ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

主よ、私をクリスマス礼拝のために聖めて整えて下さい~「アッシジのフランシスコの祈り」

2011年12月16日 | 祈りの課題
わたしを あなたの平和の道具として

お使い下さい

憎しみのあるところに愛を

いさかいのあるところにゆるしを

分裂のあるところに一致を

疑惑のあるところに信仰を

あやまっているところに真理を

絶望のあるところに希望を

闇に光を

悲しみのあるところに

喜びをもたらすものと
     してください

慰めるよりは
   慰めることを

理解されるよりは
   理解することを

愛されるよりは
   愛することを

わたしが求めますように
   
わたしたちは与えるから受け

ゆるすからゆるされ
   
自分を捨てて死に

永遠の命をいただくのですから

アッシジのフランシスコの「平和を求める祈り」より


主よ、いよいよあさってクリスマス礼拝です。
あなたのご降誕(=ごこうたん)、あなたがこの世に
ちっちゃな、弱い、赤ちゃんとして
一番貧しい、馬小屋の飼い葉おけの中に
生まれてくださったことを
お祝いする日です。
主よ、私は
あなたがお生まれになった
飼い葉おけというものを知りません
ただ、その場所がなんとなく
頭でだけですが
私がもし、世の中で一番みじめな、貧しい、何もないところにいても
いいえ、父ちゃん
天のシズコの、わたしの父ちゃん
あなたはきっと、こう語ってくださいますよね?

(ここからイエス父ちゃんが山形弁でシズコに語ってくれた言葉)


「おれは、そごで生まれたんだじぇえ?そこはおれの揺りかごなんだ!(笑)
だから、シズコォ!(笑)
今、お前がそんな気持ちでいるなら
お前がそんなところに、いる心持ちでも
安心すろ!(笑)
そこには、おれがいるんだじぇ?
んだから、安心しろ。
大丈夫だ!何びくびくしてる?(笑)
おれは、いっつも、シズコの側さいるぞ!
だから、大丈夫なんだ!(笑)
おっかねえのが?
雪のしのし降ってっからが?(笑)ないだて!?(笑)
きんなはあだいカッコ良いごど書いったっけげっど
かっこつけで、書いてたんだな?(笑)
そのごどば、恥ずかしいって、思てるんだべ?(笑)
何いまさらゆてる?
隠さんたって、さしかいねえ!(笑)
俺さは、とっくに、ちゃあんと、わがってるんだじぇえ?(笑)
シズコォ、俺さ、甘えろ!(笑)
俺さはなんぼ甘えでも泣いでも、吠えでも
さしかいねえ!
俺はお前の父ちゃんだ!


(=私は、飼い葉おけの中で生まれたんだよ。飼い葉おけは私の揺りかごなんだ。
だから、シズコ!
今、お前がそんな気持ちでいるなら
お前が飼い葉おけみたいな、貧しい惨めな心でいるとしても
安心しなさい。
そこには、私がいるんだよ。
だから、安心しろ。
大丈夫だ!何びくびくしてる?
おれは、いつだって、シズコの側についてるぞ。
だから、大丈夫なんだ。
怖いのか?
雪静かに一杯降ってっから怖いのか?(笑)何だってそんな事で
怖がっていたのか!?
昨日はあんなに格好良いごど書いてたけれども
シズコは本当は、格好をつけて、昨日は書いてたんだな?
その事を「恥ずかしい!」って、思っているんだろう?
何を今更言ってるんだ?
隠さなくたって大丈夫だぞ。
シズコ~、俺に、甘えろ!
私にはどんなに甘えても、泣いでも、叫んでも
大丈夫なんだ!
私はお前を絶対捨てない!)




カッコつけねで、父ちゃん、おっかねえよお!
きんなあんまりすんばらしいステージ聴いて来て
その上、プロの演奏者の人だちと写真まで一緒に撮らせてもらったがら
舞い上がってしまって、今日何にもでぎねくて
おっかねえ!恥ずかしい!って
言え!


(=格好付けないで、天のお父様、怖いよう!
昨日、あんまり素晴らしいステージ聴いて来て
その上、プロの演奏者の方たちと、写真まで一緒に撮らせてもらったから
興奮して舞い上がってしまって、今日何も出来なくて
怖いよう!私、恥ずかしい!って
言え!)



