Jesus loves you

イエス・キリストを通して知る神様の愛についてのシェアリング

あなたは仕事に押しつぶされていませんか?

2018-02-26 14:03:27 | Weblog
DT CONNECT
Is Your Workload Overwhelming?「あなたは仕事に押しつぶされていませんか?」
By Shawn Sommerkamp 2017.9.18
https://www.mydtconnect.org/is-your-workload-overwhelming
*以下は上記の英文記事を意訳したものです。

毎日12時間以上、終わることのない仕事を終わらせようと果てしなく努力している方にこの記事を読んでいただければと思います。

あなたは仕事しすぎではありませんか? どうしようもないほどの仕事量だと感じて、毎日、途方に暮れていませんか?

マタイ6:33-34「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

あなたは生活のために朝から晩まで忙しく働いている人でしょうか。それとも、自分は完璧に仕事と生活のバランスがとれていると思ってますか。どちらの方でも、自分が仕事に与えた時間は、余ることなく、すべて仕事に使われてしまうことは確かです。

時間はぜんぜん余らないのです。気体を容器に入れていくと、容器がいっぱいになるまで入っていくように、あなたが仕事に犠牲を払おうと思った時間は、すべて仕事に使い切られてしまいます。

仕事はそれほど貪欲に時間を使いきろうとします。仕事の欲望はあなたの自由を奪うものです。

時間を自分だけのものにしようとして、口に放りこもうとしても、その前に素早く、仕事の欲望がその時間を噛み砕き、飲み込んでしまいます。

お腹を空かせた動物があなたの目の前に座って、 "もっと時間を食べさせて"と懇願しているようなものです。

昇進のはしごを登って行けば行くほど、会社からの要求の声は大きくなり、もっと強く押し付けてきます。

つぎのコンセプト(概念)は、とても単純すぎて、私たちはこのコンセプトが持つ意味の力強さがよく分かりません。
「私たちが仕事をコントロールしているのであって、仕事が私たちをコントロールしているのではありません。」

あなたがこのコンセプトを真実だと信じて生きてくなら、「健康で幸せで持続可能な人生のバランス」に到達できることでしょう。 どうですか?あなたは信じますか?

あなたが会社から要求されている仕事量を自分でこなしきれていない、管理できていないと思うなら、あなたは「DiSC人格判断」"DiSC Personality Profile"の "S"(Submissive)(服従)または "C"(Compliant)(言いなり)と診断されます。

それは単に、”自分は環境や状況よりも強くないと感じる”性格を持っていることを意味します。

そして確かにあなたは仕事に無限の時間を費やす傾向があり、時々、自分にはとうてい終わらせることができないものだと感じてしまいます。

コヘレト4:4「人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これもまた空しく、風を追うようなことだ。」

私はこの聖句から、あなたはキリストの弟子にしては”羨望の思いが強すぎる”のではないですかと言いたいのではありません。 しかし、あなたが何時間も働いているのは何か潜在的な理由があるかもしれないと考えてくださいとお願いしたいのです。

自分の心を良く探るのは価値のあることです。

以下の質問をいつも自分自身に尋ねるようにしてください。

* もし私がこの作業を明日に持ち越したら、どうなるか?
* 私が代わりにこの仕事をすることで、誰が恩恵を受けるだろうか?
* これほどの時間、自分が働くことに対して、自分の存在価値は見合っているのだろうか?
* 翌日の仕事にかける時間を減らすために、今日の自分は何ができるだろうか?


私たちは旅を続けています。 そして、私たちは皆、主に出来る限りの栄光を返したいと思っています。

あなたの時間のことを考えてください、あなたの時間をどれくらい仕事に埋め込んでいるかを考えてください、そして自分の時間を取り戻すために何かをしてください。

これはあなたが考えているよりも簡単なことです。

WHEN YOU’VE COME UP EMPTY Part3

2018-02-15 17:30:53 | Weblog
WHEN YOU’VE COME UP EMPTY Part3
Paster Rick's Daily Hope 2018/2/6 podcast

