ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

被害者の言葉・「平和島」~パスカル・ズィーヴィー著"「『信仰』という名の虐待"からの回復」より

2011年12月06日 | 辛いけれど、あなたに伝えたい言葉
今日は随分たくさんの記事をアップさせて頂きました。
もう夜9時を過ぎたので、この言葉だけ最後に皆様に読んで頂きたいので書かせて頂きます。
出典は、パスカル・ズィーヴィー著"「『信仰』という名の虐待"からの回復」(いのちのことば社出版、21世紀ブックレット37)です。アマゾンでもセブン&ワイのネット購入もお出来になります。私は何回も出させて頂いている「ゴスペルショップオアシス仙台店」でこの本と、この本の前著になる「信仰という名の虐待」(パスカル・ズィーヴィー、福島満雄、志村真、共著、いのちのことば社出版 21世紀ブックレット17」)と二冊一緒に買い、5時間で一気に読んでしまいました。その後、3日間寝込みました。

その中から、ある文章と一つの詩を抜粋し、ご紹介させて頂きます。
そして私も「今日こそは」日付変更線を越える前に寝たいと思います。ここ一週間ほど、寝るのが夜中の2~3時になってしまい、朝起きられなくなりました。
どうぞお祈り下さい。

ここから以下が、ご紹介したい文章と詩です。

一 被害者の心理的問題


7 被害者の言葉

被害者の心理的問題の章を終わるにつれて、”虐待”を受けた人の心の状態をより理解するために、ある方の「ことば」を紹介したいと思います。この人は教会を、非常に苦しんでいる時に、この「ことば」を書きました。できれば、クリスチャンたちが、本人の痛みを自らの身に置いて、これを読んでいただければと思います。もしもその被害者と同じ”虐待”を受けることになり、このような心理的困難が自分に生じてしまったら、どうでしょうか。


