Jesus loves you

イエス・キリストを通して知る神様の愛についてのシェアリング

「あなたを困らせる人とどう付き合うか」3

2018-03-30 11:19:25 | Weblog
KEEPING THE CRAZYMAKERS FROM MAKING YOU CRAZY
by Rick Warren
http://pastorrick.com/listen 2018.3.20-22

「あなたを困らせる人とどう付き合うか」3


他人を困らせる人たちへの対処法 ~続き


(5) I refuge to cave in. 屈服しない。

困らせる人たちの言いなりにならないこと。
他人を困らせる人たちが、あなたの人生を支配しないように、させないようにする。

それは自分を愛することではないし、神様を愛することでもないし、彼らをも愛することではない。

Love is not allowing people to manipulate you.
人を愛することは、その人の言いなりになることを許さないこと。その支配に屈服しないこと。

クリスチャンが陥りやすいこと・・・
他人を困らせる人たちの望むままになることがクリスチャンとして正しい対応の仕方だと思う・・・
喜んで、玄関マット(汚れ拭きマット)になるべきだと思う・・・

人を赦すことと信頼することは別
赦しは恵みにより即座に行うものだが、信頼を得るのには努力と時間を必要とする。

たとえば、家庭内暴力をふるう夫はすぐにでも家から追い出すべき。しかし彼が謝るために来てドアの前に立ち、赦しを願ったのなら、妻は即座に赦すべき。じゃあ、”家の中に入れてくれ”と言われても彼を入れてはいけない。彼が信頼を得るためにはもっと時間が必要だからだ。

Meek is a strength under control. 柔和は抑制できる強さである。
Meek and weak is a two-different thing. 柔和と弱さとは全く別のもの。
調教された馬のことをmeekと呼ぶ。その馬は弱いわけではない。その強さを主人のために用いられるように調教された。
柔和な人は、強い者だが、主人の支配下にいる。

2コリント11:20「実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。」

パウロがガラテヤ信徒への手紙を書いた理由は、他の人からの要請や意見によってプレッシャーを受けたり、支配されたり、操作されたりしないようにと言うため。
ガラテヤの人々は他人の圧力によって玄関マットになっていた。
パウロが去った後、ファリサイ派によって規律を厳しく守るようにされていた。
ガラテヤの人々は律法的になっていた。

あなたたちは、キリストによって死の恐怖から自由になった。
過去の痛み、傷、罪の呵責から自由になった。
そして、人々からの要望や意見からも自由になった。
それなのに他人の思わくに合わせて生きている。

“Do not allow what you consider good to be spoken of as evil.” ROM, 14:16
「ですから、あなたがたにとって良いことがそしりの種にならないようにしなさい。」(ローマ14:16)

“We have freedom now, because Christ made us free. So stand strong. Do not change and go back into the slavery of the law.” GAL. 5:1 (NCV)
「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」(ガラテヤ5:1)

“The disciples came to Jesus and asked, ‘Do you realize you offended the Pharisees by what you just said?’ Jesus replied, ‘Every plant not planted by my Father will be rooted up, so ignore them!’” MATT. 15:12-14 (NLT)
「そのとき、弟子たちが近寄って来て、『ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、つまずいたのをご存知ですか』と言った。イエスはお答えになった。『・・・そのままにしておきなさい。』」(マタイ15:12, 14)


(6)Always take the hight ground. いつも高みにいる神様を見る

あなたを困らせる人たちに対応するときは、いつも高いところにいる神様の真理を選び、愛をもって反応しなさい。
彼らがどうであれ、正しいことを選びなさい。

侮辱する ← 優しさをもって応対する
愛のない態度をとる ← 愛深い態度で応対する
不快な態度をとる ← 赦す
意地悪な態度をする ← 良い態度で応対する

彼らがあなたのことをどう思うか、それはあなたが操作できるものではない。
あなたに対して他の人が何を言うのか、何をするのかを支配できない。

しかし、自分がどう反応するかは100%支配できる。自分で選べる。

優しく、親切に愛をもって反応すれば、神様を喜ばすことができる

Ask God to bless those who persecute you—yes, ask him to bless, not to curse.” ROM. 12:14 (TEV)
「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」(ローマ12:14)

「迫害する者」とは、あなたを困らせる、傷つける、攻撃する、圧力をかける、厳しくする、意地悪をする、裁く、馬鹿にする、すぐに怒る、勇気をくじくというような人たちのこと。
そういう人たちに祝福があるようにと祈るのであって、呪ってはいけません。
これが本当の愛です。

“If someone has done you wrong, do not repay him with a wrong. Try to do what everyone considers to be good. Do everything possible on your part to live in peace with everybody.” ROM. 12:17-18 (TEV)
「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」(ローマ12:17-18)

“Do not be overcome by evil, but overcome evil with good.” ROM. 12:21
「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(ローマ12:21)

“When a man’s ways are pleasing to the Lord, He makes even his enemies live at peace with him.” PROV. 16:7
「主に喜ばれる道を歩む人を 主は敵と和解させてくださる。」(箴言16:7)

以上



「あなたを困らせる人とどう付き合うか」2

2018-03-29 13:44:25 | Weblog
KEEPING THE CRAZYMAKERS FROM MAKING YOU CRAZY
by Rick Warren
http://pastorrick.com/listen 2018.3.20-22

「あなたを困らせる人とどう付き合うか」2



他人を困らせる人たちへの対処法 ~続き

(2)You don't waite for an apology before you forgive them. 自分から先に赦す。

相手が謝れば赦すのではなく、自分から先に赦す。
自分は神様から赦されたのだから。

他人を困らせる人たちはたいてい、自分の内にある痛みや傷を自覚できていない。
“Jesus said, ‘Father, forgive them, for they do not know what they are doing.’” LUKE 23:34
「そのとき、イエスは言われた『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』」(ルカ23:34)

“You must make allowance for each other’s faults and forgive the person who offends you. Remember, the Lord forgave you, so you must forgive others.” COL. 3:13 (NLT)
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」(コロサイ3:13)

(3)Refuge to gossip about them. 彼らの陰口を言わない。

あなたが彼らの陰口を言い始めてしまったら、彼らが勝ってしまう。
陰口はとても人の気を散らせるもの。教会、家族、仕事、人生、友人を引き裂く。

“Disregarding another person’s faults preserves love; but gossiping about them separates close friends.” PR. 17:9 (NLT) (他の人の欠点を無視する人は愛を守る、しかし人の陰口を言う者は親しい友との友情を引き裂く)
「愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く。」(新共同訳)(箴言17:9)

“Do not do wrong to repay a wrong, and do not insult to repay an insult. But repay with a blessing, because you yourselves were called to do this so that you might receive a blessing.” 1 PETER 3:9 (NCV)
「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(1ペトロ3:9)

(4)I refuge to play their games. 彼らに翻弄されないようにする。

他人を困らせる人たちは、論争好き、議論好きである。何故なら、あなたの注意をひきたいから。

こんなことを思ってしまうところに、罠がある。”彼らの態度がいかに困るものなのかを、もし私が論理的にはっきりと説明できるのなら、彼らは分かってくれる。”

しかし、彼らは相手の身になって考えることや、歩み寄ることをしないので、効き目がない。

だから、イエスの態度から学ぶ。

イエスは決して、ファリサイ派の罠にはまらなかった。
“The Pharisees plotted a way to trap him into saying something damaging… Jesus knew they were up to no good. He said, ‘Why are you playing these games with me? Why are you trying to trap me?’” MATT. 22:15,18-19 (MSG)
「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。・・・イエスは彼らの悪事に気づいて言われた。『偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。』」(マタイ22:15, 18)

