ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

きなこ餅ランチ

2010年01月14日 | 日記
心を尽くして主に信頼し、自分の分別に頼らず、
常に主を覚えてあなたの道を歩め。
旧約聖書:箴言3章5節から6節



今日は、前の詩にも書いたように、休養日にしたので、お昼は1時半頃起きて、切り餅を初めてレンジでチンして、きな粉餅にして食べました。
母が「餅入れたら、器に水3分の1くらいにして、レンジでチンすると、やわらかくなっていいよ」アドバイスくれたので、2分間チンしたら・・・・画像のように、ぐたら~んと皿にはりついてくっついちゃった。お湯だらけだし・・・だから、お湯は捨てて、後は別の皿にきな粉と砂糖を混ぜて(後、少し塩入れるんだね!知らなかったず~)りんごとシルバーベルの残りを頂きました。
ちょっと体重最近ぐんぐん?アップしてっから、餅一個で、我慢したんだっけは

今晩のおかずは、さっきの詩さ書いたように、野菜スープと、豚カツだしよ~。
豚カツうまいずね~

あれで、カロリーないと、もっと、良いズね~
(ほだい、都合いぐ、いがねな~・・・ノンカロリーのとんかつあては、無いべからな~・・・ほして、また、タルタルソースかげっと、んまいのよね~

今日も山形は一日雪でした。

皆さん、あったかくして、ゆったり夜をお過ごしください。

生きてて良かった♪

2010年01月14日 | 
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
私はあなたを愛している。
旧約聖書:イザヤ書43章3節(新改訳版)


父ちゃん

今日、きなこ餅食べたお昼の後
自然分娩してるお母さんの様子、テレビで見た
ご主人のお父さんと、小さなおにいちゃんの男の子が
一生懸命いきんでるお母さんの手を握ってたよ
無事生まれた瞬間、泣いちゃったよ
感動した!(小泉元総理じゃないけど・・・本当に)
今まで生きてて良かった!って思った
まだ、仕事もないし、貯金も無い
でも、生きてて良かった、父ちゃん!
自殺未遂4回した私を、生かしてくれててありがとう
弟を無事帰してくれてありがとう
母も元気に、手を癒してくれて、ありがとう!
今日は、画像のような、雪だらけで寒いけど
今日、ずっとゆっくりさせでけでありがとう
今日のご飯は野菜スープと、とんかつだー!
嬉しいな~
何にも働いてなくても、貯金無くても、わがままでも(違うか?
こだい、一杯良くしてけで、ありがとうね
父ちゃん、今日も、今も、一緒にいてけで、ありがとう
ずっと聖書さ、書がってるみたいに
「世の終わりまで」シズコと一緒に居てな
居てケロな
このお祈りを、御名によって祈ります
アーメン

父ちゃん、ありがとう!

しんしんとした雪の日

2010年01月13日 | 日記
わたしは主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者。
旧約聖書:哀歌3章1節


今日は、久しぶりに午前中吹雪きました。祈祷会の後、教会を出たら、たっぷり10センチ以上は積もってた。寒かったぁ~!だから今夜の我が家は「鍋」です。

今、今日の食事当番の弟が帰宅して「外、凍ってたっけは!姉ちゃん後、出て行くか?」と聞かれたので「行かねよ」と答えたら「正解だ!早く鍋すっから、食ってあったまるべは~」と言ってくれました。
実際、パソコン部屋にいても、外でアイスバーンになった道で、スリップする車の音が聞こえます。今日、運転するどなたも、事故になどあわれませんように・・・。


今日は、祈祷会後、初めて、教会近くに出来た、大手スーパーに行ってみました。
でも、やっぱり、駄目。
きれいなお手洗いだけ借りて、すぐ出ちゃった。

その後、いろいろ回って、なんとか3時半からの中国語&英会話にはぎりぎりセーフ!

この時間を逃すと、英会話は夜の9時45分。中国語は11時だから、やっぱり辛い。

最近、生活パターンが、少しできたみたいです。

朝は6時目が覚める。少し布団でぐたぐたして、起きたらすぐ二冊の霊想書(?でいいのか?)を読んで、聖句を読む。(これは安心するね~・・・実は聖書通読、全く今出来てない!
起きて、台所と茶の間&仏間のヒーター付け。洗顔&体重測定!
これは、本当はすったぐ(したく)無いんだけっど、私は糖尿病だから、これ、体重コントロールに凄くいいのよね。そして、今週はずうっと夜中もまるまる一食食べてるから、一日四食になってます。

どうぞ、私が夜食べないで、過食が辞められるようにお祈りしてください。

一回、私、瞬間的な「脳梗塞」になったことがあるから、マジで、やばいんだ。

だから、甘いものを置かないように今、心がけてる。
今日もスーパーで、私の大好きな「あん団子」が80円に値下がりしてたけど、買うのやめたっけは~。だって、あると「食べるから」。
置かないようにするのは、一つの智慧かもしれないですね。

体重測定の後は、ダイエットノート(もう4冊目になりました)に体重を記入して、「緑内障予防」の点眼、その後、朝食の準備&いただきます。

なんとか、去年からやらせてもらってる、朝食後のお皿洗いは、私の分担になったみたい。嬉しいです。

9時からは、教会か家で、ディボーション(聖書を読んで、祈って、霊想)の時間1時間。
一人でも、教会でいても、讃美歌を歌い、聖書を読み、父ちゃん(=イエス様)と、たっぷりお話(=祈り)し、甘えます。
口癖みたいにずうっと「父ちゃん、助けてケロ」って最近言ってる。そればっか。


でもよ、助けてくれんのよ、父ちゃんは。
だから、好き。

画像は、今日の我が家の庭の雪景色です。
右手奥にあるのが、よく画像アップした木蓮の木。
他の植木鉢は、全部雪かぶっちゃって、寒そう

パソコン部屋は、ヒーターガンガンかけてるので、なんぼスキンクリーム塗ってもひび割れしてしまう。保湿が必要です。

明日は、一日自宅で、休養or片付けしてます。

一人でいる時間が、私にはとても大切みたい。
気持ちが落ち着くんだ。

今も、しんしんとした空気の中で一人でブログかいてます。

静かに、今日は、過ごしたいです。

コメント「承認制」昨日からためしに、また「はずしました」。
また、いたずら書き込みや、心無い書き込みがあったら、「承認制」を取らざるを得ないのですが、私自身は、自由にコメントを頂きたいので、あまり承認制は取りたくないと思ってます。

