暗いブログ
 



突然ですが、私はぽっちゃり好きです。
やせている女性に興味は全くありません。
なぜなら私がやせているからです。
やせている同士だったらゴツゴツして骨が折れます。
なので肉付きが重要なわけです。

そこで、現代のこの「細身至上主義」に異を唱えたい、とまことに勝手ながら思うわけです。

 まず、人間動物論を唱える私としては、ぽっちゃり好きは動物として正しい、と考えます。学校の身体測定で身長と体重の関係からどの領域に属しているかを判定する表があったと思いますが、私の言うぽっちゃりというのは「標準」もしくは「普通」に属していることを言います。多少「太っている」に属していても全くかまいません。ちなみい私はいつも「やせすぎ」でした。一度やせすぎの欄におさまらず、「るいそう」と診断されました。るいそうっていかにも危険な響きですが、一体なんなのかは知りません。
 
 それはさておき、あの「普通」エリアですが、あそこに属するには結構な肉付きが必要です。私の弟(中2)は身長160強で体重60キロ弱ですが普通のど真ん中です。見た目には太っているようですがそれでも普通です。つまり、ぽっちゃりしている人は太っているのではなく、生物的にきわめて「標準」的な体格をしているのです。
 
 それだけ生命力も強いのではないかと考えます。遭難したら、まず「るいそう」の私が即死し、次に「やせすぎ」が死ぬでしょう。逆の「太りすぎ」が遭難現場で長生きするかはわかりませんが、感覚的に「標準」が一番生命力がありそうです。
子孫をいかに長く残すか、ということが、なんのためかはわからないながらも生物の目的(の一つ)であるなら、オスとしてより健康的で生命力のある母体を選ぶのは正しいのではないかと思うわけです。強い相手の子供であれば生存確率も高い。ほとんど子供が死なない現代日本ではあまり意味が無いかもしれないが、強い相手を選ぶのは本能的ともいえる。
 
 何を隠そう、私の彼女はなかなか肉付きがよく、古い知人に会うたびに「また太ったんじゃない?」などとからかわれるといった具合でありますが、「標準」のど真ん中であります。会社の健康診断の結果はほぼオールA、パーフェクトであります。血液の成分やコレステロールなどすべて許容範囲のど真ん中、教科書にのるような健康体です。つまり、これは私が見た目から、ものすごく健康な相手を判断し選んでいたという事実をあらわし、半ば本能に無意識に選ばされたのではないかと思えるほどです。私が見るからに不健康体であるがゆえに余計その本能が強かったのかもしれません。
 
 さあ、のろけだかなんだかわからなくなってきましたが、このような理由で、私はぽっちゃりを推奨しているわけです。先ほども述べましたが、実際やせている人に何の魅力も感じません。まあ「デブ専」といわれましても否定はいたしません。

 
 絵画や彫刻の「ヴィーナス」を見てください。すごいです、あの堂々とした二段腹。
あれが当時の理想的な体型だったはずです。現代のこの「細身至上主義」のおかげで歪んでしまった価値観、多くの女性はそれに悩まされていることでしょう。
 ダイエット願望の強い方の多くは、男性の目より同性の目が最も気になっているのではないかと思います。「やせていれば何でも着こなせるのに」「やせている人は何を着てもきまる」そんな風にひがんでばかりいてはいけません。
 思うに、大抵の男は根本的にぽっちゃりが好きなはずです。サコツフェチとかクビレフェチとかアバラフェチなどという方々は相手にしなきゃいいんです。
 男の世界にも「細身至上主義」のフィルターはあるんです。やせてる女性がいいとかいっとけばかっこつくんです。批判はされないから楽なんです。私のように「俺はデブ専だ」というと変な目で見られるんです。ようするに自分の女性に対する好みすら右へならえで決めてしまう、芯の弱い男たちです。あなたがやせることによって得られるのは、そのような芯の弱い男たちです。やせて見栄えのいい女性と並んで歩くことによって得られる社会的ステータスが欲しい男たちが寄ってくるでしょう。苦労してダイエットした結果が、男の見栄のために利用されるという結果を招くのです。
 本当に心の底から華奢でほっそりした女性が好きという人も数多くいるでしょう。それはそれですばらしいと思います。しかし、「潜在的ぽっちゃり好き」よりその数は少ないと私はにらんでおります。何の根拠もありませんが。