平和島



平和島

そこは涙も悲しみも苦しみもないところ。

過去の痛みも癒され、慰められ、喜びに変わる場所。

平和島には王がいる。

「平和島行き切符無料」

私はそれを手に入れた。切符は血で真っ赤だった。

キップを手にして港に来た。

平和島行きの船がいくつもある。

どれに乗ろうかと見渡す。

ぼろぼろの小船が目に留まった。

その船は、重病人やけが人でいっぱいだった。

前方に豪華で巨大な船があった。

若い人がいっぱいいた。きらびやかで、楽しそうだった。

「この船にしよう」

港には入った。扉が閉められ、船は出発した。

平和島が近くに見える。そこに着くのが楽しみでならない。

船が動き出し、客はご馳走を振舞われた。

すばらしい演劇も見た。

この船は、すばらしいもので満ちていた。

アナウンスが流れた。

「平和島行きのお客様。ご馳走とショーはここまでです。

お客様に重大なお知らせがあります。

平和島へ着くまでの間、お客様には重大な任務があります。

各自、船長の支持に従ってください」

「重大な任務ってなんだろう?」

船長が来た。私の任務について説明を受けた。

どうやら平和島の海には弱肉強食がなくて、魚が生き生きと安心してすめるらしい。

海で弱肉強食にさらされている魚を一尾でも多く救い出して、

平和島へ連れて行くことになった。

そのために毎日、魚を取る漁師が必要だというのだ。

私の任務は、漁師だった。

えさをまいて魚を集め、巨大な網で魚を取る。

そうすれば一度に大量の魚を保護できるから。

この海には恐ろしいサメがうようよしているから

あやまって海に落ちないようにと注意された。

なんと光栄な任務だろう。

魚を安全な平和島へ連れて行くために捕獲するのだ。

私は平和島へ行くまで、この任務に命をかけようと思った。

わくわくした。

多少の危険があってもかまわないと思った。

えさをまいた。

魚が大量によってくる。いろんな色の魚。いろんな大きさの魚。

魚がたくさん集まったので、網を引いた。

大量で、全身の力を込めて網をひかないとびくともしない。

必死で網を引く。

痛い!網の重みで指が切れた。でもあきらめない。

もっと力を入れて網を引いた。引き上げる。

ゆっくりゆっくり網を手繰り寄せる。

もう少しで、船に上げられる!!ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む。血があふれ出る。

あっ。網が切れてしまった。

大量の魚は海へ散って行った。

でも数尾の魚は捕獲できた。

魚管理の任務にあたっている人が、その魚を水槽へと運ぶ。

私はその後姿を見送り、再びえさをまき始める。

魚がたくさん集まってきた。

今度こそ、すべて捕獲しよう。

決心を新たに全身の力を込めて綱を引く。

ゆっくりゆっくり、網があがる。ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む、肉がはがれた。

激痛が走る。でもあきらめない。網を引き続ける。

あっ!また破れた。

残ったのはわずかな魚。

一日中、やってみた。

でも必ず網が破れる。いったいどうしたことか。

船長が来た。

網の苦情を言った。

ビシッ!体の肉が裂けた。血があふれ出る。

何が起こったかわからない。

船長の手に、鞭が握られていた。その先には金具もついている。

船長は怒鳴った。

「何が不満なんだ!私にけちをつけるのか!!もっと魚をとれ。怠けるな。

休まず働け!どうして魚がこんなに少ないんだ!!しっかりやれ!!」

私は悟った。

船長に苦情を言ってはいけない。殺されるかもしれない。

えさをまき、網を引く。ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む。肉が裂け血が流れる。

あきらめず、網を引っ張る。あっ・・・・・・

また破れる。残ったのはわずかの魚。

いったいどうしたことだろう。

でも、頑張らないと。

魚を平和島に連れて行くために。

何度も何度も繰り返す。網は必ずやぶれてしまう。

もっと頑張らないと。魚を平和島に連れて行くために。

何度も何度も繰り返す。網は必ず破れてしまう。

もっと頑張らないと。もっと。もっと。

ある日、気がついた。私は白髪が増えたようだ。

あれから何年たったのか。

平和島。ただ、そこに着くのを楽しみにしている。

体中から血があふれる。網を引くたびに指が裂ける。

もう骨が見えている。

でも休むことはできない。休んだら、さらにひどいことになる。

もう船は出てしまったんだ。もう引き返せない。

体中から膿があふれている。

長年の傷。化膿して、あふれる膿。

体中が痛くてたまらない。

船が出発するころには見えていた平和島。

なぜか平和島が見えない。

どうしたのだろう。本当に平和島へ着くのだろうか。

船長の姿が見えなくなった。

捕獲した魚の様子が気になった。こっそり見に行った。

私は自分の目を疑った。魚が腐っている。

腐っているのに泳いでいる。

いったい何なんだ。

魚を逃がしてやらなければ・・・・・・

ビシッ。背中に激痛が走った。

船長が立っていた。

手には鞭。

私は倒れこんでしまった。

「こんなところで何をやっているんだ。

任務はどうした!!魚を取れ!!」

はいつくばって自分の場所に戻った。

えさをまき、網を引きながら、私は考えた。

「水槽の魚に何が起こっているんだろう。

私は何をしているんだろう。