大抵の人たちは、浅瀬で生きています。そこが安全だからです。浅瀬には大きな波がやってきませんし、あなたの舟が波に翻弄されることはありません。しかし、浅い人生を生きていくことにリスクはないように思えますが、実際は、最大のリスクがあるのです。永久の祝福をいただきそこねてしまうというリスクがあるからです。でも、私たちは浅い人生でいいのです。程よい大きさで安全で快適な領域の中にいたいのです。自分たちの計画を神様に祝福してもらいたい、成功をいただきたいけれども、イエスが自分の仕事を宣教の場所にすることは嫌なのです。

皆さんに教えたい秘密があります。あなたがこのような不況の人生にいる理由の一つは、神様があなたを無理やり沖に出すためです。神様はあなたたちをすごく愛しているので、あなたたちが浅いところで生きていくことをゆるさないからです。リスクをとって沖に舟を漕ぎだすよう強いているのです。

さて、意味が分からないのにイエスに従うことは、最も恐ろしいこと、最もリスクが高いこと、そして最も危険なことですが、同時に最もやりがいのある生き方でもあります。30年ほど前、神様は私に今住んでいるテキサスから南カリフォルニアへ移住してそこで教会を始めなさいといわれました。行ったこともない場所で、資金も教会員も、建物も、給与も、援助もなく、しかも私には牧師の経験もないのにです。失敗しそうな計画です。でも私はそのときに「お言葉ですから」とOKしたことが嬉しいです。もし私が断っていたのなら歴史はどれほど変わっていたことでしょうか。「いえいえ、私は牧師の器ではありません。教会開拓者タイプでもないです。」と言っていたのなら。

4番目にやることは、これです。「イエスが状況を変えてくれることに期待をする。」

この論理を聞いてください。 もし、イエスが一緒に漁に出ようとおっしゃって、あなたの舟にイエスが乗って来て、イエスが「ここに網をはりなさい」と指さしたとしたら、手ぶらで帰る結果になると思いますか? そんなことはないと思いませんか。

このとき(ルカ5:4)、ペトロは期待でいっぱいでした。これまでの恐れ、疲労、失敗からのフラストレーションが消えてなくなり、これはすごいことになると思ったことでしょう。イエスが舟に乗っていれば、何も恐れることはありません。沖に出していっても怖くありません。再びリスクを冒さなくてもいいのです。舟には神様が存在しており、心には神様の計画と約束があります。失敗する訳がないのです。

もし、神様がそうしなさいとおっしゃったことを、お言葉ですからとその通りにしたのなら、その人は信仰に満ちています。

1テサロニケ5:24「あなたがたをお招きになった方は、完全に頼りにできるお方です。もし神様がそうおっしゃるのなら、必ずそのとおりにしてくださいます。」(MSG)
神様は嘘をつくことができないお方です。

もし神様が自然の力さえも制御できるのなら、「ガリラヤ湖のすべての魚はこの場所にすぐ集まれ!」と命令すれば、すべての魚がここに泳いで来るのです。だから網をおろしなさい。自然をも支配している神様ですから、あなたに仕事を与えることがおできになります。神様はあなたの必要なものを与えることができます。神様はあなたの生活をささえてくれるのです。ですから、あなたは何事も神様の方法で行わなければなりません。長い時間かかったものでも、難しいものでも、行き詰ったことでも、神様が行うとなったら一晩で、10分間でもやってのけます。

では、漁師たちがイエスの言う通りに行った結果として何が起こったのでしょうか? 自分たちの失敗を認めてイエスの言う通りにした結果は? イエスに完全に主導権を渡したら、会社のために働くのでなく、イエスのために働くと決心したのなら、自分は伝道師、何よりも神様を一番に求めるとしたら、イエスが自分の舟にいるとしたら、何が起こるのでしょうか?