ピラトの質問に何も答えなかった。(マタイ27:11-14)

あなたは悪い人だと信じたいと思う人は、あなたの悪いところを探す。
あなたへの偏見が正当であるという理由を探す。多分に感情的な判断を下す。
だから、そのようなことに対して落ち着いて対処すること。
彼らの罠にはまってはならない。
罠にはまって時間を無駄遣いしないようにすること。

パウロも悪賢くならなかった。
“We reject all shameful and underhanded methods. We do not try to trick anyone, and we do not distort the word of God. We tell the truth before God, and all who are honest know that.” 2 COR. 4:2 (NLT)
「かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。」(2コリント4:2)

他人を困らせる人たちは、あなたの注目をあびるために論争をふっかける。

誰もが愛されたいというニーズがある。承認欲求がある。
でも、承認を得られないとなると、注意を引こうとする。そして変わった行動をする。
ネットに書き込みをして、ひっかけようとする。
でも、決して引っかかってはいけない。

だから、論争に入らない、議論しないでそこから立ち去ること。
論争は論争相手がいないと成立しないから。

“Just as charcoal and wood keep a fire going, a quarrelsome person keeps an argument going.” PROV. 26:21 (NCV)
「炎には炭、火には木 争いを燃え上がらせるのはいさかい好きな者。」(箴言26:21)

喧嘩好きな人、周りと協調しない人は、仕事場、企業、会社、ビジネスにおいての生産性を下げてしまう。
あなたが経営者なら、そういう従業員はすぐにでもクビにすべき。
そうでないと、伝染してしまう。

他の従業員のために平和な環境が必要。
「不遜な者を追い出せば、いさかいも去る。争いも嘲笑もやむ。」(箴言22:10)

二度注意しても、教会で問題を起こす人には他の教会へ行くように薦める。
「分裂を引き起こす人には、一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい。」(テトス3:10)

続く






あなたを困らせる人たちとどう付き合うか

2018-03-28 13:45:00 | Weblog
リック・ウォーレン牧師のレッスンを翻訳しました

KEEPING THE CRAZYMAKERS FROM MAKING YOU CRAZY
by Rick Warren
http://pastorrick.com/listen 2018.3.20-22

「あなたを困らせる人とどう付き合うか」

他人を困らせる人たち、6つのタイプ

1.要求が多い人(小専制君主) Demanding crazy maker / little dictators
  厳しい、きつい、注文が多い人

2.批判的な人(小うるさい人) Disapproving crazy maker / knit pickers
  常に否定的、いつも批判する、なんでも反対する、手厳しい
  一方的な判断を下す(jedgemental)
  完璧主義、いつも不満、満足しない
  人の間違いを指摘するのが好き
  何をしても喜ばない、不服

3.大声で話し続ける人(拡声器) Deafending crazy maker / megaphones
  耳をつんざくような大声で話し続けて、相手が参るまでやめない
  論争好き、主張するのが好き

4.破壊的な人(火山) Discontented crazy maker / volcanos
  否定的、破壊的、相手を傷つける
  爆発しそうになったら周りは避難する

5.いつも不満な人(嘆きん坊) Destructive crazy maker / cry babies
  すぐに不機嫌になる
  自分の不幸を嘆いている、毎日が「慰め会」(pitty party)

6.ああ言えばこう言う人(口達者) Demeaning crazy maker / smartmouth, babble busters
  人を馬鹿にする、侮辱する、皮肉る、意地悪
  人の夢をくじく(babble busters)
  
"他人を困らせる人たちへの対処法

(1)Refuse to offended = I don't take it personally
   気にしない(自分に言われていると思わない)

他人を困らせる人たちの態度に対して、気分を害さない、腹を立てない、自分のことと思わないこと

その人が無礼なことを言うのは、あなたに対して言っているのではない
彼ら自身の内にある無礼さ、意地悪さを表現しているだけ
それは、”彼らの問題であって、あなたのことではない”ということを覚えておこう。

私たちはいろいろなことに対して腹ただしく思う。
個人的なことだけではなく、世の中で起こっている嫌なことについても
しかし、人間関係においては、神様は私たちに極力腹をたてないようにと求めている。
そのためには、感情的な成熟と霊的な成長が必要。

あなたに失礼なことをする人や誤解をする人に対して、あなたがどう接するかが大事です。

あなたを傷つけようとする人やあなたを支配しようとする人、不機嫌な人などに対して、
感情的にも霊的にも成熟した反応をすることです。


”やられたら、やり返す”、ではない

神様に願うべきは、「私に優しい心と、分厚い皮膚をください。」

では、ひどい相手に対して、どのようにしたら腹をたてずにすむでしょうか?

彼らは”他人を困らせる人たち”であるのだから、できる限り無視する

箴言12:16、賢い人は軽蔑されても無視できるが、愚かな人はすぐに反応してしまう
“When a fool is annoyed, he quickly lets it be known. Wise people will ignore an insult.” PROV. 12:16 (TEV)
「無知な者は怒ってたちまち知れ渡る。思慮深い人は、軽蔑されても隠している」(箴言12:16)

”他人を困らせる人たち”の態度の裏にあるものを見る
・・・彼らの内にある痛みや傷を見る

傷ついている人は、他人を傷つける

彼らの内には、恐れ、心配、不安、傷ついた過去、痛い経験、プレッシャーやストレスなど
見えないもの(他人には見せないもの)がある

彼らの態度に気を取られるのではなく、私たちには見えない彼らの痛みとその原因について考えてみる

その人の事情や過去を知れば知るほど、神様の恵みを相手に表すことができる
すぐに怒ることがなくなる

箴言19:11 忍耐と赦しをもって、大目に見る
“A man’s wisdom gives him patience; it is to his glory to overlook an offense.” PROV. 19:11
「成功する人は忍耐する人。背きを赦すことは人に輝きをそえる。」(箴言19:11)

本当の愛とは、神様の愛
“Love overlooks the wrongs that others do.” PR. 10:12 (CEV)
「愛はすべての罪を覆う。」(箴言10:12後半)
他人の態度に怒らないのなら、神様の愛が表れていること
成熟した愛の現れ

自分を傷つける人、攻撃する人、意地悪な人、邪魔をする人、態度が悪い人、うるさい人などに対して
すぐに怒ることを拒むことができる人の愛は成熟している。

自分の中に神様の愛がたくさんあればあるほど、相手がどんな態度に出ようとも怒ることが少なくなる



続く












あなたは仕事に押しつぶされていませんか?

2018-02-26 14:03:27 | Weblog
DT CONNECT
Is Your Workload Overwhelming?「あなたは仕事に押しつぶされていませんか?」
By Shawn Sommerkamp 2017.9.18
https://www.mydtconnect.org/is-your-workload-overwhelming
*以下は上記の英文記事を意訳したものです。

毎日12時間以上、終わることのない仕事を終わらせようと果てしなく努力している方にこの記事を読んでいただければと思います。

あなたは仕事しすぎではありませんか? どうしようもないほどの仕事量だと感じて、毎日、途方に暮れていませんか?