このブログは「縁側」だから、誰でも気軽に寄って欲しいから。
そのように、どうぞ、お祈りください。


またね


父ちゃん、疲れたよ

2010年01月11日 | 
父ちゃん。。。。
もうまもなく夜の9時半だ
わたし、昨日、茶の間に座ってビデオ見ながら寝てたんだって
知ってるんでしょ?
今日、寝ようかと思ったけど
ずっとおきてて疲れたよ
いろいろ考えて疲れたよ
肩こった・・・
今日、大根サラダ作る時、「暴れん坊将軍」見せてくれてありがとう
マツケンが出てきて嬉しかった
豚テキもサラダもモツ煮込みも、凄く美味しかった
でも、食べすぎが心配、あのね
過食が心配なの
血糖値があがらないといいな
ね、わたしの気持ちを100パーセント、ううん
1000パーセントわかってくれるのは
父ちゃんだけじゃん?
だから、今日は10時にはお風呂に入って寝かせてね
ぐっすり寝かせてね
父ちゃん、新共同訳の聖書と新改訳の聖書って
どうして、あんなに訳違うの?
なんだか、ぜんぜん、言ってること
違う気がしたよ
んでもね、一人で9時からディボーションしてると
落ち着く
いろんなこと、考える
わからなかった聖書のとこが
「あーこういうことなの?」ってわかって嬉しい時もあるし
「なんなんだよ~」ってわかんねぇときもあるの
今日の箇所、ニコデモじゃん?
一個でもニコデモって、岡先生がジョーク飛ばしてくれたとこよ
ちょっと思い出して笑った

でもよ、最後までわかんないっけ
ニコデモって、何人?
あたしは、ユダヤ人かと思ったけど、パリサイ人って新改訳に
書いてあった気がした
(気がしたって・・・今手元に、新改訳の聖書ないの~)
ふぁ罹災・・・凄い変換、違うって!
ファリサイ派に「属する」てことは、イコール、ファリサイ人じゃねーじゃん?
ファリサイ派ってさ、パリサイ人と、おんなし?
あー!わっかんね~よーーーーーーーーーっ!
ぐれちゃうよっ!?
あたし、こーゆーとき、聖書、原語で読めたらってどんなにか思う
原語って新約はギリシャ語だっけか?
んでもって旧約はヘブライ語?
ヘブライ語って、今、あんの?
しゃべってる人、いんの?
わっかんね~よお~!
ねえ、山形弁で話してケロ

あたし、お風呂に入るは

後、寝せてケロは

父ちゃん

あたしば捨てねでな

あたしのそばに、ずうぅっと居てな

ぜったいぜったい離れねでケロな

アーメン

「龍馬伝」を見て~雑感

2010年01月11日 | 日記
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
旧約聖書:コヘレトの言葉3章1節


一昨日だっけかな?

NHK大河ドラマ「龍馬伝」→http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/ のこと、全く書けなかったので、でも、書きたかったので、今日ブログアップさせて頂いてます。

これ、凄い強烈なドラマですね。
昨日二回目見ましたが、見てて、私は辛くなりました。


私は、坂本龍馬については、「日本で初めて新婚旅行に言った人」くらいの知識しか持ってません。

かつて、南国土佐には「上士(じょうし)」「下士(かし)」「郷士(ごうし)」と言う、凄まじい残酷な身分制度があったのですね。

本当に、言葉すら、全く知らなかった・・・。

第一回目放送の時、「上士」である武士から、龍馬たち「下士」が見下げられて吐き捨てられるように言われた台詞「下士は犬猫と同じ!いや、犬の糞(くそ)と同じじゃあ!」に、胸が切り裂かれるような痛みを覚えました。

犬猫と同じ・・・人間の差別。そんなことは、あってはならないはずなのに、「あった。」

いえ、今でも厳然として残っているし、シズコ、お前の心の中は?と問われたら、「私の心にもあります。」ということを、素直に厳粛に認めざるを得ません。

学生時代、日本の歴史で「士・農・工・商」という明治維新までの身分制度があったことを学びました。そしてさらに「商」=「商人」の下に、「えた、()」という階層があったことも学びました。今、ネットで検索したら、えたは「」と書くのですね。
難しい漢字です。

「」。その字のごとく、人にあらず。なんという言葉でしょうか。

私は世界史で、インドにはカースト制度「バラモン(僧侶)・クシャトリア(平民)・バイシャ(王侯・武士)・シュードラ(奴隷)」という4階級の身分制度があり(現在もあると聞いておりますが)「不可触(ふかしょくせんみん)」=「アンタッチャブル」英語でその字義とおりの「触るまじき人々」と言う言葉の階層の人々もいると学んだことをも思い出しました。

龍馬伝に話を戻します。
坂本龍馬は「下士」、岩崎弥太郎はそのもっと下「郷士」という身分だったんですね。
私、坂本龍馬演じられた、歌手の福山雅治さんのファンでもありますが、実は、岩崎弥太郎演じておられる、香川照之さんは、もっと好きなんです。
ですので・・・・・・・・香川照之さん演じる弥太郎に視点をあわせて見ちゃいました。

香川照之さんは、最近では「坂の上の雲」映画「沈まぬ太陽」でその演技を拝見いたしました。今日の民放テレビ「Wの悲劇」にも私の大好きな菅野美穂さんと一緒に出演なさるようですが、これ見たら・・・・・・・・・・次の日わたしゃ~倒れるな・・・だから、見るの、あきらめます。


香川照之さんは、私の大好きな中国の映画の「鬼が来た!」(原題=「鬼子来了(ぐぃず・らいら)!」監督・姜文(ちゃん・うぇん)、主演・姜文)にも出演なさっています。この「鬼が来た!」は、2000年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しています。その詳細は香川照之さんの著作「中国魅録―『鬼が来た!』撮影日記」に詳しく書かれています。それも凄い、凄いある意味「とても怖い」映画なんだけど・・・書いてると朝になっちゃうしぃ~

以下省略・・・・先に進もうっと・・・・


四国高知と言うと、私、作家の宮尾登美子さんを思い出すんです。
この方、高知県出身なんですね。

私はこの方の書かれた作品の中で「蔵」「陽暉楼」「鬼龍院花子の生涯」「天璋院篤姫」など、読みました。

特に前3つの作品は、映画を見てから、小説に入ったの。

「陽暉楼」と言うのは、土佐の芸者を抱えている妓楼(ぎろう=館)の名前なんですが、その中に今回「龍馬伝」で、岩崎弥太郎の母・岩崎美和を演じている賠償美津子さんが、一本芯の通った、気性の激しい女将さん役で出てました。
その時のイメージと、岩崎美和の、与えられた人生を生き抜くたくましさがだぶります。