ほしたら、俺が助けてやる!
何にも怖くねえ!
安心して、俺さ言え!
俺はお前の父ちゃんだぞ!
俺の誕生日、喜んで祝ってケロな!(笑)
今日、シズコ、何にもクリスマスの準備、でぎねくて
今おじげでだっとも
さしかいね!
俺さ頼れ!俺が守る
シズコはめんごいおぼこだ(笑)
俺の俺が思ったとおりのめんごいおぼこなんだじぇえっ!(笑)


(=そうしたら、私が必ず助けてやるから
何も怖いことは無い。
安心して、私に言いなさい。
私はお前の父親なんだぞ。
私の誕生日を、喜んで祝ってくれよな!(笑)
今日、シズコは、何もクリスマスの準備できなくて
今びくびくしていたとしても
大丈夫だ
私に頼りなさい。私が守る。
シズコは私の愛する子。
私の心に適う者。)

安心して今日は風呂さ入って寝ろな
心配すんな(笑)
俺が見守ってでやる!(笑)
めごくてめごくてしょないんだぞ!?シズコォ!
よっくど安心してあたがぐして眠れな!
大丈夫だ
俺はずっとシズコの
側さいる。


(=安心して入浴して休みなさい。
心配するな。
私が守る
私はお前が命より大切なんだぞ!?シズコ?わかるか?
だから十分に安心して温かくして休みなさい。
大丈夫だ。
私は世の終わりまで
シズコと共にいる。)

皆さん、私はイエス父ちゃんに、こんなに愛されています。

どうぞイエスさまが語ってくださったように、これから主に全部お委ねして
今日は寝られるようにどうぞ祈ってください。

そして、明日最後のクリスマス礼拝の準備を致します。
どうぞ、準備が全て守られるようにお祈り下さい。
18日のクリスマス礼拝、どうぞおいで下さい。
そして、どうぞご一緒にクリスマスをお祝いして下さったら嬉しいです。
ハレルヤコーラスも、どうぞ聴きにいらしてください。
それだけでも私は、嬉しいです。
世界中のクリスマス、皆でお祝いできますように。
誰も淋しい思いをしないように。
特に被災地の方々が、体も心もあたたかくお過ごしになれますように。
私と一緒に祈って下さい。
このお祈りを、主、イエス・キリストのお名前を通してお祈りいたします。アーメン。



これは4年前の2007年に、仲良しのMちゃん、Yちゃんに、私からクリスマスプレゼントで、プレゼントさせて頂いた手編みのポシェットです。







私の毛糸のピアノ鍵盤セーターとお揃い♪
今ではもう4年生、3年生になったMちゃんとYちゃん。大好きなお友達です。
MちゃんとYちゃん、世界中の全ての子供達に主の愛と慈しみが注がれますように。
そして私たち大人も、一人残らずこの2011年のクリスマス
主の平和と愛に満たされ、過ごすことが出来ますように。
もう一度私の、天の父ちゃん、イエス父ちゃんに祈ってブログアップします。

シャローム!(=ヘブライ語で「主の平安がありますように」の意味です。)

お休みなさい。




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初雪またはVirgin snow for me from the Heaven~ トリオ・アラモーレ・クリスマスコンサートに行って

2011年12月16日 | 

最近よく思う。私の命は自分のためにあるのではなく、人に「愛」をささげるためにある、と。


「イングリット・フジコ・へミング 私が歩いた道、パリ」(イングリット・フジコ・ヘミング著、ぴあ出版社)より


自分の人生をふり返って、
その受けた試練は、 宝玉のようなものだと感じている。
もしも今まで、只の一度も試練に遭わず、
つまり愛する人との死別にも生別にも遭わず病む事を知らず、
思いのままになる人生であったとしたら、 私は涙と言うものを知らない人間になったであろう。

「人間の原点~苦難を希望に変える言葉」(三浦綾子著、PHP研究所)より



マリアは言った。 「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」 そこで天使は去っていった。

新約聖書:ルカによる福音書1章38節(新共同訳)



「メメント・モリ」 Memento mori、ラテン語で「人間は死すべきものである」の意味。 言修道院の挨拶でも使われる。言責byシズコ







今、2011年12月16日(金)深夜。 昨日になってしまったが、トリオアラモーレ・クリスマスコンサートに行って来れました。


久し振りに、クラシックライブコンサートに酔ってしまったので頭がぼおっとします。

プロの音楽家が、自分の存在をかけてソプラノを歌う、チェロを奏でる、ピアノを弾く なんと物凄い演奏会を目の当たりに見てしまったのだろう?