 「細身好き男性」には見栄張りタイプのほかにもう一種類います。「男尊女卑の素養があるタイプ」です。自分よりも弱弱しい女性を選ぶことでいつでも自分の方が優位に立てるという潜在意識の現れです。男社会では弱いからせめて女性には勝ちたい、そのために男の武器である「身体能力」を誇示する弱い男です。以前にも言及した、私が考える男尊女卑の構造の根本です。男の弱さを知っているからこそ、力で女性を押さえつけようという素養があるタイプです。
 
 もう一つ、「守ってやりたい」タイプがいます。これは実にすばらしい。オスとして正しい。男の武器である「身体能力」を内ではなく、外に使うタイプです。オスの本来の目的と合致します。子孫繁栄のために外敵から家族を守ります。その名残が「女性を守りたい」という想いに現れているのでしょう。実に男らしい。まもってやりたいなんて思ったことも無い。
 このようなケースもあるので、やせていることが悪いとは言いませんが、個人的にはぽっちゃりが好き、ということであります。

 最終的に単なる自分の好みの話しかいってことに相成りました。はい。
すべて何の根拠も無い全くの空論です。要は「自分がやせているから、私は肉付きのよい女性が好き」という半ばセクハラ的な文章でありました。失礼しました。こんな長い文章を最後までよんでくださって本当にありがとうございました。

 
 
 
 
 
 
 

 


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今まで、男と女は違うものであるべきだと主張してきた私は、決して男らしくない。

むしろ、女性的な要素を多く兼ね備えているとさえ思える。
父親と暮らした記憶が無いせいか、目指すべき男性像というものが無かった。
母親が頂点であったのが幸いしたのか、私は一般的男性とは少しずれている。

まず、ひげが薄い。
そして体毛、体臭も薄い。
髪の毛は多い。年々髪の毛が増えている。
女装したら結構いけるんじゃないかと思う(?)
それは身体的なことであるが、他に、彼女より方向感覚がない。
知らぬ道はいつも彼女まかせである。
女性的洞察力に優れる(と自分で思っている)
色恋沙汰感情にやたらとするどい。バイト先の浮気疑惑が公になる前に誰よりも早く察知していたなど、他人の動向に敏感である。男のくせに。
女性の好みも、あまり一般的ではない。
ほっそりとして華奢で端正な顔立ちないかにも美人といった女性はあまり好みではない。どちらかというと、女性から見ても魅力的に見える女性が好みである場合が多い。例えばモー娘の石川梨華などは人気があるようだが全くタイプではない。見てるといらつく。女性には敵対視されるタイプだ。
ゆうこりんが現実にいたら張り倒したくなる。もっとまともにしゃべらんかい!
コリン星ごと破壊したい。
男に媚を売ってくるような女が好きではないのである。妙に気取って女女してるのもすきじゃないのである。

さて、なにが言いたいのか全くわからず自分のことを長々書いてきたわけだが、
要するに私は中性的な部分を持ちあわせた男であり、質実剛健といった男の代表のような存在では決して無い、ということが言いたかった。のだと感じるわけであります。


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私は村上春樹の「海辺のカフカ」に出てくる大島さんに大賛成です。
大島さんは生物的には女性ですが性同一性障害の同性愛者、という設定です。
つまり生まれ持った性は女だけど、意識は男であり、なおかつ男が好きなのである。
その人が本の中で盲目的に女性解放運動的なことをしている人にひどく腹をたてるわけです。
「あなたは間違っています。そもそも私は男ではありません」
「冗談はやめてください。バカにしているのですか」
大島さんが女であると読者もそこで知るわけですがそのくだりが非常に面白かった。


男と女に違いがあることを許せない女性は一体どうすれば納得してくれるのでしょう。
ボクシングをして男に勝てますか?
オリンピックの競技も全て男女一緒に競いますか?
男は出産したいと思っても出来ませんがどうすれば出産できますか?
男だって腹を痛めて産んだ我が子がどんなものか味わいたいけどできません。

男が勝っている分野、女が勝っている分野があって当然だと思います。
都合のいいところばかり男と一緒になりたいといってるだけに思えるから腹が立つんです。
例えば社会でも、食品の商品開発などは女が勝っている分野だと思いますよ。女子高生にうけるものはヒットします。私の母が女子高生の頃(女子高)、よくお菓子会社が発売前のチョコレートをもってきてアンケートを求めたそうです。女子高で評判が悪かったものは市場にだしても売れない。