私は、思うのですが、岩崎弥太郎は、坂本龍馬の中に、彼がどうしても得られなかったものを、いつも見てたんでしょうね。

彼が第二話で語っていたように「なんであいつは、おれがどうしても手に入れたいものを、ああも楽々と手に入れるんじゃ・・・」と。

武士としての地位、こだわりのない飄々(ひょうひょう)さ、好きな女性、などなど・・・。
だから、龍馬をあれほど憎みながらも、彼から離れられず、魅かれていたのかなあ・・・・と。

負のパワー、怨念の恐ろしさ。

「郷士(ごうし)」という、誇りだけはあっても、精神的にも経済的にもどん底で耐えるしかなかった岩崎弥太郎の青年期。いや、誇りがあるから、余計、自分より一つ上の「下士」であり、弥太郎の理解できないスケールを持った龍馬を、理性では理解できなかったし、感情では忘れきることができなかったのでしょう。
このことが、後の大富豪、岩崎弥太郎を生んだのかなと思いました。

坂本龍馬を表現する言葉に「歴史の流れの中でその時代を超えて存在し、生きた人」と言う表現を聞いたことがあります。
この歴史の流れより先を生きてしまった人は、その時はその偉大さが周囲には理解できない。むしろ、その人を抹殺してしまうような憎悪の対象になってしまうのでしょう。
私はこの文章を書いていて、イエス様のことを思い出しました。
イエス様は神さまだけど・・・ある意味では、歴史を流れの先を生きていて、当時の人には理解できなかったという点では、龍馬と似ているのかもしれません。

龍馬の幼少、少年、青年期にまた、印象的な二人の女性が出てきました。
元バレリーナ・草刈民代さん演じる龍馬の母、坂本幸(さかもと・こう)。
この人も私の好きな女優さんですが、寺島しのぶさん演じる龍馬の姉、坂本乙女(さかもと・おとめ)。

母、幸は、「上士」に無礼を働き、切り捨てられようとする龍馬を病身を押して、「上士」に謝罪し、龍馬に「喧嘩(=争い)では事は解決しない。憎しみからは何も生まれない」と刻みつけ死んでゆきました。

姉、乙女は、第一回の最後のシーンで、大海原を前にこう言いました。

「海はでかか~!!!(それに比べて)人は、こんまい。(=小さい)」

私には、その乙女の言葉が、

「自然=神には叶わない。主の御手(みて)に汝(なんじ)在り」と

神が乙女さんを通じて、疲れた私に語ってくれているような気がいたしました。

そして・・・


この「龍馬伝」の音楽も存在感がありますねー。凄い不気味で、不安を予測させる。
ご覧になった方、覚えておられますか?途中、軍隊の行進曲のような挿入曲があったでしょう?あれ聴いて思ったんだけど、低音打楽器と、チャルメラのような楽器の高音。その「音の高低差」、そして打楽器の「リズムの規則正しさ」が、物凄く不安感を醸(かも)し出していて、見事でした。

途中で入った合唱のような声は、何かに似てると思ったら、ブルガリアン・チャントと似てるんだ・・・そう思いました。ブルガリアン・チャントの私の印象は、地声に近い発声の合唱です。それがまた、先ほど書いた、軍隊行進曲と重なって、人間の本質、激しく、醜く、そして、とてつもないパワー、それがマイナスかプラスかわからない不安と期待をいっそう盛り立てていたっけな・・・。

後は、んーと、あ!そう!NHKドラマ「ハゲタカ」に出ていた、大森南朋(おおもり・なお)さん、武市半平太っていう役をしてたひとも、存在感あるなぁ・・・。
凄い俳優さんばっか!

そう、存在感が凄い「ひと」、ばっかり。そして皆、心の中に持っている人間の持つ激しさとたくましさをむき出しに描いている「龍馬伝」。
この大河ドラマ「龍馬伝」、私は魅かれます。


わーずいぶん書いたあ~!
読んでくれてありがとうございますっ!

どれっ!今日も夕飯だあ~。
今日はいつもの大根ツナサラダを一品作ったよ~。
メインは我が家の「豚テキ(豚肉のステーキ)」でーす。

一杯食べて今日はちゃんと「布団で」寝よう!
(昨日、茶の間でテレビ見ながら寝てたのを、母に起こされてしもーた!)


画像は、昨日礼拝の後、若いお友達が、めんこい雪だるまを作って、教会の前に並べてました。
今日は、猿倉に、スキーに行ったよ。
良い天気で、良かったなあ~。
じゃあ、お互い、良い一週間をすごしませふ。

またね~!




先人の智慧「叱ってもらえるうちが花」~大河ドラマ「竜馬伝」を見て

2010年01月09日 | 日記
私の愛にとどまりなさい。
新約聖書:ヨハネによる福音書15章9節



今日は1月9日土曜日。

21年前、平成元年1月9日昼ごろ、父は職場の山形市役所で会議中にずるずると椅子から滑り落ちて、まだ当時は裏手にあった、市立病院に運ばれ、母と姉の伯母に看取られ「苦しい!苦しい!お母さん!お母さん!(=父の妻、つまり私の母のこと)」と叫びながら亡くなったそうです。

遺体解剖後の死因は、解離性大動脈瘤破裂(かいりせい・だいどうみゃくりゅう・はれつ)。簡単に言えば、心臓の動脈が破裂して、一気に血圧が下がってしまうことだそうです。有名な俳優、故・石原裕次郎さんも同じ病気で逝去なさいました。
このことを、今日のような寒い雪の日に思い出すと、また気持ちが沈みこみ、メランコリックな気持ちになってしまいます。

母は今日、仏壇に心を込めてお膳を上げました。
クリスチャンとしてはいけないのだろうけれど、私も仏壇に線香を上げ、手を合わせました。
とても辛かったです。

天の父であるイエス父ちゃんには「ごめんな、父ちゃん、『私以外のものを拝んではならない』って父ちゃんの言ったこと破ってごめんな」と謝り、肉の父である、亡くなった私の父には「お父さん(私は実の父を「父ちゃん」と呼んだことは一度も無いし、これからも無いと思います)、ごめん。本当にごめん。私クリスチャンになったから、心から拝んでるんで無いんだ。知ってると思うけど、本当にごめんな。でも、お父さんのこと忘れたわけでも、先祖を忘れたわけでも大切にしないのでもないんだ。ごめん、ごめん。お父さん、私も辛い。けれどごめんな」と、心の中で葛藤しながら拝みました。