マタイ6:33-34「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

あなたは生活のために朝から晩まで忙しく働いている人でしょうか。それとも、自分は完璧に仕事と生活のバランスがとれていると思ってますか。どちらの方でも、自分が仕事に与えた時間は、余ることなく、すべて仕事に使われてしまうことは確かです。

時間はぜんぜん余らないのです。気体を容器に入れていくと、容器がいっぱいになるまで入っていくように、あなたが仕事に犠牲を払おうと思った時間は、すべて仕事に使い切られてしまいます。

仕事はそれほど貪欲に時間を使いきろうとします。仕事の欲望はあなたの自由を奪うものです。

時間を自分だけのものにしようとして、口に放りこもうとしても、その前に素早く、仕事の欲望がその時間を噛み砕き、飲み込んでしまいます。

お腹を空かせた動物があなたの目の前に座って、 "もっと時間を食べさせて"と懇願しているようなものです。

昇進のはしごを登って行けば行くほど、会社からの要求の声は大きくなり、もっと強く押し付けてきます。

つぎのコンセプト(概念)は、とても単純すぎて、私たちはこのコンセプトが持つ意味の力強さがよく分かりません。
「私たちが仕事をコントロールしているのであって、仕事が私たちをコントロールしているのではありません。」

あなたがこのコンセプトを真実だと信じて生きてくなら、「健康で幸せで持続可能な人生のバランス」に到達できることでしょう。 どうですか?あなたは信じますか?

あなたが会社から要求されている仕事量を自分でこなしきれていない、管理できていないと思うなら、あなたは「DiSC人格判断」"DiSC Personality Profile"の "S"(Submissive)(服従)または "C"(Compliant)(言いなり)と診断されます。

それは単に、”自分は環境や状況よりも強くないと感じる”性格を持っていることを意味します。

そして確かにあなたは仕事に無限の時間を費やす傾向があり、時々、自分にはとうてい終わらせることができないものだと感じてしまいます。

コヘレト4:4「人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これもまた空しく、風を追うようなことだ。」

私はこの聖句から、あなたはキリストの弟子にしては”羨望の思いが強すぎる”のではないですかと言いたいのではありません。 しかし、あなたが何時間も働いているのは何か潜在的な理由があるかもしれないと考えてくださいとお願いしたいのです。

自分の心を良く探るのは価値のあることです。

以下の質問をいつも自分自身に尋ねるようにしてください。

* もし私がこの作業を明日に持ち越したら、どうなるか?
* 私が代わりにこの仕事をすることで、誰が恩恵を受けるだろうか?
* これほどの時間、自分が働くことに対して、自分の存在価値は見合っているのだろうか?
* 翌日の仕事にかける時間を減らすために、今日の自分は何ができるだろうか?


私たちは旅を続けています。 そして、私たちは皆、主に出来る限りの栄光を返したいと思っています。

あなたの時間のことを考えてください、あなたの時間をどれくらい仕事に埋め込んでいるかを考えてください、そして自分の時間を取り戻すために何かをしてください。

これはあなたが考えているよりも簡単なことです。

WHEN YOU’VE COME UP EMPTY Part3

2018-02-15 17:30:53 | Weblog
WHEN YOU’VE COME UP EMPTY Part3
Paster Rick's Daily Hope 2018/2/6 podcast

大抵の人たちは、浅瀬で生きています。そこが安全だからです。浅瀬には大きな波がやってきませんし、あなたの舟が波に翻弄されることはありません。しかし、浅い人生を生きていくことにリスクはないように思えますが、実際は、最大のリスクがあるのです。永久の祝福をいただきそこねてしまうというリスクがあるからです。でも、私たちは浅い人生でいいのです。程よい大きさで安全で快適な領域の中にいたいのです。自分たちの計画を神様に祝福してもらいたい、成功をいただきたいけれども、イエスが自分の仕事を宣教の場所にすることは嫌なのです。

皆さんに教えたい秘密があります。あなたがこのような不況の人生にいる理由の一つは、神様があなたを無理やり沖に出すためです。神様はあなたたちをすごく愛しているので、あなたたちが浅いところで生きていくことをゆるさないからです。リスクをとって沖に舟を漕ぎだすよう強いているのです。

さて、意味が分からないのにイエスに従うことは、最も恐ろしいこと、最もリスクが高いこと、そして最も危険なことですが、同時に最もやりがいのある生き方でもあります。30年ほど前、神様は私に今住んでいるテキサスから南カリフォルニアへ移住してそこで教会を始めなさいといわれました。行ったこともない場所で、資金も教会員も、建物も、給与も、援助もなく、しかも私には牧師の経験もないのにです。失敗しそうな計画です。でも私はそのときに「お言葉ですから」とOKしたことが嬉しいです。もし私が断っていたのなら歴史はどれほど変わっていたことでしょうか。「いえいえ、私は牧師の器ではありません。教会開拓者タイプでもないです。」と言っていたのなら。

4番目にやることは、これです。「イエスが状況を変えてくれることに期待をする。」

この論理を聞いてください。 もし、イエスが一緒に漁に出ようとおっしゃって、あなたの舟にイエスが乗って来て、イエスが「ここに網をはりなさい」と指さしたとしたら、手ぶらで帰る結果になると思いますか? そんなことはないと思いませんか。

このとき(ルカ5:4)、ペトロは期待でいっぱいでした。これまでの恐れ、疲労、失敗からのフラストレーションが消えてなくなり、これはすごいことになると思ったことでしょう。イエスが舟に乗っていれば、何も恐れることはありません。沖に出していっても怖くありません。再びリスクを冒さなくてもいいのです。舟には神様が存在しており、心には神様の計画と約束があります。失敗する訳がないのです。

もし、神様がそうしなさいとおっしゃったことを、お言葉ですからとその通りにしたのなら、その人は信仰に満ちています。

1テサロニケ5:24「あなたがたをお招きになった方は、完全に頼りにできるお方です。もし神様がそうおっしゃるのなら、必ずそのとおりにしてくださいます。」(MSG)
神様は嘘をつくことができないお方です。

もし神様が自然の力さえも制御できるのなら、「ガリラヤ湖のすべての魚はこの場所にすぐ集まれ!」と命令すれば、すべての魚がここに泳いで来るのです。だから網をおろしなさい。自然をも支配している神様ですから、あなたに仕事を与えることがおできになります。神様はあなたの必要なものを与えることができます。神様はあなたの生活をささえてくれるのです。ですから、あなたは何事も神様の方法で行わなければなりません。長い時間かかったものでも、難しいものでも、行き詰ったことでも、神様が行うとなったら一晩で、10分間でもやってのけます。

では、漁師たちがイエスの言う通りに行った結果として何が起こったのでしょうか? 自分たちの失敗を認めてイエスの言う通りにした結果は? イエスに完全に主導権を渡したら、会社のために働くのでなく、イエスのために働くと決心したのなら、自分は伝道師、何よりも神様を一番に求めるとしたら、イエスが自分の舟にいるとしたら、何が起こるのでしょうか?

