近ごろどうも本読みがすすまない。原因ははっきりとしている。またぞろ「ためにする」読書をしているからだ。
主人がへそ曲がりでひねくれ者であるにもかかわらず、なぜだか、わたしのココロもアタマも、そんなところは正直で素直だ。とたんにヤル気をなくしてしまう。まったくどうも、しょうがない奴らではある。
ところが、そんななかでも日ごろの行いがよければ「玉」に当たったりもするからおもしろい。それが、『不確実な時代に勝ち残る、ものづくりの強化書』(村上悟)だった。
読み終えたあと、興奮もさめやらぬまま、著者村上悟さんにダイレクトメッセージを送った。感謝の言葉のあとに記したのは、「ここ、よいですね」というコメントと以下の文章だ。
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人間は考えることによってのみ「知り」「学び」続けることができます。私は、学ぶこと、考えることは「物事を疑う」ことであり、これは科学することと同義だと考えます。そして、科学することの本質、すなわち科学的な態度とは、物事の合理的な「疑い方」であると思うのです。
しかし、「疑う」行為は、「否定する」ことではありません。疑い深く何度も三現主義で確かめて、それでも否定できないときに初めて、その事象は「正しい」とみなされます。つまり、正しさを確かめるために疑うのです。
ただ、否定できないからといって「正しい」とは断言できません。あくまでも「正しいとみなす」のであって、疑問の余地を残すのが科学的に「正しい」ということであり、学ぶことにつながるのです。
(P.216)
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さほど時間がかからぬうちに、返信が届いた。そこには、Critical thinking という文字が踊っていた。
「そうかクリティカルシンキングか」
とわかったようにうなずくわたしはしかし、どこかで目にし耳にしたことはあるにせよ、そのじつ、クリティカルシンキングについて、まったく何もわかってはいない。
検索してみた。めんどくさいのでGoogleのトップにある記事を斜め読みしてみた。と、そのなかにはこう書かれていた。
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ビジネスの世界でクリティカルシンキングが注目されるようになった理由の1つに、価値観の多様化があります。
かつての日本では、「より良いもの」を提供することが企業にとって重要でした。
高性能や低価格といった明確な基準があり、それを追い求めることが事業を成功させる方法だったのです。
しかし、人々が異なる考え方や価値観を持つようになり、1つの基準に合わせているだけでは、ビジネスを成功させることはできなくなっています。
そうした時代の変化のなかで、本質を見極める思考法であるクリティカルシンキングが重要性を増しているのです。
これまで正しいと考えられてきたものが、通用しなくなっているという事例は数えきれません。
だからこそ、従来どおりの考え方から脱却し、時代に合った意見や判断に必要なクリティカルシンキングが求められているのです。
(『あしたの人事 Online』より)
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ナルホド。とはいえもちろん、これだけでは理解できるはずがない。
そのままAmazonへとジャンプし、クリシン本(というのだそうだ。それほどこの手の書籍が出回っているという証だろう)を2冊買った。その他、村上さんの本にあったトピックからの関連で購入した本が3冊。
それもまた玉石混交ではあろうし、いつものように積ん読に仲間入りする奴もなかにはあるだろうが、おじさん、俄然読む気がわいてきた。
「ためにする」読書も捨てたものではない。