今日は土曜日、教会堂のお掃除の日です。
今週は婦人会が当番。

私は「調子もまだ良くないし、行かないは」と思ってたんですが、突然朝「やっぱり行くかな?今日夕方、脂肪燃焼ダイエット野菜スープ作る予定しかないし、いっつも休ませて貰ってるし」と母に言ったら「行って来い。行けるときやらせてもらえ、言う事ある人は、ちゃんとする事も、さんなねんだ」と言われて、(母はさすがに母じゃのう!=ちょびっと「竜馬伝」風)・・・というわけで、珍しく10時からのお掃除に行かせてもらいました。

おっと! その前に、母に叱られた。

私が先週の日曜日、楽しみにしてた大河ドラマ「龍馬伝」を見られなかったので、茶の間から母の部屋に「お母さーん!今日よ~昼からここで『龍馬伝』見ていい~?」と聞いたら、母が部屋から出てきてこう言った。

「良いよ。んだけっど、一言お前に言っておくぞ。人にものを頼む時は、お前が私を呼びつけるんじゃなく、お前が私のところに来なさい。今はお前が病気だと思ってるから、私が茶の間に来てあげたけど、今度からは通用しないと心にちゃんと思いなさい」と叱られた。

私は、「あー!またやってしまった~」と思い、でも「本当だ」と思ったから
「はい、ごめんなさい。この次は気をつけます」と母に謝った。

これが今日のタイトルの、「叱ってもらえるうちが花」のことである。

教会員の人生の、そして、信仰の先輩方や、いろんなところでお話を聴かせて頂くと「今の若い人には叱っても教えてもなあ。かえって嫌な顔されるばっかりでよ。言ってもわからねし・・・」と言う言葉をよく伺う。
そういう時は、43歳になった私も「心して聴かせて頂かなければ」と、緊張の面持ちで傾聴する。

話は前後するが、教員試験を受ける時、一番反対したのが、実は母だった。

「教員は嫌だ。
世間を知らない。
口の利き方一つ知らない。
すぐ大学を卒業して社会人としてはペーペーのくせに、保護者の方や生徒さんから『先生、先生』と言われて祭り上げられるから、駄目だ。
私はお前に先生になって欲しくない。」
母はそう言った。

12年間の短い教員生活を送らせて頂いたが、実際そう私も思ったし、私もそうなりかけて、何回も職場の先輩方や母に叱られた。

そこまで母にいわれながらも・・・・・・・私は、先輩の先生の言うことを聴かず、こっぴどくある大先輩の先生に叱られた。

その先生は「貴女(あなた)はなんでそんなに生意気なんだ?そんなんじゃ駄目だ!もっと先輩に教えを請い、たとえ間違っていても、頭を下げて身を低くしなくちゃ、教員としても人間としても、貴女(あなた)は駄目になるぞ!」と叱ってくださった。

そうして叱ってくださった先生は、校長先生になられた直後、病で在職中に亡くなられた。

今思い出しても、その先生の偉大さ、謙遜さに頭が下がる。

そんな先生に叱って頂き、導いて頂けた私は、とても幸せだったと思う。

本当に、母の言ったことは正しかったなあ・・・って、私は今でも思ってる。

教員生活を始めるに当たって、母はこうも付け加えた。

「まず、お前以外全員の方がお前の先輩だと思って頭を下げて教えてもらうこと。そして学校の先生以外の職業の方から、たくさんお話を聴かせてもらうこと。
最後に・・・・何か習い事をすること。
まずは字。お前の字!それじゃ先生として通用なんかしない!もっときれいな字をかけるようにしなさい。
字を習いに行きなさい」

・・・・そうして私は、元、社会保険センター(今、変わっちゃったんだよねぇ)に、教員として働きながら夜4年間、ペン習字を習いに通わせてもらって、今なんとか、人様に見られてもなんとかかんとかおかしくない・・・・って思ってるんだけど・・・字を書けるようにならせて頂いた、と言うわけでR。


もう一つ。
中学の時の時の合唱の恩師の先生が同じ事を忠告してくださった。

「良いか?シズちゃん、貴女(あなた)、教員になったからって偉いと思うなよ。貴女(あなた)は学校で一番の新米!それば忘れるなよ。
学校の教員の駄目なところは、教員の先輩の先生にだけ敬意を払って、事務の先生や、技能技師の先生、給食や購買の方は、自分より下だと思ってるところだ。
良いかシズちゃん?貴女(あなた)もそれやったら馬鹿だよ。
明日いの一番学校に行きなさい。
そして、言われたとおり(職場に行く前にご挨拶に言ったら、母校だったので、恩師の先生に『明日一番先に来て、全員の先生の机を拭いて、お茶出ししてケロな』とアドバイスを頂きました)しろよ。
そして行ったら、貴女(あなた)以外は全員先輩だと思って、頭を下げて『何もわからないので、今日からどうぞよろしくお教えください』と教えを請うつもりでいらんなね。わかったか!?」と。

これも実際職場に入って、恩師の先生が仰る深い意味がよくわかった。
今思っても、有難い忠告だったと思う。

この母と、恩師の先生の忠告があったからこそ、なんとか、教員と言う特殊な(私はそう思っている)職場で、皆さんから受け容れていただき、「先生」という仕事もなんとか、12年間、勤めさせていただいた気がします。

聖書にも「『先生』と呼ばれる仕事は怖い」と言うような表記がどこかあった気がする。本当に私もそう思う。「先生」=「上に立つ仕事」というものは、それだけで、思い上がってしまいやすく、仕事柄、つい私的な場所でも命令口調になり、しきってしまいやすくなるからだ。本当に怖いと思う。

私はいずれ、再び教育の場に戻って生きたいと思っているが、この忠告だけは忘れまい、忘れたくない、と思って今ブログを書いている。教員は私にとって、至上の喜びの職業であるが、同時に先ほど書かせて頂いたとおり、一つ間違えれば「独裁者」的な、怖さを持つ可能性を秘めた「諸刃の刃(もろはのやいば)」的な面があるからである。

