本記事は、リック・ウォーレン牧師(米国・サドルバッグ教会)のポッドキャストを翻訳したものです。
WHEN YOU’VE COME UP EMPTY
Paster Rick's Daily Hope 2018/2/2 podcast
ルカ5:1-3 「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの船が岸にあるのをご覧になった。漁師たちは、船から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち船に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。」
この出来事は、大変なとき、困難なとき、問題が起こったときに、私たちが何をすべきかを教えてくれます。
この場面はイエスが宣教し始めたごく初期のときで、水をワインに変えたという奇跡に続いて2番目の奇跡が起きたときのことです。イエスの弟子は12人いましたが、そのうち4人が漁師でした。ペトロとアンドレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟です。
当時、彼ら4人はまだイエスの弟子ではなくガリラヤ湖、ゲネサレト湖畔付近で漁をして生計を立てていました。プロの漁師でした。でもこの日彼らは夜通し漁をしたのですが、何も獲れず、岸に戻ってきて、網を洗っていたのでした。一晩中頑張って漁をしていたのに、徒労に終わったのでした。彼らは疲れて、がっかりしていて、そして網の中には何もないという状態だったのです。
そこへイエスがやって来て、シモン・ペトロに舟を岸から少し漕ぎ出すようにと頼みました。そしてイエスは舟に座って、舟から岸にいる群衆に向かって教え始めたのです。
イエスは何故このようなことをしたのでしょうか?
まず考えられるのは、水をアンプ(音声を増幅する音響機器)として利用するためです。というのは、陸上で話すと声が陸に吸収されてしまい遠くまで届きませんが、水上では声の音波が水を伝わって行くので、遠くへ声が届くからです。おそらくそこには数百、または数千もの人々がいたと思われますので、イエスは賢い方法をとったのです。しかし、これよりも、もっと大事な理由がありました。
イエスはこの4人の漁師をご自分の最初の弟子として選ぼうとしていました。イエスは彼らに頼むつもりでした。漁師としての自分たちの仕事を辞めて、イエスついて行くようにと。そのために彼らの仕事において奇跡を見せる計画だったのでした。漁師としての彼らが理解できる奇跡を。大漁の奇跡を。
5:4-5「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」
あなたもこんな気持ちになったことありますか? 頑張って営業したのに契約できなかった、家が売れなかった、昇進できなかった、そして今は失業中・・・。シモンの言葉から落胆の気持ちが伝わってきます。
私たちの人生にはときどき、このようなことが起こります。
自己最善の記録を出そうとしたのに、まだ少し足らなかった。
努力した、まじめにやった、長時間働いたなのに見せられるほどの結果がなかった。
自分の仕事で正しいことを行った、これは神様が導いているとも思った、でもうまく行かなかった。
事業を始めようとしていたのに破綻した。神様が導いてくれると思っていたのに、うまく行かなかった。
結婚関係で頑張っている、耐えている、闘っている、カウンセリングを受けている、本を読んで何とかしようと努力している、なのにまったく前に進んでいない。状況がまったく良くならない。
資格試験に受かろう、学校の試験でよい成績をとろう、進級試験に受かろうと一生懸命勉強したのに合格できなかった。
そのようなことが人生で起こります。仕事に責任を持ち、職場で忠実に仕えて、勤勉で、強く、頑張る社員だったのに、突然不景気になって、リストラされた。一晩中一生懸命働いたのに何も得られなかった・・・
この奇跡にはたくさんの教訓があります。
私たちはみな、何かのために漁をしています。
ある人は承認を得るために。ある人は自分を愛してくれる誰かを探しています。別にそれは悪いことではありません。子供のころに承認を得られなかった人が大人になったとき、自分のことを尊重してくれる人を探します。自分をありのままに愛してくれて大切に思ってくれる人を探します。自分のことを畏敬の念をもって気遣ってくれるくれる人を探しています。安心感を得るために頑張っている人もいます。それも悪いことではありません。