ルカ5:6-7「そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。」

抱えきれないほどの祝福をたくさんいただいたので、他の人たちと分け合うことができました。神様は祝福を受ける人を探しています。この不況下で神様の力を見せる人を探しています。あなたをお金持ちにするということではなく、この世界に、この方こそが神様だということを見せたいのです。この不況下に神様があなたの職場でこれをなさったんだということを人々に見せることで、あなたを祝福したいのです。そこで神様は栄光を表すのです。この時が奇跡が起こるときです。その人たちにとってこれが人生のターニングポイントとなります。神様はあなたのことをすごく祝福したいのです、そしてあなたが他の人たちに祝福を分け与える人となってもらいたいのです。

この出来事は漁師たちのターニングポイントでした。この奇跡は、お金の奇跡ではありません。人間についての奇跡です。人の所有物についてではなく、神様があなたの人生に対して抱いている目的についてです。たくさんの魚(お金)をためこむことではなく、神の国のことです。神様はこの漁師たちを招いて、100%イエスに従うようにしたかったのです。だから、漁師たちの仕事場で奇跡を起こしましたが、この人たちを成功したビジネスマンにするということではなく、この人たちの人生を100%神の国としたいので奇跡を起こしたのです。

イエスはあなたを人をとる漁師にしようと言いました。この世界を変える方法を教えよう、神様にもちいられて人生を変える方法を教えよう、会社を家庭を地域を変える方法を教えようといわれました。

注目していただきたいことは、イエスはプロの漁師たちを呼んで、あなたたちの仕事をここに置いて私に従いなさいといわれたことです。漁師たちは「すべてを捨ててイエスに従った」(ルカ5:11)とあります。彼らは大金になる魚を置いてイエスに従ったのです。何故なら彼らはみな祝福を受ける者よりも祝福を与える者の方に興味があったからです。あなたはどうでしょうか?

私たちは祝福を受けることの方に関心があります。でもこの漁師たちはこう思ったのです。もしイエスのそばにいるのなら、祝福を与える者になれると。自分はこの大漁を捨てていける、ストックオプションを捨てていける、すごい取引を捨てていける、なぜなら自分は祝福を与える方とともにいるからと考えたのです。

神様はある人たちを呼んでにこうおっしゃいます「網を置いて、イエスに従いなさい」。「仕事を捨ててフルタイムのクリスチャン・ミニストリーになりなさい」と。でも、自分は失業しているから、牧師になれと神様にいわれていると誤解しないでいただきたのです。神様はあなたの残り物が欲しいのではありません。他に何もすることがないから、イエスに従うということではありません。実際この漁師たちは大漁で大成功の最中に、仕事を捨てたのです。

あなたが意識している以上に神様はあなたを呼んでいます。快適なところから離れて、深いところへと舟を漕ぎだすようにと呼び掛けておられるのです。または、仕事を辞めなくてもいいけれども、あなたの職場をイエスの仕事場として提供しなさいと呼び掛けています。イエスはあなたの舟を使って、福音を伝えます。これからはこの仕事があなたの生活を支えるのではなく、イエスがささえます。あなたがこの4つのステップを踏めば、私はあなたを祝福します。だから、あなたのキャリアを仕事を私にください、そしてこれからはこのキャリアと仕事はイエスのものです。そしてあたなたは伝道者になります。大工の扮装をした伝道師、教師の扮装をした伝道師など何であれあなたの職業を使った伝道師になります。

また、イエスはこうおっしゃいます。「自分が一生懸命にやったことでも失敗するのだと認めなさい。ですから私がすでに言ったことに何でも従いなさい。たとえそれがやったことのないことだとしても、『お言葉ですから』と言ってやりなさい。私が船の上にいて、あなたに網をはる場所を教えます。私と一緒にいれば収穫があると約束します。」

神様が望んでいることをやる覚悟はできましたか?

祈り「夜通し働いたのに、私は一匹も魚をとれませんでした。でも私は網をすててあなたに従いたいです。最初に私の仕事とキャリアをあなたに捧げます。これはあなたの仕事とキャリアです。そして私はこの分野においてあなたの伝道師になります。わたしはあなたがいつでも私の人生に入ってこれるように、完璧に道をあけておきます。私の仕事、家庭、結婚、友達、預金などすべてあなたのものです。私の舟に乗ってください。すべてをささげます。私がやってもうまく行かないと認めます。時々私は高慢で、頑固で、恐怖で不安になります。だからあなたを信じる必要があるのです。あなたが私にやるようにと命令したことをまだやっていませんでした。お金がかかり過ぎる、時代遅れ、意味が分からないと言って先延ばしにし、やっていませんでした。でもお言葉ですから私は深いところへ漕ぎ出します。あなたを信じます。あなたが物事を変えてくださると期待します。すべてのものを捧げます。私は自分が祝福を受けることを気にしている人生よりも、祝福を与えるお方について行きます。イエスの御名によってお祈りします。」

ステップ
1)イエスを自分の舟に乗せる
2)自分で努力してもうまくいかないと認める
3)イエスが言うことなら何でも従う
4)イエスが状況を変えてくれることに期待をする


頑張っても結果が出ないときPart2

2018-02-09 16:54:46 | Weblog
WHEN YOU’VE COME UP EMPTY Part2
Paster Rick's Daily Hope 2018/2/5 podcast

私たちは、”神様、私を成功させてください、そうすればあなたに仕えます。”と思いがちです。でも、それは間違っています。まったく正反対です。”神様、私の仕事はうまく行ってません。でもあなたがこの仕事を用いてください。そうして私を成功させてください。”なのです。

マタイ6:33「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

私たちの優先順位を正しくしなければなりません。神様と神様の義を第一にするべきです。成功、満足、給料を第一にすべきではありません。

イエスをあなたの舟にのせなければなりません。そうすればイエスはあなたのニーズに応えてくださいます。

神様からの恵みをいただきたいのであれば、何事においても、神様を優先させてください。もっと時間が欲しいと思うのなら、毎朝の時間をまず神様に差し上げなければいけません。神様からの恵みを受けて毎週うまくやっていきたいのであれば、週の1日目を神様に差し上げなければいけません。お金の恵みをいただきたいのであれば、収入の10%を神様へ献金しなければないません。金額の多少にかかわらずです。私は3年間大学院に通っていた時、月給800ドルで家族を養っていましたが、それでも10%を必ず献金していました。私は神様の祝福が無ければやっていけなかったからです。

何につけてもその領域においてあなたが神様を一番にすれば、神様は祝福と恵みをお与えになります。

ですから、あなたの仕事場にイエスに来ていただき、”主よ、この職場をあなたの福音を広げるための場所として使ってください”と言えばいいのです。そうすれば、神様はあなたが必要なものをすべて与えてくださいます。

あなたはこう宣言してください、”私は神の国と神の義を一番に求める伝道者です”と。実際どうすればいいのかというと、”私は、不動産仲介者の扮装をした伝道者です。” ”私は、看護師の扮装をした伝道者です。” 子守、会計士、トラック運転手、社長、教師、掃除人、何をしているにしろ、”自分の仕事をイエスが福音を伝える場所として提供します”ということです。そうすれば、イエスは祝福をくださいます。

ではあなたにお尋ねします。あなたは自分の舟をイエスに提供していますか?