以前教員時代、「教員だって人間だから・・・」と仰った方がいらした。
まっこと、その通り、人間だと思います。

けれど、教壇は私は聖域だと思い、その職業を択んだからには、私は身を慎まなければいけないな、と思っております。それは最近余りにも教員の不祥事、具体的には猥褻行為、横領、暴力などが、目に余るように思えるから・・・です。
それを「教員だって人間だ」と言う理由で容認するのは、私は違うと思う。
それが出来なかったら・・・・出来ないにしても、少なくとも心得ておくのが、嫌なら、私は他の仕事につけばよい、と思ってます。
だって、生徒は先生を「少なくとも」人生のお手本、だと思っている、と、私は思うから。

だから、生徒に制服の着用を規則で言うのなら、私は教壇に立たせて頂くとき、できるだけスーツ姿、またはカーディガンなど、改まった服装で行った。
それが、「先生」として私に敬意を払ってくれる、生徒への私からの敬意、だったから。

・・・ま、偉そうなこと書いたけど・・・・・・・・時々、カーディガンの襟元に、クリーニングの伝票をつけたまま、スカートの後ろに×の糸をつけたまま教壇に立ち

生徒「シズコ先生!今日のスカートおニューだべ!?」
シズコ「え!?わかるわかる!?やっぱり、んだのよ~。おニューなんだあ~」
生徒「わかるわかる!だって、スカートの後ろに、『ばってん』付いてるもん」

・・・と言われ、慌てたのなんかは、もう数え切れない・・・

カーディガンの方は・・・

生徒「シズコ先生、今日のカーディガンきれいだんね?(=きれいなんじゃない?)」
シズコ「あ!やっぱりわがっかぁ~?」
生徒「わがるわがる!んだって、クリーニングの白いのついったもん!」

極めつけは・・・

生徒「先生!今日、寝坊したべ?」
シズコ「!?なして、わかんの?」
生徒「・・・んだって、髪寝ぐせ、ついったもん!」

ああ!恥ずかしや!・・・・こだなもんだっけ、私の教員時代は。
んでも・・・・めんごい生徒ばっかりだっけず・・・

どれ、教会の掃除さ、もどっかね・・・・。

お掃除はトイレ掃除をさせてもらいました。やっぱり新人はトイレ掃除からだよね。(一応・・・婦人会の中では新人だと思ってんの!)というわけで、久しぶりにトイレ掃除させてもらいました。

でも、ねっつぐ(=念入りに)はしなかったよ。毎週のことだし、できたら今年は「継続」の年にしたいと思ったから、そんなに「かちかち」にならず、お家のトイレ掃除と同じように、でもわかんないところは婦人会の先輩方に教えて頂いて、無事お掃除も終わり、お祈りしてコーヒーと、美味しいじんだん饅頭を頂いて、帰ってきました。

同じ婦人会の友達Sちゃんが頭痛を押して来てくれたよ。
他の婦人会の方もそうだったけど、Sちゃんも私が掃除に来たの、びっくりしたみたい。(いつもお願いしてるからね!!)「シズコさん、居たっけの?びっくりした!」とSちゃん言ったから、私も「私もびっくりした!」と言って、その場にいらしたYさんと三人で大笑いした。

こういう風に言えるのが私のいいとこじゃないかな~と思ったよ。(ちょっと自分を褒めすぎかなっ?許してね~

ありゃ~龍馬伝のこと、書く余裕、無くなったはね?

明日第二回、見でがら、書かせてもらいますは~(「は~」と語尾に付くのは山形弁の特徴なの。意味は別に無いんだ・・・と、思う

龍馬伝、良いっけなあ・・・・。

これだけで、ブログひとつかけそうだから、明日以降に取っておくね。

今日の聖句は、ずーーーーーーーーーーーーっと、このところ祈る時、神様が私に与えてくださる聖句です。
2007年の南部教会の、年間聖句だったんだっけ。
なんだか、この聖句思い出すと、ほっとするんだ。

ほっとするって、安心すっから、良いずねぇ。。。。

どれ、まもなく、今晩の「ダイエット脂肪燃焼野菜スープ」作りの時間だから
今日はここまでにするは。
今日は偉そうなごと書いちゃったなあ・・・。
私のために、祈ってけらっしゃいなあ~。


今日の画像は、誰でしょう?わかる~?

これも、私が小学校の時、初めて見て、「素敵!この人」と思った俳優さんです。憧れったっけんだ、小学生のころ。

今日のお昼NHK「生活笑百科(せいかつしょうひゃっか)」さ、ゲストで出てたっけの。嬉しいっけ~
私、この人のファンだっけから・・・・さすがにお年は、昨日アップした石橋蓮司さん同様、それなりだなあと思ったけど、カッコいぐない?いぐない?

あ、辰っつあん!(ブックマークの「山形夢横丁」の管理人の「辰っつあん」のことだよん)では、ねーがら、安心してケロな。(なんちって)

じゃ、またね~

良い週末をお過ごしください。

お祈りしてブログアップしまーす。インマヌエル・アーメン

石橋蓮司さんのこと♪

2010年01月08日 | わたしの好きなひと
目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。
新約聖書:コロサイの信徒への手紙3章2節


やっとこのブログがかけました。
石橋蓮司さん、この人、です。
俳優さんで、名脇役です。
この人を書きたくて私は「わたしの好きな人」というカテゴリーを作ったのですよ。
この写真も、素敵でしょ?
実は23年前大学生の時、ある映画を観て、その後、ある雑誌にご夫妻で(奥様も女優さんです)の切り抜きを観て、惚れました。
それからずーーーーーーーーーーーーーーーーーっとファンです。
そうなの!この画像は23年前の雑誌の切抜きから取ったんですよ。
物持ち良いでしょ?(へへっ!)

Anyway、とにかく、名脇役です。ほとんど、主役はやっておられないと思います。オトコマエでしょ?そうそ!