意義のある人生を生きたい、自分の人生を意味あるものにしたいと頑張っている人もいます。それも悪いことではありません。自分の妻のためあるいは夫のために頑張ることも悪いことではありません。失業中で仕事探しを頑張っていることも悪いことではありません。仕事も収入も必要です。誰もがみな、何かのために頑張っているのです。
この奇跡が教えてくれることは、こんなに頑張っても空しい結果に終わったらどうするのかということです。大変力強い奇跡です。今のような不景気の時代をどのように乗り越えていくのか知る必要があります。
さてこの4人の漁師はイエスに言われた通りのことをして奇跡をもらいました。そればかりではなく、自分たちでは受け取り切れないほどの魚をもらって他の人たちにも分け与えました。そして彼らの人生は永遠に変わったのでした。
イエスはシモンの船を説教台にして人々に福音を教えました。聖書にはその続きが書いてあります。
5:6-7「そして漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。」
彼らは10時間かかって獲れなかった魚を10分足らずで獲ったのです。これこそ奇跡のアクセルです。神様が行程を早めてくれたのです。
もしも奇跡のアクセルを理解したなら、今後あなたはタイミングについて不安になることはないでしょう。ひと月、ふた月、一年、二年もの間失業していたとしても大丈夫だと思えるからです。いったん神様が水道の蛇口を回せば、水漏れが素早く止まるからです。事実、あなたが10年かけてすることを神様は10分で終えることができるのです。神様の言う通りに行うならば。
では何がどう違うのでしょうか?それが、ポイントです。自分が一晩中働いても結果がないことと、結果が出過ぎて舟が沈んでしまいそうになるほどととの違いは? 魚がいっぱいなので舟が沈んでしまわないように、周りの人たちに魚(祝福)を分けなければいけなかったほどなのです。空っぽの舟と、あふれんばかりいっぱいの祝福との違いは何でしょうか?
マタイ9:29でイエスは「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われました。自分の信仰の度合いに応じた結果が出るということです。
このときの弟子たちは信仰には4段階ありました。あなたもこの不景気の時代に、困難なとき、結果が出ないときに信仰の4つのステップを踏むべきです。
1番最初にすべきことは、自分の人生にイエスがいつでも入って来れる道をつくることです。人生が空しいところから、あふれんばかり満たされるところへ行きたければ、イエスの通り道をいつも開けておくことです。
ルカ5:3にあるように、まず、イエスを自分の舟に乗せなければいけません。
10時間かけてできなかったことを、10分でできたこととの違いは何ですか?同じ湖、同じ舟、同じ漁師、同じ網、同じ仲間、同じ魚・・・唯一違うところは、イエスが舟に乗っているかどうかです。
ここで考え方を一変させてください。神様が一緒にいるのです。もはや自分たちで漁をするのではなく、自分たちで仕事するのでもなく、イエスが職場にいてくれるのです。自分たちの職場を支配してくれる主人がいるのです。
ではこれを今の不景気の時代にあてはめてみましょう。あなたの舟とは何ですか?あなたの舟は生計を立てるためのものです。シモンは漁師で仕事用の舟をイエスに差し出しました。彼は自分の仕事をイエスにあげました。舟はあなたのキャリア、職業、仕事、職場を表します。生計をたてるものです。報酬、給与、コミッションなどです。
第2に、イエスがあなたの舟にいるとはどういうことでしょうか?それはあなたが自分の仕事を神様に捧げるということです。
あなたの人生にはイエスがいます。けれども職場にはいません。
あなたは自分が救われたことを信じて、毎週教会に来て、神様を賛美しています。でも週が明けて仕事に出かけるときにはイエスを棚の中に入れていくのです。あなたの職場にイエスはいません。ということは、職場がイエスの説教台にはなっていないのです。あなたの舟をイエスにあげるということは、「イエス様、私の職場をあなたの説教台にしてあなたのためにお使いください。私の仕事をあなたに捧げます」と言うことなのです。
ペテロがイエスの仕事のために自分の仕事(舟)を差し上げたとき、ペテロに信じられないほどの大きな祝福がありました。でも、順番を間違えないでください。私たちは「神様が仕事でのすごい成功をくださるなら、私は神様に仕えます」と思いがちです。それは間違ってます。まったく正反対です。「神様、今、私の仕事を使ってください。」と言ったら成功がくるのです。ペテロはイエスの説教台のために自分の舟をさし出しました。そうしたらイエスはペテロの仕事をものすごく成功させたのです。