ルカ5:6-7「そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。」

抱えきれないほどの祝福をたくさんいただいたので、他の人たちと分け合うことができました。神様は祝福を受ける人を探しています。この不況下で神様の力を見せる人を探しています。あなたをお金持ちにするということではなく、この世界に、この方こそが神様だということを見せたいのです。この不況下に神様があなたの職場でこれをなさったんだということを人々に見せることで、あなたを祝福したいのです。そこで神様は栄光を表すのです。この時が奇跡が起こるときです。その人たちにとってこれが人生のターニングポイントとなります。神様はあなたのことをすごく祝福したいのです、そしてあなたが他の人たちに祝福を分け与える人となってもらいたいのです。

この出来事は漁師たちのターニングポイントでした。この奇跡は、お金の奇跡ではありません。人間についての奇跡です。人の所有物についてではなく、神様があなたの人生に対して抱いている目的についてです。たくさんの魚(お金)をためこむことではなく、神の国のことです。神様はこの漁師たちを招いて、100%イエスに従うようにしたかったのです。だから、漁師たちの仕事場で奇跡を起こしましたが、この人たちを成功したビジネスマンにするということではなく、この人たちの人生を100%神の国としたいので奇跡を起こしたのです。

イエスはあなたを人をとる漁師にしようと言いました。この世界を変える方法を教えよう、神様にもちいられて人生を変える方法を教えよう、会社を家庭を地域を変える方法を教えようといわれました。

注目していただきたいことは、イエスはプロの漁師たちを呼んで、あなたたちの仕事をここに置いて私に従いなさいといわれたことです。漁師たちは「すべてを捨ててイエスに従った」(ルカ5:11)とあります。彼らは大金になる魚を置いてイエスに従ったのです。何故なら彼らはみな祝福を受ける者よりも祝福を与える者の方に興味があったからです。あなたはどうでしょうか?

私たちは祝福を受けることの方に関心があります。でもこの漁師たちはこう思ったのです。もしイエスのそばにいるのなら、祝福を与える者になれると。自分はこの大漁を捨てていける、ストックオプションを捨てていける、すごい取引を捨てていける、なぜなら自分は祝福を与える方とともにいるからと考えたのです。

神様はある人たちを呼んでにこうおっしゃいます「網を置いて、イエスに従いなさい」。「仕事を捨ててフルタイムのクリスチャン・ミニストリーになりなさい」と。でも、自分は失業しているから、牧師になれと神様にいわれていると誤解しないでいただきたのです。神様はあなたの残り物が欲しいのではありません。他に何もすることがないから、イエスに従うということではありません。実際この漁師たちは大漁で大成功の最中に、仕事を捨てたのです。

あなたが意識している以上に神様はあなたを呼んでいます。快適なところから離れて、深いところへと舟を漕ぎだすようにと呼び掛けておられるのです。または、仕事を辞めなくてもいいけれども、あなたの職場をイエスの仕事場として提供しなさいと呼び掛けています。イエスはあなたの舟を使って、福音を伝えます。これからはこの仕事があなたの生活を支えるのではなく、イエスがささえます。あなたがこの4つのステップを踏めば、私はあなたを祝福します。だから、あなたのキャリアを仕事を私にください、そしてこれからはこのキャリアと仕事はイエスのものです。そしてあたなたは伝道者になります。大工の扮装をした伝道師、教師の扮装をした伝道師など何であれあなたの職業を使った伝道師になります。

また、イエスはこうおっしゃいます。「自分が一生懸命にやったことでも失敗するのだと認めなさい。ですから私がすでに言ったことに何でも従いなさい。たとえそれがやったことのないことだとしても、『お言葉ですから』と言ってやりなさい。私が船の上にいて、あなたに網をはる場所を教えます。私と一緒にいれば収穫があると約束します。」

神様が望んでいることをやる覚悟はできましたか?

祈り「夜通し働いたのに、私は一匹も魚をとれませんでした。でも私は網をすててあなたに従いたいです。最初に私の仕事とキャリアをあなたに捧げます。これはあなたの仕事とキャリアです。そして私はこの分野においてあなたの伝道師になります。わたしはあなたがいつでも私の人生に入ってこれるように、完璧に道をあけておきます。私の仕事、家庭、結婚、友達、預金などすべてあなたのものです。私の舟に乗ってください。すべてをささげます。私がやってもうまく行かないと認めます。時々私は高慢で、頑固で、恐怖で不安になります。だからあなたを信じる必要があるのです。あなたが私にやるようにと命令したことをまだやっていませんでした。お金がかかり過ぎる、時代遅れ、意味が分からないと言って先延ばしにし、やっていませんでした。でもお言葉ですから私は深いところへ漕ぎ出します。あなたを信じます。あなたが物事を変えてくださると期待します。すべてのものを捧げます。私は自分が祝福を受けることを気にしている人生よりも、祝福を与えるお方について行きます。イエスの御名によってお祈りします。」