本当に魚にとって幸せなんだろうか・・・・・・」

「落伍者が出たぞ!!」

だれかが叫んだ。

体中血だらけの人が、動けなくなってうめいていた。

「役に立たないものは海に捨ててしまえ!!」

その人は海に投げられ、見えなくなった。

次は私だろうか・・・・・・。

恐怖におののく、

体力の限界を感じながら。

「平和島行き」のキップを見た。

いったいいつたどり着けるのか。

見えていたはずの平和島はまったく見えなくなってしまった。

船はどこに向かっているのだろう。

でも、もう引き戻せない。

意識がもうろうとしてきた。

体の激痛すら感じなくなっていた。

ああ。もう私は死ぬんだな・・・・・・。

「落伍者が出たぞ!!」

叫び声がする。

私の体は宙に浮き、海に投げ出された。

ぶくぶくぶく・・・・・・

冷たい。体が凍りそうだった。

傷に塩水がしみてくる。激痛。

がぶがぶがぶ。水を飲んだ。動けない。

泳げない。意識が遠くなった。

きれいな船が通りかかった。助けて・・・・・・

船から誰かが叫んだ。

「定員オーバーで助けられないよ。頑張って」

そして遠くへ消えて行った。

私の意識も限界だった。

そこへ、何かが私の腕をつかんだ。

引き上げられた。

目を上げてみると、見覚えがある船。

ああ。病人がいっぱいいるあの汚い船だ。

私は助け出された。腫れ上がった体に手当てがなされた。

看護してくれた人。覚えている。

前に見たときは全身やけどだった。今はすっかりきれいになっている。

彼は言った。

「この船は病人を救出しているんです。

私もここで手当てを受けて、良くなりました。

ゆっくり休んでください。

必要なことはなんでもおっしゃってください」

ここは安全な場所。暖かい人たち。

ふと外を見ると、平和島が見えた。

誰かが近づいてきた。

私を助けてくれた人だとわかった。

握手をしようとした。

手に傷がついていた。

見上げると、平和島の王だった。





この詩を写して、書いている間
私は辛くて、身が引きちぎれそうな気がしました。
特にこの一節を写している時です。

「役に立たないものは海に捨ててしまえ!!」

その人は海に投げられ、見えなくなった。

次は私だろうか・・・・・・。

恐怖におののく、

体力の限界を感じながら。

「平和島行き」のキップを見た。

いったいいつたどり着けるのか。

見えていたはずの平和島はまったく見えなくなってしまった。

船はどこに向かっているのだろう。

でも、もう引き戻せない。

意識がもうろうとしてきた。

体の激痛すら感じなくなっていた。

ああ。もう私は死ぬんだな・・・・・・。

「落伍者が出たぞ!!」

叫び声がする。

私の体は宙に浮き、海に投げ出された。

ぶくぶくぶく・・・・・・

冷たい。体が凍りそうだった。

傷に塩水がしみてくる。激痛。

がぶがぶがぶ。水を飲んだ。動けない。

泳げない。意識が遠くなった。

きれいな船が通りかかった。助けて・・・・・・

船から誰かが叫んだ。

「定員オーバーで助けられないよ。頑張って」

そして遠くへ消えて行った。

私の意識も限界だった。


これは、今の私そのものです。

だから「辛いけれど、あなたに伝えたい言葉」と言う、新しいカテゴリーを作りました。
本当に私は今辛いです。それでも、私はあなたにこの詩を、この言葉をお伝えしたかったのです。

長かったけれど、この詩を皆様にお伝えしたかったし、お伝え出来ますようにと、今も
「平和島の王様」に、手を取られながら書いています。(涙)
最後までこのブログを書き上げ、今日はゆっくり「しなければならない」から解放され
私の大好きな「イエス父ちゃん」の、あったかく、強くたくましい御腕の中で
ゆっくり眠れますように。

読んで下さって、本当にありがとうございました。


オヤスミナサイ。



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二時間黙って、私の話を聴いてくれた女性(ひと)

2011年12月06日 | イエスさま
主よ、どのような人が、あなたの幕屋(まくや)に宿り
聖なる山に住むことができるのでしょうか。

旧約聖書:詩編15章1節(新共同訳)



昨日私は壊れた
私の魂が壊れたのだ
久し振りに家で暴言を吐いた 花瓶を玄関の外に投げつけて壊した
自分が惨めで、家族に申し訳なくて
久し振りでオーヴァードーズ(薬を一定量以上飲もうとすること)をしようとした
       
           それじゃ私は死んでしまう。
           まだ死ねない。
           自殺なんてして天国に行ったら
           イエス父ちゃんから、横っ面引っ叩かれて
           「なしてこだい早く俺んどさ来たんだ?
            早すぎっべした!?
            来んなず!
           (どうしてこんなに早く、私のところに来たのだ?
            早すぎるだろう?
            来るなよ!)」
            と言われそうな気がした
            何より
            家庭内で暴力をふるった家族が
            この私のために
            どれだけ泣くだろう?
            そして私の人生は
            こんな苦しい人生で終わりたくない!
            駄目だ!飲んじゃ駄目だ!
            絶対自分から死んだら駄目だ!