WHEN YOU’VE COME UP EMPTY
Paster Rick's Daily Hope 2018/2/2 podcast
ルカ5:1-3 「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの船が岸にあるのをご覧になった。漁師たちは、船から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち船に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。」
この出来事は、大変なとき、困難なとき、問題が起こったときに、私たちが何をすべきかを教えてくれます。
この場面はイエスが宣教し始めたごく初期のときで、水をワインに変えたという奇跡に続いて2番目の奇跡が起きたときのことです。イエスの弟子は12人いましたが、そのうち4人が漁師でした。ペトロとアンドレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟です。
当時、彼ら4人はまだイエスの弟子ではなくガリラヤ湖、ゲネサレト湖畔付近で漁をして生計を立てていました。プロの漁師でした。でもこの日彼らは夜通し漁をしたのですが、何も獲れず、岸に戻ってきて、網を洗っていたのでした。一晩中頑張って漁をしていたのに、徒労に終わったのでした。彼らは疲れて、がっかりしていて、そして網の中には何もないという状態だったのです。
そこへイエスがやって来て、シモン・ペトロに舟を岸から少し漕ぎ出すようにと頼みました。そしてイエスは舟に座って、舟から岸にいる群衆に向かって教え始めたのです。
イエスは何故このようなことをしたのでしょうか?
まず考えられるのは、水をアンプ(音声を増幅する音響機器)として利用するためです。というのは、陸上で話すと声が陸に吸収されてしまい遠くまで届きませんが、水上では声の音波が水を伝わって行くので、遠くへ声が届くからです。おそらくそこには数百、または数千もの人々がいたと思われますので、イエスは賢い方法をとったのです。しかし、これよりも、もっと大事な理由がありました。
イエスはこの4人の漁師をご自分の最初の弟子として選ぼうとしていました。イエスは彼らに頼むつもりでした。漁師としての自分たちの仕事を辞めて、イエスついて行くようにと。そのために彼らの仕事において奇跡を見せる計画だったのでした。漁師としての彼らが理解できる奇跡を。大漁の奇跡を。
5:4-5「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」
あなたもこんな気持ちになったことありますか? 頑張って営業したのに契約できなかった、家が売れなかった、昇進できなかった、そして今は失業中・・・。シモンの言葉から落胆の気持ちが伝わってきます。
私たちの人生にはときどき、このようなことが起こります。
自己最善の記録を出そうとしたのに、まだ少し足らなかった。
努力した、まじめにやった、長時間働いたなのに見せられるほどの結果がなかった。
自分の仕事で正しいことを行った、これは神様が導いているとも思った、でもうまく行かなかった。
事業を始めようとしていたのに破綻した。神様が導いてくれると思っていたのに、うまく行かなかった。
結婚関係で頑張っている、耐えている、闘っている、カウンセリングを受けている、本を読んで何とかしようと努力している、なのにまったく前に進んでいない。状況がまったく良くならない。
資格試験に受かろう、学校の試験でよい成績をとろう、進級試験に受かろうと一生懸命勉強したのに合格できなかった。
そのようなことが人生で起こります。仕事に責任を持ち、職場で忠実に仕えて、勤勉で、強く、頑張る社員だったのに、突然不景気になって、リストラされた。一晩中一生懸命働いたのに何も得られなかった・・・
この奇跡にはたくさんの教訓があります。
私たちはみな、何かのために漁をしています。
ある人は承認を得るために。ある人は自分を愛してくれる誰かを探しています。別にそれは悪いことではありません。子供のころに承認を得られなかった人が大人になったとき、自分のことを尊重してくれる人を探します。自分をありのままに愛してくれて大切に思ってくれる人を探します。自分のことを畏敬の念をもって気遣ってくれるくれる人を探しています。安心感を得るために頑張っている人もいます。それも悪いことではありません。