あなた方の中で今、人生で大変な思いをしていて、すべてのことを変えたいと思っている人がいるかもしれませんが、今持っている網を変える必要はありません。舟も変える必要はありません。ビジネス・パートナーや会社の場所も変える必要はありません。結婚や住む場所まで変えようと考えているかもしれませんが、その必要もありません。でも、イエスを自分たちの舟に乗せて、イエスに舟のかじ取りをしていただく必要があります。

自分の舟をイエスに提供することが、最初のステップです。そして第2のステップは、”自分で努力してもうまくいかないと認めること”です。

イエスは、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカ5:4)と言われました。でも、シモン・ペトロはこう答えました「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」(ルカ5:5)

ペトロがどんな思いでこう言ったのかお気づきですか?ペトロはプロの漁師です。彼は優秀でした。この4人の漁師たちは趣味で魚釣りをしているのではなく、漁をして生計を立てています。どのようにして魚をとるのかよく知っています。でも、彼らのようなプロでさえ、夜通し働いても何もとれないことがあるのです。「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」と言うのは恥ずかしいことでした。謙虚にならなければ言えないことでした。一流のプロ野球選手が1本のヒットさえも打てないとか、一流のプロバスケット選手が1度もゴールできなかったというようなことなのです。とても恥ずかしいことでした。

彼らはいい人たちで、大変一生懸命にやっていたのです。しかし、時には”一生懸命”でも足りないことがあるのです。また、どうにもならない状況があることでしょう。私たちは自分の力で経済状況をコントロールできません。天気も病気も、他の人がやることもコントロールできません。老化もどうにもできません。自分の人生の大半のことをコントロールできないのです。だから、”自分はほんとに一生懸命やったのに、頑張ったのに、何も変わらなかったみたいだ”と思うことがあるのです。

では、どうしたらいいのでしょうか? あなたは2つやる必要があります。まず、イエスを舟にのせてください。第2に自分のやり方ではうまくいかないことを認めてください。それはとても恥ずかしいことですし謙虚さが必要です。このことを聖書では、告白といいます。

でも、わたしたちは認めたくありません。あなたも私も、自分のやり方がうまくいかないとは、認めたくないのです。何故でしょう?認めない理由が3つあります。プライド、頑固さ、そして恐れです。

プライドは、”こんなこともできない者だと思われたくない” ”私にすべてまかされている。何事も私次第で動く” ”ここは私が管理している” ”私のもとにすべてが集まっている” などと思うことです。そしてこのプライドがステップ2の”認めること”を妨げます。

頑固さは、”私のやり方を変えたくない” ”みんなこうしている”と思うことです。今日の敵は”昨日の成功”と言いますが、昨日は終わりました。違うやり方をしなくてはいけません。イエスはこう言います。昨日の成功があなたの今日の成功を妨げていると。

このような頑固さは昔からありました。モーセのような霊的なリーダーも頑固でした。モーセはイスラエルの民をエジプトから脱出させましたが、シナイ砂漠を超えてイスラエルに行くのに普通では2週間で行けるところを40年もかかったというのは、モーセの頑固さのゆえです。40年間もさまよっているとき、モーセは神様のやり方に従うことを拒否して、モーセがいつもやっているやり方を変えずにそのまま通そうとしました。そのことゆえにモーセは約束の地に行きつくことができませんでした。だからあなたは、変わることに前向きでなければなりません。

もちろん、恐れも自分のやり方ではうまくいかないと認めるのを妨げます。あなたは自分の能力が低いと思われることを恐れるからです。”イエスを自分の舟にのせたら、イエスは私が行きたくないところへ行けといいそうだから怖い。イエスが自分の職場に来たら、私に狂信者だと思われるようなことをさせるだろう。イエスは私が怖くて死にそうなところに行かせるかもしれない・・・”

第3のステップは、もしあなたが空から満杯に行きたければ、”わたしはイエスが言うことなら何でも従う”ことです。言い換えれば、イエスが言うことであれば、それがたとえ何を意味するのかまったくわからなくても、意味がないと思っても、理にかなっていなくても、他の人から見て馬鹿だとかおろかと思われても、私は神様のおっしゃることに従わなくてはならないということです。むしろ、喜んでやるということです。神様がおっしゃることなら、金銭的にありえないことでも、不合理でも、やりたくなくても、混乱しても、怖くて死にそうでも、とにかくやる、”私はイエスの言うことなら何でも従う、まったく意味がわからなくてもやる”ということです。

それはペテロがこう答えたからです。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(ルカ5:5)

「お言葉ですから」というのが奇跡へのカギです。自分が頭がいいから、人気があるから、お金があるから、理にかなっているから、他の人もやっているから・・・ではなく、”私はイエスがおっしゃるからこれをやります”ということです。

イエスは舟に乗っただけではなく、漁のやり方も指示しました。でもペトロはそのときにイエスにこのような物言いをしませんでした。”失礼ですが、あなたは大工で、私は漁師です。あなたは木のことを知っていますが、私は魚のことなら知っています。魚はかかりません。ですから、どなたが今このように漁をしなさいと言えるのでしょうか?私は漁のプロです。この仕事のことは私の方がよく知っています。” もしこのような物言いをしていたのなら、多くの祝福がなかったことでしょう。

こんなことも言いませんでした。”イエス様、いいアイデアですね。でもちょっと考えてみましょう。みんなで話し合いましょう。多数決をとってみましょう。” ”私たちは疲れています。夜通し働いても何もとれなくて、汗だくで汚れていて、臭くって、早く家に戻って休みたいです。どうでしょうか、家に帰ってシャワーを浴びて、すこし休んでから午後にでも漁に出ればこんどは魚がかかるかもしれません。出直しませんか?”などとは言わず、ペトロはすぐに舟を出しました。

ペトロはまったく嫌がらなかったのです。グズグズせず、即でした。ペトロは自分の感情に従いませんでした。ペテロは疲れて死にそうなだったはずです。一晩中頑張ったのにまったく魚がかかりませんでした。もう一度やっても結果は分かり切っています。しかし、ペテロは何一つ尋ねることなく従いました。

「お言葉ですから」と言って従順になりました。もしあなたが、「お言葉ですから」の人になれば、神様はあなたの人生を祝福します。 ”主よ、あなたの指示は、私には意味がまったくわかりません。でもお言葉ですから、やります。信頼して従います。”

さて、あなたにお尋ねします。 神様がやりなさいとおっしゃったことで、やってないことは何ですか?

あなたが第1ステップをやってないのなら、神様は第2ステップ以降のことを指示なさいません。 神様が”収入の10分の一を献金をしなさい”とおっしゃったのにやってない。神様が”この人を赦しなさい”とおしゃったのに、彼を赦すなんて嫌だと言って赦していないのなら、あなたは自分自身を傷つけています。 神様が”この同僚の方にイエスをのべ伝えなさい”とおしゃったのに、死にそうに怖い、自分は軽蔑されると思ってやってない。神様があなたはイエスのように洗礼を受けるべきですと言われたのに、いろいろ言い訳をして受けないでいる。あなたは小グループを始めるべきだと言われたのに、始めていない・・・。

神様はあなたに何をやりなさいとおっしゃいましたか? 神様に不従順であることは、あなたを傷つけます。神様の祝福をもらいそこねます。

でも、あなたが「お言葉ですから」の人になるのなら、神様はあなたのキャリアにヴィジョンを与えます。でも神様はそのヴィジョンを全部一度に見せません。段階を追ってヴィジョンを見せます。何故なら、段階をおって信仰を成長させてほしいからです。

神様が、あなたの人生で神様のヴィジョンを行ってほしいとき、いつも3つに分けて行わせます。

1に、何をすべきか? 2に、どのようにそれをすべきか? 3に、いつすべきか?