そう思って、牧師先生のところに電話した
夜中だけど、私が死にそうなら、無作法も許して下さるだろう
そう思った
でも、あいにく
「ただ今、この電話はつながりません」

アンサー
仕方が無いから最後のところに電話をした
遠いから、自宅からかけた
そうしたら、ワンコールで
「ハイ、○○教会です」
と答えが帰って来た
私の良く知っている牧師先生とお声が似てたので
「○○先生ですか?」と聴いたら
「いいえ、私は△△と申します」
そう答えてくださった
私はその時、頓服を一錠飲んで
テンプレートをしっかりはめていたが
鬼のような形相で
誰かに聴いてもらわないと
本当に枕もとの薬を一気飲みしそうだったのだ
「これを一気飲みしたら、死ぬかもしれない」
死への恐怖が私にあったので
○○教会の△△先生が出て下さったお陰で
今日、私は、生きている
一通り、息せき切って、初めてのその先生に
私はガーッと話をした
いつも通りの返事が返ってきた
「それではシズコさんのために
お祈りをしてよろしいでしょうか?」
ああ、まただ。
私は正直、がっかりした
どの教会の、どの牧師先生に話を聴いてもらっても
皆さん忙しいから
「じゃあ、シズコさん、お祈りしましょう」
この言葉で、ズバッ!と私の話は断ち切られる
「お祈りしましょう!」
この言葉!本当に嫌な言葉だ! 
「お祈りしましょう!」
私、この言葉、大っ嫌い!
                          
「お祈りしましょう!」そう言えば
「もうあんたの話は終わりだよ!黙れ!」と
牧師から信徒に言うのに、または
役員から平信徒に話を黙らせるために言う言葉として
水戸黄門の印籠のような絶大な効果がある
しかも、しごく、キリスト教的な終わり方ができるから
(これは、勿論、皮肉です!              
結局教会は忙しい
牧師も忙しい
役員も忙しい
だから誰も私の話を聴いてくれない!
「イエス様ならいつでもあなたの話を聴いて下さいます」
これも同じ、水戸黄門の印籠用語よ!
私はイエスさまじゃ駄目なの!
人間の!あなたに!聴いてほしいの!



「教会って何?

牧師やクリスチャンの言葉って

時々、嫌(いや)になる!

(そう言う、アタシもクリスチャンだけどさ!

ウソっぽいんだもん!

生きた言葉じゃない時があるんだもん!

私はあなたの教会の牧師先生を知ってる!

伝道師の先生も知ってる!

だけど、みんな

神学生の時は、生きてる言葉で話してくれた!

話も聴いてくれた!

でもね?

その神学生が

牧師、伝道師になった途端!

『教会の牧師用語』の『死んだ決まり文句』で話し始める!

実際アタシは、あなたの教会の

▽▽牧師からも■■伝道師からも

そういう対応をされたんだ!

だから、先生ってものは大嫌い!

奇麗事なんかの言葉なんか、あたしは要らないんだ!」




この言葉を、私は祈ってくれたその先生に
投げつけたのだ


しかし・・・
私は驚いた

「そうでしたか・・・」

その先生は、穏やかに私の言葉を受け止めてくれたのだ。

だいたい今までのパターンでは
このあたりで、教会の先生は怒り出すか
適当な言葉で電話を切ってしまう
そんな感じ
だから
その先生が
「そうでしたか・・・」

穏やかに話を聴いてくださった時
私は、正直、びっくりした
でもまだ信用できなかった
だから

すみません(と下出に出ないと、「センセイ」って存在はコワイから!
もう少し、話してもかまわないですか?
とおそるおそる聴いた

「ええ、大丈夫ですよ」

と、その先生から言葉が返ってきた
でも、疑い深い私は

(そう言ったり書いたりすると・・・・・・「信仰篤いクリスチャン」(これも皮肉です)からは必ず
「トマスのように疑わず、ただ信じなさい」と返ってくるから、辞めてね!
信仰深いクリスチャンは、アーサーホーランド牧師じゃないけど
「こっうぇええ~!(=怖い~!)
あんたと同じ天国に行くのがクリスチャンなら
あたし、クリスチャンになりたくないわ!」


