ダニー食堂

右往左往の日々。

大根役者は20分が限界@SF

2012-05-30 | もう1品
調子の良かったダニーと病院の敷地外デビューを果たしました。

10日ほど前にテラスに出た時は、小さなちょっとした段差もヒーヒー痛がったのに今回は痛み止めを飲んだタイミングが良かったのか、経過が良好なのか、ガンガン突き進んだわ。

そう、ガンガンと・・・・


でもアレね。


サンフランシスコって坂が半端ないのね。
上りだろうが下りだろうが、車椅子を押しているあたしがヒーヒー言ったわ。


しかし、それを悟られるまいと頑張ったわよ。

だって久々のシャバの空気なのに嫁に気を使ってたんじゃ可愛そうじゃない。

内心ハラハラで腕もプルプル震えてるんだけど、へっちゃらなフリするあたし。

女優だわ



そう思っていたのも束の間。


ダニーから思いがけぬ告白を受けました。




僕は今、初めて君にこの言葉を言うのだけど・・・・・

ちーちゃんも僕からこの言葉を過去に聞いたことはないと確信しているんだけど・・・・





「何よ?」







すっごく怖いです






    





あっ、やっぱり??




胸から下の感覚は無くとも色々と見透かされてる感は否めませんわ。

日常が非日常となる現実

2012-05-29 | もう1品
コメントとメッセージを送ってくださる方々。
ありがとうございます。
心強いです。



今のところ週2のペースで帰宅しているあたし。

朝から何かと雑用に終われ、気が付くと夕食の時間。
自分で料理をすることもなく、有難い頂き物やスーパーのお惣菜で済ませる生活。

実際、現在の我が家の冷蔵庫には調味料と飲み物以外、チーズと食べかけの冷凍ピザしか入っていません。

ちょっと前まで溢れていた野菜室はスッカラカン。
使い切ったんじゃなくて、痛んで捨てたのね。

今回の帰宅はさほど忙しくなく、昨夜は近所の日本人奥さんと我が家で飲み会。

今朝はあの日以来のジョギングをして、夕食はいつ買ったかさえ思い出せない玉ねぎと、冷凍していた豚バラを解凍してで久々にお料理をしました。

こうして少しずつ自分自身の日常生活を取り戻していこうと思ったんだけど、そうはいかないってことに直ぐに気が付いたわ。

もうそれは日常じゃなくて非日常なのね。

あの日から、浅く短い眠りから覚めるたびに「全て夢ならいい」と願った現実。
そして直面する事実。

受け入れるしかないから受けれたわ。

それでも求める今までの日常。
混乱から一時的にでも抜け出す為、精神的安定を得る為に是非とも続けたいと思ったパートも辞めざるを得なかったし。

コタツだってもうダニーは入ることは無い。
出すこともないだろう。

ソファーに座って今までみたいに一緒にテレビを見れるのかな。
ずっと車椅子に乗ってるんだろうな。

もう手を繋いで歩くことはないんだな。

二人で行く道は限られるな。

そんなことを考えていたら、何が日常で何が非日常なのかが分からなくなったわ。

起こってしまったことは現実として受け入れるけど、この先に何が待ち構えているのか、何がダメで何がどうなるのか、どう変化するのか、考えれば考えるほどマイナスな部分しか浮かび上がらないのもこれまた現実。

それは単に私の経験と知識が足りていないからなのは明らかなのだけど、あまりの劇的な変化に心と頭がどうやったって追いつかないのは仕方がない話よね。

本当につくづく思うわ。
どう逆境に対処するか、いかに柔軟に物事を受け入れられるか。
そして、どれだけ笑っていられるか。

ポイントはそこにあるんじゃないかって。

ダニーも私とはまた違うレベルと角度からその事について考えていると思う。

生涯の伴侶として、私たち二人がそこんところ上手く噛み合えばいいなって心から願います。












病室のエンターテイナー

2012-05-27 | もう1品
ベッドから車椅子に移る際、ダニーは上半身を支えるコルセットを装着するのだけど、本人を横向きにしてまた仰向けにして、また横向きにして・・・とダニーもお手伝いする方にとっても結構な作業なわけ。