ステップ
1)イエスを自分の舟に乗せる
2)自分で努力してもうまくいかないと認める
3)イエスが言うことなら何でも従う
4)イエスが状況を変えてくれることに期待をする


頑張っても結果が出ないときPart2

2018-02-09 16:54:46 | Weblog
WHEN YOU’VE COME UP EMPTY Part2
Paster Rick's Daily Hope 2018/2/5 podcast

私たちは、”神様、私を成功させてください、そうすればあなたに仕えます。”と思いがちです。でも、それは間違っています。まったく正反対です。”神様、私の仕事はうまく行ってません。でもあなたがこの仕事を用いてください。そうして私を成功させてください。”なのです。

マタイ6:33「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

私たちの優先順位を正しくしなければなりません。神様と神様の義を第一にするべきです。成功、満足、給料を第一にすべきではありません。

イエスをあなたの舟にのせなければなりません。そうすればイエスはあなたのニーズに応えてくださいます。

神様からの恵みをいただきたいのであれば、何事においても、神様を優先させてください。もっと時間が欲しいと思うのなら、毎朝の時間をまず神様に差し上げなければいけません。神様からの恵みを受けて毎週うまくやっていきたいのであれば、週の1日目を神様に差し上げなければいけません。お金の恵みをいただきたいのであれば、収入の10%を神様へ献金しなければないません。金額の多少にかかわらずです。私は3年間大学院に通っていた時、月給800ドルで家族を養っていましたが、それでも10%を必ず献金していました。私は神様の祝福が無ければやっていけなかったからです。

何につけてもその領域においてあなたが神様を一番にすれば、神様は祝福と恵みをお与えになります。

ですから、あなたの仕事場にイエスに来ていただき、”主よ、この職場をあなたの福音を広げるための場所として使ってください”と言えばいいのです。そうすれば、神様はあなたが必要なものをすべて与えてくださいます。

あなたはこう宣言してください、”私は神の国と神の義を一番に求める伝道者です”と。実際どうすればいいのかというと、”私は、不動産仲介者の扮装をした伝道者です。” ”私は、看護師の扮装をした伝道者です。” 子守、会計士、トラック運転手、社長、教師、掃除人、何をしているにしろ、”自分の仕事をイエスが福音を伝える場所として提供します”ということです。そうすれば、イエスは祝福をくださいます。

ではあなたにお尋ねします。あなたは自分の舟をイエスに提供していますか?

あなた方の中で今、人生で大変な思いをしていて、すべてのことを変えたいと思っている人がいるかもしれませんが、今持っている網を変える必要はありません。舟も変える必要はありません。ビジネス・パートナーや会社の場所も変える必要はありません。結婚や住む場所まで変えようと考えているかもしれませんが、その必要もありません。でも、イエスを自分たちの舟に乗せて、イエスに舟のかじ取りをしていただく必要があります。

自分の舟をイエスに提供することが、最初のステップです。そして第2のステップは、”自分で努力してもうまくいかないと認めること”です。

イエスは、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカ5:4)と言われました。でも、シモン・ペトロはこう答えました「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」(ルカ5:5)

ペトロがどんな思いでこう言ったのかお気づきですか?ペトロはプロの漁師です。彼は優秀でした。この4人の漁師たちは趣味で魚釣りをしているのではなく、漁をして生計を立てています。どのようにして魚をとるのかよく知っています。でも、彼らのようなプロでさえ、夜通し働いても何もとれないことがあるのです。「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」と言うのは恥ずかしいことでした。謙虚にならなければ言えないことでした。一流のプロ野球選手が1本のヒットさえも打てないとか、一流のプロバスケット選手が1度もゴールできなかったというようなことなのです。とても恥ずかしいことでした。

彼らはいい人たちで、大変一生懸命にやっていたのです。しかし、時には”一生懸命”でも足りないことがあるのです。また、どうにもならない状況があることでしょう。私たちは自分の力で経済状況をコントロールできません。天気も病気も、他の人がやることもコントロールできません。老化もどうにもできません。自分の人生の大半のことをコントロールできないのです。だから、”自分はほんとに一生懸命やったのに、頑張ったのに、何も変わらなかったみたいだ”と思うことがあるのです。