って気持ちだもん。

だから「立派なクリスチャン」
基本的にアタシは信用しない
説教聴いても、「ハイハイハイ」で流しちゃう
そんな簡単に「アーメンですか?声がちっちゃい!」なんて言うなよ!
カルトだじぇえ~!
ホントに、「こっうぇええ~!(=怖い~!)」

だから、何度もその先生と繰り返した次の対話

もう少し、話してもかまわないですか?
とおそるおそる聴いた

「ええ、大丈夫ですよ」


この対話を繰り返しながら
私はその先生に、キリスト教の不満
教会の不満、私の魂がここ数日
家庭でも、教会でも、病院でも、どこでも
踏みにじられ、傷つけられ
また引きこもりになるんじゃないか?
そんな不安があるんだと
伝えた
工藤信夫先生が書いた「これからのキリスト教」って本知ってますか?
そう聴いたら
「ええ、知ってます・・・全部は読んでいないのですが・・・」と
申し訳なさそうに言ってくださった

ああ、この先生は良い方だ・・・
直感的に私はそう思い、矢継ぎ早に質問した

だったら「信仰という名の虐待」と「信仰という名の虐待からの回復」も
読まれましたか?
先生は、やはり申し訳なさそうに
「ごめんなさい。その本は知りませんでした。
その本も工藤信夫先生のご本ですか?」と尋ねられたので
「いいえ、パスカル・ズィヴィーさんの本です。
私は今年の正月に、この本を二冊買い
三時間で読んで、その後寝込みました。
その中から一つ、詩をお読みして良いですか?
私、先生に聴いて頂きたいんです」
先生は「はい、良いですよ」と言ってくださった
だから私は、前にブログアップした
「受けとめる手」をお読みした
その後
「信仰という名の虐待」から
サムエル(勿論仮名)さんの詩を一つお読みした
先生はその長い詩を
黙って聴いて下さった
私は「受けとめる手」を読んだ後
おどおどと尋ねた
「・・・あの、先生
私の手も主の手と重なり合って
こぼれ落ちるものを受けとめることができるでしょうか?」