昨日の看護士さんは初めての人で、上手い具合に事が進まなかったみたいなのね。

その結果、手術跡を痛めてしまったダニー。

とりあえず車椅子に移って予定通りリハビリを開始したものの直ぐに中断。

ベッドに戻されて間もなく物凄い震えだしたの。
痛みを歯で食いしばる姿に怖くなってすぐに人を呼んだわ。

診断を受けて痛み止めも投与されても青白い顔で震え続ける亭主に何か自分に出来ることはないかと聞いてみたの。


お・おケツふりふりダンスして・・・・



痛みを紛らわせるためにエンターテインしろっていうわけね。

ヨシ任せろ!と横たわる亭主の近くで踊っていると、カーテンの隙間から視線を感じたあたし。


あなたたち何やってるの?


見知らぬ顔の看護士さんが覗いてるじゃない!
赤っ恥かいたわ。




そして今朝。


廊下の向こうから「ヒューヒュー」と腰を振って踊りだす中年女性の姿が。
昨日、覗いていた看護士さんね。

そして近づいてくるなり大きな声で聞いてきたわ。
しかも腰を振って回りながら。

今日も踊るの?



今日の夫は落ち着いているのでその必要がありません。

アメリカの病院で水前寺清子が頭を廻る

2012-05-25 | もう1品
日々何かしら進歩を遂げていた亭主に3歩進んで2歩下がる現象です。

「車椅子に3時間座った、イェーイ」なんて喜んでいたのもつかの間。

その日の晩から異常に震えだし寒がり、発熱。
痛み指数もグーンとアップで、薬も増量。

朝になっても熱は下がらず、辛うじて着替えさせるところまでは出来たものの、予定していた色んなセラピーはほぼキャンセルでした。

やっと外れたと喜んでいた静脈への針がまた刺され、食欲も無く食事の最中にうたた寝するほどグダグダ具合だったダニー。

しかし嫁は容赦なくスプーンやお箸を使って無理矢理口に押し込むという作戦を決行。

口元に何かを持ってこられるとお口を開けずにはいられない彼の悲しい習性を生かした技ね。

看護士さんに褒められちゃった☆




やらかす

2012-05-23 | もう1品
◆御礼◆
励ましのメッセージありがとうございます。
ダニーと嬉しく拝見しています。



今日は車椅子に3時間座っていることが出来た亭主。
過去最高記録またまた更新です。

しかし頑張ったのは亭主だけでその間、空いたベッドで2時間も昼寝をかました嫁。

リハビリで汗びっしょりの本人と看護士とセラピストに起こされたっていうか、どいてって言われたっていうか、何とも気まずいお目覚めでしたわ。

てへっ


無駄な競争心

2012-05-22 | もう1品
レインボーな旗が閃くエリアの近くにあるダニーのリハビリ施設。

ランチに出た時なんか新宿の2丁目とはまた違う、いや比較にならない程コアな絵図を目の当たりにすること度々。

初日なんぞ素っ裸で雑誌を呼んでいるオイチャンに遭遇して目が点。
よりによって、2度見しちゃうし。

ある日、病室の窓を何気なく見ていたら半裸のオニーチャンたちのグループが歩いていたの。

そこでダニーに「ワォー、半裸の男が4,5,6・・7人もいるよ。サンフランシスコってすっごいねぇ。ベッドをもう少し起こしてあげようか?見える?あー、見たかないか、わはははー」と亭主を振り返ると・・・