本当に男女平等社会がやってきたら恐ろしいですよ。
女にも兵役義務が課せられます。
オリンピックも男女一緒に走らされます。

本当に男になりたいというあなた。
男と殴り合いの喧嘩をして倒してから言ってください。
細木数子と同じこといってますが。
いや、それでも男は女相手で本気で殴り合いなどできません。
それすら差別というのでしょうか。女に手加減することが差別でしょうか。


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今ジェンダーフリーってぐぐったらジェンダーフリーに対して否定的なページばかりでてきましたね。
「性の違いがあってこそ豊かな社会になる」
とか。
当たり前だと思いますが、安心しました。
「スチュワーデス」という言葉が差別だ!なんて一体どこの誰がいったんでしょう。。

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男女同権を過剰に訴える女性は、個人的にはいかがなものかと思う。
オスの起源からして、労働は男のものである。故に現代社会も男性優位に決まってる。そんなもの男にやらせておけばいい。わざわざ本来的に劣っている男と同等になりたいとは一体どうしたものか。男の方が生物として劣っているのですよ。
体の構造からして違う生き物と同じになりたいって意味がわかりません。
魚が鳥になりたいっていってるようなもんです。

話が大げさにすぎましたが、
職場で働いている女性が、男性と同じ待遇を受けるべきだ、とは私も思う。
同じ事をやっているのであれば当然同じ地位や待遇を受けるべきである。
それが出来ない社会はやはり差別的だとしか思えない。
しかし、過剰にジェンダーフリーを主張する方はそれにとどまらない。
もっと根本的な性差別、性の違いをなくせといっているのである。
スチュワーデス。なくなりました。
看護婦。これもなくなりました。
女が男に勝っている分野ですら、なくしてしまったのです。
ごつい汗だく男が持ってきた料理と、女性が持ってきた料理、どちらがいいですか。普通男女とも、女性の方がいいと思うのではないでしょうか。しかし、そう思うこと事態が差別だとはじまったらもうどうにもなりません。私はただ女性にはそういう力があるといいたいだけなのですが。
例えばレントゲン技師、女性なら両性ともいけるが、男性のレントゲン技師は、女性にとっては抵抗があるでしょう。これは男性差別とでもいうんでしょうか。

話がとりとめもなくなってきました。。
私がここで書いていることは、当然多くの方の反感を買うだろうし、気分を悪くされる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、さらに恐れずに極論を言わせてもらえば、ジェンダーフリーを過度に主張する女性は、女性としての自信がないのではないかと思う。
女性としての自分に自信がある女性は、わざわざ修羅場である社会にのりこみませんて。寿退社ですよ。男に稼がせますよ。それが出来ないから文句言ってるようにしか私には思えません。
殴られどつかれ怒鳴られののしられながらも男は家族のために働かなきゃいかんのです。それが男のジェンダーです。そのジェンダーがほしいというのであればどうぞご自由に、と私は言いたい。夫を一生「専業主夫」にさせるくらいの覚悟があっていっているのかと問いたい。

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タイトルとは裏腹に、私の根底には女尊男卑の精神が流れている。

人間は、女を原型として作られているようだ。
はじめはみんな女で、女の染色体がちょちょっと変化して男になるわけである。
だから恐らく、レズよりホモの方が多いのだろう。
もともと全て女として作られるのだから。

男は女に到底かなわない。
私が女手一つで育てられ、なおかつ母親が強かったからこのような価値観を持ったのかもしれない。母親は絶対的存在だった。

他の生き物を見てみよう。
カマキリのオスは交尾したあと、メスに食われる。
ひどい時は交尾する前に首を切り落とされるらしい。頭が一種の制御機能を果たしており、切り落とすことによって生殖本能が爆発するようだ。
アンコウの一種には、オスがメダカサイズのものがいる。
メスは皆さんご存知のでっかいアンコウである。
驚いたことに、交尾すると、オスはメスの体に吸収され、消滅する。
オスそのものがタネなわけである。悲惨極まりない。
このように、他の動物においても、メスがメインなのである。

無性生殖から、遺伝子を複雑化し、簡単には滅びないようにするために有性生殖がうまれたようであるが、つまりは有性生殖のためにオスが作り出されたのである。
オスの起源はそこにある。生殖のためにメスを原型として、タネのために作り出されたのである。