先生は仰った

「ええ、そう思いますよ。
シズコさんは、随分お辛いところを通っていらしたのですもの」

その言葉で私は、オーヴァードーズ(薬の飲みすぎ)と
その先生に対する警戒が
一気に溶けた

私は言った
「先生、ありがとうございました。
やっと落ち着いた気が致します」と
そして私は、この先生に
祈ってほしい気がした

そうしたら先生はこう仰った

「シズコさん?
シズコさんのために
もう一度祈らせていただいてよろしいでしょうか?」

私は穏やかな声で返事した

「ええ、お願いします。
今ちょうど、『もう一度先生にお祈りして頂きたいな』って
思ったところでした」

「ではお祈り致します」

先生は祈ってくださったが、その祈りは覚えていない

でも、私は、死ぬ気持ちから解放され
心も穏やかになれた

だからこう言った
「先生、本当に長いことありがとうございました。」
そう言って私は
やっと電話を切った

電話の時間を見てびっくりした!
116分26秒!?
時計を見たら、夜中の1時半だった。

ほぼ、その先生は
二時間近く、見知らぬ一信徒の私の電話を
根気良く聴いて下さったのだ

父ちゃん(=イエスさまのことです)
あの先生はきっと、父ちゃんだね?
だべ?(=でしょう?)
でなくちゃ、あんなに長く、夜中に
黙って話を聴いてくださるわけがないもの・・・
しかも、その先生、ずっと小さな咳をなさってた
でも、一度も「ちょっと待ってくださいね」とも
「もう結構でしょうか?」
とも
仰らなかった
ねえ?父ちゃん?
あれは父ちゃんだったよ・・・
でなくちゃ、よくクリスチャン業界で言う
「キリストを着た女性(ひと)だったんだよ」
あたし、嬉しかった
お陰で、今日も
朝は起きられなかったけれど
お昼から起きてご飯を食べて
(怖くて一階に下りて、母の顔見られなかったんだ・・・
でも、同じ教会のAちゃんの電話の声とメールに励まされて
お昼はご飯、食べられたんだよ
しかも、お母ちゃんが
「太るから、もっと食べたいけれど、辞めとこうかな?」
って
言った私に
「ご飯の時は、しっかり食べろ。大丈夫だ。
ご飯の時にしっかり食べたら、太ったりしない。大丈夫!
食べないから、夜中や食事の間に食べたくなるんだ。
安心して食べろ!」って
言ってくれたの。
だから、私、嬉しかった!
安心して、二食分しっかり食べた!
お母ちゃんありがとう。
その後、ゆっくりゆっくり
(今は、一つ一つ作業を確認しないと、次に進めないんだ
皿洗いをして、歯磨きをして
このパソコン室に来て
ゆっくりゆっくり「私のブログ」に
私の思いを吐き出した
途中で、中国語と英会話の時間になったから
それもちゃあんと聴けたよ
その後また
本音で
吐き出せている
そう思う
コメントで余計な事書く人もいるから
そう言う手合いには、改めて防御した
自分を自分で守らなくちゃね
そういう人は口だけ出して
何もしてくれないからさ
何もしてくれないなら良いけど
今度は攻撃に回るからね
ああ!怖い!(ブルッ!
でも父ちゃん?
今度は私、負けないよ
この間は
相手から言い返され放しで
何も言えなかった自分が
悔しくてたまらなかったけれど
今度は毅然として言えるような気がする
そいつは私にとっては「エイリアン」だ!

ここは「私のブログ」、「私の庭」だ。
誰も私の心を踏みつけることなんか!許さない!
「You 're not authorized to be here!
あなたがここにいることは相成りません!」
今日「ラジオ英会話」で遠山顕先生に習ったフレーズ
そっくりそのまま使えるね?
二時間黙って私の話を聴いてくれたその女性(ひと)は
地上におりていらしたイエスさまだったのだと思う

その先生に心から
「ありがとうごさいました」と
伝えたい!

父ちゃん、伝えさせて!
そして、その先生に、一杯一杯!
父ちゃんが天から祝福を注いでな?
だってその女性(ひと)は
私の死んだ「こころ」を生き返らせてくれたんだもの

父ちゃん、今わたしはその女性(ひと)のお陰で
生かされています。

△△先生、本当に昨日の晩はありがとうございました。
先生の気管支が癒され、咳が出ないように父ちゃんにお祈りして、このブログをアップいたします。

インマヌエル・アーメン(=神さまが一緒にいてくださるよ。ってホントだね?)の意味。

今日の画像は、2000年公開の映画「親分はイエス様」の中から。
志田というヤクザが、刑務所の中で悔い改めて、シャバ(刑務所の外)に出てきた時、元のヤクザの仲間達が「出所祝いをしてくれた中で、酒を勧められ、断りきれず一気飲みした後、こっそりイエス様にお祈りして、許しを請うているシーン。


この役を演じられた渡辺裕之さん、とても良い感じでした。

あれ!?今日のブログの文章、途中から青のまんまだ・・・。
でも、もう直す時間無いからそのまんまでアップしちゃう!エイヤッ!


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受け止める手~工藤信夫著「これからのキリスト教~一精神科の視点」より

2011年12月06日 | わたしの好きな言葉
10年前、P・トゥルニエの『暴力と人間』を東京トゥルニエの会で講義したとき、一人の受講生の提出したレポートに次のようなものがあったが、はたして私たちが周りに見る教会の姿はどのようなものだろうか。




<受け止める手>

何もこわいことはない。
神の右の手からこぼれても。
その左手に落ちているから。
          ハインリッヒ・ズーゾ・ヴァルデック(『暴力と人間』175頁)

