だいぶ間があいてしまったが、前回の続きです。
「風俗に連れ立って行く男たち」に対する妙な違和感。
こっちが何も言ってないのに、私のように行かない人間にはあまり積極的に話をしない。
後ろめたいことじゃないんだから、どっかで一緒に飯食ったバリに普通にはなしゃいいのに。
話すは話すんだけどなんか、「悪い事を一緒にした戦友」的な、妙なひそひそニヤニヤ感が漂う。
わざと後ろめたい事をしている風を装いたいのではないだろうか、それを仲間で共有して喜んでいるように見える。
実に気持ちが悪い。と同時に、なんだかわからんがぶん殴りたくなってくる。
まるでタバコを吸う中学生のようだ。
・・・
そう、タバコを吸う中学生の心理と同じなのです。それの大人版です。
風俗にいく目的が、「性欲を満たす」のみではないのです。
それこそが私の感じた違和感だったと思うのです。
あー、面倒くさくなってきた。
結論。
男にとって、風俗に行く事は、男のアイデンティティーを主張することに他ならない。
「男性らしいものに興味をもち、ちゃんと男している」という男社会でのアピールが主目的であり、
性的処理は副産物にすぎない。
その手の男性は、大抵、他の「男らしいもの」、例えば車や高級腕時計、等の話題も得意である。
風俗に行くと言う行為は、ジェンダーとしての男をあえて身にまとうことで、
男社会の中で自分がいかに男であるかをアピールし、男してのアイデンティティーを維持すると言う行為に他ならない。
上記の男を女に、風俗を流行のパン屋に置き換えると、女性版の完成である。
女にとって、流行のパン屋に行く事は、女のアイデンティティーを主張することに他ならない。
「女性らしいものに興味をもち、ちゃんと女している」という女社会でのアピールが主目的であり、
パンは副産物にすぎない。
その手の女性は、大抵、他の「女らしいもの」、例えば流行のレストランや高級ブランド、等の話題も得意である。
流行のパン屋に行くと言う行為は、ジェンダーとしての女をあえて身にまとうことで、
女社会の中で自分がいかに女であるかをアピールし、女してのアイデンティティーを維持すると言う行為に他ならない。
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