では、どうしたらいいのでしょうか? あなたは2つやる必要があります。まず、イエスを舟にのせてください。第2に自分のやり方ではうまくいかないことを認めてください。それはとても恥ずかしいことですし謙虚さが必要です。このことを聖書では、告白といいます。

でも、わたしたちは認めたくありません。あなたも私も、自分のやり方がうまくいかないとは、認めたくないのです。何故でしょう?認めない理由が3つあります。プライド、頑固さ、そして恐れです。

プライドは、”こんなこともできない者だと思われたくない” ”私にすべてまかされている。何事も私次第で動く” ”ここは私が管理している” ”私のもとにすべてが集まっている” などと思うことです。そしてこのプライドがステップ2の”認めること”を妨げます。

頑固さは、”私のやり方を変えたくない” ”みんなこうしている”と思うことです。今日の敵は”昨日の成功”と言いますが、昨日は終わりました。違うやり方をしなくてはいけません。イエスはこう言います。昨日の成功があなたの今日の成功を妨げていると。

このような頑固さは昔からありました。モーセのような霊的なリーダーも頑固でした。モーセはイスラエルの民をエジプトから脱出させましたが、シナイ砂漠を超えてイスラエルに行くのに普通では2週間で行けるところを40年もかかったというのは、モーセの頑固さのゆえです。40年間もさまよっているとき、モーセは神様のやり方に従うことを拒否して、モーセがいつもやっているやり方を変えずにそのまま通そうとしました。そのことゆえにモーセは約束の地に行きつくことができませんでした。だからあなたは、変わることに前向きでなければなりません。

もちろん、恐れも自分のやり方ではうまくいかないと認めるのを妨げます。あなたは自分の能力が低いと思われることを恐れるからです。”イエスを自分の舟にのせたら、イエスは私が行きたくないところへ行けといいそうだから怖い。イエスが自分の職場に来たら、私に狂信者だと思われるようなことをさせるだろう。イエスは私が怖くて死にそうなところに行かせるかもしれない・・・”

第3のステップは、もしあなたが空から満杯に行きたければ、”わたしはイエスが言うことなら何でも従う”ことです。言い換えれば、イエスが言うことであれば、それがたとえ何を意味するのかまったくわからなくても、意味がないと思っても、理にかなっていなくても、他の人から見て馬鹿だとかおろかと思われても、私は神様のおっしゃることに従わなくてはならないということです。むしろ、喜んでやるということです。神様がおっしゃることなら、金銭的にありえないことでも、不合理でも、やりたくなくても、混乱しても、怖くて死にそうでも、とにかくやる、”私はイエスの言うことなら何でも従う、まったく意味がわからなくてもやる”ということです。

それはペテロがこう答えたからです。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(ルカ5:5)

「お言葉ですから」というのが奇跡へのカギです。自分が頭がいいから、人気があるから、お金があるから、理にかなっているから、他の人もやっているから・・・ではなく、”私はイエスがおっしゃるからこれをやります”ということです。

イエスは舟に乗っただけではなく、漁のやり方も指示しました。でもペトロはそのときにイエスにこのような物言いをしませんでした。”失礼ですが、あなたは大工で、私は漁師です。あなたは木のことを知っていますが、私は魚のことなら知っています。魚はかかりません。ですから、どなたが今このように漁をしなさいと言えるのでしょうか?私は漁のプロです。この仕事のことは私の方がよく知っています。” もしこのような物言いをしていたのなら、多くの祝福がなかったことでしょう。

こんなことも言いませんでした。”イエス様、いいアイデアですね。でもちょっと考えてみましょう。みんなで話し合いましょう。多数決をとってみましょう。” ”私たちは疲れています。夜通し働いても何もとれなくて、汗だくで汚れていて、臭くって、早く家に戻って休みたいです。どうでしょうか、家に帰ってシャワーを浴びて、すこし休んでから午後にでも漁に出ればこんどは魚がかかるかもしれません。出直しませんか?”などとは言わず、ペトロはすぐに舟を出しました。

ペトロはまったく嫌がらなかったのです。グズグズせず、即でした。ペトロは自分の感情に従いませんでした。ペテロは疲れて死にそうなだったはずです。一晩中頑張ったのにまったく魚がかかりませんでした。もう一度やっても結果は分かり切っています。しかし、ペテロは何一つ尋ねることなく従いました。

「お言葉ですから」と言って従順になりました。もしあなたが、「お言葉ですから」の人になれば、神様はあなたの人生を祝福します。 ”主よ、あなたの指示は、私には意味がまったくわかりません。でもお言葉ですから、やります。信頼して従います。”

さて、あなたにお尋ねします。 神様がやりなさいとおっしゃったことで、やってないことは何ですか?