競争社会からこぼれ落ちた者を
教会が受けとめる

教会からこぼれ落ちた者を
別の教会が受けとめる

その教会からもこぼれ落ちた者を
キリスト教の団体が受けとめる

キリスト教の団体からこぼれ落ちた者を
心の友が受けとめる

友の心からこぼれ落ちた者を
いったい誰が受けとめるのか

社会全体からこぼれ落ちて
もう受けとめる者もいなくなったとき
主イエスがいちばん低いところにいて
あなたを受けとめてくださる
御腕の中に憩わせてくださる

上を向いてみよう
教会もキリスト教の団体も
ずっと上の方にある

そこからこぼれ落ちるものを
あなたの手は 主の手と重なり合って
受けとめることができるのだ


私は、この詩が、とても好きです。

特に、最後の2節をもう一度お読み頂きたいのです。
私は、この詩の最後の2節の一節目がよくわかるような気がします。この節です。

上を向いてみよう
教会もキリスト教の団体も
ずっと上の方にある



10年前洗礼を授かって、クリスチャンの一信徒として教会生活を送っている中、この思いを、何度と無く、憤死しそうな悔しさと憤り、惨めさ、そして絶望を携えながら、この思いを抱えて生きてきたからです。
「伝道!」
「リバイバル!」
「救われなければ!」
「悔い改め!」
この言葉が、私には、少なくとも今のキリスト教会(=業界?)では、空中で空回り
している気がしてなりません。


しかし最後のこの一節で、慰められました。
とてもあたたかく優しく、自愛に満ちた一節で終わられていて、ほっとします。


そこからこぼれ落ちるものを
あなたの手は 主の手と重なり合って
受けとめることができるのだ



こんな手に、私はならせて頂きたいです。







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「神の奏でるメロディー」~ベアンテ・ボーマン著 より

2011年12月06日 | わたしの好きな言葉
リバイバルとは、人々が、神様の愛に深く触れて
眠っていた信仰が覚醒(かくせい)され
その生き方が根底から変えられることです。

ベアンテ・ボーマン著「神の奏でるメロディー」(いのちのことば社出版)より


↑この言葉を読んで、今まで何度も「聞かされて」「大嫌い『だった』」「リバイバル」と言う言葉の意味がこういう意味なら、少しは私も好きになれるかな?
希望が持てました。
ベアンテ・ボーマンさん、ありがとうございます。
そして、やっとこの本を読み通すことが出来たよ。
イエスさま、わたしの父ちゃん、ありがとう!

2年前に偶然見つけた、ベアンテ・ボーマンさんの本です。
無料(ただ)のように安い値段で手に入れました。





開いてみたら!なんと!ボーマンさん自筆のサイン入り!
引用してあるのは、詩編の150編からの聖句のようです。





今年のクリスマス・プレゼントとして、存じ上げているあるチェリストの方に、今年、差し上げたいと祈っています。
どうぞ主が、その方のチェリストとしてのお働きを祝福し、守り導いて下さいますように。
そしてその方に、この、ベアンテ・ボーマンさんの小さな小冊子を通して、主イエスのあたたかい愛と、ベアンテ・ボーマンさんと同じプロのチェリストとして活動されておられるその方の心に、何か刻まれる言葉がありますように。

私と共に、祈っていただければ幸いです。





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話を聴いて下さい

2011年12月06日 | わたしの好きな言葉
私の話を聴いて下さいと頼むと、あなたは助言を始めます。

私は、そんなことを、望んでいないんです。

私の話を聴いて下さいと頼むと

あなたはその理由について話し始めます。

申し訳ないと思いつつ、私は不愉快になってしまいます。

「私の話を聴いて下さい」と頼むと

あなたはなんとかして

「私の悩みを解決しなければ」と言う気持ちになります。

おかしなことに、それは

私の気持ちに反することです。

祈ることに慰めを見出す人がいるのは、そのためでしょうか。

神は無言だからです。

助言したり、調整しようとはしません。

神は聴くだけです。

私の悩みの解決は、私に任せてくれます。

だから、あなたも

どうか黙って、私の話を聴いて下さい。

話したかったら、私が終わるまで

少しだけ、待ってください。

そうすれば、私は、必ず

あなたの話に耳を傾け始めるでしょう。

ラヴィング・インナー・マザー(私の内なる母)より

シズコ改訂版



画像は映画「華の乱」より、有島健郎と情死直前の波多野秋子の表情です。
この表情が今の私の気持ちと、このブログの内容にぴったりのような気がしたので、二回目ですが、掲載させて頂きました。


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