暗いブログ
 



第一志望に内定もらった。
本当に受かりたいと思っていたし、行きたいと思っていた。
受かったらどんなにすばらしいか、大声で叫ぶぐらいうれしいに違いない、と思っていた。
ところが「合格です」の電話を貰っても、うれしくはあったがそれほどではなかった。
それよりも「ああ、どうしよう」という気持ちのほうが強かった。
内定もらった会社が数社あり、第一志望受かる前に懇談会に参加した会社もあった。
飲みの席でその会社の役員に気に入られ、「俺が上司だったらお前みたいなやつは絶対離さない」
というお言葉すらいただいた。
内定者も少ない会社だったし、同期が少ないから密なつきあいができるのも魅力的に感じ、
ここでもいいかなと思っていた。

だからこそ第一志望「合格です」を聞いたとき、ああどうしようと思った。
でも結局他を全て断ってそこにした。

シュウカツは終わった。

ところが全く気分が晴れない日が続いた。

本当にこれでいいのだろうか?
本当にこれが自分のやりたいことだろうか?
もっと他にあるんじゃないか?

ちなみに某大手独立系SIのSEです。
とにかく残業も多くハードな仕事だともっぱらの評判です。
仕事が忙しいのは当たり前だし、私は仕事に関しては忙しいより暇なほうがストレスを感じるので
忙しいのは別にやむをえないと思っている。
しかし、同時に耐えられるだろうかという不安もある。
そんなこんなでずっとうつ状態なのです。

「内定ブルー」という言葉で検索したら結構ひっかかった。
結構普通にいるんですね。内定ブルー。
マリッジブルーみたいなもんですね。
正常な反応だと思って少し安心しました。

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X-MENのリーダー「サイクロプス」。
彼の能力は目から破壊光線を出せることだ。
周知のことだが、彼は四六時中目から光線が出ているのだ。
それを制御するために、あのメガネらしきものを着けているのである。
メガネが外れるとあたり一面大惨事となる。

そこで問題。
日本人はよく電車で目をつぶっていますね。
寝てるわけでもないのにただ目を伏せたりつぶったりしている。
それはなぜでしょう?

目を合わせるのが恥ずかしいから?
引っ込み思案でコミュニケーションに消極的だから?

おしい!!

正解は「サイクロプス」だから、でした。
目を不用意にあけると光線が発射されて大惨事となるからです。

日本人は言葉に頼らないコミュニケーションを重んじます。
その一つが「目」です。
「目は口ほどにものを言う」というように、目で伝え、目から察するのです。
我々日本人からすれば「何をあたりまえな」と思うでしょう。
当たり前ではありますが、相手と目を合わせるという行為は、日本人にとっては重いのです。
目が合ったとき、そこに強力な伝達通路がうまれ、自分の内面が相手になだれ込み、相手の内面が自分になだれ込んできます。
脳が緊張し、精神が刺激されます。
「用も無いのに話しかけるな」なんていう台詞がありますが、それと同様、あるいはそれ以上に
「用も無いのに目を合わせる」ことは大変面倒なことなのです。
我々にとって目を合わせることはコミュニケーションの始まりであり、コミュニケーションを取る意思であり、またそれ自体がコミュニケーションです。
だから、見ず知らずの人に用も無いのに軽々しく目を合わせることは相手にとっても重いし、失礼なのだと考えます。
それは、自分の目から出ている「光線」を浴びせることになるわけですから。
電車に乗っている人全員が目を合わせまくっている場面を想像してください。まさに大惨事です。こわいです。
だから日本人はわざと目をあわさないようにしているのです。
それが暗黙の了解だからです。

だから「なんでみんな目をつぶっているのだろう。おかしな光景だ。」と外国人は思うわけです。
日本人もその影響か、はずかしいことだと思って無理して目を開けて必死で広告などを見ている人もいますが、そんな必要はないのです。我々の眼からは強力な光線が出ているので、そっと閉じてやればいいんです。サイクロプスのように上手に調節してください。

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「NOと言えない日本人」などといってはっきり主張できない日本人を日本人が揶揄した表現がある。
なにをバカなことを言ってるんだと思った。
確かに国際舞台での競争を考えると不利かもしれない。
しかし、日本の文化を捨ててまで欧米化することは私はバカだとしか思えない。
ナショナリズムと思うなら思うがいい。
日本の文化をいとも簡単にほうりだして欧米万歳として取り入れてきたのが日本の歴史だが、
もういいかげんにしてくれ。
日本人はものおじして「NOと言えない」のではない。
「NOと言ってはいけない」のである。

簡単に言えばキリスト教においては、言葉が全てである。
しかし日本においては様子が違う。
「I LOVE YOU」「愛してる」
我々の多くにとって、そんな言葉は意味がないし、意味すらわからない。
欧米ではこの言葉を口にしない限りそこに「愛」はない。
言葉で表現しなければけないのだ。
日本は古来より言葉の危険性を感じてきた。
「口は災いの元」という言葉があるが、どうやら禅宗にもとづく概念らしい。
禅宗では、言葉で表現してはいけないのだ。だから黙って座るのである。
「座禅」だ。

だからこそ日本人が言葉で表現しなければならないとき、比喩的であいまいなのだ。
「察する文化」それこそが日本の美徳だ。
察しの悪い奴や空気が読めない奴は好まれない。
だが大丈夫。日本人である時点で、欧米人よりよっぽど察する力がある。
文化や歴史が違うのだ。
はっきり「NO」ということでしか伝えられないしわからないのならなんと洞察力の無い連中だ。
日本人は軽々しく「NO」などといってはいけないのだ。
言葉の危険性を知っており、言葉に頼らない「腹芸」こそが最高のコミュニケーションなのだから。


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