この前まで土曜日夜7時半からNHKの時代劇「オトコマエⅡ」で「仙人」と言う役で出てらっしゃいました。さすがに今は68歳と言うそのお年齢なりのご容貌になられましたが、この時のジーンズ姿が、本当に素敵だったんですよ。


ある映画と言うのは、1988年公開、日本映画「華の乱」と言う映画でした。
監督:深作欣司。主演:吉永小百合という超豪華キャストぞろいの映画です。
吉永小百合さんは、与謝野晶子を演じられました。
ご主人役の与謝野鉄幹は故・緒方拳が。
そして、恋人役でもあり、作家の有島武郎(ありしま たけお)には、やはり故・松田優作が出演

これがどんなに豪華な映画か、おわかりになるかなあ~?
内容も濃いです。与謝野晶子のたくましく、そしてもろさも重ね持つ彼女の一生を見事に描いています。
与謝野晶子は10人子供を産んでるんですよね。
それだけでも凄い女性!そして、あんなに素晴らしい短歌を生み出したなんて・・・。
まあ、それは置いておきましょうかね。

石橋蓮司さんはその中で、松坂慶子演じる松井須磨子が、恋人であり日本の演劇の草分けである島村抱月の追悼パーティーで、ダンスを踊ってらっしゃる、脇役でした。
名前も顔も知らない石橋さんに、物凄くひかれました。
それから・・・雑誌の記事を読み、奥様が「蓮司は私の個性を良く知っていて、私が出たい作品にしか出ないのを許してくれる。生活は蓮司がテレビや映画に出て食べさせてくれてるんです」というのを読んで、「わー男っぷりの良い人」と憧れましたね。当時は。

いや、今も、憧れてるかなぁ。
現役で今も名脇役を勤められる石橋蓮司さん。
そう、主役はなさらない。
脇役なんです。
脇役に徹する難しさって、どんなだろう?って思います。
でも、主役を生かすには
名脇役が要るんですよね。
石橋蓮司。
そう、彼はまさに、その名脇役だと私は思います。
大好きです。

あーやっとこのブログをかけて良かった。

今日も、朝からばたばたでした。

歯医者行って、お年始のご挨拶のお客様をお迎えして・・・と。

毎日ぐったりです。

今日は、英会話も聞けなかったので、夜の放送で練習します。

私も、「おかれたところでベストを尽くす女」になりたいから!

今日の聖句のように、これからも感謝を数え、祈って夜をすごします。

今日の食事当番の弟から「ご飯だよ」と声がかかりました。

ありがたいです。

行って頂いてきまーす!

またね


追伸:明日、亡き父の命日です。亡くなって21年目。
21年目になって、こうして穏やかに書けるようになりました。
父は、21年前の明日、朝一緒にご飯を食べて、お昼には遺体で、私の前にいました。
看取ったのは母と姉に当たる伯母のみ。私も弟も間に合いませんでした。
父の母(祖母)は、「息子の葬式など出ない」と言い、その二年後に亡くなりました。
半狂乱で泣いている母の代わりに、遺体解剖同意書に私がサインをしました。
涙も、大学病院から戻るまで出ませんでした。
明日、母はその父の墓前に、心を込めてお膳をあげると言っています。
父は、永遠に54歳のままだけど、きっと喜んでいると思います。
「ああ、落ち着いて暮らしてるか?」と言って。
ユーモア溢れる、そして、一本芯のしっかり通った父でした。
私は父と母の娘であることを誇りに思います。感謝いたします。

穏やかな一日

2010年01月07日 | 日記
そこでイエスは一同を呼びよせて言われた。あなたがたも知っているように、異邦人の中では、支配者と言われている人々が民を支配し、偉い人が権力を振るっている。しかし、あなたがたの間ではそうではない。あなたがたの中で一番偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、、一番上になりたいものは、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。

新約聖書:マルコによる福音書10章42節~45節



今日の嬉しかったこと

①私の好きな臨済宗のお坊さんで「玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)」という方がいらっしゃるのですが、朝NHKで、初めてその方が話している姿を見ました。
この方は作家とお坊さんを兼業していらっしゃるらしいのですが、この夏、この方の小説で「アブラクサスの祭り」という映画が上映されるらしい。→http://www.aburakusasu.com/玄侑さんがテレビでおっしゃってたけど、アブラクサスっていうのはギリシャの神さまの名前なんだって。で、祭りは「非日常」。この方の人生を描いた映画みたいで、お寺に産まれたんだけど、坊さんになるのが嫌でいろんな仕事をして(映画では途中、坊主姿の若者がガンガンロックギターをかき鳴らすシーンが出たけど、多分それが玄侑さんの若かりし頃なのかなと思いながら見てた)、26歳で作家か僧侶になろうと決めたんだって。だけど、どっちにしたら良いか決められなくて、ある哲学者の方に相談したら「どっちもやったら良い」って言われて、すうっとした。って仰ってた。「そういう風な『どちらもやる』って言う選択肢が私には無かったんです。そして、迷っている時には、どんどん何でもやったら良いですね。そうして発散しないとわからないから・・・」のような類の言葉を仰っていた。初めてテレビでお姿を拝見したんだけど、凄い良い感じ。声も素敵だった。この方福島県出身で、慶応大学で中国文学を専攻したんだって。ちょっと親近感。実は私、この玄侑宗久さんと、カトリックのシスターの鈴木秀子さんの対談本「仏教・キリスト教 死に方・生き方 (講談社+α新書)」880円、今読んでんのよ。だから、そっから見たの。私の家は曹洞宗で、臨済宗と同じ禅宗だからそれも嬉しかったし、鈴木秀子さんの本は、今通ってる精神科のドクターに薦められて読むようになったんだ。この本は面白いし、とっつきやすく、深いです。ちょうど読んでたところに、玄侑宗久さんご本人が出られたから、とっても嬉しかったなあ

②昼寝した。
昨日きつかったからね。今朝起きて、ご飯食べて、お皿洗いして、ディボーションして、布団に入って寝た。今日もいろいろ計画立てたけど、「必ず~しなくちゃならない」って思うのを止めた。その方が不安もあるけど、結果は良いみたいだよ。

③アニメ「私のあしながおじさん」を見て、スタジオパークで余貴美子さんを見ながら、バジリコチーズパスタを食べた。

昼寝から起きたら12時半!「やった!スタジオパークの余貴美子さん見られる~!んでも腹へった~!なんか食べよう~」と思って、まず朝の残りのりんごを3つ食べた。NHK朝ドラの「カメ」を見ながらスタパの時間まで待ってるか~!と思い、たまたまBSにチャンネル切り替えたら、アニメ「私のあしながおじさん」をやってた。ちょうど1時までだったので、見ちゃった。多分、これ昔の「カルピス劇場」ぽかったなあ。主人公のジュディの声はアニメソング歌手の「堀江美都子さん」で、今日のストーリーは、ジュディがあしながおじさんに手紙を書いても全く返事をもらえず、いじけてしまい(わかるわかる)とうとうおたふく風邪にかかって、閉鎖病棟に入院したところに、初めておじさんからバラの花束と手紙が届くところだった。ここは原作を読んでも、じ~んと来るもんね。子供向けにこういう良い話がアニメ化されるのはとてもよいと思います。ちなみに私は「続・あしながおじさん」(原題 Dear Enemy=「敵さん」)の方がストーリーは深くて好きだけど。初めて「あしながおじさん」を読んだ時のこと思い出して面白かった。
スタパの余貴美子(よ きみこ)さんは、意外なことに沖縄出身ではなく、神奈川県ご出身だった。お父様が中国人で、台湾が故郷だった様子。中国の血が入ってる方や、戦前日本人でも、旧満州や朝鮮に住んでた方(作家・有吉佐和子氏や、五木寛之氏など)は、どこかスケールが大きくて、私は好き。人とのつながりをとても大事になさってると伺い、納得。
人とのご縁はお金では買えないからね。
今日のお昼は画像のバジリコチーズパスタ。(パスタはスパゲティだよ~ん)
今日は昼寝したから、オリーブオイルは抜いて、茹で汁であえてみました。
日本の素うどんの感覚で。ちょっと物足りなかったけど、結構いけた。
バジリコチーズパスタは私のレシピに入ったみたい。やっぱりオリーブオイルは入った方が美味しいし、腹持ちもします。そのときの体調に応じて、臨機応変にです