あなたが第1ステップをやってないのなら、神様は第2ステップ以降のことを指示なさいません。 神様が”収入の10分の一を献金をしなさい”とおっしゃったのにやってない。神様が”この人を赦しなさい”とおしゃったのに、彼を赦すなんて嫌だと言って赦していないのなら、あなたは自分自身を傷つけています。 神様が”この同僚の方にイエスをのべ伝えなさい”とおしゃったのに、死にそうに怖い、自分は軽蔑されると思ってやってない。神様があなたはイエスのように洗礼を受けるべきですと言われたのに、いろいろ言い訳をして受けないでいる。あなたは小グループを始めるべきだと言われたのに、始めていない・・・。

神様はあなたに何をやりなさいとおっしゃいましたか? 神様に不従順であることは、あなたを傷つけます。神様の祝福をもらいそこねます。

でも、あなたが「お言葉ですから」の人になるのなら、神様はあなたのキャリアにヴィジョンを与えます。でも神様はそのヴィジョンを全部一度に見せません。段階を追ってヴィジョンを見せます。何故なら、段階をおって信仰を成長させてほしいからです。

神様が、あなたの人生で神様のヴィジョンを行ってほしいとき、いつも3つに分けて行わせます。

1に、何をすべきか? 2に、どのようにそれをすべきか? 3に、いつすべきか?

でも我々がよくやるのは、まず神様が「何をすべきか」を教えたとき、次の指示を待たずに始めてしうことです。たとえば、”新しい事業を始めなさい”と言われて、第2の”どのように”と第3の”いつ”を教えられる前に、自分ですぐに始めてしまうのです。そして失敗をして、戻って来て神様にこう言うのです。”神様は私にレストランをやりなさいとおっしゃいましたよね?” 神様はこう答えます。”確かにそう言ったが、あなたは第2と第3部を待たなかった。” 

第2部の”どのように”にしても、神様はいつも私たちが考えるのとは違う方法でことを行います。それは、神様が栄光を受けるためです。

第3部の”いつ”にしても、神様の完璧なタイミングです。ホームランとアウトの違いは一つだけ、それはタイミングです。すべてのことは、タイミングです。いつもと同じボール、同じバット、ボールは同じ距離から飛んできますが、300打打てるプロと100打打つプロの違いはタイミングです。私が学んだことは、神様のタイミングを待たなければならないということです。

神様のヴィジョンは3段階で来ます。イエスはペトロに「いつ」「どのように」「どこで」を教えました。最初にイエスは、「いつ」、”今すぐに舟を出しなさい”とおっしゃいました。

ところで、沖に舟を出すことはいつもリスクを伴います。神様はいつもリスクをとりなさいとおっしゃいます。なぜなら、リスクの無いところに信仰も無いからです。信仰が無ければ神様を喜ばせることができないからです。

そして、イエスは「どうやって」、”網を降ろしなさい”を、次に、「どこ」、”沖へ”とおっしゃいました。「沖に漕ぎ出して」とおっしゃった訳は、そこに大きな魚がいるからです。

皆さん、私たちの多くは浅瀬で人生をおくっています。彼らは、”赤ちゃんの砂浜”で生きているクリスチャンです。イエスにちょっと触れてもらえれば満足で、イエスからの祝福はもらわなくて良いのです。深みにはまりたくないのです。表面的なところでしか生きていません。教会に来て、ゆったりと漕ぎ回って表面的な人生を生き、ちょっとだけ獲物を得る、足を濡らしたくない、深みにはまりたくないと思っています。そういう人たちは神様からの祝福を受けることはできません。

