このところ、「為にする」読書をつづけていたせいだろう。
本を読む気が失せていた。
邪(よこしま)な下心を持った報いだ。
もそっと素直に本というものに向き合わなければ、こういう形でしっぺい返しが必ず来る。
とはいえ、「為にする」読書が必要でないかといえば、それは断じて否であり(あくまでわたしの場合は、です)、ソレもコレもあんなんもこんなんもを含めて「読むという日々」なのだから、まあ仕方がないわなと静観していたら、少しずつ「読む気」が湧いてきた。
ということで、復帰の一歩は平川克美さんから。
『喪失の戦後史』(東洋経済新報社)である。
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喪失の戦後史―ありえたかもしれない過去と、ありうるかもしれない未来 |
平川 克美 | |
東洋経済新報社 |
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本当に我々が驚くべきことは、日本の歴史が始まってから、2008年に至るまで一度も人口が減ったことがなかったということなんです。それはどういうことかというと、2009年に、日本の総人口が減り始めた。それは何を意味しているのか。そういうことについて日本人は誰も、これまで歴史の中で考えてきたこともないし、考える方法、つまりどうやって考えたらいいんだというやり方についてもわからないといことなんです。そして、現在の日本に続く、すべてのシステム、考え方は人口増大を所与として考えられてきたということです。
(Kindleの位置No.655あたり)
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つまり、「誰も経験したことがない時代」に、わたしたちは足を踏み入れているということだ。
「為にする」読書をつづけていたあいだ、同時に考えていたのは、「完全週休二日制」だの「残業を減らす」だの、いわゆる「働き方改革」周辺と、そこから派生した「生産性向上」のことなどだった。「能力がないんやったら時間で稼げ」派でずっとやってきたわたしだもの、「なんとも柄でもないザマじゃないか」と言われても仕方がない。しかし、「誰も経験したことがない時代」を生きていく以上、これまでの「当たり前」が通用しないという心がまえは大前提として保ちつづけていかなければならない。
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なぜ、もう少し、穏健でリスクの少ない成熟の仕方ということを研究しないのだろうかと思います。なぜ、成長の停滞や、格差の広がりを、問題の答えだととらえず、問題だととらえてしまうのか。
その理由は、ありうる現実から乖離した、あらまほしき希望に有り金を置くようなことを続けているからです。
(No.2615あたり)
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ん?
「あらまほしき」とはどういう意味だ?
浅学にしてまったくピンとこないオジさん、さっそく検索してみる。
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goo辞書より
【あら・まほし】
[連語]《動詞「あり」の未然形+希望の助動詞「まほし」》
1 居たい。ありたい。
2 あってほしい。居てほしい。
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その意をふまえてもういちど読んでみる。
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ありうる現実から乖離した、あらまほしき希望に有り金を置く
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ナルホド。
「あらまほしき希望」は、「ありうる現実」に拠って立つものでなければ意味がない。
深くうなずきつつ、『喪失の戦後史―ありえたかもしれない過去と、ありうるかもしれない未来』(平川克美)を読了。
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