④今日は、どこにも行かなかった。

たまにはお家でゆっくりも必要ですな。
英会話は聴きました。遠山顕先生のNHKラジオ英会話が、一番今の私にはあってるみたい。その前の時間が中国語なので、今日テキスト無しで聴いてみた!わかる単語もあったよう~!嬉しかったデス。英語中国語のバイリンガル目指してがんばるぞ~!

⑤聖句が今日も書けた。
一応・・・・「クリスチャンブログ」と銘打ってるので・・・・・・・やっぱ、毎日あれ食ったこれ食っただけじゃ、ちっと格好つかんでっしょ!?って思うのよね~。
パソコンの脇には、もう、崩壊してページばらばらの小型の新共同訳聖書が投げだされている。マルコによる福音書から真っ二つに裂けて、見るも痛々しいんだけど、どうしても捨てる気持ちになれない。だから、使ってます。

今日のまっぷたつに裂けたところから、上の御言葉が目に入ったので、書かせていただきました。

最後が一番なんだか、じーんと心にささったよ。

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

誰も、この世に生まれるのは、死ぬために産まれてくるわけじゃないべした?

でも、父ちゃんだけは、そうなんだよな・・・。

珍しく、しんみり読んだシズコでした。

どれ、今日のご飯の支度行って来ます。今日は七草粥の予定が、七草売り切れで、いきなり「鶏のから揚げ」になったと母!ええええっ!それちょっとキツイかも!?と言ったら「んじゃ、鶏雑炊にすっか?」との母の返事。
ほっとしたところに弟帰宅。「え?おれ、から揚げでも良かったのにな~

ひゃ~ん!皆食事には、こだわるからな~我が家は

と言うことで、鶏雑炊も、ちょこっと揚げ物も添えて、今晩の我が家の夕食です。
みんなで楽しく食べられるのが、一番幸せ


またね!

再見!

産みの苦しみ

2010年01月06日 | 
私だけの言葉が出ない
だから今、苦しい
既製品でも
もの真似でもない
紛い物でも良いから
「私だけ」の
私だけの言葉が欲しい

「東北の雪は祝福として降る
はかなく消えてしまう雪ではない
押さえきれない感情が溢れ出す様に降る」

あなたは書いた
酒田市の詩人、吉野弘氏
今日の降り付ける雪を見るとあなたの言葉を思い出す
あなたのような、あなたにしか書けない言葉を
私も産み出したい
私だけが絞りせる産みの苦しみの言葉を
私は神さま
あなたにだけ音の無い声で届けたい
あなたがいる
怒りのように吐き出す空に向かって
私は叫んで届けたい
あなたにしか聴こえない
「しん」とした この
雪の日の寒さのような厳しい峻烈な言葉で

主よ!

言葉の大切さ

2010年01月06日 | 日記
彼は言った
「私は、預言者イザヤが言ったように
『主の道をまっすぐにせよ』と
荒野で叫んでいる者の声です。」
新約聖書:ヨハネの福音書1章23節(新改訳)

ヨハネは預言者イザヤの言葉を用いていった。
「わたしは荒の野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と」
新約聖書:ヨハネによる福音書1章23節(新共同訳)


今、岡先生好美先生ご夫妻は、故郷の九州にお帰りです。
(今年、岡先生のお父様が天に召されたからね・・・)
で、プレイズタイム(南部教会美畑町チャペルで、火曜日、木曜日、金曜日の朝9時~10時まで開かれる聖書を読んで、各自今、感謝してることと、お祈りしてほしいことを出し合って祈る会のことです。誰でも(ノンクリスチャンの方でも、初めての方でも)突然いらしても「大歓迎!」なので、「礼拝はちょっと長くてやんだな~(=嫌だわ~)」と言う方は、ぜひどうぞ

それも「こっぱずかしくて(=恥ずかしくて)嫌だわ~ん」と言う方は、早天祈祷会(これは!朝早いよっ!朝6時半からだいたい・・・7時半ちょっとすぎくらいかな?これは場所注意してくださいね~火曜日、木曜日、金曜日の朝が松波チャペルで、土曜日だけが美畑町チャペルで開かれてまっしゅ)にぜひ「ござって」(=いらして)ください。

ほだな、早いのさな、行がんねっ!(=そんなに、早いのには、行けないわっ!)と言う方は、本当に、教会の前を通っていただいて、人の気配がしたら、「ちょっと寄って見たんだけど・・・」って声かけてみてください。誰か彼かいたら、お茶の一杯くらいはお出ししたいです。んでも、今週の金曜日までは、誰もいねがら(=いないから)ごめんな~。

と言うわけで、いつもプレイズタイムでやってる、ディボーション(=「霊想」というらしい、やってることは、同じ。その日の聖書箇所読んで「神様、今日は何言うたいのかな?」と神様さ聞いて、「今日はこれこれよろしくお願いします」とお祈りして、最後に「主の祈り」(天にまします我らの父よ~」で始まる祈りのこと)を唱えて終わり)を、自宅の茶の間でしました。

その時にね、さっき、その日の聖書箇所って言ったって「どこなんだよ?」って思う方居ると思うんだ。それってね、そー言うテキストがあんのよ。いろいろさまざま、人間いろいろ島倉千代子みたいに。
私たち南部教会員は今のところ、「リビングライフ」って言うテキスト使ってる人が多いです。ほかにも「アパルーム」とかいらっしゃいます。