頑張っても結果が出ないとき

2018-02-04 23:02:00 | Weblog
本記事は、リック・ウォーレン牧師(米国・サドルバッグ教会)のポッドキャストを翻訳したものです。

WHEN YOU’VE COME UP EMPTY
Paster Rick's Daily Hope 2018/2/2 podcast


ルカ5:1-3 「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの船が岸にあるのをご覧になった。漁師たちは、船から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち船に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。」

この出来事は、大変なとき、困難なとき、問題が起こったときに、私たちが何をすべきかを教えてくれます。

この場面はイエスが宣教し始めたごく初期のときで、水をワインに変えたという奇跡に続いて2番目の奇跡が起きたときのことです。イエスの弟子は12人いましたが、そのうち4人が漁師でした。ペトロとアンドレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟です。

当時、彼ら4人はまだイエスの弟子ではなくガリラヤ湖、ゲネサレト湖畔付近で漁をして生計を立てていました。プロの漁師でした。でもこの日彼らは夜通し漁をしたのですが、何も獲れず、岸に戻ってきて、網を洗っていたのでした。一晩中頑張って漁をしていたのに、徒労に終わったのでした。彼らは疲れて、がっかりしていて、そして網の中には何もないという状態だったのです。

そこへイエスがやって来て、シモン・ペトロに舟を岸から少し漕ぎ出すようにと頼みました。そしてイエスは舟に座って、舟から岸にいる群衆に向かって教え始めたのです。

イエスは何故このようなことをしたのでしょうか?

まず考えられるのは、水をアンプ(音声を増幅する音響機器)として利用するためです。というのは、陸上で話すと声が陸に吸収されてしまい遠くまで届きませんが、水上では声の音波が水を伝わって行くので、遠くへ声が届くからです。おそらくそこには数百、または数千もの人々がいたと思われますので、イエスは賢い方法をとったのです。しかし、これよりも、もっと大事な理由がありました。

イエスはこの4人の漁師をご自分の最初の弟子として選ぼうとしていました。イエスは彼らに頼むつもりでした。漁師としての自分たちの仕事を辞めて、イエスついて行くようにと。そのために彼らの仕事において奇跡を見せる計画だったのでした。漁師としての彼らが理解できる奇跡を。大漁の奇跡を。

5:4-5「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」

あなたもこんな気持ちになったことありますか? 頑張って営業したのに契約できなかった、家が売れなかった、昇進できなかった、そして今は失業中・・・。シモンの言葉から落胆の気持ちが伝わってきます。

私たちの人生にはときどき、このようなことが起こります。

自己最善の記録を出そうとしたのに、まだ少し足らなかった。

努力した、まじめにやった、長時間働いたなのに見せられるほどの結果がなかった。

自分の仕事で正しいことを行った、これは神様が導いているとも思った、でもうまく行かなかった。

事業を始めようとしていたのに破綻した。神様が導いてくれると思っていたのに、うまく行かなかった。

結婚関係で頑張っている、耐えている、闘っている、カウンセリングを受けている、本を読んで何とかしようと努力している、なのにまったく前に進んでいない。状況がまったく良くならない。

資格試験に受かろう、学校の試験でよい成績をとろう、進級試験に受かろうと一生懸命勉強したのに合格できなかった。

そのようなことが人生で起こります。仕事に責任を持ち、職場で忠実に仕えて、勤勉で、強く、頑張る社員だったのに、突然不景気になって、リストラされた。一晩中一生懸命働いたのに何も得られなかった・・・

この奇跡にはたくさんの教訓があります。 

私たちはみな、何かのために漁をしています。 

ある人は承認を得るために。ある人は自分を愛してくれる誰かを探しています。別にそれは悪いことではありません。子供のころに承認を得られなかった人が大人になったとき、自分のことを尊重してくれる人を探します。自分をありのままに愛してくれて大切に思ってくれる人を探します。自分のことを畏敬の念をもって気遣ってくれるくれる人を探しています。安心感を得るために頑張っている人もいます。それも悪いことではありません。

意義のある人生を生きたい、自分の人生を意味あるものにしたいと頑張っている人もいます。それも悪いことではありません。自分の妻のためあるいは夫のために頑張ることも悪いことではありません。失業中で仕事探しを頑張っていることも悪いことではありません。仕事も収入も必要です。誰もがみな、何かのために頑張っているのです。