完全に私は、アラモーレの音楽に酔ってしまった 否 淫してしまったのかも知れない 。



「淫する」と言う言葉を読んで あなたはどう言うイメージが湧くか? 最初の私のように、姦淫の「淫する」を思い出す方が多いのではないかと思う。

けれど 「淫する」の一番目の意味は 「度をすごして物事に熱中する。 耽溺する。 おぼれる。」(「国語辞書・大辞林」より) らしいのだ つまり「度を越して、熱中してしまうこと」。


私は今夜の7時20分の後半のステージから アラモーレの演奏に完全にノックアウトされて「淫して」しまった。

後半ステージ第一曲目「坂の上の雲」のテーマ 'Stand alone'(日本語歌詞付きバージョン)を聴いた時 音が生きている、つまり音が生まれつつあるのを目の当たりにして その感動と官能に背筋がぞっとする程、 毛穴が開くほど、つまり、音に打たれて
私はあっという間に官能の波に飲まれてしまった。

官能は、音楽で心打たれる、重要なの要素の一つだ、と私は思う 、
(それは実は、私にとっては、誘惑と紙一重なので怖い)


特に、ソプラノのMさんの歌声に本当に感動した 私は森麻季さんの歌を初めて聴いた時、涙が出た。

それほど、この曲に思い入れがあったので アラモーレの皆さんがこの曲をどう演奏されるのかが一番怖かった 。

でも昨日の夜、アラモーレの皆さんは、この曲を、自分達の曲として、自分達の演奏として演奏なさった。

演奏しながら、自分達の手の中に収めようとしている・・・。
そんな三人の魂をかけて、演奏する姿に、私は打たれ、魅せられてしまった。
「見事だった」と思う。

少なくとも 「ああ、トリオ・アラモーレのステージになった」 と思った 正直「アラモーレの演奏として進行形だな」と思えたので、逆に言えば聴きながら、次の音が、演奏が全く予期できないし、わからない。
そして 次の音と演奏で、私は予想もしない音楽の官能の波に飲まれてしまう。

特にソプラノのMさんの意思的な声に感嘆した。
森麻季さんの歌い方に引きずられず 完全にMさんの「こう、歌いたいのよ」 その断固たる意志的なソプラノと。
それに負けずに自分の演奏をぶつけ、互いに調和しようとして奏でている DさんのチェロとE先輩のピアノ 聴いてて、震えた。

これが私が感じる音楽の官能。

トリオ・アラモーレはソプラノ、チェロ、ピアノと言う 異色の室内アンサンブルだと私は思っている。
だから今回1200人収容されるホールでの演奏を聴くのが楽しみと同時に 私は聴くのが怖かった。
室内アンサンブルの音とホールの音はまるで違う。
最初はやはり違和感を感じた。私は二列目に座っているのに 音が近く感じない!?


音が「ずん!」と生で伝わってこない。
ライブなのに?
最初はなんだか ピアノのE先輩も、チェロのDさんも
そのことに途惑って、必死にご自分の音を 探し当てようとしている。そんな気がした。
しかし、今思うと ソプラノのMさんには最初から あまりそれが無かったように感じる。 「城ヶ島の雨」の後半から「?」と やっと、しかし突然の夕立のように 音がぐん!と躰全身に響いてきて ステージと客席の私の距離が近くなった。
「あーもともとのアラモーレの音だ」と思ったのはこの瞬間から 。

次の「仁~JIN」は初めて聴いた曲だったけれど、E先輩は完全にご自分の音にされて弾いていた 思わず先輩のピアノを弾く手を凝視した。私は演奏者の手が好き。

だから、必ず手が見える位置に座る。 そしてなるべくなら近く、または 演奏者の演奏がびんびんと躰で感じられる距離の席に座る。

ライブだから演奏者を見ながら聴けば良いのだけれど、 昨夜のように魂をかけて演奏された演奏を久し振りに聴かせて頂くと、こちらも圧倒され、全身で聴かないと、魂で音を受け止めきれない。
だから目を閉じる。
頭を垂れる。
祈りの姿勢になってしまう。

けれどそれが一番音を堪能できる 音と音の「間」を感じられる。

アラモーレの皆さんの一つの絶妙な、天からのギフトは、この 「間」にあると私は思う 。
「間」の取り方が、実に「官能的」だ。
「官能の歓びで震える」ほど巧い(うまい)と思う。

だから、私はアラモーレの皆さんの演奏が好きだ、と同時に魅せられて入り込んで「淫してしまうので」少し怖い。(苦笑)

怖いけれど、欲張りなのでコンサートは全身で堪能したいから 自分にとって、一番良い席を 納得いくまで探して座る。
そして開演のベルが鳴ると 舌なめずりして魚を待つ猫のように、先輩達が出演するのを食い入るように、しかし黙って ステージを見る。

ああ、私は欲張りなんだと つくづく思った。


そして何度も何度も聴かせて頂いた映画「おくりびとのテーマ」。


これはもう、チェロとピアノの演奏自体がワインのように 発酵の段階に来ていると感じた。
なんで映画の「おくりびと」と 、アラモーレのお二人の演奏が違うか 今日、少しだけ解った気がした。

そのことを、ステージが終わったあと、私は気持ちはおずおずと、躊躇いながら、でもピアノのE先輩と チェロのDさんにお伝えしてしまった!