まだ手術跡が痛い不自由な体で一生懸命、着ているシャツを脱ごうとしてるじゃない。


「何してんの?どうした?」と尋ねると










オレが8人目だ







あなたはむしろ着ていてください。

身に沁みる

2012-05-22 | もう1品
「たいして友達もいないネクラ夫婦」だと思っていた私たち。

友達だと思っていた人たちは本当に友達で、当たり障りないお付き合いをしていた人たちが思いがけず親身になってくれたことに凄く感謝しています。

近所に家族ががいない我々にとって、それがどれだけ心強いか。

弱りきっている時、差し伸べられた手にどれだけ勇気付けられたか。

混乱と困惑の中にいながらも我々夫婦は色んな人に感謝しっ放しですわ。

それでもやっぱり文句を垂れて毒も吐いちゃうあたしはまだまだおケツが青いってことで。
てへっ。

このブログを通して温かい言葉をくださった方々にもお礼を言いたいです。

ありがとう。

頭を上げて前を向いてみる

2012-05-21 | もう1品
このリハビリ施設に移った数日後、大学の教授を名乗るいかにも「教授」な風格のおじさまが病室に登場。

横たわるダニーの元へやってきて事の経緯と損傷した脊髄の箇所と現状を尋ねてきたの。

それに丁寧に答えるダニー。
おじさまは聞いてきたわ。
「学生を呼び入れてもいいですか?」と。

ダニーが了承すると感謝の意を述べて一時退席。
そしてすぐに、ぞろぞろと5人の若い子たちを連れてやってきたわ。


おじさまはダニーの毛布を取ると、うっ血防止の為に足に巻かれていた物も取り、もう動くことの無い足を学生達の前にさらしたの。

そして学生達は代わる代わる神経を失ったその足を専用の道具で叩いたり、突いたり。

次はシャツをまくり上げて、神経が残る胸とその下の境目とをやはり突いて感覚の確認。

それが終わるとおじさまがダニーの腹部を強く押した状態で色々と説明を始めたのよ。

その時間の長さと深く食い込んだ指がどうにも我慢ならなくて、「もうやめて下さい。いくら何も感じないからって強く押しすぎじゃないですか?」とおじさまの手を払いのけてしまったあたし。

玄人を相手に出すぎた真似してごめんなさいね。
でも身内として許せなかったのよ。

謝罪の言葉と共にすぐに離してくれた教授。
ダニーも「大丈夫だよ、心配しないで」って言ってたけど、するっちゅーの。

「はい、もう終わり。帰った帰った」と口で言わずとも態度で示そうと、捲りあげられたシャツを元に戻し、お腹まで毛布を掛けていると始まったのは質問タイム。

学生の一人が「交通事故で半身不随になってどんな気持ちですか?」って聞いてきたの。

おーい、空気よめー、馬鹿かオマエー、でも医学生じゃ世間一般的には賢いんだろうなー、学費は親持ちか?そうだろうなー。このちんちくりんがー、将来は研究室に篭って絶対世間にでてくんなよー

なんて思いが頭の中をぐるぐるしてたら当のダニーが言ったわ。

「首も両腕も大丈夫だから自分はラッキーだ。この施設で半身不随でも日常生活を送る訓練をしてもらえる。もっと最悪な事態も考えられたのに自分は本当にラッキーだ」って。

あの日以来、痛みに対して不平を口にするものの、それ以外の悲観や不満を一切言わない亭主。

現状をまだ受け入れていないのか、起こり得ない「いつか歩ける」という可能性を夢見てるのか、強い痛み止めのせいで頭が働いていないのか、私には理解不能の日々だったけど、その時に思ったのよ。

この施設を出て自分たちだけで生活を始めたときに、初めて苦しい日々に直面するのかもしれない。

でも当の本人が前を向いている間は、腫れ物に触るような言動は止めよう、彼に合わせていつも通りでいようと。

ほら、どうしても話題や言動に気を使っちゃうじゃない?