この奇跡が教えてくれることは、こんなに頑張っても空しい結果に終わったらどうするのかということです。大変力強い奇跡です。今のような不景気の時代をどのように乗り越えていくのか知る必要があります。

さてこの4人の漁師はイエスに言われた通りのことをして奇跡をもらいました。そればかりではなく、自分たちでは受け取り切れないほどの魚をもらって他の人たちにも分け与えました。そして彼らの人生は永遠に変わったのでした。

イエスはシモンの船を説教台にして人々に福音を教えました。聖書にはその続きが書いてあります。

5:6-7「そして漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。」

彼らは10時間かかって獲れなかった魚を10分足らずで獲ったのです。これこそ奇跡のアクセルです。神様が行程を早めてくれたのです。

もしも奇跡のアクセルを理解したなら、今後あなたはタイミングについて不安になることはないでしょう。ひと月、ふた月、一年、二年もの間失業していたとしても大丈夫だと思えるからです。いったん神様が水道の蛇口を回せば、水漏れが素早く止まるからです。事実、あなたが10年かけてすることを神様は10分で終えることができるのです。神様の言う通りに行うならば。

では何がどう違うのでしょうか?それが、ポイントです。自分が一晩中働いても結果がないことと、結果が出過ぎて舟が沈んでしまいそうになるほどととの違いは? 魚がいっぱいなので舟が沈んでしまわないように、周りの人たちに魚(祝福)を分けなければいけなかったほどなのです。空っぽの舟と、あふれんばかりいっぱいの祝福との違いは何でしょうか?

マタイ9:29でイエスは「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われました。自分の信仰の度合いに応じた結果が出るということです。

このときの弟子たちは信仰には4段階ありました。あなたもこの不景気の時代に、困難なとき、結果が出ないときに信仰の4つのステップを踏むべきです。

1番最初にすべきことは、自分の人生にイエスがいつでも入って来れる道をつくることです。人生が空しいところから、あふれんばかり満たされるところへ行きたければ、イエスの通り道をいつも開けておくことです。

ルカ5:3にあるように、まず、イエスを自分の舟に乗せなければいけません。

10時間かけてできなかったことを、10分でできたこととの違いは何ですか?同じ湖、同じ舟、同じ漁師、同じ網、同じ仲間、同じ魚・・・唯一違うところは、イエスが舟に乗っているかどうかです。

ここで考え方を一変させてください。神様が一緒にいるのです。もはや自分たちで漁をするのではなく、自分たちで仕事するのでもなく、イエスが職場にいてくれるのです。自分たちの職場を支配してくれる主人がいるのです。

ではこれを今の不景気の時代にあてはめてみましょう。あなたの舟とは何ですか?あなたの舟は生計を立てるためのものです。シモンは漁師で仕事用の舟をイエスに差し出しました。彼は自分の仕事をイエスにあげました。舟はあなたのキャリア、職業、仕事、職場を表します。生計をたてるものです。報酬、給与、コミッションなどです。

第2に、イエスがあなたの舟にいるとはどういうことでしょうか?それはあなたが自分の仕事を神様に捧げるということです。

あなたの人生にはイエスがいます。けれども職場にはいません。

あなたは自分が救われたことを信じて、毎週教会に来て、神様を賛美しています。でも週が明けて仕事に出かけるときにはイエスを棚の中に入れていくのです。あなたの職場にイエスはいません。ということは、職場がイエスの説教台にはなっていないのです。あなたの舟をイエスにあげるということは、「イエス様、私の職場をあなたの説教台にしてあなたのためにお使いください。私の仕事をあなたに捧げます」と言うことなのです。

ペテロがイエスの仕事のために自分の仕事(舟)を差し上げたとき、ペテロに信じられないほどの大きな祝福がありました。でも、順番を間違えないでください。私たちは「神様が仕事でのすごい成功をくださるなら、私は神様に仕えます」と思いがちです。それは間違ってます。まったく正反対です。「神様、今、私の仕事を使ってください。」と言ったら成功がくるのです。ペテロはイエスの説教台のために自分の舟をさし出しました。そうしたらイエスはペテロの仕事をものすごく成功させたのです。