その、リビングライフは、韓国系のテキストなんだ。
結構、バリバリ!「今日もクリスチャンライフがんばりまっしょい!」っていう感じだし、聖書の言葉も書いてあるし助かるんだけど、私が使ってる新共同訳と違って、一番広く使われてるらしい「新改訳」ていうの書いてあるし・・・・わたしゃ、しょーじき、疲れた時は・・・ひく時があるのよね~

で、今日の聖書箇所がに書いたところ。バプテスマのヨハネのとこだったのよ。

あたし、しょーじき、この「バプテスマのヨハネ」って、ちょっと怪しい人だと思ってたし、あんまり好きじゃなかったんだ。だってさ、聖書読むと(聖書持ってる人は、新約聖書のマタイの福音書の3章1節を見てね~ん)、荒野(あらの、あれの、こうや・・・いろんな読み方がありますな。。。)で、らくだの毛衣・・・すでにこの衣装って何だよって感じだし・・・・・・・蜂蜜とイナゴだけ食べて生活してる「おっさん」・・って、なんだか怪しいな~。んでもって、
「悔い改めよ。天の国は近づいた!」なんて、言ってるおじさんがいたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・申し訳ないが、あたしゃー逃げますって感じだったのよ。


でも!

ちょっと、今日のリビングライフの聖書の箇所読んだら、ちょっとだけだけど、「良い人かも?」って思ったの。

この人、すごい偉い人なんだよね?

んでも、「わたしは、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐに整えよ』といっている声です。」って言ってるのよ。これ、しょーじき凄いと思った。
だって、この人立派な人間じゃん?それがよ?
「わたしは・・・・声です」って。
これって、イエス様の声にすぎないんだ。俺はえらくなんかないんだよ。って言ってることだよね?
私が正直、このバプテスマのヨハネだったら、「言えんな~」とマジで思っちゃいました。
だって、「声」だよ~。
「人間ジャン?しかも、偉いんじゃん?あんたさあ~」って
ヨハネに声かけたくなっちゃった

これ、新改訳(しんかいやく)の聖書で読んだからなんだなって思えました。
二つを読み比べてみると、全く違うよね。
この、言葉って、本当に大事だと思いました。
二つの聖書読み比べるだけでも、全然印象が違うもん。
これ、また「口語訳(=こうごやく)」や「文語訳(=ぶんごやく)」私の大好きな「ケセン語訳(=岩手県気仙沼方面の言葉で、カトリック信者でドクターである
山浦玄嗣氏訳、イーピックス出版より」→http://www.epix.co.jp/ぜ~んぶ印象が違うよ。

だから、言葉って大切だ、と思う。

私が毎朝起きるとすぐ読めるように、枕元に置いて読んでいる聖書の言葉が書いてある本は「幸せな朝」ハ・ヨンジョ著(ツラノ出版)「主の道を行かせてください」エミー・カーマイケル(いのちのことば社出版)です。
特に、後者の、エミーカーマイケルと言う人は凄いと思う。
毎朝引用する聖句を、いろんなご自分の聖書から引用して書いてくれてます。「70人訳なんていうのもあるんだね・・・さっぱりわからんが・・・)とにかくその聖書によって、みんな言葉の翻訳の仕方が違うから、味わい深いです。

たかが言葉とあなどるなかれ・・・だと思う。

私が、イエス様を「父ちゃん」って呼べるようになったのも、先ほど書いた、ケセン語の「ヨハネぁたより(=ケセン語での「ヨハネによる福音書」)のCD聴いてからだもん・・・・・・・・。
それまでは、イエス様が大工で、父ちゃんだなんて、思えなかったよ。

だって大工さんの口調じゃないジャン?聖書って。
ガリラヤ(イエス様が生まれた地名)なまりもあるんだって言われたって、どんななまりかわかんないしさ・・・。

イエス父ちゃんが山形さ、来たら、今日の聖句ば、なんて言うべ?
あたしは、元の聖書のギリシア語(新約聖書の原典はギリシア語だそうです。間違ってたら教えてね。)知らないから、日本語からの推定だけど(だから、これがホントの山形弁訳だなんて、思わねでな。)

・・・・多分、こだなごど言うのんねがい?(=多分、こんなこと言うんじゃないかなあ?)
以下は、日本語から推定した、シズコ訳!

「おれはよ~、何一つ偉いどごな、無いんだず。俺はただの『声』なんだ。神さまの言葉ば大事にして俺ださ伝えでけだ、イザヤって言うお方が語ったみだいによ~『神様の言うごとよっくど聞いて、神さまの喜ぶように生きっべ~』って何にもねぇ~だだっぴろいどごで、でっかい声出しった神さまの『声』、それっぱりの者(もん)なんだず」

「主の道」・・・・ってさ、私は今日読んで思ったんだげっど、クリスチャン用語で言えば神さまの御心(みこころ)、つまりぃ~神さまがあたしたち人間さ「こういう風にして生ぎろな」って言ってることじゃないかって思った。そして「荒野の道をまっすぐにせよ」っちゅーのは、今の神さまば悲しませるような自分勝手な生き方やめて、神さまの言うごと聞いて、全部皆、お前だは、違う人間なんだがら、よっく神さまの言うごとば聞いて、お前らしく生きろな」って言ってる気がしたんだっけ。

アーーーーーーーくたびったぁ・・・・。

今日のご飯当番は、弟だから、ちょっくら布団さ入って寝ます。

父ちゃん、ちっとだけ、バプテスマのヨハネ、好きなったちゃー
今日作った、「たまにはイナゴと蜂蜜ばっかりかねで、バジリコチーズ豆のスパゲティ食べねが?」って、言ってもいいがなって思ったズ。

このバジリコチーズスパゲティは、おせちの応用!使いまわしよん
数の子豆あっべした?その豆ばっかり取って、茹でたスパゲティをオリーブオイルでじゃじゃじゃっ!てあえて、ほいづさ、缶さ入ったバジリコと粉チーズ、ばばばってかけて、最後に豆ばのっけだの。
けっこう、美味そうに、見えねがな~?

ほんじゃ、オヤスミ~

ジンヒッシの安産をお祈りください。

私も祈って送信して・・・寝ます。

追伸:結局、今日は寝られなかったよぅ~疲れたよぅ~。
弟が帰ってきたので、早速彼が作ってくれたキムチチゲ鍋を食べました。(何度も言うけど我が家は食事は当番制)

寒い夜はあったかい食事が一番じゃ!
そして、あったかーい風呂。ううううっ!

ちゃちゃっと髪洗って、ゆたら~んと入って、寝るぞ~。

オヤスミナサイ