でも我々がよくやるのは、まず神様が「何をすべきか」を教えたとき、次の指示を待たずに始めてしうことです。たとえば、”新しい事業を始めなさい”と言われて、第2の”どのように”と第3の”いつ”を教えられる前に、自分ですぐに始めてしまうのです。そして失敗をして、戻って来て神様にこう言うのです。”神様は私にレストランをやりなさいとおっしゃいましたよね?” 神様はこう答えます。”確かにそう言ったが、あなたは第2と第3部を待たなかった。” 

第2部の”どのように”にしても、神様はいつも私たちが考えるのとは違う方法でことを行います。それは、神様が栄光を受けるためです。

第3部の”いつ”にしても、神様の完璧なタイミングです。ホームランとアウトの違いは一つだけ、それはタイミングです。すべてのことは、タイミングです。いつもと同じボール、同じバット、ボールは同じ距離から飛んできますが、300打打てるプロと100打打つプロの違いはタイミングです。私が学んだことは、神様のタイミングを待たなければならないということです。

神様のヴィジョンは3段階で来ます。イエスはペトロに「いつ」「どのように」「どこで」を教えました。最初にイエスは、「いつ」、”今すぐに舟を出しなさい”とおっしゃいました。

ところで、沖に舟を出すことはいつもリスクを伴います。神様はいつもリスクをとりなさいとおっしゃいます。なぜなら、リスクの無いところに信仰も無いからです。信仰が無ければ神様を喜ばせることができないからです。

そして、イエスは「どうやって」、”網を降ろしなさい”を、次に、「どこ」、”沖へ”とおっしゃいました。「沖に漕ぎ出して」とおっしゃった訳は、そこに大きな魚がいるからです。

皆さん、私たちの多くは浅瀬で人生をおくっています。彼らは、”赤ちゃんの砂浜”で生きているクリスチャンです。イエスにちょっと触れてもらえれば満足で、イエスからの祝福はもらわなくて良いのです。深みにはまりたくないのです。表面的なところでしか生きていません。教会に来て、ゆったりと漕ぎ回って表面的な人生を生き、ちょっとだけ獲物を得る、足を濡らしたくない、深みにはまりたくないと思っています。そういう人たちは神様からの祝福を受けることはできません。

頑張っても結果が出ないとき

2018-02-04 23:02:00 | Weblog
本記事は、リック・ウォーレン牧師(米国・サドルバッグ教会)のポッドキャストを翻訳したものです。

WHEN YOU’VE COME UP EMPTY
Paster Rick's Daily Hope 2018/2/2 podcast


ルカ5:1-3 「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの船が岸にあるのをご覧になった。漁師たちは、船から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち船に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。」

この出来事は、大変なとき、困難なとき、問題が起こったときに、私たちが何をすべきかを教えてくれます。

この場面はイエスが宣教し始めたごく初期のときで、水をワインに変えたという奇跡に続いて2番目の奇跡が起きたときのことです。イエスの弟子は12人いましたが、そのうち4人が漁師でした。ペトロとアンドレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟です。

当時、彼ら4人はまだイエスの弟子ではなくガリラヤ湖、ゲネサレト湖畔付近で漁をして生計を立てていました。プロの漁師でした。でもこの日彼らは夜通し漁をしたのですが、何も獲れず、岸に戻ってきて、網を洗っていたのでした。一晩中頑張って漁をしていたのに、徒労に終わったのでした。彼らは疲れて、がっかりしていて、そして網の中には何もないという状態だったのです。

そこへイエスがやって来て、シモン・ペトロに舟を岸から少し漕ぎ出すようにと頼みました。そしてイエスは舟に座って、舟から岸にいる群衆に向かって教え始めたのです。

イエスは何故このようなことをしたのでしょうか?

まず考えられるのは、水をアンプ(音声を増幅する音響機器)として利用するためです。というのは、陸上で話すと声が陸に吸収されてしまい遠くまで届きませんが、水上では声の音波が水を伝わって行くので、遠くへ声が届くからです。おそらくそこには数百、または数千もの人々がいたと思われますので、イエスは賢い方法をとったのです。しかし、これよりも、もっと大事な理由がありました。

イエスはこの4人の漁師をご自分の最初の弟子として選ぼうとしていました。イエスは彼らに頼むつもりでした。漁師としての自分たちの仕事を辞めて、イエスついて行くようにと。そのために彼らの仕事において奇跡を見せる計画だったのでした。漁師としての彼らが理解できる奇跡を。大漁の奇跡を。

5:4-5「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」

あなたもこんな気持ちになったことありますか? 頑張って営業したのに契約できなかった、家が売れなかった、昇進できなかった、そして今は失業中・・・。シモンの言葉から落胆の気持ちが伝わってきます。

私たちの人生にはときどき、このようなことが起こります。

自己最善の記録を出そうとしたのに、まだ少し足らなかった。

努力した、まじめにやった、長時間働いたなのに見せられるほどの結果がなかった。

自分の仕事で正しいことを行った、これは神様が導いているとも思った、でもうまく行かなかった。

事業を始めようとしていたのに破綻した。神様が導いてくれると思っていたのに、うまく行かなかった。

結婚関係で頑張っている、耐えている、闘っている、カウンセリングを受けている、本を読んで何とかしようと努力している、なのにまったく前に進んでいない。状況がまったく良くならない。

資格試験に受かろう、学校の試験でよい成績をとろう、進級試験に受かろうと一生懸命勉強したのに合格できなかった。

そのようなことが人生で起こります。仕事に責任を持ち、職場で忠実に仕えて、勤勉で、強く、頑張る社員だったのに、突然不景気になって、リストラされた。一晩中一生懸命働いたのに何も得られなかった・・・

この奇跡にはたくさんの教訓があります。 

私たちはみな、何かのために漁をしています。 

ある人は承認を得るために。ある人は自分を愛してくれる誰かを探しています。別にそれは悪いことではありません。子供のころに承認を得られなかった人が大人になったとき、自分のことを尊重してくれる人を探します。自分をありのままに愛してくれて大切に思ってくれる人を探します。自分のことを畏敬の念をもって気遣ってくれるくれる人を探しています。安心感を得るために頑張っている人もいます。それも悪いことではありません。

意義のある人生を生きたい、自分の人生を意味あるものにしたいと頑張っている人もいます。それも悪いことではありません。自分の妻のためあるいは夫のために頑張ることも悪いことではありません。失業中で仕事探しを頑張っていることも悪いことではありません。仕事も収入も必要です。誰もがみな、何かのために頑張っているのです。

この奇跡が教えてくれることは、こんなに頑張っても空しい結果に終わったらどうするのかということです。大変力強い奇跡です。今のような不景気の時代をどのように乗り越えていくのか知る必要があります。

さてこの4人の漁師はイエスに言われた通りのことをして奇跡をもらいました。そればかりではなく、自分たちでは受け取り切れないほどの魚をもらって他の人たちにも分け与えました。そして彼らの人生は永遠に変わったのでした。

イエスはシモンの船を説教台にして人々に福音を教えました。聖書にはその続きが書いてあります。

5:6-7「そして漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。」

彼らは10時間かかって獲れなかった魚を10分足らずで獲ったのです。これこそ奇跡のアクセルです。神様が行程を早めてくれたのです。

もしも奇跡のアクセルを理解したなら、今後あなたはタイミングについて不安になることはないでしょう。ひと月、ふた月、一年、二年もの間失業していたとしても大丈夫だと思えるからです。いったん神様が水道の蛇口を回せば、水漏れが素早く止まるからです。事実、あなたが10年かけてすることを神様は10分で終えることができるのです。神様の言う通りに行うならば。

では何がどう違うのでしょうか?それが、ポイントです。自分が一晩中働いても結果がないことと、結果が出過ぎて舟が沈んでしまいそうになるほどととの違いは? 魚がいっぱいなので舟が沈んでしまわないように、周りの人たちに魚(祝福)を分けなければいけなかったほどなのです。空っぽの舟と、あふれんばかりいっぱいの祝福との違いは何でしょうか?