でもそれは本人が苦難に直面して落ち込んでからでも遅くはないんじゃないかって。

そんな日々が来たら当然、嫁であるあたしにトバッチリが飛んでくるわけで、2人で泣くのは明確。

ならば、現在の医療関係者に完全に頼って訓練してもらっている日々を少しでも笑って過ごせたら、実のあるものにしていけたらって考えたの。

そしたら落ち込んでる場合じゃないじゃない。
なんてったって当の本人が前を向いているんだもの。

言わば終了時間未定のハッピー・アワー。
「いつ終わるか分かんないから、今のうち飲めるだけ飲んじゃおうぜ☆」みたいな。

例えはアレだけど、そんな感じで我々の車椅子生活の訓練が開始しました。






始めの一歩

2012-05-20 | もう1品
自宅からダニーが運ばれた病院までおよそ4時間。

その日はいったん帰り、仮眠して荷物をまとめて翌日早朝に再度出発。

義両親が来て手術が始まって義弟が来て。

それからの数日間はあまり記憶がありません。



痛みに強いダニーが汗を滲ませ痛がったこと。
胸から下の感覚を失った為か上下感覚も失い気持ち悪がったこと。
強い痛み止めのせいで幻聴と幻覚、うわ言が続いたこと。
40度前後の熱が続き時に体が異常に震えて見ていて怖かったこと。
頻繁に喉の渇きを訴えられるも、小さなスポンジに含ませた水を20分おきにしか与えられなかったこと。


私自身が眠れず食べれずいた中、あの方が良く食べ病室でうたた寝、身勝手そして見当違いな発言を繰り返しイライラしたこと。



手術後5日目の午前。
希望していたリハビリ施設で保険が使えることが判明。

すぐにダニーが言ったわ。
「さぁ、こんな所さっさと出て始めようぜ。僕は準備が出来てる」って。


その言葉で病院の担当者もサクサク事を進めて搬送手配を開始。
義母、義弟、そして私も泊まっていた宿を引き上げ帰宅準備。

サンフランシスコの施設へ送られるダニーとは病院で別れ、私たちは帰宅。
そして翌日、ダニーのいる場所へ向かいました。

その日からだったかしら。
「あー、お腹すいたぁ」と心底思って「うーん、おいしぃ」と食べ始めたのは。


新しい生活の始まり

2012-05-18 | もう1品
結婚当初から良い事も悪いことも綴ってきたので、続けようと思います。
なぜなら、それは私たちの記録だから。

それらを全部ひっくるめての結婚生活だと思うから。





あの日。



ダニーが帰宅予定だったあの日。



ご飯の下準備も出来ていたあの日。



初めて目にする市外局番から電話がありました。



理解できませんでした。



理解したくなかったのかも知れません。



でも私の正常な神経のどこかで事の重大さを理解していました。



だから、うろたえて体が震えました。



「自分がしっかりしなければ」という意思が働いて、震える手であの子のお父さんに電話しました。



そして助けを求めました。



気が動転して運転が出来ないから一緒に来て欲しいとお願いしました。



その間、また病院から電話がありました。



様態を聞いても「まだ分からない」の一点張り。



代わりに病院の所在地と連絡先、ダニーが私の名前を発音したこと。
そして、こちらの状況を把握してか運転手を確保したか否かの確認。



そんなことを諸々言われながら所在地をGoogoleしている頃にあの子のお父さんが到着。



移動中に再度、病院から連絡が。
とりあえず「stable(落ち着いてる)」とのこと。



とはいっても、空輸されて大事になっているのは明らか。



「あなたのいうstableとは具体的にどういう状態なのか」と尋ねるも「今の時点ではstableとしか言えない」とのアメリカンな答え。



病院に到着し、救急病棟の受付に行くもダニーは既に開放されているとの事。



そこで希望の光が見えるも、残念ながら次に案内された先はICUでした。



言われた部屋を恐る恐る中を覗くと横たわるダニー。



すぐに駆け寄るも、虚ろな目で言われました。



「僕は一生半身麻痺だ」と。