私は中学までしか音楽を勉強してない、ド素人なのに~!?
わー!どないしよ?
なんて大胆なことをやっちゃったんだろう?
おまけに一緒にまた写真撮影までさせて頂いた私のデジカメは「手ぶれ防止付ではない」ので、官能の音楽に飲まれたため?
それとも、プロの演奏家の先輩達と写真を撮らせて頂いたから?
どちらもだろうと思う。
手ぶれで、ボケボケの写真が一杯!

あーあ まいったなあ 。



でも、外に出たら、今年初めて触れた雪。


天の神さまが、私の音楽への興奮を帰宅するまで覚まし、興奮を抑えて目を覚ますように 天から安定剤代わりに降らして下さったのかもしれない。

そう思うような美しい雪だった。
そんなふうにして家に帰ってきて一日の最後の仕事をし、パソコンに写真を取り込み ブログに留めておこうと思ったが やはり酔ってしまったらしい。
興奮が冷めやらない。
けれど、今年初めて降る雪は美しかった、私の汚れを洗い聖めて下さるように。


冷たく、優しく私に触れた 天からの恵み。 主の恩寵。

「ヒソプの枝で私を聖めて下さい」と 旧約聖書の詩編にあるように 雪は黙って降り続いている。

静かな雪は積もる 明日は初めての、山形市内は積雪だろうか? もう目がショボショボだ。
だから今から急いで足湯に入り、お風呂に入ったらすぐ休もう。

明日はゆっくり頭を休めよう。
音符と音、華やかなステージドレスと粋なタキシード姿。
そういうものが頭にぱんぱんつまって抑えていないとこぼれそうだ(苦笑)
そんなに凄い演奏を聴かせて下さって 父ちゃん、ありがとう。
でも、久し振りの天童からの帰り道で、私は、深夜国道に線を引いて深夜作業をしている 土木工事の方の姿を見てしまった。

亡くなった私の父もそうだったから 。
工事中の脇を車で通るのが、申し訳なかった。


明日が最後の今週の金曜日。

いよいよ明後日のクリスマス礼拝にむけて 主よ、天の父ちゃん 私を整えてください。
これから足湯、入浴をしますが 風呂場で先日のように寝てしまいそうなら 思い切って足湯をやめてお風呂に入れてくださいね。
明日、少し休ませてください。
父ちゃん、シズコの天の父なる神様
助けて下さいね
このお祈りを御名によって祈ります。アーメン。



追伸:トリオアラモーレの皆様へ 本当に「官能的な」「いつもチャレンジ精神旺盛」のステージを、本当にありがとうございました。
特にアンコールの「ふるさと」。 私の後ろの男性は涙ぐんで聴いておられました。
ソプラノの美しい声で歌われるMさんの瞳も、気持ちなしか、うるんでいるように見えました 震災は、私たちも、音楽も変えてしまった。 そんな気がしました。
けれど 主が、ソプラノのMさん
チェリストのDさん
そして、ピアノ兼、編曲者のE先輩
このお三方を祝福し 今日の演奏に大いに報いてください。
そして、私に素晴らしいクリスマスコンサートを 聴かせて下さってありがとう。
今日今から、深い眠りにつかせてください 主に一切をお委ねします このお祈りを、御名によって祈ります。アーメン。





着いてすぐに闇の中に立ててあったコンサートの看板。 雪に濡れないようにビニールをかけてある配慮がなされていた。





演奏中は写真撮影はしないけれど、開演間での短い間、そおっとステージを撮影させて頂いた。その写真の一部。




その後、先輩方の写真を撮らせて頂いたばかりではなく、 私までも一緒に写して頂いたが 今はお目にかけることはできません。 許可を頂くまでは、このブログに私は載せられません。 ご了解ください。




最後に天からの恩寵のように降ってきた初雪のひとひら。







ふと、被災地大船渡を思い出した。
昨日、大津波から守られた ケセン誤訳「マタイ、マルコ、ルカの福音書」を送ってくださった イーピックス出版のある大船渡の会社は全壊。


けれど社員の方は皆無事だと言う。
神さまありがとう。

被災地の冬が凍らないようにしてください。
特に躰と、心が凍らないようにしてください


 


眠いよ・・・


寝ます。


オヤスミナサイ。


 


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