さらには、メスが生殖活動に専念、つまりは子育てに専念できるよう、オスが経済的役割を担うようになった。狩りに代表される肉体労働である。
オスはメスと子孫のためにせっせと働くのである。これは現代でもかわらない。
ライオンなどのようにメスが狩りをする例もあるが、いずれにしろ根底にあるのは
「オスはメスに生殖のため利用されている」
にすぎない。男の身体能力が優れているのも、メスから肉体的作業を切り離し、それに特化させた存在として作られたためである。

オスの本来の目的が生殖を有利にするために作り出されたものであるので、根本的にメスにはかなわない惨めな存在なのである。人間も平均寿命は女のほうがはるかに長いし、男は痛みに弱い。出産の痛みを男が味わったらショック死するに違いない。母は強し。

さてここでなぜ「男尊女卑」なるものがあったかを考察してみる。
思うに、男は本能的に上述してきたようなことを悟っていたのである。
女には生物として勝てないことを知った男は、その与えられた身体能力を誇示するほか無かった。女に唯一勝てる武器、身体能力である。
自分が劣っていることを無意識的に知っている男は、そうやって力で女を押さえつけ、いばるしかなかったのである。
これこそが男尊女卑の構図であると私は考える。

「最近の男は弱くなり、女が強くなった」
などといわれるが、実は逆であると私は思う。フィルターを排除した本来の姿に戻ってきたのだ。力で武装せずに、生身の存在でいようとする、またはいれるようになった最近の男性はむしろ強くなったとさえ言える。弱い犬ほどよくほえるというが、男尊女卑というものがほぼなくなり、ほえなくなった最近の男はむしろ強くなったのである。自分の弱さを認めることの出来る強さである。

結論として、男は単なるタネに過ぎない、ということだ。

以上、なんの根拠も無い空論です。私がただこうじゃないかと考えただけなので事実とは全く無関係であります。


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同属嫌悪という言葉がある。
自分と同じタイプの人間を嫌悪することである。
とてつもなく飛躍するが、つまりは人の批判をしたり嫌ったりすることは
その相手と自分が同じレベルであることを意味する。

バイト先の30過ぎの副店長などが、10台の女性を嫌いだなどとのたまう。
仕事が出来ないからか性格かはしらないが、
「あいつは嫌いだ」
などとのたまう。
男として情けなくはないかね?
自分よりいったいいくつ下の人間を、それも女性を、よくも「嫌いだ」などと公言できたものだ。
あなたはその時点で嫌っているその人と同レベルなんですよ。
実に情けない、と思って聞いておりました。結構前の話ですが。
万一嫌ったとしてもわざわざ公言するなといいたい。勝手にきらってろと。
上司に対して「あいつは嫌いだ」といって逆らうならまだ骨太な感じがしていいが、嫌う相手が小娘ですよ。なぜ「ああしょうがないな」と思ってやれない。

などと、その人を批判している私も、同レベルなわけです。
最近私も愚痴っぽくていけない。以前はバイト先では人の批判をしたことはほとんどなかったと自負しているが、最近は妙に辛口批評だ。
しかし、自己弁護すれば、仕事の批判こそすれ、それによってその人の人格そのものを批判もしくは嫌うことは一切無いと、思うわけです。
生まれる環境や育つ環境は選べない。
ゆえに自分の性格というものも選べない。
見た目を選べないのと同じように、性格も選べないと私は考える。
性格は自分の意思で変えることが出来る、と思うからこそ性格に対して人は厳しいのかもしれないが、変えるのは並々ならぬことだと思う。美容整形に近い。
このような考え方が私の中にあるがゆえに、そうそう簡単に人を嫌うことはない。
私の性格論を書き出すと長くなるので、それについてはまた余力のあるときにでも書きたいと思います。

今は仕事後のビールをのみながら書いているので、支離滅裂でまともなことなどかけやしない。もう一本買ってくりゃよかったと思っているわけであります。

まあ要約すると、大の大人が10台の小娘を嫌っていることが実に腹立たしいと思ったのがこの記事の発端です。

最近無理やり毎日更新しようとして文章の精度が落ちていると実感しているわけであります。。




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私にはアピール力がない。
社会人になったらアピールすることが必要なのだろう。
100の仕事をやってそれをしっかり100見せる、時には120に見せる力が。

