ダニー食堂

右往左往の日々。

ダニーを連れてきた女、シルビア

2011-02-08 | 本日のおススメ
思い起こせばシルビアとの出会いは1990年代、そう20世紀ね。
当時、彼女はどこかの企業のインターン、あたしは週6でピザ屋で働いてたわ。

松山弁と英語がペラペラで、口より物を言う眉毛と緊張すると出てくる標準語が可愛かったっけ。
今じゃ、殆ど日本語は話してくれないんだけど。

いつか2人で出掛けた時に1万円を拾って、寿司屋でたらふく食べたっけ。
回ってたけど。

電車代をケチって自転車でどこまでも行ったわ。
若かったわね。

それから月日は流れ、年に1-2回しか連絡を取らない年も何度かあったのに運とご縁って不思議なものよね。

国に戻ったシルビアはアメリカに移住。
その地で就職して家も買ってアメリカ人と婚約。
彼女の結婚式にはあたしの両親も参加して、ダニーの両親もいたわ。

その翌年の春、ご主人のマークが出張で東京に来ると連絡があったの。
いい機会だから、少し遅れるけどシルビアも久しぶりに日本へ来るとの事。

「日本は丁度ゴールデンウィークだから、一緒に休暇を取ろう!
 ちーちゃんの実家にみんなで帰ろう!」

そういうプランだったの。

「自分が日本へ到着するまでの間、週末はマークを宜しく頼むわ。どこか観光に連れ出してあげて」って頼まれたから、さて困った。

マークとは彼らの結婚式前後に少し交流があったくらいで、当時は殆ど他人。

しかも日本の米軍基地にいるという彼の幼馴染(それがダニー)も休暇が取れて東京に出てくるから、2人まとめてお願いね♪って直前になってメールが来たのよ。

「米軍人は馬鹿が多いって聞くし(色んな人ゴメンなさい)、マークのことは殆ど知らないし、そもそもあたしは現地の専属ツアーガイドじゃないのよ」ってイラッとしたんだけど「まぁ友達だし、しょうがないか」って、共通の友人タケオさんを道連れに鎌倉へ行ったのよね。

引き受けたからには、2人のアメリカ人にいつ何を聞かれてもいいようにと、鎌倉のガイドブックを買って歴史の勉強をして臨んだのにも関らず、見事に何も聞かれなかったのが忘れられないわ。

露天のタコ焼屋で、たこ焼きの中身を聞かれて
タコだよて、そのくらいだったかしら。

それに同情したタケオさんが2-3質問してくれたのよね。


確か、その日の晩は渋谷へ繰り出して夜のクラブ活動と相成ったのだけど、既におばさん化現象が始まっていたあたしは終電を逃す前に帰宅。

その後、男性陣は六本木コースだったとのこと。

翌日、みんなでシルビアを迎えに行った成田空港からの道中、いかに自分らが楽しい時間を過ごしたかを妻に報告するマークが、よせばいいのにクラブ活動の話までしたもんだから当時、妊娠中だった彼女に泣いて抗議されて、あたしの監督責任だって偉い怒られたっけ。

その次からのマークの東京出張の時からは、さすがに2人共おとなしく居酒屋で飲んだわよね。

そんなシルビアが来週、3泊4日で遊びに来てくれるんですって。
しかも亭主と子供を置いて
去年の夏以来だから、8ヶ月ぶり!
あーん、楽しみぃ


今日のダニー弁と夕飯


・生春巻き
・キムチ炒飯



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