マタイ9:29でイエスは「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われました。自分の信仰の度合いに応じた結果が出るということです。

このときの弟子たちは信仰には4段階ありました。あなたもこの不景気の時代に、困難なとき、結果が出ないときに信仰の4つのステップを踏むべきです。

1番最初にすべきことは、自分の人生にイエスがいつでも入って来れる道をつくることです。人生が空しいところから、あふれんばかり満たされるところへ行きたければ、イエスの通り道をいつも開けておくことです。

ルカ5:3にあるように、まず、イエスを自分の舟に乗せなければいけません。

10時間かけてできなかったことを、10分でできたこととの違いは何ですか?同じ湖、同じ舟、同じ漁師、同じ網、同じ仲間、同じ魚・・・唯一違うところは、イエスが舟に乗っているかどうかです。

ここで考え方を一変させてください。神様が一緒にいるのです。もはや自分たちで漁をするのではなく、自分たちで仕事するのでもなく、イエスが職場にいてくれるのです。自分たちの職場を支配してくれる主人がいるのです。

ではこれを今の不景気の時代にあてはめてみましょう。あなたの舟とは何ですか?あなたの舟は生計を立てるためのものです。シモンは漁師で仕事用の舟をイエスに差し出しました。彼は自分の仕事をイエスにあげました。舟はあなたのキャリア、職業、仕事、職場を表します。生計をたてるものです。報酬、給与、コミッションなどです。

第2に、イエスがあなたの舟にいるとはどういうことでしょうか?それはあなたが自分の仕事を神様に捧げるということです。

あなたの人生にはイエスがいます。けれども職場にはいません。

あなたは自分が救われたことを信じて、毎週教会に来て、神様を賛美しています。でも週が明けて仕事に出かけるときにはイエスを棚の中に入れていくのです。あなたの職場にイエスはいません。ということは、職場がイエスの説教台にはなっていないのです。あなたの舟をイエスにあげるということは、「イエス様、私の職場をあなたの説教台にしてあなたのためにお使いください。私の仕事をあなたに捧げます」と言うことなのです。

ペテロがイエスの仕事のために自分の仕事(舟)を差し上げたとき、ペテロに信じられないほどの大きな祝福がありました。でも、順番を間違えないでください。私たちは「神様が仕事でのすごい成功をくださるなら、私は神様に仕えます」と思いがちです。それは間違ってます。まったく正反対です。「神様、今、私の仕事を使ってください。」と言ったら成功がくるのです。ペテロはイエスの説教台のために自分の舟をさし出しました。そうしたらイエスはペテロの仕事をものすごく成功させたのです。

クリスマスに込めた想い

2016-12-19 14:21:15 | Weblog
12月25日はクリスマスと、今ではこの日のことを知らない人はいないでしょう。

でも「クリスマス」はの本当の意味をご存知の方はどのくらいいるのでしょうか?

実は、クリスチャンである私も、「クリスマス」について知らないことがたくさんありました。

そして、先日も「クリスマス」について知らなかったことを教えていただき、驚いたところです。

ちょっと、シェアーさせてください。


これは、教会で牧師に教えていただいたことです。

・ イエス・キリストが誕生したときに寝かされた場所は、馬小屋ではなく洞窟の中だったようだ。
・ 「飼い葉桶」(ルカ2:7)というのは、洞窟のなかにあった岩のくぼみだったと推測される。
・ その当時のベツレヘムには、「宿屋」(ルカ2:7)というような商業施設はなかったと考えられる。
・ 新生児であったイエスをくるんだ「布」は、いわゆる産着というようなものではなく、みすぼらしいただの布と考えられる。

私たちはイエスの誕生の図を数々の名画で見ていると思いますが、そこには馬小屋の飼い葉桶に寝かされた、真っ白な美しい布にくるまれたイエス・キリストが描かれていました。

そのイメージを持ち続けていた私としては、ちょっとガッカリしました。

聖書にイエスの誕生の様子を書かれているのは、マタイによる福音書の1章と、ルカによる福音書の2章だけですが、確かに「馬小屋」で生まれたとは書いてありません。

なんでも当時は、馬は家畜ではなく、軍用馬として使われていたので一般の家庭に馬小屋はなかったそうです。

そして、イエスが生まれたこのベツレヘムには、商業用の宿はなかったこと、「住民登録」のために里帰りした人たちでベツレヘムのそれぞえれの家に入りきれないほどの人が溢れていたのではないかと推測されるということです。

つまり、ヨセフとマリアは家の中にも入れなくて、仕方なく洞窟にいたところマリアが出産したのではないかということです。

洞窟ですから、ベッドはおろか何の家具も設備も、照明もないところで、出産しなければならなかったようです。

神の子であるイエス・キリストの誕生には、清潔な産着も、美しい寝床も、輝かしい明かりもなかったのでした。

そしてイエス誕生の予告がされたのは「羊飼いたち」でしたが、羊飼いは当時の職業として最も地位が低かったそうです。

彼らは職業柄毎日羊の世話をしなければならなかったので「安息日」を守ることができなかったため、ユダヤ教から破門されてましたし、社会的にも住民登録をしてもらえなかったそうです。

神様の子であり、救い主であるイエス・キリストの誕生した環境は、想像しがたいほど貧しく、みすぼらしいもので、育ての親とされたヨセフとマリア夫婦の家庭は貧しく、産着さえ用意できないほどでした。

また、このような重大ニュースが一番最初に伝えられたのは、社会では最下層の羊飼いで、世の中から疎んじられている存在でした。

イエス・キリストがこのように生まれてきてくれたことが何を現しているのでしょうか。

私が生まれた時はおそらく両親や親せきを始め、周りの人たちから待望され、清潔な産院のきれいなベッドに寝かされ、清潔な産着を着せられていたことでしょう。誕生の時からこれほど恵まれていて、その後も恵みを受け続けて今まで生きてくることができました。

私が知らないことはまだまだたくさんあります。一生かけてもすべてを知り尽くすことはできないでしょう。

だから、知っているつもりにならず、謙虚に教えを請うものでありたいと思います。

イエスは、生まれた時も、十字架にかけられた時も、輝かしい誉れがまったくなかったけれども、今や「クリスマス」は世界中で知られています。

「クリスマス」がイエスの誕生日だと知らない人がたくさんいても、ただのお祭り騒ぎや、パーティーやデートになっていても、それらをすべて受け入れて良しとしてくださっています。

そのような懐の広いイエス・キリストの恵みを覚えて「クリスマス」は、みんなが互いに感謝をする日になったらいいなあと思いました。



リック・ウォーレン牧師のレッスン「虐待からの解放」

2016-11-09 14:09:07 | Weblog
Breaking Free From Abuse You Drive Me Crazy- Part 5
「虐待からの解放」―いらだたせる関係 パート5
By Rick Warren

ダビデ:「『わたしは言いました。「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。」 わたしは口を閉ざして沈黙し/あまりに黙していたので苦しみがつのり心は内に熱し、呻いて火と燃えた。わたしは舌を動かして話し始めた。『「教えてください、主よ、わたしの行く末を/わたしの生涯はどれ程のものか/いかにわたしがはかないものか、悟るように。』」(詩編39:1-4)