だが私は真逆だ。口だけの男は男としてカッコ悪いと思ってしまう。
いや、100のことをやったならそれを100ですと伝えることは正当なことだが、それでさえカッコ悪いと思ってしまう。

つまりは、今までバイトで「わかる人にわかればいい」と思ってきた。
一緒に仕事をしてきたり、本質を見抜く力のある人であれば、私がいかにすさまじいことをやっているかがわかるはずだ、自分から「仕事できます」風を装うのは大嫌いだと思ってきた。
「俺なんかたいしたことないですよ。」「誰々さんのおかげです。」「俺なんかいなくたって変わりませんよ」「俺はキッチンでのた打ち回ってるだけです」
などと自分を卑下するのが大好きだ。
それは自分の仕事レベルに自信があるから言えることだろうし、実際仲間には信頼されている、いくらがんばっても超えられない存在でうっとおしいと思う人もいるくらいだ(アピールです)。
しかし、当然のことながら、一緒に仕事をしない人にとってみれば私の言動から私の仕事内容を把握するしかない。自分を卑下ばかりしている私は当然たいしたことないんだなと思われる。
社会人になって上を目指すならそれではいけない。
かといって、人を落とすようなアピールの仕方はもっと良くないと思う。
人を上げつつ自分も上がる。それが理想だ。簡単ではないだろうが。

まあ意味がわからなくなってきましたが、いくら言葉で自分を卑下しても「仕事みりゃわかるだろ」ってのが理想だったわけです。
しかし、見りゃわかるだろとはいっても見れない人には私の言動で判断するしかない。だから、アピール力がやはり必要なのである。と、長年バイトをしてきて感じた。仕事レベル80と90位の差だったら、アピールで抜かせてしまうのである。
しかし私はアピールで抜かしたい方じゃない。アピールで抜かされないようにアピールしたい。
以上、全く意味がわかりませんでした。

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日本人は自然が大好きだ。

日本のゴジラは天災みたいなもので、自然の怒りなわけで、人間にはどうすることもできない。ただ過ぎ去るのを待つしかない。
アメリカ版ゴジラは結局人間にあっけなく倒される。

日本人はいくら被害にあっても台風をなくしてしまおうなんて思わない。自然をいじくると大変なことになると思うから。
アメリカ人は台風を本気で消そうとしてる。台風の目にミサイルかなんか打ち込んで消滅させられるらしい。びっくりです。

日本人は薬が嫌い。軽い頭痛くらいじゃ簡単に薬のまない。サプリメントもあまり流行らない。でも植物を干したりすりつぶしたりといった漢方薬ならいいんじゃないかと思う。
フランスの大学で何かしらのサプリメントを使っているかと問うたところ、およそ9割の学生が使っていたらしい。日本は使ってない人が9割。日本人はビタミンを果物や野菜からとります。風っぽいときはミカンを食います。

日本では美容整形があまり流行りません。やっても口外しません。整形すると冷ややかな目で見られます。
お隣韓国では美容整形するひとが多く、抵抗も少ないようです。

日本の絵は主に自然を描きます。美しい自然風景の中に人間が豆粒のように描かれたりします。
西洋の絵は人物画です。人間しか描きません。歴史的経緯もあるが、人間メインで背景の自然は手抜きです。


これが日本と西洋との違いです。
半分は我が師の受け売りですが、私自身、昔から日本人としてのアイデンティティーを意識してきました。我々は国際社会にあって、自分たちがどのような民族性をもっているのか意識しなければいけない。
同時に相手がどのような民族性かを知らなくては誤解を生んでしまう。
簡単に言えば、日本人は、人間は自然の一部に過ぎないと考えている。
西洋人は、人間は自然を征服するものだと考えている。
だって聖書にそう書いてあるじゃありませんかあなた。
神は人間が管理し、支配するよう、自然を人間に与えたのですから。
自然は人間の好きにしていいんです。






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「ちくしょう、俺の足元を見やがって、ぼったくられた。」

という「足元を見る」。
これは「質屋が履物をみてその客のレベルを見抜く」ことが起源である。
履物が人間を判断する際の指標となっているのである。
ものの価値のわかる人間にはまともな商売を行い、そうじゃない人には適当な値段をつけてぼったくるのである。

ホテルマンも客の履物は絶対にみるらしい。
履物でグレードを見極め、それによって接客が変わってくるとの話をきいた。

つまりはヘボ靴はいてるとなめられるということです。
オシャレは足元から。

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