意義のある人生を生きたい、自分の人生を意味あるものにしたいと頑張っている人もいます。それも悪いことではありません。自分の妻のためあるいは夫のために頑張ることも悪いことではありません。失業中で仕事探しを頑張っていることも悪いことではありません。仕事も収入も必要です。誰もがみな、何かのために頑張っているのです。
この奇跡が教えてくれることは、こんなに頑張っても空しい結果に終わったらどうするのかということです。大変力強い奇跡です。今のような不景気の時代をどのように乗り越えていくのか知る必要があります。
さてこの4人の漁師はイエスに言われた通りのことをして奇跡をもらいました。そればかりではなく、自分たちでは受け取り切れないほどの魚をもらって他の人たちにも分け与えました。そして彼らの人生は永遠に変わったのでした。
イエスはシモンの船を説教台にして人々に福音を教えました。聖書にはその続きが書いてあります。
5:6-7「そして漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。」
彼らは10時間かかって獲れなかった魚を10分足らずで獲ったのです。これこそ奇跡のアクセルです。神様が行程を早めてくれたのです。
もしも奇跡のアクセルを理解したなら、今後あなたはタイミングについて不安になることはないでしょう。ひと月、ふた月、一年、二年もの間失業していたとしても大丈夫だと思えるからです。いったん神様が水道の蛇口を回せば、水漏れが素早く止まるからです。事実、あなたが10年かけてすることを神様は10分で終えることができるのです。神様の言う通りに行うならば。
では何がどう違うのでしょうか?それが、ポイントです。自分が一晩中働いても結果がないことと、結果が出過ぎて舟が沈んでしまいそうになるほどととの違いは? 魚がいっぱいなので舟が沈んでしまわないように、周りの人たちに魚(祝福)を分けなければいけなかったほどなのです。空っぽの舟と、あふれんばかりいっぱいの祝福との違いは何でしょうか?
マタイ9:29でイエスは「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われました。自分の信仰の度合いに応じた結果が出るということです。
このときの弟子たちは信仰には4段階ありました。あなたもこの不景気の時代に、困難なとき、結果が出ないときに信仰の4つのステップを踏むべきです。
1番最初にすべきことは、自分の人生にイエスがいつでも入って来れる道をつくることです。人生が空しいところから、あふれんばかり満たされるところへ行きたければ、イエスの通り道をいつも開けておくことです。
ルカ5:3にあるように、まず、イエスを自分の舟に乗せなければいけません。
10時間かけてできなかったことを、10分でできたこととの違いは何ですか?同じ湖、同じ舟、同じ漁師、同じ網、同じ仲間、同じ魚・・・唯一違うところは、イエスが舟に乗っているかどうかです。
ここで考え方を一変させてください。神様が一緒にいるのです。もはや自分たちで漁をするのではなく、自分たちで仕事するのでもなく、イエスが職場にいてくれるのです。自分たちの職場を支配してくれる主人がいるのです。
ではこれを今の不景気の時代にあてはめてみましょう。あなたの舟とは何ですか?あなたの舟は生計を立てるためのものです。シモンは漁師で仕事用の舟をイエスに差し出しました。彼は自分の仕事をイエスにあげました。舟はあなたのキャリア、職業、仕事、職場を表します。生計をたてるものです。報酬、給与、コミッションなどです。
第2に、イエスがあなたの舟にいるとはどういうことでしょうか?それはあなたが自分の仕事を神様に捧げるということです。
あなたの人生にはイエスがいます。けれども職場にはいません。
あなたは自分が救われたことを信じて、毎週教会に来て、神様を賛美しています。でも週が明けて仕事に出かけるときにはイエスを棚の中に入れていくのです。あなたの職場にイエスはいません。ということは、職場がイエスの説教台にはなっていないのです。あなたの舟をイエスにあげるということは、「イエス様、私の職場をあなたの説教台にしてあなたのためにお使いください。私の仕事をあなたに捧げます」と言うことなのです。
ペテロがイエスの仕事のために自分の仕事(舟)を差し上げたとき、ペテロに信じられないほどの大きな祝福がありました。でも、順番を間違えないでください。私たちは「神様が仕事でのすごい成功をくださるなら、私は神様に仕えます」と思いがちです。それは間違ってます。まったく正反対です。「神様、今、私の仕事を使ってください。」と言ったら成功がくるのです。ペテロはイエスの説教台のために自分の舟をさし出しました。そうしたらイエスはペテロの仕事をものすごく成功させたのです。