1. Name the abuse.
どんな虐待をされたのかを明らかにする。
敵が「あざける」、「脅かす」、「からかう」、「見下す」、「辱める」、「操作する」、「強制する」、「強要する」、「無理に言わせる」、「独裁する」、「虚偽の噂を広める」、「責める」、「呪う」、「悪口を言う」

Marks of Emotional Abuse – David’s Descript ions “My enemies taunt me day after day. They mock and curse me.” Psalm 102:8
感情的な虐待の印―ダビデの記述「敵は絶えることなくわたしを辱め/嘲る者はわたしによって誓う。 」(詩編102:9)

“...they tell lies about me and threaten me.” Psalm 109:20
「彼らはわたしについて嘘を言い、私を脅かす」(詩編109:20)

“...they make fun of me and ridicule me.” Psalm 22:7
「わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い」(詩編22:7)

“I have been insulted, put to shame, and humiliated.” Psalm 69:19
「わたしが受けている嘲りを/恥を、屈辱を、あなたはよくご存じです。」(詩編69:20)

“Using words to kill; they bully their way with words.” Psalm 73:8 (Mes)
「彼らは侮り、災いをもたらそうと定め/高く構え、暴力を振るおうと定める。」(詩編73:8)

“They push hard to make me fall.” Psalm 118:13 (GW)
「激しく攻められて倒れそうになった」(詩編118:13)

“They spread rumors about me, and conspire against me.” Psalm 31:13
“They mock me with the worst kind of profanity, and snarl at me.” Psalm 35:16

2. Don’t minimize it. Don’t rationalize it.
大したことじゃないと思わない。 虐待を正当化しない。

“Don’t be fooled by those who try to excuse these sins, for the anger of God comes upon all those who disobey him.” Ephesians 5:6 (NLT)
「自分の罪の言い訳をする者に騙されてはなりません。神の怒りは不従順な者たちに下るのです。」(エフェソ5:6)

3. Help them to a safe place if necessary.
必要とあれば、虐待されている人たちを助けなさい。
虐待を見つけたら、通報しなさい。(虐待を通報するのは法律です)
痛みを理解し、憐れみなさい。

“Look on victims of abuse as if what happened to them happened to you.” Hebrews 13:3b (Mes) “Carry each other’s burdens, and in this way you will fulfill the law of Christ.” Galatians 6:2 (NIV)
「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤ6:2)

5. Don’t confront an abuser by yourself.
独りで、虐待者に向かっていってはいけない。

“By yourself you’re unprotected. With a friend you can face the worst. Can you get a third person? A three-stranded rope isn’t easily snapped.” Ecclessiates 4:12 (Mes)
「一人では自分を守れない。だが、友達と一緒なら最悪のことにも立ち向かえる。誰か助けてくれる人はいませんか。三つよりの綱は簡単に噛み切れない。」/「ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。」(コヘレト4:12)

“Take no part in the worthless deeds of evil and darkness; instead, rebuke and expose them. It is shameful even to talk about the things that ungodly people do in secret. But when the light shines on them, it becomes clear how evil these things are. And where your light shines, it will expose their evil deeds.” Ephesians 5:11-13 (NLT)
「実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。」(エフェソ5:11-13)

6. Begin a healing process.
自分を癒しなさい。

Advice to Job: “Put your heart right. Reach out to God. Put away any evil and wrong from your home. Then face the world again, firm and courageous. Then all your troubles will fade from your memory, like floods that are past and remembered no more! Your life will be brighter than sunshine at noon, and life’s darkest hours will shine like the dawn!” Job 11:13-17 (TEV)
ヨブへの忠告:「もし、あなたも正しい方向に思いをはせ/神に向かって手を伸べるなら また、あなたの手からよこしまなことを遠ざけ/あなたの天幕に不正をとどめないなら その時こそ/あなたは晴れ晴れと顔を上げ、動ずることなく/恐怖を抱くこともないだろう。その時、あなたは労苦を忘れ/それを流れ去った水のように思うだろう。 その時、あなたは労苦を忘れ/それを流れ去った水のように思うだろう。 」(ヨブ記11:13-17)

7. Let God settle the score.
神様に解決をゆだねなさい。

“Never repay one wrong with another, or one abusive word with another; instead, repay with a blessing. That is what you are called to do, so that you inherit a blessing.” 1 Peter 3:9 (NJB)
「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(1ペトロの手紙3:9)

“Christ never verbally abused those who verbally abused him. When he suffered, he didn’t make any threats but left everything to the one who judges fairly.” 1 Peter 2:23 (GW)
「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。 」(1ペトロの手紙2:23)

良い人間関係をつくる6つの鍵Part2

2016-10-26 12:20:08 | Weblog
人間関係を円滑にするには神様の知恵が必要です。神様の知恵に基づいた人間関係をつくるための鍵をシェアーします。(リック・ウォーレン牧師によるオンライン・レッスン、Daily Hope Listen Online "Six Keys to Peace in Relationships, You Make Me Crazy"2016年10月19日から21日に配信されたレッスンから学んだことをシェアーいたします。)

(3)神様の知恵に基づいた人間関係では、いつも相手の気持ちを思いやります。だから私は相手の気持ちを否定しません。

箴言15:4「癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く。」

相手が感情を現したときに、私たちの犯す間違いは、「そんなことを思わないで」とか、「わたしはそんなふうに思わない。」などと相手の気持ちを否定してしまうことがあります。相手を慰めるためというような状況があったとしても、そのようなことは言わずに、ただ、相手の言うことを聞いてください。

その人の気持ちは、その人のものです。相手が感じるままに感じさせてください。「あなたの問題なんか小さい、世の中ではもっと苦労している人がいっぱいいる」などと言っても、その人の助けにはなりません。

相手が感じるままに感じさせて否定もせず、軽視もしないでください。

「さみしい、つらい、悲しい、みじめだ、怖い、不安だ、疲れた、嫌だ、落ち込んでいる、怒っている・・」思うままに言わせてあげてください。

(4)神様の知恵とは、他の人に喜んで明け渡すことです。だから私は相手の考えや意見に同意できない場合でも、相手が話している途中で口をはさんだり、ひとつひとつ反論したりしません。

箴言18:15「聡明な心は知識を獲得する。知恵ある耳は知識を追求する。」

相手の考えや気持ちを聞くだけ聞いて、そのあとに自分の意見を言いましょう。相手を批判するのではなく、ただ、自分はこう思うという話し方をしましょう。

相手を変えようとしないことが人間関係を良好にしていきます。

(5)神様の知恵は、あわれみと良い実に満ちています。だから、相手の落ち度を責めません。


私たちの罪を無条件に赦してくださる神様は、過去の罪をいちいち持ち出したりしません。憐れみ深い神様は私たちが当然の報いを得るべきだとは思わず、私たちの必要なものを与えます。

だから、相手の間違い、失敗、欠点などを責めたり、強調したり、いちいち持ち出したり、他の人の前で取りざたしないようにしましょう。気になっても、その気持ちを手放して、神様にゆだねます。

箴言17:9「愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く。 」(愛はあやまちを忘れるが、そのあやまちを愚痴る人は友情の最もいい部分を引き裂く)

(6)神様の知恵は、公平でいつも誠実です。信頼すべきもので、本物、本心です。だから私は、自分の思いや考えを偽らずに話します。

箴言10:18「うそを言う唇は憎しみを隠している。愚か者は悪口を言う。」

コロサイ2:3「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。 」