターンを形成する。
そのため、教育現場などでは、幼少期から手書きの練習を大事にするべき。
・一方で、デジタル技術も重要であり、手書きとタイピングの使い分けが必要。

以上は、ChatGPT4oに原語の論文を読み込ませて要約したものだが、さらにかいつまんで一言であらわすとこうなるだろう。

「手書きは脳を刺激する」

デジタルでキーを叩く行為は、一定の指の動きにすぎないが、手書きはペンの動きを通じて脳のあちこちを活性化させるらしい。
してみると、今ぼくの目の前にある能率手帳は、単なる手帳、単なるツールのようにみえてそうではなく、自分の脳と心をつなぐ大切なインターフェイスということになろうか。

すっかりキーに慣れ親しんでどっぷりタイピングに染まってしまったぼくの指と脳には、今はまだ、紙への手書きがもどかしい。いつかそれが、かつてのように戻ることができるのか、あるいは、やっぱりタイプだべと、ぽいと放り出すのか、どう転ぶかはわからないが、試してみる価値はありそうだ。

変化とは、いつもいつでも「あたらしい状態をつくりだす」ことだけを意味するのではない。単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも、十分に変化と呼ぶに値する。だからぼくは、全面的ではなく一部ではあるが、ぐるっと回って手書きに回帰してみようと思う。ぼくにとってはこれもまた、立派に「変わりつづける」の一貫なのである。
コメント
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